6 東京の夜、盗みの手口

 ある日曜の夕刻。都心のある宝石店。傾きかけた日差しは周囲のビルに遮られて届かないが、店内は照明を受けた宝石たちが真夏の川面のようにきらきらと輝いていて明るい。

 この店は、都内でも有数の高級貴金属を扱っている。ルビーとサファイアの見分けもつかないような若い恋人たちが、繋いだ手に汗を滲ませ胸を高鳴らせながら、えいやとばかりに足を踏み入れたとすれば、値札を見た途端、居心地の悪さに踵を返すタイミングを計る、そんな種類の店だ。それが狙いでもある。この店がターゲットとするのは、もう少し年齢が高く、宝石に詳しく、それらを生活の一部として内包していて、そして何よりそれらを手にするのに十分な自由になるお金を持ち合わせている種類の人だ。


 そう、例えば、今タクシーを降り、まさにこの店に足を踏み入れようとしているあの女性。明るい色の髪を夜会にし、濃い茶の大ぶりなサングラスに肌触りの良さそうな黒の毛皮のコートを羽織り、ヒールの高い靴を履いたその女性は、入り口で店内をぐるりと見回すと、まっすぐに店の中央にある指輪のショーケースに歩み寄った。もちろん、値札を見て顔色を変えるようなことはない。


 しばらくすると、一人の女性店員がショーケース越しに英語で彼女に話しかける。

「プレゼントですか?」

「他人にこんないいものは贈らないわ」と彼女はにこりと笑う。「もちろん自分のためよ」

「ありがとうございます」と、店員は「こんないいもの」の部分にお礼を述べると、当たり障りのない程度の微笑みを浮かべた。「ご予算は?」

「そうね、ここに並んでるくらいがちょうどいいかも」

「0」が五つ並んだ値札たちを眺めながら言う。


 短い一問一答を繰り返しながら、数ある指輪の中から彼女の希望に合うものを選り抜いていく。やがて店員は鍵のかかったショーケースから三つの候補を取り出し、彼女はそのうちの一つを指にはめる。指輪+3。

 他の二つと見比べながら、「もう少し台座が綺麗なものがいいわ」と言う。店員は素早く頭の中の引き出しを開け閉めし、彼女の言う「綺麗」に当てはまりそうな宝石を探す。そして、少し離れたショーケースからさらに二つの指輪を持ってくる。指輪+2。

 彼女は少し迷った後に、「これは違うかも」と言い、一つを脇に外す。「これはしまっていいから、ネックレスを持ってきてもらっていいかしら? ここにある指輪と合いそうなものを何本か。一緒に頂くわ」

「かしこまりました」と店員は笑顔で答え、言われたとおりに指輪と交換にネックレスを三本持ってくる。指輪-1。ネックレス+3。

 彼女は大いに迷い、店員は根気強くそれに付き合う。いくら富裕層を相手にしているとは言え、彼らにとっても決して安い買い物ではない。時には数時間、一人の客に掛かりきりになった挙句、何の収穫もない時もある。今回も彼女の要望に応えるべく、店員は店内を忙しなく行ったり来たりした。ネックレス-2、指輪+2、ネックレス+3、指輪-1……。


 たっぷり小一時間が過ぎたころ、彼女は申し訳なさそうに言った。

「だめだわ。今日は決められそうにない。散々付き合わせて申し訳ないけど、出直してくるわ」

 店員は内心がっかりはしたが、そんなことはもちろんおくびにも出さない。

「結構ですよ。またお越しください。お待ちしておりますので」

 そう言って、自分の名刺を渡す。彼女はそれを受け取り、来た時と同じように颯爽と店を後にする。


 店を出ると、乗ってきたタクシーはまだそこにいる。助手席の窓を軽く二度叩き、開いた後ろのドアから乗り込む。タクシーを待たせおけば、当然その間も料金は加算される。でも、彼女にとってそんなことは問題ではない。


 夜七時。閉店の折になって、店員は初めて指輪が一つ足りないことに気づく。頭が真っ白になる。反射的に店の外に目をやるが、そこには煌々と輝く東京の夜があるだけだ。

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