3 赤土の丘、絶望の淵

 ベネズエラ、ブラジルとの国境の村——。


 入日に大地が赤く燃える。時折ひどく乾いた風が吹きつけ、口の中にざらざらとした土の感触を残していく。村人たちが「赤土の丘」と呼ぶ、エレノアが胡坐をかいているその場所は、確かに赤土ではあったが、丘というよりはむしろ崖に近かった。眼下には同じ赤土の平坦な土地が広がり、その中央を一本の細い川が、正確に言うと夏のほんのひと時にだけ川となる一本の筋が、縦に走っていた。その上空、崖の頂上よりも少し低いところを、一羽の鷹が物憂そうに大きな弧を描いている。エレノアは胡坐をかいたまま手近の石を放ったが、それは鷹よりも遥か手前の中空で勢いを失した。


「いい肩をしてる」

 その太い声が乾燥した空気を震わせたのとエレノアが背後に人の気配を感じたのは、ほとんど同時だった。エレノアはわずかに振り返り、目の端で男を確認しただけで、すぐに前を向き直った。もう一つ石を放った。

「どれだけ飛ぼうが、鷹に当たらなきゃ意味がない。違うか?」

「まぁ、そうかもしれないな」

 男が数歩前に歩み出たので、自分の横に座るつもりなのかとエレノアは身を固くしたが、男はエレノアの斜め後ろで立ったままだった。


「今日も同じことを言うのか?」

 エレノアが微かに嘲りを含んだ声で言う。

「つまらない男でな。ほかに話の種を持ち合わせていない」

「なら一層黙っていた方がいい」

「今のは手厳しい」

 そう言って男は豪快に笑った。「私は本気だ」と声を落とす。

「私も本気だ」とエレノアは間髪入れずに返す。「どうして私にこだわる? なぜ私だ?」

 その問いに男は長いこと答えなかった。それまで同じ場所を旋回していた鷹が、諦めたように赤く燃える西の空へと去っていった。


「似ているんだ」と男は消え入るような声で言った。

 エレノアは思わず振り返って男の顔を見た。泣いているのかと思ったのだ。赤く染まった男の顔は泣いてはいなかったが、泣いているようではあった。

「何が、何に?」

 エレノアはそれまでどおり、静かに尋ねる。

「君が、私の……いや、私自身かもしれない」

 またしばらく沈黙があった。エレノアはゆっくりとした動作で三つ、石を放った。男はその様子をじっと見守り、やがて口を開いた。


「私と一緒に来ないか?」

「そこにはあるのか? ここにはないものが」

「私は、そう思う。自分の目で確かめればいい」

 直後、一際強く乾いた風が丘の上を吹き抜けた。細かな砂が男の頬を打つ。男は堪らず顔を風下にそむけた。その時、風音の合間に声を聞いた気がした。それは天使の囁きのようであり、絶望の淵から助けを求める叫びのようでもあった。

 風が止み、男が顔を上げた時、エレノアは男の目の前に立っていた。ジーンズに付いた砂を払っている。


「何か言ったか?」

 男の問いかけに、エレノアは「何も」と素っ気なく答えた。「ただ、」

「ただ、いつ帰るのかと訊いた」

「三日後の朝に出る」と男は答えた。

「そうか」とエレノアは呟くと、ゆっくりと男の脇を通り抜けた。


 エレノアのその確かな歩みの先にあるものは、決して絶望であってはならない——。


 男は焦燥感に駆られ、振り向くとエレノアの名を呼んだ。男が彼女のその名を呼んだのは、それが初めてであり、そして最後だった。

「荷物は、できるだけ少ないほうがいい」

 エレノアは振り向かなかったが、男にはエレノアが笑っているように見えた。

「持っていくものなど、何もない」


 エレノアがいなくなった後も、最初の星が輝き始めるまで、男はそこに立ちすくんでいた。

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