下部織姫の場合

「見たわね」

「はい」


風紀委員室、そして正座、

もはや、確立されたスタイルとなっているこの状況。

不機嫌そうに僕を見下ろす下部さん。

その手は、一枚の紙を持っていた。


「神畑くんが、友達のいない生徒で良かったわ。これがもし、お喋りな子にバレていたら、酷い目に遭っていたもの」

「そうだね」


正直、多分バレてると思うけどね。まぁ言わないけど。

下部さんは、持っている紙を、ヒラヒラと動かす。


「これは、処分しておくべきだったわ。なんでわざわざ、机の上に放置するなんてことしたのかしら。一生の不覚よ」


下部さんが持っているその紙には、音楽のテストの結果が書かれている。

筆記ではない。実技の方だ。


「でもほら。先生の一言コメント欄に、一生懸命でよかったと思いますって書いてあるよ」

「幼稚園の発表会の感想じゃない。こんなの」


下部さんは、ため息をついた。

音程、リズム……その他諸々の項目で、全て0点を叩き出しているが、元気と明るさだけ満点だ。


「神畑くん。私、風紀委員長なのよ?勉強がダメで、歌もダメなんて、どうしたらいいのかしら……」


どうやら相当参っている様子。

一応、悩みを聞いてあげることは、僕の仕事でもあるわけだが……。なぜ僕は正座させられているのだろう。


「まぁ、勉強は置いといて、別に風紀委員長だからって、歌が上手くある必要はないでしょ?」

「知らないの?神畑くん。各部の部長と、風紀委員長、さらに生徒会長は、卒業生を送る会で、歌を送ることになっているの」


衝撃の事実だった。

生徒会長と、部長で、それに適さない人を知っている。


「欠席すれば?」

「できるわけないじゃない」

「う〜ん……」

「どうしたら、歌が上手くなるかしら?」

「普段から、練習するしかないね」

「高い声には自信があるのよ」

「そうなんだ」

「べ、別に、変な練習はしてないわよ?」


少し顔を赤くして、その顔を紙で隠す下部さん。

……なんでわざわざ自爆しにいくんだ。


「じゃあ、あとは音程とリズムだね。ちょっと一回、歌ってみてよ」

「……嫌よ」

「別に、裸見せろって言ってるんじゃないんだからさ」

「当たり前じゃない!誰が全裸で歌うのよ!」

「ごめん。難しい発言は控えるようにするね」


国語が一桁程度の点数の下部さんである。

読解力には、こちらから配慮が必要だ。


「歌いたくないわ」

「でも、聴いてみないとさ、アドバイスもできないじゃん?」

「今日の神畑くん、何だかSね……」

「真っ当な意見だと思うんだけど」


やや呼吸を荒くしている下部さん。いや、なんでこの人興奮してるんだよ……。


「じゃあ、わかったわ。今日家で歌って、それを録音してくる。いいかしら?」

「まぁいいけど……」

「はい。この話は終わりね。神畑くん。もう普通に床に座っていいわよ」

「椅子に座らせてよ」


僕は、痺れる足を労わりながら、何とか椅子に腰かけた。


「はぁ……」

「何ため息をついてるのよ。ため息つきたいのはこっちの方よ」

「でもさ、こういう機会でもないと、改善しようと思わないし、よかったんじゃない?」

「それは確かにそうね」


どうやら納得してくれた様子だ。

下部さんは、先ほどの紙をしまおうと、クリアファイルを取り出した。


「あっ」


しかし、うっかりそのクリアファイルを落としてしまい、中身が僕の目の前に広がった。


「ごめんなさい神畑くん」

「気にしないで、ほら……あっ」


目の前に広がった紙を、下部さんに手渡す途中で、一枚、目に入るものがあった。


それは、体力テストの結果。


「……見たわね?」


下部さんの表情が、先ほどと同じように、闇に染まっていく。

僕は自発的に、席から立ち上がり、再び正座した。


「あの、下部さん」

「何も言う必要はないわ。あなたは有罪よ」

「……」

「そうよ。悪かったわね。私は運動音痴。それでいて勉強もできなくて、歌も歌えない。ポンコツよ」

「そこまで自分を卑下しなくても……」

「言い訳はやめなさい!」

「言い訳はしてないよ」


しかし、チラッと目に入ったあの結果は、相当酷いものだった。

ソフトボール投げで、結果がセンチ単位になっているものを、僕は初めて見たぞ。


「運動こそ、できる必要ないでしょ。下手な人と上手い人で、ちょうど半々くらいだし」

「知らないの?神畑くん。各部の部長と、風紀委員長、さらに生徒会長は、卒業生を送る会で、卒業生とバレーボール対決をすることになっているの」

「何なのその企画」


一体誰が考えついたんだろうか。


「それこそ、体調が悪いって言って、休めばいいよ」

「生理だと思われたら嫌よ」

「プールじゃないんだし、誰もそんなこと思わないから」

「そうかしらね。男子なんて、女の子が体育休んだら、すぐ生理と決めつける習性があるわ。ほんと最低よ。神畑くん」

「何で僕が名指しで怒られなきゃいけないんだ」


そもそも男と二人きりで会話してる時に、生理とか普通に言わないでほしい。

この人に関しては、今更感もあるが。


「でも意外だな。下部さんは、運動ができそうだと思ったよ」


短髪で、いつもは割とすばしっこく、動いている印象がある。

しかし、下部さんは、顔を曇らせた。


「実際、昔は得意だったわよ。小学生の頃は、男子よりも足が早かったわ。中学生でも、一年生までは、みんなより運動はできた方だと思うの」

「何か、怪我したとか?」

「そういうわけじゃないわ」

「じゃあ、どうして?」

「……胸が、大きくなったからよ」

「えっ」

「胸が!大きくなったからよ!」


校舎中に、響き渡るんじゃないかというくらいの、大きな声で、下部さんは言った。


「胸が大きくなったから、揺れるから、恥ずかしいから、人前では運動できなくなったのよ!」

「そんな理由か……」

「そんなってなによ!私の胸に謝りなさい!」

「胸に謝るの?」


言われた通り、胸を見ながら、頭を下げた。


「何見てんのよ」

「めちゃくちゃだね本当に」

「ただでさえでかい胸なのに、運動なんてしたら、神畑くんのような、すけべな男子に、スマホで写真を撮られて、怪しげなアカウントに画像をDMで売られて、世界中に私の胸が公開されてしまうわ」


相変わらずの妄想力だ。


「サラシ巻くとかしたらどうなの?」

「あんなのはエッチな漫画の世界だけの話よ」

「別にエッチな漫画じゃなくても登場するけどね」

「うるさいわね!」

「ごめんなさい」


まぁ、あれだけでかいと、サラシを巻いたところで、焼け石に水か……。


「神畑くん。どうやったら胸は小さくなるのかしら」

「知らないよ」

「ダイエットしたら、小さくなると思ったのよ。そしたら、胸だけ残ったわ」

「聞く人が聞いたら、殺意を覚えるような発言だね」


絶対他の女の子の前で、しない方がいい話だ。


「音痴で、運動ができない。しかもバカ。こんなの、カラオケマラソンクイズ大会とかに出場が決まったら、私どうしようもないじゃない」

「そんなおちゃらけたクイズ大会は開催されないから大丈夫」

「わからないわよ。うちの生徒会長は……」

「……」


確かに、ハチャメチャなことを、常に考えている女の子だ。

一応、警戒と忠告はしておこう。


「まぁ、元気出しなよ」

「そんな風に慰めても、私は騙されないわよ」

「何の話?」

「女の子が弱っているところに、優しく手を差し伸べる。常套手段ね」

「少なくとも正座しながらはしないだろうね」


休憩を挟んだとは言え、さすがに何分も正座しているから、キツくなってきた。


「いいわよ。ほら、座って」


自分の隣の席を引いて、座る許可を与えてくれた。

僕はゆっくりと立ち上がり、感覚がなくなりかけている足を引きずりながら、席に座る。


「神畑くん。私、風紀委員長向いてないと思うのよ」


突然、神妙な面持ちで、下部さんは言った。

……いや、もっと他の要因で、風紀委員長には向いてないんだけどね。


「そんなに落ち込むことないでしょ。むしろ、完璧な人よりも、ちょっと抜けてくるくらいの人の方が、好感持てるし」

「抜ける?」

「そういうところは好きじゃないな」


本当、下ネタさえ言わなければ、変態な妄想癖さえなければ……下部さんは、もっと人気が出るはずなのに。


「……神畑くんは、私に好感を持ってるの?」

「好感って言うか……。まぁ、面白い人だとは思うよ」

「それって、好きってことかしら」

「いや、その」


急に、真面目な顔して、攻め込んでこられたので、僕は慌ててしまう。


「キャラクターは好きだよ。うん」

「エッチな女の子が好きってことね?」

「下部さんは、エッチな女の子なの?」

「違うわよ!エッチなのはいけないこと!」

「何それ……」


相変わらず、情緒不安定な下部さんだった。


「じゃあ、謝罪も済んだことだし、僕は帰るね」

「待ちなさい」

「なに?」

「……何でもない」

「なにそれ」

「何でもないわよ!早く帰りなさい!」


顔を赤くして、急に僕を追い出そうとする下部さん。

とにかく扱いの難しい人だ……。

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