ウィークポイント

桃林秀乃の場合

「あわわわわわ」

「いやいやどうしたの?」


生徒会室のドアを開けると、すぐ目の前で、桃林さんが、青い顔をして、突っ立っていた。

その視線は、窓に向いている。


「ばばばばばばは」

「とりあえず落ち着こうか」

「おちつつつつつつ」

「うん……」


どうやら、まともに話せない様子。ブルブルと体を震わせて、完全に何かに怯えている状態だ。


「いやほんと、どうしたの?」

「神畑さん。私、苦手なものが、百八つあるんです」

「煩悩?」

「たまたまです」


どうやら、少し落ち着きを取り戻したらしい。

桃林さんは、おそるおそると言った感じで、近場の椅子を一つ取り、そこに座った。

そして、深々と息を吐く。


「……そのうちの一つが、虫です」

「あぁ、なるほど」


窓に視線を向ける。

カナブンが、止まっていた。

……いや、カナブンって。


「ゴキブリとか、蜘蛛とか、蜂とかならわかるけどさ……。カナブンだよ?」

「神畑さん。虫は虫です。蛙の子は蛙みたいなものですよ」

「それはちょっと意味が違うけどね」

「そうですね。蛙は虫ではなく両生類です」

「うん」


やはり動揺が治まっていないのか、桃林さんの発言は、ちょっとズレていた。


「えっと、そんなに怖いなら、追い出してあげようか?」

「いいんですか?」

「うん。カナブンくらいなら、触れるし……」

「じゃあ、ぜひお願いします。この国から奴を追い出してください」

「そこまではできないけど」


僕は早速、机に置いてあるティッシュを一枚手に取り、窓へ向かう。

カナブンは、特に動きを見せない。あっさりと、捕まえることができたので、窓から逃がしてやった。


「よし……」


桃林さんが、拍手をおくってくれた。

僕はとりあえず、頷いておく。


「でも、本当に虫苦手なんだね」


いつも割とおちゃらけている桃林さんが、あんな風になるとは。

桃林さんは、危機が去った窓際の椅子へと移動する。なので、僕はその隣に座った。


「苦手ですね。虫と出会うと、苦虫を噛み潰したような顔になってしまいます」

「ややこしくしないで」

「虫酸が走ります」

「わざとやってる?」

「今日は蒸し蒸ししますね」

「完全にわざとだね」


桃林さんは、キョトンとしている。

あざといな、この人。


「まぁ、誰にでも苦手なものはあるからね」

「神畑さんは、何が苦手なんですか?」

「うーん。例えば、食べ物だと、パセリが苦手だよ」

「確かに、カナブンと同じ色ですからね」

「余計苦手になったよ」


杏美は、好き嫌いはダメだぞ!と言って、よく僕にパセリを食べさせようとしてくる。

……もう、見るだけで、ダメかもしれない。


「まぁ、食べ物なら、食べなければいいだけですから……。虫が苦手だと、本当にこの時期は辛いですよ」

「そうだろうね」


真夏も真夏である。

虫にとっては、パラダイスだ。


「昨日も、洗濯物を取り込もうとしたら、蝉がひっついてたんです。思わず泣き叫びそうになりましたよ」

「よくあるよね」

「でもまぁ、先に泣いたのは、私ではなく、蝉でしたね。勝ちです。完全勝利」


桃林さんは、ピースをした。

……先にってことは、多分桃林さん、その後泣いてるな。


「克服できるなら、したいんですよ。でも、この歳になっても苦手ってことは……。もう無理な気がしないでもないですね」

「あの様子だとね……」

「一回、ショック療法を試してみたんです」

「どうだった?」

「失神しました」

「諦めた方が良さそうだね」


毎回失神していたら、それはもう療法ではなく、ただの拷問である。


「何だか、私だけ弱点を晒したみたいで、気にくわないですね……。神畑さん、他に苦手なものはないんですか?」

「いや、わざわざ僕まで、弱点を晒したくはないんだけど」

「ズルいですよ。ズルい女って感じです」

「男なんだけど」

「そうですね」


相変わらず適当だ。


「だって、これから先、私と神畑さんのガチデュエルで、神畑さんが不利な状況になった時、ポケットから虫を出されたら、形勢逆転されちゃうじゃないですか」

「僕もさすがに、ポケットに虫は入れたくないよ」


正直、得意か苦手かで言えば、苦手な方だと思う。カナブンは平気だけど……蛾とかになると、触れる自信はない。


「ほらほら、教えてくださいよ〜」


桃林さんは、甘えた声を出しながら、僕の肩を、ツンツンと突いてくる。


「そんな攻撃仕掛けてきても、教えないよ」

「じゃあ、もう一つ私の苦手なものを教えてあげます。それでいいでしょう?」

「別に知りたくないんだけどなぁ……」

「私、お化けが苦手なんです」

「言っちゃったよ」

「言っちゃいました」


頬を赤く染め、恥ずかしそうにする桃林さん。

しかも、またまたこの時期旬なものじゃないか。


「だから、虫のお化けとか最悪ですね」

「あんまり虫のお化けが出てくる話はないけどね」

「だいたいみなさんなんであんなに、怖い話が好きなんですか?何も楽しくないじゃないですか。笑うポイントがないっていうか……」

「そりゃそうだよ」


怪談に笑いが入ってきたら、シリアスなムードが台無しである。


「お化け屋敷なんて最悪ですよ。なんでお金払ってまで、怖い思いがしたいんですか?もうマゾじゃないですか」

「今すぐ各方面に謝った方がいいよ」

「お化けの皆さんごめんなさい」


桃林さんは、立ち上がり、空気に向かって、お辞儀をする。


「肝試しとか、もうヤバイですよね。時間の無駄ですよ。せっかくみんなで集まって、肝試しって……。もっとあるじゃないですか、花火とか、星空観察とか、ね?」

「肝試しやった後でもできるからね、それは」

「例えばですよ?夜の八時から肝試しをするとしましょう。準備のために、一時間前に現場入りしないといけません。八時から全組ゴールへたどり着くまで、一時間としても、終わるのが九時です。さらに言えば、その企画のために使う時間だってありますよね?必要なものを買いに行く時間、お金だってかかります。こんな無駄なことはないですよ」


息継ぎも疎らに、そんな長ゼリフを吐いたので、桃林さんは、息切れを起こしている。どんだけ否定したいんだよ、肝試し……。


「でもほら、肝試しってさ、こう……、カップルとかが、楽しむんじゃない?」

「へっ」


鼻で笑われてしまった。


「じゃあもう合コンを肝試しにしたらいいですよ」

「成立しないでしょ」

「お化け側を女性にすれば、脅かされるタイミングで会話が生まれるじゃないですか」

「生まれちゃダメなんだよ」


脅かした後に話しかけてくるお化け、台無しすぎる。


「ていうか、こんな話はどうでもいいんですよ」


桃林さんが、机を強く叩いた。

そして、僕の方に、身を乗り出してくる。


「神畑さんの、弱点です」

「ほんと……これと言って、ないんだけど」

「いいえ。そんなはずはありませんよ。あってたまるもんですか」

「食べ物の好き嫌いはダメでしょ?」

「そうですね。常にその食べ物を忍ばせておく必要が出てきて、冷蔵庫が埋まってしまいます」


どう使うつもりなんだろう……。


「まぁ、強いて言うなら、なんだろう……、マラソンとかは、苦手だよ」

「じゃあこれからは、生徒会室に来る前に、外周を十周くらいしてきてくれますか?」

「運動部じゃないんだから」

「はぁ。まともな弱点がありませんね」


桃林さんは、ため息を吐いた。

まともな弱点って、言葉がおかしいと思うんだけどな。


「こうなったら、妹さんに訊くしかないですね」

「えっ」

「おっと、なんで連絡先を知っているんだ。なんて野暮な質問はやめてくださいね」


こないだ、うっかり家に入れたのが間違いだったか。

有無も言わさず。と言った様子で、桃林さんは、スマートフォンに文字を打ち込み始めた。


「いや、うちの妹が、桃林さんに情報を譲るとも思わないけどな」


二人の出会いは、結構険悪なムードになっていた印象がある。


「妹さん、お金大好きでしたよね?」

「……」


桃林さんは、勝ち誇ったような顔をした。

その通り。うちの妹は、金に目がない、強欲な女の子である。


「おっ、早速返信がきましたよ」


さすが引きこもり。反応が早いな。

いくら積んだのだろう……。


「へへぇ〜。なるほど〜」


桃林さんは、ニコニコしながら、スマホの画面を見つめている。

その視線を、ゆっくりと僕に移してきた。


「杏美、なんだって?」

「神畑さん」

「はい」

「……好きです」

「っ!」


クリティカルヒットだった。

杏美のやつ、とんでもないことを教えやがった。


……こんな美少女に、冗談でも、面と向かって、好きだなんて言われたら、ダメージを受けない男なんていない。


「好きですよ、神畑さん」

「やめて」

「あれ、顔が赤いですね?食べごろですか?」

「りんごじゃないです」

「神畑さんは、私のこと好きですか?」


桃林さんは、真面目な顔で、そんなことを尋ねてくる。

なんなんだこの状況は。


「……好きか嫌いかで言えば、もちろん好きだよ」

「じゃあ、好きか大好きかで言ったら?」

「……好きだよ」

「うっひょー!私のことめっちゃ好きじゃないですか!」


うっひょー!って……。


「ハイテンションのところ申し訳ないけど、本当にやめてくれない?こんなの、苦手じゃない人はいないよ。例え友達だとしても、面と向かって好きとか言われたら、キツイと思う」

「まぁでも、これから先、神畑さんに何か論破されそうになったら、好きですって言えばいいですもんね」

「変な技を会得された……」


桃林さんと会話するときは、くれぐれも気をつけよう。人前でこんな技くらったら大変だ。


「桃林さん。この話はもうやめよう。人それぞれ苦手なものはある。それでいいでしょ?」

「そうですね。今回は引き分けってことにしてあげましょう」

「いつから僕たちは、勝負してたの?」

「ん〜っ」


桃林さんは、可愛らしい声を出しながら、大きく伸びをした。


「さて、私はそろそろ、生徒会の仕事をしないといけません」

「そうなんだ。じゃあ今日は、このあたりで、帰ることにするよ」

「はい。また明日」

「うん」

「あの」

「うん?」


帰ろうとして、カバンを手に持ったところで、桃林さんに呼び止められた。


「これは、言っておくべきかどうか、迷うんですが」

「なに?」

「えっと、そうですね。言っておきましょう。せっかくですし。でも、聞いたら、何も言わずに、そのまま帰ってくださいね?」

「えっ、うん」


一体、何を言うつもりなのだろうか。

桃林さんは、僕の目をまっすぐに見つめている。


そして、大きく深呼吸をしたあと、ゆっくり口を開いた。


「……私は、神畑さんのこと、好きか大好きかで言ったら、大好きです」


少し顔を赤くして、俯く桃林さんから目を逸らし、僕は生徒会室をあとにした。


……僕、告白されたのか?

いや、そんなはずはない。桃林さんの気まぐれだ。そう思うことにしよう。


……そう、思うことにしたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る