逆鉾雫&下部織姫の場合

「何しに来たの?私を殴りに来たの?風紀が乱れるから?何もしてないのに?こうしてひっそり静かに過ごしているのに?どうして?いくら払えばいい?五十円しか持ってない。ごめんなさい、ごめんなさい……」

「神畑くん。何だか私、嫌われてるみたいだわ」

「そうみたいだね」


風紀委員の仕事の一つに、部活動抜き打ち活動チェックというものがある。

主に、急に部室へ押しかけて、良からぬことをしていれば、厳重注意。エッチな本を読んでいれば、没収。という、明らかに後者にウエイトを置いた、下部さん発案の企画である。


今日はたまたま、その仕事の付き添いをすることになった。当然、文芸部もそこに含まれるわけで。


「あの、大丈夫よ逆鉾さん。あなたはそうして、静かに本を読んでいるのが、部の活動だものね」

「陰気な子だって思ったでしょ?」

「そ、そんなことないわよ?」


目をキョロキョロさせながら、やや声を震わせて答える下部さん。嘘つくの下手だな……。


「私ね?逆鉾さんとは、気が合うと思うのよ」


下部さんの声は、明らかに逆鉾さんに向けられているが、逆鉾さんはガン無視。本に集中しているフリだ。


「ね?」


代わりに、僕に対して同意を求めてくる。


「えっと、具体的に根拠はなんなの?」

「私たち、男子にエッチに目で見られてる同盟なのよ」

「何その最低な同盟」


逆鉾さんが、パッと顔を上げ、僕を少し見た後……、胸を隠した。

いや、見てませんからね?


「わかるわよね?逆鉾さん」

「仕方ない。私なんて、それしか取り柄ないから」

「そんなことないわよ。可愛いんだから、自信持ちなさい」

「かわ……っ」


下部さんは、キョトンとしている。

しかし、逆鉾さんからすれば、対人コミュニケーションの回数が少ない上、いきなり可愛いなんて言われたら、そりゃあ照れるもんだ。


「逆鉾さん。困ったことがあったら、何でも相談するのよ?」

「私、お金持ってないよ?」

「援助交際じゃないのよ。お金は必要ないわ」

「その返しはどうかと思うよ」


逆鉾さんがちょっと引いてる。


「あっ、そうだ」


下部さんが、思い出したかのように、持っていた紙を、逆鉾さんに手渡した。


「立ち退きのお知らせ?」

「違うわよ。活動報告の更新ね。こうやって、私たち風紀委員が来た時に、いつも書いてもらっているの」


逆鉾さんは部長になって、初めての経験なのかもしれない。少し戸惑いながら、紙を端から端まで読んでいる。


「逆鉾さん。心配しなくても、ただの活動報告だよ」

「小さい文字で、法外な請求額が書かれているかも」

「エッチなサイトじゃないんだから」

「エッチなサイト!?」

「食いつかなくていいよ」


やはり、二人同時に相手するのは、正直疲れるな……。早いとこ記入してもらって、帰ろう。


「まぁ、そんなに難しいこと書かなくていいって。特に活動に変化がなければ、ここ一週間のことを書くくらいでもいいし」

「一週間……」


逆鉾さんは、顎に手を当て、考え始める。


「……本、読んでた。それだけ」

「そうだろうね」

「待って、殺さないで」

「大げさにも限度があるよ」

「あの、逆鉾さん?本と言っても、毎日同じものを読んでいたわけではないわよね?種類を書いてくれるだけでもいいのよ?」

「……」


どうやら、言いたくない様子である。

さすがの下部さんも、とうとうため息をついてしまった。


「困ったわね……」

「逆鉾さん。さすがにちゃんと答えないと、部活にとって、あんまり良いことないよ?」

「良いことなんて、あったことがない」

「そういう問題じゃないから」

「ちなみに、今読んでいるその本は、どんな本なのかしら」


下部さんが、逆鉾さんの手元を覗き込もうとする。

すると、逆鉾さんが、かなり慌てた様子で、それを抱き抱え、何の本か見えないようにした。


「だ、ダメ」

「恥ずかしがることないわよ。文学少女だもの。色々な種類の本を読んでいて当然だわ」


僕は隣で頷く。おそらく、今日も漫画か何か読んでいて、怒られるのが嫌なのだろう。

下部さんは、女の子に対しては、結構優しいところがあるらしい。多分、大丈夫。エロが絡まなければ、そこそこまともな人……だよね?


逆鉾さんは、決心したのか、本の拘束を解く。顔を赤くして、早く見ろと言わんばかりに、ページを、勢いよく開いて、僕たちに見せてきた。


僕の位置からは、文字が見えない。しかし、下部さんは、逆鉾さんに近寄っていたので、はっきり確認できたらしい。


「……なっ」


そして、唖然、と言った様子で、震える下部さん。


「下部さん、一体……」

「あなたも、凛月先生のファンだったのね!?」

「えっ」


突然下部さんが大きな声を出したせいで、逆鉾さんはびっくりしてしまった。目を大きく開いて、救いを求めるように、僕の方に視線を向けてくる。

何だか面白そうなので、僕は助けません。


「私も凛月先生の作品は大好きよ。毎日かかさず読んでいるわ。いいえ、毎時間、毎分、毎秒と言っても過言ではないわね」


それは過言だろ。


「あ、あの。私、これが初めてだから……」

「大人の階段、登ったわね」


おそらく、会話の内容から察するに……、官能小説か何かだろう。

下部さん。あなた一応、エッチことが嫌いな風紀委員長っていう、表向きのキャラクターがあること、忘れないでね?


「はっ!」


と、そんな僕の心の声が届いたのか、下部さんが、ゆっくりとこちらを振り返る。

その顔は、少し赤くなっており、やらかしてしまった人のそれだった。

そして、僕を入り口付近まで押してくる。


「な、なにかな」

「神畑くん。私はね、エッチなことは嫌いよ」

「あ、はい」


なぜか小声になっている下部さん。


「でもね、このままだと逆鉾さんは萎縮してしまうわ。だから、わざと会話を合わせたのよ」


なるほど、それで乗り切るつもりらしい。


「わかったよ。じゃあ、逆鉾さんは任せた」


僕は、ドアノブに手をかけ、その場を去ろうとする。

しかし、下部さんに、腕を引っ張られ、止められてしまった。


「まだ仕事が残ってるわ。帰すわけにはいかないわね」

「……」

「大丈夫。すぐに終わるわ」


そう言って、下部さんは、逆鉾さんの元へ戻っていく。


「私の悪口言ってたでしょ」

「いやいやいや。そんなわけないじゃないのよ。ちょっと逆鉾さんと、凛月先生についてトークしたいから、そこで黙って見てなさいって命令しただけだわ」


それもどうかと思うよ下部さん。


「でも私、これが初めてだし、まだ途中だから」

「大丈夫よ。ネタバレはしないわ。えっと……、百六十五ページまで読んでいるのね。じゃあ、ちょうど三成と家康が、初めてのキスをしたあたりかしら」

「……うん」


さすが、読み込んでいるんだろう。イキイキとする下部さんだが、逆鉾さんは完全に引いてしまっている。


……三成と家康がキスをする作品って、どんな作品だよ。


「逆鉾さんのお気に入りキャラクターは誰かしら?」

「別に、お気に入りとかないよ」

「箱推しってやつね?」

「……」


これが、ポジティブとネガティヴの違いか……。

でも、相性はいいのかもしれない。二人は孤立しているわけだし、こういうところからでも仲良くなってくれればいいな。


「何ジロジロ見てるのよ」


そんな風に、微笑ましく二人のやり取りを眺めていると、下部さんに注意されてしまった。


「ごめんね神畑くん。下部さんを横取りして」

「な、何を言っているのかしら逆鉾さんは!寝取られモノみたいな言い方して!」

「してないでしょ」


強引すぎる。


「逆鉾さん。心配しなくていいのよ?神畑くんと私の関係は、使うものと使われるもの。つまり、S嬢とM男の関係なの」

「何でわざわざそういう言い方をするの?」

「うるさいわね!」

「僕が悪いのこれ」

「モテモテだね、神畑くん」

「そうだね。やったー」


僕は力なく、バンザイしておいた。


「……でも」


逆鉾さんは、開いていた本を閉じた後、抱きしめながら、少し俯いて……。


「神畑くんは……し、下部さんだけのものじゃ、ないから」


そんな風に、ボソッと言ったのだった。

ボソッ。とは言っても、僕の距離で聞こえているので、下部さんには、はっきり聞こえただろう。


まさかの発言、まさかの展開に、さすがの下部さんも、口をあんぐりと開けて、固まってしまった。


「……ま、まぁ。そうよね。神畑くんは、変態だから、この学校で、ハーレムを形成しようとしているものね」

「必死で絞り出した発言がそれかぁ……」


何のフォローにもなっていない。

しかし、この空気どうしよう。一気に狭い部室が、ラブラブのコメディの色に染まってしまった。


「逆鉾さん。作品もバレちゃったことだし、活動報告書けるね?」

「今この瞬間も書くべき?」


話を逸らそうとしたが、大失敗に終わった。

どうやら逆鉾さんは、ある程度の答えが欲しいらしい。


……いや、いつからそんな、アプローチに本気お姉さんになってたの?この人。


「……ごめんね。私なんかが、神畑くんと仲良くしようだなんて、身分不相応だよね」


身分的な話をするならば、僕たちはお互い孤立しているので、同じレベルなのだが、まぁそれは言わないでおこう。


「さ、逆鉾さん。私別に、神畑くんを独り占めしようだなんて、思ってないのよ?今日だって、たまたま神畑くんが、風紀委員室に現れたから、誘っただけで……」


これは嘘だ。下部さんは、わざわざ放課後、僕の教室に現れて、僕を連れ出しているのである。

意図的にそこの部分を隠した理由は……。うん。


「……」


逆鉾さんは、疑いの視線を、下部さんに向ける。下部さんは、サラッとその視線を躱し、僕の方を向いてきた。うわ、押し付けたよこの人。


逆鉾さんの視線が、僕を捉えている。


「いや、うん。僕はさ、二人みたいな、孤立している女の子を、少しでも孤立状態から抜け出させようと、努力しているから……まぁ、みんな平等だよね」

「……ふーん」


そして、ジト目のまま、僕を見ながら、ため息をついた。


「神畑くんは、私のこと嫌いなんだ」

「どうしてそうなるわけ?」

「神畑くん、残念ながら今のは、エロゲーで言うと、好感度が下がる選択肢だったみたいよ」

「ギャルゲーでいいじゃんそこは」

「そ、そうよ!エッチなのはダメ!」

「情緒不安定すぎるでしょ……」


何だか、疲れてしまった。

それは下部さんも同じらしく、ほぼ同時に、僕たちはため息をついてしまう。


「……下部さんも、私のこと嫌いなんだ」

「そんなわけないじゃない。凛月同盟よ私たちは」

「何その同盟」


まぁ、何はともあれ、とりあえず、ひと段落ついたな……,。


逆鉾さんが、イヤイヤと言った様子で、ようやく活動報告を記入し始める。

そして、書き終わったそれを、下部さんに渡した。


「はい、終わった」

「ありがとう。どれどれ……よし、ちゃんと書け……っ……」

「どうしたの?下部さん」


下部さんは、無言で僕にそれを渡してくる。その顔が、少し赤くなっているような気がするのは、なぜだろうか。

まぁ、読めばわかるだろう……。


「……うわぁ」


そこには、ここ一週間の活動報告ではなく……。


『S嬢が、私の王子様を連れ去りに来た』


と、だけ、書いてあった。

読み終わった僕の顔も、赤くなってしまう。


さすが、文芸部の部長。素晴らしい一文です。

……いやほんと、いつの間に僕は、この可愛いハーフネガティブ美少女に、気に入られていたのだろうか。


「神畑くん」

「は、はい」


いきなり逆鉾さんに声をかけられ、僕の声は裏返った。


「……返事、待ってるから」


話は終わりだと言わんばかりに、逆鉾さんは、読書を再開した。


「か、神畑くん。エッチなことはダメよ?」

「わかってるよ」


下部さんからの、どうしようもない忠告も、この空気を解消するためには、ありがたかった。


「じゃあ、活動報告も書いてもらえたし、次行こうか」

「神畑くん。一つ確認しておきたいことがあるわ」

「なに?」

「他の部活の女の子には、エッチなことしてないわよね?もう気まずいのは嫌よ?」

「してるわけないでしょ……」


逆鉾さんが、本から目を離して、チラチラこっちを見ているのがわかった。


……もうさすがに、気まずさメーターが限界値を越えようとしている。僕は、早足で部室を後にした。

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