逆鉾雫の場合

文芸部の部室は、狭い。

一般的な部室というものを、僕は知らないけれど、どうしてこんな部屋を、図書室の奥に作ったのだろうというくらい、狭い部屋だ。


まぁ、一人の女の子が、本を読むだけなら、申し分ないスペースではあるが。


そんな部室で、本を読むでもなく、布団を敷いて、眠っている女の子がいる。


逆鉾雫さん。文芸部の部長。


この状況は一体……。


「逆鉾さん。寝るなら保健室で寝ようね」


返事はない。

そもそもどこから、この布団を持ってきたのだろうか。


「おーい」


起きてはいると思うが、掛け布団の上から、体を揺すってみる。


「……変態」


目を瞑ったまま、逆鉾さんが、低い声を出した。


「いや、寝てるからでしょ」

「寝てるからって、私に変なことをしようとしたの?」

「起こそうとしたんだけど」

「私なんて、寝てる方が都合いいよ。この国にとって」


その言い方だと、ネガティブではなく、何か秘めた力があるタイプのキャラクターみたいに聞こえてしまう。


逆鉾さんは、ゆっくりと体を起こした。


「なんでまた、こんなボケを?」

「考えすぎて、知恵熱を出したの」

「だから、保健室……」

「保健室なんて行ったら、目が覚めた時、改造人間にされてるかもしれない」

「初期の仮面ライダーじゃないんだから」


こんなネガティブなヒーロー、嫌すぎる。


「ここなら、神畑くんくらいしか来ないから、安全」

「信頼されているみたいでよかったよ」

「されるとしても、エッチなことくらいだろうから」

「しません」

「……いっつも、私の胸ばかり見てるくせに」


それに関しては、ノーコメントでいきたい。

僕は紳士なので。


「まぁ、それは置いといて、知恵熱って?」

「進路希望調査表」

「あぁ」

「私、夢も希望もないの」

「言い方が良くないね」


逆鉾さんは、再び横になってしまう。


「考え出したら、またしんどくなってきた」

「そんなに難しく考えないでいいでしょ。別に、今の時点のものでいいんだから」

「じゃあ、寝たい」

「そうじゃなくて」


僕は掛け布団を引っ張って、部室の隅に畳んで置いた。

逆鉾さんが、恨めしそうな目を向けてくる。


「提出期限、そろそろじゃない?進路希望調査表。書かないと」

「私、大学なんて行きたくない。勉強したくないから」

「逆鉾さん。ここは進学校だよ」

「進学校なら、みんな勉強に夢中で、一人になれると思ったの」

「甘かったね」

「神畑くんさえいなかったら、ずっと一人だったのに」

「それは……」


謝るしかない案件だ。

でも、僕にだって、言い分はある。


「僕がいなかったら、逆鉾さん、部長会議とか、委員会とか、全部自分で出席しないといけないよ」


逆鉾さんと知り合ってから、コミュニケーションが求められる場面で、毎回その代理をやらされている。

逆鉾さんは、目を逸らした。そして、枕に顔を埋める。


「わかった。責任とって、学校やめる」

「そこまでしなくていいから」

「第一希望は退学」

「教師がびっくりしちゃうから」

「しないよ。担任の先生は、私のことなんてどうでもいいと思ってる。こないだも、近寄ってきて、提出を促されるのかなって思ったら……。逆鉾さん、まだ残ってたの?って。退学しろってことだよね?」

「いや、普段すぐに部室にいくのに、教室に残ってたから、不思議に思ったんだよ」


今日のネガティブノルマを達成した。


「ちなみに、どうして教室に?」

「教室にいる人たちが、私の好きな本の話をしていたから……、会話に入れるんじゃないかって、様子を伺ってたの」

「おっ、いい傾向じゃん。どんな本?」

「ジャンプ」

「週刊少年誌だとは思わなかった」


普段から、小説を読んでいるような顔をして、漫画大好きな逆鉾さんである。


「神畑くん。漫画をバカにしてる?」

「いや、そんなことはないけれど……」

「漫画をバカにしてると、ハンターハンターの冨樫先生とかに怒られるよ?」

「せめて松本零士さんとかに怒られたかったよ」


今の発言に、大した意味はない。

だから叩かないでくださいお願いします。


「結局、会話には入れないし、ショックで自分をせめて、気がついたら駅のベンチで泣いてて……。終電逃した」

「何してるの?」

「誰も話しかけてくれなかった。私なんてやっぱり、いらない子なんだよ」

「いや、怖くて話しかけられないよ」

「駅員さんも?」

「……」

「ほら」


逆鉾さんの表情が、どんどん暗くなっていく。

ここは何とか、無理にでも、場を盛り上げないといけない。


「じゃ、じゃあさ、駅員さんになろう。そういうかわいそうな子が、二度と現れないように」

「私、金属アレルギーだから、電車触れないよ?」

「そういう問題じゃない気もするけど、まぁそこはなんとかなるよ」

「私なんかの運転で、電車に乗りたくないと思う……」

「誰の運転かなんて気にしてないから大丈夫」


まぁ、たまに子供たちが、一番前の車両にいって、駅員さんに話しかけている場面は見たことある。

でも、カーテンを閉めれば大丈夫だ。対応によって人となりがわかるよね。いやなんでもないです。


「駅員って、どの大学に行けばなれるの?」

「……それは知らない」

「じゃあ、ダメだね」

「まって。調べるよ」


そう言って、僕はスマホを取り出したのだが……。こんな日に限って、充電が切れていた。


「逆鉾さん。ごめん。調べられないや」

「いいの。私のことなんて気にしないで。あと掛け布団を返して」

「それは無理。ほら、起き上がって」


僕は逆鉾さんに、手を差し伸べる。

逆鉾さんは、少し迷ったあと、それを握ってきた。


「ごめん。私の手、汚れてるから、ちゃんと洗ってね」

「そんなことないでしょ」


逆鉾さんの手を引き、起き上がらせる。


「ほら、汚れてなんて……」


僕は、逆鉾さんに、手のひらを見せようとした。

その手は、真っ赤に染まっていた。


「……えっ」

「ごめん。ドッキリ大成功」


そう言って、逆鉾さんは、枕の横に置いてあるカバンから、何かを取り出した。

赤いものの入った、小さな袋である。


「これ、圧力がかかると、弾けて、赤い塗料が飛び散るの。撮影とかで使われるやつ」

「うん。なるほど。それは理解した。でもなんで、そんなことを?」

「……笑わないで、聞いてくれる?」

「えっ、はい」


逆鉾さんは、急に真面目な顔をした。


「私の将来の夢、マジシャンなの」

「……」

「面白くなかった?」

「笑わないで聞いてくれって言うから」

「おかしいよね。こんなネガティブな私が、マジシャンになりたいなんて。バカみたいだよ。早くSNSに裸の写真ばら撒かれて、人生めちゃくちゃになっちゃえばいいのにね」

「何を言ってるの?」


しかし、マジシャンとは、確かに意外だ。

……そもそもこれ、マジックではないけどね。


手が汚れると忠告してくれていただけ、まだ優しいと言えなくもないが。


「別に、おかしくないでしょ。ネガティブでも、マジシャンはできるし」

「神畑くん。右のポケットを確認してみて」

「えっ……」


僕は、おそるおそる、右のポケットに、手を突っ込む。


……トランプのカードが出てきた。


「あなたが選んだのは、ハートのエースですね?」


確認する。


確かに、ハートのエースだ。


「……いや、選んでないんだけど、僕」

「そうなの」

「そうなの?」

「私、このマジック、ここだけしかできないの」

「逆にすごいけどね」


今日、逆鉾さんは、ほとんどの時間を布団の中で過ごしている。

僕のポケットに、カードを入れる隙があったとは思えない。才能はあるらしい。


「でも、マジシャンって、どこの大学に行けばなれるの?」

「調べ……あっ、充電が切れてるんだった」

「スマホ、貸して?」

「……うん」


まさか、そんなまさか。

逆鉾さん。そんなことができたら、充電器を作っている会社が倒産してしまう。


逆鉾さんは、どこから取り出したのかわからないが、ハンカチを、スマホに被せた。


「いち、に、さん」


そう小さな声で言った後、勢いよく、そのハンカチを投げ捨てた。


……そして、三本の赤いバラが、姿を現した。

逆鉾さんは、僕にそれを手渡してくる。


「どうぞ」

「……逆鉾さん」

「大丈夫。棘は全部抜いてあるから」

「聞いたことないフレーズだ」


逆鉾さんは、ハンカチを取りに行った。

戻ってくると、その手には、スマホが握られている。


「ごめん。電気はまだ作れない」

「きっと作れることはないと思うけどね」


しかし、なかなかの腕前であることは確かだ。


「だいぶ練習したの?」

「毎日三時間はしてる」

「めちゃくちゃしてるじゃん」

「神畑くん。左のポケットを確認してみて」

「いやもう、怖いよ」


左のポケットに、手を突っ込んでみる。


そこには、何も入っていなかった。


「何もないよ?」

「これから入れるの」

「怖いって」


逆鉾さんは、指をパチンと鳴らした。

そして、無言で左ポケットを指差す。


僕は、左ポケットを、再び確認した。


……そこには、百円玉が入っていた。


「……逆鉾さん?」

「そうなの」

「そうなのじゃなくて」

「私、無限にお金を生み出せるみたい。このままだと、怪しげな機関に捕まっちゃう」

「怖い怖い」


紛れもなく、本物の百円玉だ。

ついに、全く接触することなく、人のポケットに物を入れたぞ、この子は。


「これもう、マジックじゃなくて、超能力じゃない?」

「違うよ。タネがある」

「本当に?」

「やっぱり神畑くんも、私を嘘つき呼ばわりするんだね」

「するでしょ、これは」

「だから私は、一人でいいの。そして将来、一人ぼっちで、人に見立てた人形に向かって、マジックを披露する」

「悲しすぎる」


逆鉾さんは、布団を丁寧に畳み始めた。

どうやら、マジックは終わりらしい。


「ユーチューブとかにあげてみたら?多分すごい再生されるよ?」

「どうせみんな、私の胸しか見ないよ」

「それだけすごかったら、さすがにちゃんと見てもらえると思うよ」

「胸を?」

「マジックを」


胸がすごいという自覚は、しっかりあるらしい。


「第一希望に、マジシャンなんて書いたら、何を言われるかわからない」

「大丈夫。第一希望に、神様とか、パンツとか、かぐや姫とか書く人もいるから」


あえて誰とは言わないが。


「まぁ、僕は応援するよ。逆鉾さんのファン、第一号だね」

「ファンなんていらない。私が男の人と付き合ったら、すぐに手のひら返して、叩き始めるでしょう?」

「僕はそんなことしないよ」

「……神畑くんは、その時、ファンじゃないもん」

「どういう意味?」

「……知らない」


逆鉾さんは、頬を赤らめながら、そっぽを向いてしまった。

急なラブコメ要素に、僕も思わず、照れてしまう。


「神畑くん。三本のバラの花言葉、知ってる?」

「えっと、ごめん。知らないや」

「調べたら?」

「……充電、切れてるって」

「知ってる」


逆鉾さんは、嬉しそうな顔をした。

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