進路希望

桃林秀乃の場合

「はぁ……」


放課後の生徒会室。

ため息をつく、生徒会長の、桃林秀乃さん。


桃林さんがため息をついている時は、基本ろくなことがない。

そのまま帰ろうと、ドアを閉ようとした、その時。


「待ちなさい」


いきなり立ち上がって、すごいスピードで、桃林さんが近づいてきた。


「な、なに?」

「なんで帰ろうとしてるんですか。今日は私の番でしょう?」

「いや、別に、順番とかないけど……」


何となく、様子を見にきただけなのだ。


「私は一体、何番目の女なんですか?」

「嫌な言い方しないでよ」

「まぁいいですから。座ってください。校庭に落ちてたお茶あげますから」

「いらないよ」


パッケージがボロボロになった、いかにも時間の経過を感じるペットボトルが、机の上に置いてある。

僕はそれを、中身を捨て、きちんと分別して、ゴミ箱に捨てた。


「神畑さん」

「ん?」

「私って、やっぱり完璧なんですよ」


また始まった。

席に座った瞬間、僕は立ち去りたい衝動に駆られる。

しかし、それを見越した桃林さんが、僕の膝を、力強く抑えてきた。


「痛い痛い」

「この館に入ったら最後。逃げられると思わないでくださいね」

「お化け屋敷なの?」

「まぁ私の才能が完璧であるという点で、お化けと名付けられてもおかしくはないですね」

「うん」


ふと、桃林さんの前に、一枚の紙が置かれていることに気がついた。

進路希望調査表だ。


「神畑さん。私、何になるべきだと思いますか?」

「さぁ。頭いいんだし、弁護士とかでいいんじゃない」

「嫌ですよ。あんな立ち仕事」

「どういう解釈なの?」


確かに、立って、異議あり!とかやってるイメージはあるけれど……。


「それなら、裁判長の方がいいです。座っていられるので」

「じゃあ目指したら?」

「えー。なんかダサいです」

「今すぐ裁判長に謝って」

「謝っても、刑期は短くなりませんよ」

「何の話?」


五つまでかける、進路希望。桃林さんは、まだ一つも埋めていなかった。

まぁ、桃林さんの成績なら、行きたいと思った大学にいけるだろう。だからこそ、迷っているのかもしれないが……。


「だいたい、一年生のうちから、進路だなんて言われても、困りますよ」

「気持ちはわかるけどね」

「進路希望なんて、毎年変わるもんじゃないですか。去年は仮面ライダーだったのに、今年は消防士さんとか」

「それは進路希望じゃないよ」


小学生が、短冊に書くやつである。


「ちなみに神畑さんは、進路決めてるんですか?」

「うーん。歴史が好きだから、大学はそっちにしようかなと思ってる」

「歴女ってやつですね」

「どう見ても男だよね」

「間違えました」

「間違えようがないと思うんだけど……」


気を取り直して。


「だから、大学はまぁ、近所の大学でいいかな〜って思ってる」

「そうですね。あそこ、歴史に強いですもんね。ちなみに私、余裕でA判定出てます」


桃林さんは、ドヤ顔で、僕の方を見てきた。

僕はまだ、B判定までしか、出たことない。


「よかったね……」

「まぁそもそも、A判定出なかった大学がないので」

「……」


そう言いながら、桃林さんは、第一希望の欄に、神様と書いた。


「バカなの?」

「だってもう、これしかないですよ。第二希望何にしましょう」

「いや、まだ第一希望にツッコミを入れてるところなんだけど」


生徒会長の提出する進路希望調査表に、神様と書かれていたら、教師陣は頭を抱えるだろう。

先が思いやられる。


「神様の次に偉い存在と言ったら……なんですかね。副神様とか、いるんでしょうか」

「そんな、生徒会役員みたいなシステム、無いと思うよ」

「そうですよね。そもそも生徒会長と副会長って、圧倒的な差がありますし」

「それを自分で言うの?」

「えっ、じゃあ、代わりに言ってください。どうぞ!」


桃林さんが、手をマイクに見立てて、僕の口の前に出してきた。

僕はその手を、静かに机へ沈める。


「何ですか急に。手を触るなんて。私のこと大好きなんですね」

「あのね」

「第二希望は、総理大臣にしておきます」

「投げやりじゃん」


有言実行。桃林さんは、第二希望の欄に、サラサラと、総理大臣の文字を入れていく。


「あっ、でも、大統領の方が偉いですかね」

「どっちでもいいよ」

「今の社会的に」

「……ノーコメントで」


桃林さんは、総理大臣の文字を消して、大統領と書く。総理大臣は、第三希望に下がってしまった。残念。


「よしっ、と。でも神畑さん。こんなの五つ目まで埋まらなくないですか?」

「まぁ……うん。三つくらいあれば大丈夫だと思う」

「じゃあこれで完成ですね」

「内容の問題はあるからね?」


桃林さん、三者面談とか、どんな会話をすることになるのかな。

ご両親は、この進路希望調査表を見て、何を思うのだろう。


「さて、神様を希望したからには、精進しないといけないですね」


桃林さんは、突然席から立ち上がり……、その場で、シャドーボクシングを始めた。


「それ、何の意味があるの?」

「神様になるためのトレーニングです」

「僕、詳しくないからわからないけど、多分間違ってると思うよ」

「そうですよね。神畑さん。ちょっとサンドバックになってもらえます?」

「何言ってるの?」


桃林さんが、ジリジリと距離を詰めてくるので、僕も立ち上がり、距離を取る。


「桃林さん。落ち着いて。めちゃくちゃアホなことしてるよ」

「神畑さんは、私を孤立から救いたいんですよね?」

「何急に」

「神様は、人から信仰されます。それはつまり、孤立からの脱却を意味するのでは?」

「ごめん。僕はそういう話がしたいわけじゃないんだ」

「そうですよね。男ならやっぱり、話し合いじゃなくて、拳ですよね」

「違う違う」


言いながら、桃林さんは、さらに距離を詰めてくる。

とうとう僕は、壁際まで追い込まれてしまった。


「桃林さん。頼むから落ち着いて。僕を殴ったって、神様にはなれないよ」

「神畑さん……いや、神様さん」

「しょーもないこと言わないで」

「えいっ!」

「うわっ!」


普通に殴りかかってきたので、僕はその手を、寸前のところで受け止めた。


「あっ、また私の手を握りました。これはもう求愛行動ですよ」

「防衛本能だよ」


僕は桃林さんの手を離す。


「神様は無理だからさ、総理大臣を目指しなよ」

「でも、よく考えたら、総理大臣って、忙しそうですよね。やりたくないです」

「何だそれ」

「やっぱり神様です。構えてください」

「いや、ちょっと」


またしても、桃林さんは、ファティングポーズをとった。


「そもそも生徒会長が、生徒に暴力を振るうって、どうなのさ」

「人は過ちを反省して強くなるんです」

「過ちを犯す前にそれ言う人いないから」

「神畑さん。油断しましたね。ボディが隙だらけです」


そう言って、桃林さんは、僕のお腹に、右パンチをぶち込んでくる。そこそこの衝撃が、お腹にずっしりとダメージを残した。


なんなら最初から、油断するでもなく、ボディはガラ空きだったわけだが。


「どうですか?痛いですか?」

「そりゃ痛いよ。桃林さん、本当にどうしたの?」

「昨日、ボクシングの動画を見てたら、ちょっとやりたくなっちゃった」


お茶目にも、舌を出しながら、そんなことを言う桃林さん。

……神様、関係ないじゃん。


「一発殴れたし、満足でしょ?」

「一本満足ってやつですね」

「違うよ」


これ以上付き合ってられないので、桃林さんの肩を掴んで、強制的に、席へ座らせた。


「頭を冷やしなさい」

「冷えピタ切らしてるんですよね」

「物理的にではなく」

「神畑さん。進路希望に、あなたのお嫁さんって書く展開、ラブコメでよくありますよね」

「トーク下手くそなの?」


桃林さんは、進路希望調査表の、第一希望の欄を指差す。そこには、神様と書かれたままだ。


「ここを、こうして……」


様の文字を消す桃林さん。

そして、その横に……畑、と書いた。


「……」

「……」


無言で見つめてくる、桃林さん。

何その、突然のラブコメ攻撃は。


「……あの、桃林さん」

「ドキドキします?」

「そりゃあ、まぁ」

「しない方がおかしいですよね!こんな美少女に、ラブコメのレーザービームを打ち込まれて!」

「情緒不安定なの?」


急に大声を出されて、むしろそっちの方で、心拍数が上がった気がする。


「えっと、桃林さん。そろそろふざけずにさ、ちゃんと書こうよ」

「真面目な話、進路希望なんてありません。ていうか、考えたくないです。私、完璧な美少女ですけれど、正直大学なんて行きたくないんですよ。ユーチューバーになりたい」

「何そのカミングアウト」


桃林さんは、進路希望調査表を、ついにカバンの中にしまいこんでしまった。

そして代わりに、スマートフォンを取り出す。


「今ではスマホから投稿もできるわけです。誰でも気軽に、ユーチューバーになれる時代なんですよ」

「いや、うん……」

「確かに神畑さんの言う通り、私という才能を、大学側が欲しているのもわかります」

「僕、何も言ってないんだけど」

「でも、ユーチューバーになりたいんです」

「別に、反対はしてないじゃん」


勝手にすればいいと思ってしまった。

桃林さんなら、可愛いし、成功する可能性は高そうだから。


「じゃあ、神畑さんの第一希望は、カメラマンでいいですね?」

「巻き込まないで」

「歴史なんて、カメラマンやりながらでもできるじゃないですか」

「ユーチューバーなんて、他の何をしながらでもできるでしょ」

「ユーチューバーをなめないでください!」

「よくその熱量で怒れるよね」


気を取り直して。


「まぁ、今の時点で、なりたいものがないなら、白紙でいいんじゃない」

「ないわけじゃないです」

「なら、それを書けばいいよ」

「じゃあ、訂正する必要ないですね」

「えっ?」


桃林さんは、そう言うと、カバンを持って、早足で出て行ってしまった。

ガチャリ、と、鍵をかけた音がする。


……いや、僕が中にいるし、意味ないでしょそれ。


それにしても、訂正する必要がないっていうのは……。


うん……。


立派な男性になれるように、僕も頑張ろう。

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