DLC
野々森奏子の場合
(この章の女の子は、これから先、メインの四人に加えて、登場したりしなかったりします)
放課後に、耳へ入ってくるピアノの音。
それは、特別音楽室から聞こえてくる。
最近、孤立少女達と、放課後に接する機会が増えたので、割とこのピアノの音が気になり始めていた、そんな矢先。
理事長から、五人目の孤立少女を救えと、命令された。
と、いう物々しいプロローグはさておき、僕は、特別音楽室の前にいる。
特別音楽室は、ピアノを弾くためだけの教室で、普段は合唱コンクールの貸し出しとか、文化祭期間の練習とかで使われるのみである。
しかし、そんな特別音楽室で、放課後、最近は、ほぼ毎日のように、ピアノを練習している生徒がいるらしい。
名前は野々森奏子(ののもりそうこ)。名前からして、ピアノを弾いていそうだ。
僕は早速、理事長からもらった、特別音楽室の鍵を使って、中に入る。
「……」
ピアノを弾いている野々森さんと、早速目が合った。
野々森さんは立ち上がって、こちらへ近づいてくる。
話に聞いていた通りの、美人だ。
黒髪ロング、僕よりも高い身長。そして、黒縁のメガネ。白い肌。
「えっと、僕は神畑です。話は聞いてると思うけれど」
「出てけ」
「いや、あの」
「出てけ」
「とりあえず、そこに座ろうか」
僕は、適当な椅子を指差して、そこに座った。
しかし、野々森さんは、律儀に、ピアノの前の椅子へと戻っていく。
微妙な距離感が生まれたので、僕は座ることを諦め、野々森さんの方にいくことにした。
「歓迎されてないみたいだね」
「そんなことない」
そう言って、野々森さんは、鍵盤を強めに叩いた。
「ね?」
「いや。明らかに歓迎してないじゃん」
「出てけ」
コミュニケーション能力の低さを感じる。
これまた、他の四人とは違ったタイプだ。
「私は一人でいい。ここでピアノを弾くだけ」
「あぁうん。そのことで話があるんだ」
「大会があるの。喉をあまり使いたくない」
「ピアノって喉関係ないよね?」
「違う。カラオケ大会」
「えっ、意外」
僕がそう言うと、野々森さんは、不機嫌そうな表情をした。
「人を見た目で判断するな」
「ごめんごめん。でも、カラオケ大会ってさ、もっとこう……明るく弾けた人が参加するもんだと思ってた」
「出てけ」
「会話の出だしなんだけど」
野々森さんは、全く目を合わせようとしてくれない。ただずっと、楽譜を見つめている。
いかにも、ピアノ一筋少女。と言った感じの要素が、これでもかと詰め込まれた野々森さんだが、そんな野々森さんに会うため、僕がここに来た理由は、孤立から救うという目的のためだけではない。
「野々森さん。あのさ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないよ」
「ピアノ弾かせてよ。一秒でも弾いてないと、腕が鈍る」
「野々森さん。ピアノ下手くそだよね?」
この事実を、伝えに来た。
ここ最近、ほぼ毎日、放課後、特別音楽室から流れてくる、不協和音。
職員室から鍵を盗み、無断で使用し続けている生徒。
そんな野々森さんに、僕は説教しに来たのだ。
野々森さんは、僕の発言で、明らかに動揺を見せている。鍵盤の上に乗せた指が、軽く震えていた。
「で、出てけ」
「いや、野々森さん。みんな迷惑してるんだよ。普通、放課後に聞こえてくるピアノの音色って、綺麗じゃん。誰が弾いてるんだろ〜!みたいなさ、ときめきすら感じるわけ」
「一秒でも弾いてないと鈍る」
「いや、もうサビサビだからさ」
川底に沈んでいる鉄パイプくらい錆びてる。
何か曲を弾くでもなく、ただ淡々と不協和音が鳴り響いているので、苦情が殺到しているのだ。
しかし、生徒は怖くて近づかないし、教師は面倒ごとに巻き込まれたくないからと言って、放置。いや、その状況にそもそもツッコミを入れたくなるが、まぁそこはいいだろう。
そこで今回、僕に白羽の矢が立ったというわけである。
「鍵、返そうね?」
「このピアノ、気に入ってる」
「ちゃんと申請出せば、借りられるよ」
「めんどくさい」
「あのね……」
「大会が近い。練習しなきゃ」
「それはカラオケでやってよ」
僕は野々森さんの指を、鍵盤から離させて、ピアノの蓋を閉じた。
「はい。今日はおしまい。次からはちゃんと、申請を出して借りようね」
「嫌だ」
「頑固だなぁ」
「私から、ピアノを奪う気なんだ」
「野々森さんは、職員室から、鍵を奪ってるけどね」
「出てけ」
頑なに、席から離れようとしない野々森さん。
これは困ったな。正直、孤立から救うとか、そういう次元の話じゃない。
「そもそもさ、なんでピアノなの」
「かっこいいじゃん」
「しょーもない理由」
「ピアノは私の命」
「……何年くらい、やってるわけ?」
「半年」
「半年であのレベルなんだ……」
「ありがとう」
「褒めてないよ」
「ピアノを弾いてる時の私が、本当の私」
「頼むから上手くなったあとにそのセリフ言って」
野々森さんが、蓋を開けようとしたので、僕はその手を離させた。
またしても、不機嫌そうな顔になる。というか、基本この人は真顔で、感情の読みにくいタイプだ。常に不機嫌に見えてしまう。
「カラオケ大会、近いんでしょ?練習しに行ったら?」
「この時間は同じ学校の生徒がいるから嫌」
「家で歌いなよ」
「弟がいるから恥ずかしい」
「大会は人前で歌うんでしょ?」
「……」
「いや、目が泳いでるじゃん」
こんな調子で、本番は大丈夫なのだろうか……。
まぁ、カラオケ大会については、今回の本題からは外れるので、これ以上触れないでおこう。
「……とにかく。鍵を盗んだのは、普通に窃盗罪だからね」
「盗んだんじゃない。拾ったの」
「どこで?」
「職員室で」
「それ、鍵を掛けてあるところから、落ちただけでしょ」
「不気味な旋律を奏でるんだね。君」
「何その、ピアノが恋人系ヒロインみたいなセリフ」
見た目とか、喋り方とかは、それっぽいので、一瞬騙されそうになってしまった。
「ほら、鍵返して?」
「ダメ。この鍵は、私の命」
「ピアノが命じゃなかったの?」
「心臓二つあるから、私」
「まぁ、ピアノの方はもう発作起こしてるけどね」
弾かれているピアノの方がかわいそうになってくる。
野々森さんは、ようやく席を立ち上がった。
そして、カバンの置いてある机へと向かう。
やがて、カバンを手に取ると、こっちまで戻ってきたのだが……。なんの躊躇いもなく、それを、ピアノの蓋の上に置いた。何が命だよ。
「あー。鍵、忘れてきちゃった」
「どうやって入ったの?」
「ピアノの中から出てきた」
「何そのありそうな設定」
「私、実家がピアノやってるから」
「ピアノ教室やってるみたいに言わないで」
往生際の悪い人だ。
こうなったら、奥の手を使うしかない。
「理事長から、連絡が来てるよ。鍵を今日中に返さなければ、退学って」
「別に、いいけど」
「いや、良くないよ」
何の効果もないらしい。ケロッとしている野々森さん。
どんだけ返したくないんだよ……。
「私からも、理事長にお願いがある」
「なにかな」
「ハーモニカとかもかっこいいからやってみたい」
「調子に乗りすぎでしょ」
「私、身長高いよ」
「だから何?」
確かに、立ち上がった状態の野々森さんは、180センチに、あと少しで届こうかというレベルではある。
でも、だから何?
「野々森さん。世の中には、本当にやっちゃいけないことってあるんだよ」
「やりたいことやったもんがちって、習ったのに」
「それは別に教育ではないから」
「私からピアノを取ったら、何が残るっていうの?」
「ピアノ以外の全てが、ノーダメージで残ると思うよ」
野々森さんは、カバンを抱きしめ、僕に背を向けた。
「嫌だ。返さない」
「何でそこまで頑固になれるのか、本当にわからないんだけど」
「ピアノは友達だから」
「ランクダウンしてるじゃん」
キャプテン翼かな?
「いつまでもこんなとこに引きこもってるから、友達できないんだよ?みんな野々森さんのこと、変な子だと思ってる」
この特別音楽室に入り浸る前から、そもそも野々森さんは孤立している。コミュニケーション能力は低いし、頑固だし、いくら美人でも、友達としての魅力は薄い。
「別に、私は一人でいい。最初にも言った」
「少なくとも僕は、君を孤立から救うために、これから頻繁に会いにくるよ」
「ストーカーで訴えるから」
「その前に窃盗罪で訴えるよ」
「卑怯」
「あのねぇ」
思わず、ため息をついてしまった。
「わかってる?今日中に返さないと、退学だよ?」
「別に、こんな学校に思い入れなんてない」
「親が悲しむよ」
「親は私を理解してる。問題ない」
「いや、絶対びっくりするって。盗んだ鍵を返さなかったから、退学になりましたなんて言ったら」
「きっと納得してくれる。ちょっとコードが転調しただけだって」
ちょいちょいそういうセリフを挟んでくるな。この人。
真顔で言うもんだから、冗談のはずなのに、妙なしっくり感があるのは否めない。
「でもさ、よくよく考えてみてよ野々森さん。この学校を退学になったら、こんな立派なピアノ、使わせてもらえるところ、そんなにないよ?」
野々森さんは、少しだけ俯いた。
野々森さんレベルの能力だと、普通に、他のところで、同じレベルのものを借りようとしても、門前払いだと思う。
それは、多少理解していると信じたい。
「……神畑くん、だっけ」
「あぁうん」
「じゃあ、鍵は君に返す」
「えっ」
野々森さんは、あっさりと、僕に鍵を渡した。
どういう風の吹きまわしだろうか。
「君は毎日、私の代わりに申請を出して、私の代わりにここを開ける。それでいい」
「いや、なにそれ……」
「私を孤立から救うんでしょ。それくらいやれる」
……策士だ。この人。
「僕だって、用事がある日もあるんだよ」
「例えば?」
「例えば……」
なかった。
友達のいない僕に、用事のある日なんて、存在しない。
「そういうわけで。早速申請出してきて」
言いながら、もう野々森さんは、ピアノを弾き始めている。
不快すぎる不協和音が、流れ始めた。
「野々森さん。頼むからそれやめてくれない?」
「ごめん」
そう言って、野々森さんは、メガネを外した。
「いや、誰がメガネ外せなんて言ったの」
「それやめろって言うから」
「違うよ」
「楽譜が見えない」
「見えたところで、弾けないでしょ」
「四分音符」
「その通り。のテンポで言わないで」
止まらない不協和音のせいで、耳が痛くなってきたので、僕は逃げるようにして、特別音楽室をあとにした……。
これから毎日、申請を出さないといけないらしい……。
会話できることがあれば、してみよう。でも、あの調子だと、到底関係は進まなさそうだな。
僕はため息をつきながら、職員室へと向かった。
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