神畑杏美の場合
「兄貴とあたしの〜!ラブラブラジオ!」
いきなり始まってしまった。
放送部もぼちぼち復帰し始め、今日がピンチヒッター最終回。
理事長の意思と、たまたま杏美のクラスメイトだった放送部一年生の、粋な計らい(という名の、僕に対する嫌がらせ)により、拡大バージョンで、十五分間のラジオが放送されることになった。
その名も、兄貴とあたしの〜!ラブラブラジオ!
バカなのか?
リスナー、誰と誰がやってるかわからないだろ。
ウキウキ顔で、僕の目をまっすぐ見つめてくる杏美。放送室の外で、その様子を撮影する放送部の女の子たち。
地獄そのものだ。
「兄貴、ついにあたしたち、始まったな」
「その言い方だと、僕らの時代が始まったみたいになるぞ」
「実際そうだろ?兄貴とあたしが、普段いかに仲良しで、理想の兄妹してるか、全校生徒に知らせる良い機会だ」
なぜこんなことになってしまったのだろうか。
杏美は確かに、割と僕のことを、兄として好いてくれている。
しかし、それをまさか、人に知らしめたいという欲求があるとまでは、思っていなかった。
「じゃあ早速、最初のコーナーいくぞ」
「おう……」
「兄貴のここが好き〜!」
このラジオ、聴いていられるのか?
誰が得するんだよ。
「このコーナーは、あたしが兄貴の好きなところを、時間の許す限り紹介するコーナー。なんだけど……時間はあんまり許されてないんだよな。タイムイズマネーってやつだ」
「本当か?」
「だから早速いくぞ!まず一つ目!兄貴の匂いが好き!」
言いながら、杏美は、僕の制服を嗅ぎ始めた。
何を考えているんだろう。この妹は。
「兄貴、良い匂いがするぞ」
「洗剤か、スプレーの匂いだろ。制服なんだから」
「いや、違うな。兄貴のエキスがにじみ出てるんだよ」
「人をキノコみたいに言うな」
「二つ目ー!」
杏美は、僕に向けて、ピースをする。
そして、ギャラリーに対しても。
ギャラリーはそれに対して、歓声で答えた。
「とっても優しい!」
「まぁ、うん」
それは自覚がある。
杏美に対して、僕は間違いなく、過剰なくらいに優しい。
たった一人の妹だから、というのもあるが、単純に、やっぱり年下の女の子であるわけだから、優しくしないといけないと思ってしまう。
「どんくらい優しいかって言うとな……。あの……牛丼で言うと……えっと……」
「なんで牛丼で言おうとしてるんだ?」
「兄貴、カツ丼に変えてもいいか?」
「変わらないだろ。あんまり」
「カツじゃなくて、ステーキが乗ってるくらい優しい」
「全然伝わらない」
その例えは、杏美の好物が、ステーキであるということを知ってないと、全く意味をなさない。
しかし、杏美は、ずっと僕を見ながら話しているので、もはや、リスナーというのは、度外視しているのだろう。
ていうか、それなら牛丼でもよかったでしょ。
「兄貴、三つ目にいく前に、ここでラブラブクイズだ」
「僕にクイズを出すのかよ」
「問題、てでん!」
てでん!の効果音くらい、この放送室なら、用意してあるのに。わざわざ自分で言ってしまうあたり、正直可愛いと思う。
「昨日、兄貴の洗濯物に、あたしがこっそりしてしまったことがあります。それはなに?」
「えっ、なにそれ怖い」
「大丈夫だ兄貴。法には触れてないぞ」
「当たり前だ」
パンツに刃を仕込んでおきましたとか、そういうことがない限り、触れるわけがない。
「ヒントをくれ」
「ヒントはそうだな……。じゃあ、このクイズに答えられたら、ヒントを出してやる!」
「クイズ中にクイズをするなよ」
「問題、てでん!」
「……」
「あたしが兄貴の部位で、一番気に入ってるところは、どことどことどことどことどことどこと」
「もういいよ」
一番って言葉の意味を、この子はちゃんと理解しているのだろうか。
「おーっ、男だな兄貴。ヒントなしでいくのか?」
「まぁ、どっちみち当たらなさそうだしな」
「外れたら罰ゲームだぞ?」
「おい、先に言え」
「この罰ゲームボックスの中から、紙を引くんだ。そんで、紙の中に、罰ゲームの内容が書かれてる」
杏美は、ボックスを撫でながら、頬を緩ませている。
おそらくだが、ろくな罰ゲームは入っていないだろうし、杏美にとって得をする内容のものばかりのはずだ。
「……僕の洗濯物に、醤油を零した、とか?」
「ぶっぶー!」
「……」
「兄貴、お風呂場に醤油なんてないだろ?」
「わかってるよ」
すごいふざけたラジオなのに、いきなり正論ぶつけられると、なんかムカつくな。
「さぁ兄貴、早速罰ゲームボックスを」
「いや、先に答えを教えてくれよ」
「えっ?なに言ってるんだ兄貴。答えが当たるまで、同じ問題だぞ?」
「大地獄じゃねぇか」
杏美は、ニコニコしながら、ボックスを僕に押し付けてくる。
仕方なく、紙を一枚引いた。
そして、開封する。
「……肩を揉む。だって」
「よし、兄貴。早く揉んでくれ」
「いや、今揉んだら、僕の声が、マイクに届かないだろ」
「あたしに聞こえてればいいんだよ」
「……」
と、いうわけで、僕は肩もみ担当へ成り下がりました。
杏美の、特に凝ってるわけでもない肩を、適当に揉み始める。
「兄貴、もう少し力を強くしてもいいぞ」
「いや、これが限界だ」
「限界っていうのはな、越えるためにあるんだぞ」
「こんなところでそんなに頑張りたくない」
「そうやって言い訳ばかりする人生でいいのか?」
なぜ僕は、引きこもりに、説教されているのだろうか。
「まぁ、クイズは一旦保留にしよう。三つ目いくぞー!」
杏美の掛け声に対して、ギャラリーの、おー!という答えが返ってきた。おそらく放送に乗っているくらいの声量である。
……ていうか、今更だけど、杏美、結構人気者じゃない?
いつの間に、ここまで学校に溶け込んでいたのだろうか。
まさか、引きこもりが、一番最初に孤立から脱する兆しが見えるとは。
他の三人さん、圧倒的にどうしようもないな……。
「三つ目は、兄貴の顔だな」
顔に関しては、言っちゃ悪いが、褒められ慣れている。
ましてそれが妹という、身内からなので、そこまで嬉しさは感じなかった。
「どうしたんだよ兄貴。真顔だな」
「肩もみさせられてんだぞ。ヘラヘラしてる方がおかしいだろ」
「笑顔を忘れたらダメだぞ。某ハンバーガーショップは、スマイル0円だ」
「無料ほど怖いものはないけどな」
「まぁ確かに、注文取った後、後ろを向いてジュースを作るとき、明らかに表情険しくなってるもんな」
「ごめん。この話題掘り下げないで」
接客業は、大変だ。
客として、常に敬意を払わないといけない。
「兄貴の顔はな。本当に、アイドルになれるんじゃないかと思うくらいいいんだよ」
「そこまでではないだろ」
「ちゃんと、デビューシングルのタイトルも、あたしが考えてきてやったぞ」
「一応訊こうか」
「妹大好きチュッチュラバーだ」
「自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
キャラソンでも聴いたことないぞ。そんな酷いタイトル。
「そもそもラジオなのに、匂いとか、顔とかを褒めるなよ。伝わないだろ?」
「確かにその通りだな。安心しろ兄貴。あと2,000個くらい用意してあるからな」
「あと5分くらいなんだけど」
「えっ」
杏美は焦った顔で、時計を確認する。
「し、しまった。まだ、兄貴これ買って〜!とか、兄貴にこれをおねだり〜!とか、よっ!男気兄貴!とか、たくさんコーナーを用意してたのに!」
「僕はお前の財布かよ」
「一家の大黒柱ってやつだな」
「良いように言うな」
他の三人ならば、ここで強制終了だ。
残りの五分を、杏美はどう使うつもりなのだろう。
「よし、じゃあ、このコーナーにしよう」
杏美は、肩に乗っかっている僕の手を叩いた。
席に戻れということらしい。
「なに?」
「最後のコーナーは……兄貴、いつもありがとう!のコーナーだ」
「……」
まさか、最後の最後に、こんな素晴らしいコーナーを用意していただなんて。
我が妹ながら、感心する。涙が出そうだ。出ないけど。
「このコーナーは、兄貴に欲しいものをたくさん買ってもらって、お返しとして、ありがとうの気持ちを送ろう!ってコーナーだ!」
「騙された」
涙を返せ。泣いてないけど。
杏美はニコニコしている。
「嬉しそうだな」
「兄貴のことは、敬意を示すために、これから福沢諭吉って呼ぶことにするよ」
「それ、本当に敬意払ってるか?」
もはやストレートな悪口としか思えないが。
「感謝の気持ちを込めて、歌を歌おうと思ってるんだ」
「まぁ、どうぞ」
杏美は、軽く咳払いをして、水を飲んだ。
そして、自分で手拍子をする。
ギャラリーが、それに答えるように、手拍子を返した。
「……兄貴はね〜。とってもだいじ、当たり前〜。いくつになっても〜仲良くしよう〜」
「短歌かよ」
「ありがとう」
ギャラリーから、盛大な拍手が送られた。とんでもない茶番だ。
「さて、感謝したぞ。なんかくれ」
「敬意もへったくれもないじゃないか」
「これだけ気持ちを示したのに、響かないって……兄貴、不動態か?」
「不動態の意味が全然違うぞ」
お前は頭がいいんじゃないのか。
「でも兄貴。放送終了まで、あと一分しかないんだ。このまま何も買ってもらえないまま、番組が終わったら、リスナーきっとがっかりするぞ」
「しないだろ」
「なぁ兄貴〜。肩揉むから〜」
「それだとただのあいこだぞ」
「じゃあ、あたしの胸を揉んでいいぞ」
「お昼の放送だぞ」
夜だったらいいというわけでもないが。
ついに杏美は、席を離れて、僕に抱きついてきた。
「頼むよ兄貴〜!」
「おい。もう放送終わるぞ。お別れの挨拶くらいしろよ」
「嫌だ!兄貴と別れたくない!」
「僕じゃない」
「何でもいいからくれよ〜兄貴〜」
「お前そんなキャラじゃなかっただろ」
願い虚しく。放送は終了してしまった。
杏美は、肩を落として、席に戻る。
「……あのな、杏美。前も言ったと思うけど、何も成し遂げてないのに、褒美を受け取るなんて、絶対悪影響を及ぼすんだからな」
「気にすんなよ。引きこもってる時点で、悪影響もクソもない」
「何開き直ってるんだ」
ため息をつく杏美。
……何だこの、僕が悪いみたいな空気。
ギャラリーにも、微妙な目線を向けられている気がする。
「……わかった。わかったよ。じゃあ、この罰ゲームボックスから、一枚引いて、それやったら、なんか買ってやる」
「本当か!?」
杏美の顔が、一瞬で笑顔全開になり、ギャラリーからは、今日一番の拍手が送られた。
……もしかして僕、ハメられたのか?
それを尋ねる間も無く、杏美は、紙を引く。
勢いよくそれを開封したあと……真面目な顔になった。
「どうした?よっぽど酷い罰ゲームだったか?」
「いや……」
杏美は、その紙を、僕に見せてきた。
プレゼントを、送る。
「へへっ。プレゼント交換だな」
杏美は、嬉しそうに笑った。
少しだけ、僕も笑った。
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