神畑杏美の場合
我が妹、神畑杏美は、引きこもりだ。
しかし、テストだけは、きちんと受けている。
なおかつ、そこそこいい点数を取っているという話だ。
僕はそれを、信用している。だから、特に点数を気にして見たりはしていなかったのだが……。
「へへん。兄貴、どうだ?」
珍しく、杏美の方から、自慢してきた。
全教科の点数が書かれた個票。
それを開いて、机の上に置いた杏美。
ちなみにここは、僕の部屋である。
わざわざ自慢するためだけに、入ってきたのだ。
プライバシーもへったくれもない。
「まぁうん。すごいと思うよ」
桃林さんの、ほぼ全教科満点に近い結果を見ているから、麻痺しているけれど、杏美の成績も、大したもんだ。
ほとんど八十点を超えているし、満点の教科もある。
「だろ?だから、なんかくれよ」
「いきなりだな、おい」
現金すぎる。
ほとんどカツアゲじゃないか。
「なんかって、例えば?」
「そうだな。本音を言えば、村が欲しい」
「戦国時代かよ」
「あたしを姫として崇めてくれる村人と、楽しく仲良くワイワイ暮らすんだ」
「姫って」
「姫なら、家から出なくていいしな」
「結局そこかよ」
最近、姫というと、オタサーの姫という言葉でしか聞かない気がする。つまり、良くない意味というか……。いや、オタサーの姫を否定するわけではないけども。
「でも、兄貴じゃ村は買えないだろうから、私なりに妥協案を考えてきたぞ」
そう言って、杏美は、何かが書かれた紙を、個票の上に置いた。
「さぁ、選んでくれ。あたしの欲しいものリストだ」
「アマゾンかよ」
掃除機、テレビ、パソコン、椅子、絨毯……。などなど、とても高校生の財力では買えないようなものが、そこには書かれている。
それこそ、オタサーの姫にでもなれば、買ってもらえるんじゃないか?とも思ったが、こいつは家から出ないので、残念ながら、オタサーの姫になることはできない。
「杏美。そもそもな、テストは頑張って当然なんだ。それよりも学校に行くことを頑張ってくれ」
「そんな、話が違うぞ兄貴」
「話をした覚えはないぞ」
「なぁ頼むよ兄貴〜」
杏美が、甘えた声を出しながら、抱きついてきた。
いつもの泣き落とし作戦だ。さすがに、何度も引っかかる僕じゃない。
「ダメだ。せめて、テストを受ける前に、そういうことはお願いしろよ」
「いや、受ける前は早めに席に座ってないと」
「誰が直前って言ったんだよ」
「えっ……じゃあ、一ヶ月前とかか?」
「極端すぎる」
下手したら、前のテストの期間と被ってるだろそれ。
「普通に、テストの初日の前日とかでいいだろ」
「わかった。次からそうする。今回はなんかくれ」
「結局そうなるのか」
杏美は、僕に抱きついたまま、リストに指をさす。
「特にこれが欲しいんだ」
指をさした先にあったのは、某ランドのペアチケットである。
「いや、お前、家から出たくないんだろ?」
「ランドは別だ」
「都合のいいやつだな」
「都合のいい女って呼んでくれ」
「意味合い変わってくるぞ」
僕は、杏美を引き剥がす。
「だいたい、誰と行くんだよ。ペアチケットなんて」
「兄貴とに決まってるだろ?」
「僕、こういうのあんまり好きじゃないんだよ……」
「えぇっ。なんでだよ。動物アレルギーだからか?」
「そんな特殊な理由で拒んだりしないよ」
「大丈夫だぞ兄貴。あれは着ぐるみだ」
「行く前から夢を壊すな」
ちなみに動物アレルギーでもない。
むしろ着ぐるみの方が、子供達の無邪気な攻撃を受けていて、菌が付着してそうだ。
なんてことは、考えてないから、叩かないでほしい。
「じゃあなんだよ。兄貴は、あたしが知らないおっさんと、ランドに行っても良いって言うのか?」
「なんで知らないおっさん限定なんだよ」
「だって、お金払ったらついてきてくれるだろ?」
「絶対やめてくれ」
ネットに精通しているせいか、妙な知識ばかり増えてるな、こいつ。将来が心配だ。
「母さんか父さんと行けよ」
「華がないだろ」
「そんなこと言うなよ」
二人が聞いたら、なんて思うか。
「これはボツだな。せめて行く相手を決めてからにしてくれ」
「だから、それは兄貴なんだって」
「行きたくない」
「なんでだよ兄貴。引きこもりか?」
「一緒にするな。そもそもなんで、急にランドなんだよ」
普段、近くのコンビニに行くのすら躊躇ってるような、引きこもり少女である。
それをここまで惹きつける魅力とは、一体なんなのだろうか。
「……あたし、修学旅行、行ってないだろ?こないだクラスの子と話すとき、気まずかったんだよ」
「なるほど」
「せめて、あたしにランドの知識があれば、対処できると思うんだ」
対処はできるだろうが、その話題になった時点で、相手からすれば気まずいのは確定だと思うんですけど……。
理由はともあれ、納得はできなくもない。
「いや、それにしてもだよ杏美。チケット代に加えて、交通費、宿泊費もかかる」
「交通費はヒッチハイクでタダだ。宿泊はしない。日帰りで行けばいいだろ?」
「いろいろ舐めすぎてないか?」
ヒッチハイクの成功率とか、ランドを日帰りで回れると思っているあたりとか。
「杏美。諦めろ」
杏美は、泣きそうな顔をする。
可愛い妹の辛い顔を見るのは嫌だが、ここは心を鬼にしないといけない。そう何度もこのレベルのお願いを聞いていたら、僕の財布は一瞬で空っぽになってしまう。
「あたしから、ランドを奪うのかよ」
「いつお前が手に入れたんだよ」
「頼むよ兄貴。兄貴と一緒に、楽しい思い出作りたいんだ」
「そんなの、家でも作れるだろ」
「えっ、家から出なくていいのか?」
「そういう話はしてないぞ」
結局、優先順位一位は、引きこもりなんだな……。
「まぁ仕方ないか。ランドは諦めるよ。これなんかどうだ?」
そう言って、杏美が次に指差したのは、中華バイキングだった。
「駅前のホテルのバイキングなんだ」
「これ、めっちゃ高いやつじゃないか?」
「まぁ、ご褒美だからな」
なぜか偉そうに胸を張る杏美。
「僕、少食だから、バイキングのモチベーションはあんまりないかなぁ」
「兄貴、これはあたしへのご褒美だぞ?兄貴のモチベーションは関係ないじゃんか」
「急に上からくるようになったな」
この態度から察するに、まぁそこそこ頑張って勉強していたっぽいな。
……部屋に引きこもっているせいで、普段何をしているかは、わからないのだ。
「……せめて、現実的なご褒美を要求しろよ」
「いや、誰も二次元のご褒美なんて求めてないぞ」
「そういう話じゃない」
そもそも二次元のご褒美って、どうやって与えるんだよ。
「普通のJKならさ、何だろう……まぁ、その……思いつかないけど、もっと身近なものを要求するだろ」
知り合いに普通のJKがいないので、しどろもどろになってしまった。
「あたしは普通のJKじゃないぞ。SRJKだ」
「ソシャゲに毒されすぎだぞ」
「じゃあ、そのリストの中で、兄貴の思う現実的なものってなんだよ」
杏美は頬を膨らませながら、僕に訪ねてくる。
残念ながらこのリスト、大半は、実現が難しいもので埋め尽くされているが、一つだけ、現実的なものが用意されていた。
僕はそれを指差す。
「一日中、兄貴とゲームをする。これとかな」
「……えっ」
杏美が、驚いたような顔をする。
「あ、兄貴。いいのか?」
「いや、そりゃあ、この中では一番マシだろ。一日中っていうのは疲れるけど……」
「……」
「杏美?」
「泣きそうだ」
「え?」
泣きそうだ。というか、現在進行形で、杏美の目
からは、大粒の涙が流れていた。
いや、なんで?
「そんなに嬉しかったのかよ」
「だって、だって兄貴、あたしとは一生ゲームしないって、昔言っただろ?」
「そんなこと言ったか?」
「言ったよ。十年前に」
「……」
十年前って……。僕たち、小学校一年生とかじゃないか?
そんな時のこと、覚えているわけがない。
……まさか、その時からずっと、杏美は、僕をゲームに誘うことを、躊躇っていたのだろうか。
確かに、思い返すと、最近誘われた記憶はないな……。
「兄貴、あたし嬉しい。今なら空も飛べる気がする」
「それは危ない状態の人が言うセリフだぞ」
「清水の舞台から飛び降りる覚悟だ」
「それは使い方が間違ってるな」
杏美は、飛び跳ねてはしゃいでいる。本当にそのまま、窓から飛び降りたりしないだろうな。
それにしても、これだけ喜ぶとは全く思わなかった。
まぁ、これだけのリストに名を連ねるくらいのご褒美なのだし、杏美の中でのランクは、高かったんだろうけども。
「じゃあ、これでご褒美は決定でいいか?」
「もちろんだ。兄貴」
そう言って、杏美は懐から、何かを取り出した。
「今の会話は、全部録音させてもらったからな」
録音機だったらしい。
ドラマかよ。
「じゃあ早速、次の休み、朝の六時、あたしの部屋集合な」
「ちょっと待て。朝の六時?」
「朝の六時から、日付変わるまでだ」
「チャレンジ企画かよ」
「もちろん、トイレ休憩はあるぞ」
……それ以外の休憩は、無いってことか?
「じゃあ、また今度な。あたしはそろそろ部屋に戻るよ」
「あぁうん」
「あっ。そのリスト、参考までに、兄貴が持っておいてくれよな」
「わかった」
杏美は、満足そうに、部屋を出て行った。
参考までに、リストにもう一度目を通してみる。
海外旅行だの、帝国ホテルに泊まるだの、やっぱり非現実的なものばかりだ……。
そんな中、一日中、兄貴とゲームをする。という文字列に、またしても目がいく。
そして僕は、あることに気がついた。
……これ、何回も、消したり書いたりしてるな。
杏美からすれば、それだけ勇気のいることだったのかもしれない。
もう少し、妹を大事にしようと、微妙に反省した僕だった。
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