逆鉾雫の場合
「へー……」
放課後の文芸部部室。
逆鉾さんのテストの結果が、なんとなく気になったので、教えてもらおうと、来てみたのだが、本人はいなかった。
しかし、机の上に、返却されたテスト用紙が並べてある。
それは、意外な結果だった。
「見たね」
ドアが開く音に気がつかなかった。
低い声とともに、逆鉾さんが、姿を現わす。僕のすぐ後ろで、暗い顔をしていた。
「まぁ、見たよ」
「滑稽でしょ。笑ってよ」
「いや、うん」
滑稽とはいかないが、面白いなとは思った。
なんと、逆鉾さん、理系科目が、ほぼ満点に近い点数なのである。
そして、文系科目は壊滅的。
文芸部の部長、逆鉾雫の、テストの結果である。
「実は、テストの結果を訊きに来たんだよ。ちょうどよかった」
「私、文芸部やめる」
「落ち着いて」
泣きそうな顔の逆鉾さん。
「まぁ確かに、普段から本読んでるし、国語得意なのかな〜とかは思ってたよ」
「忘れてるかもしれないけれど、私はハーフなの。日本に来たのも最近だし」
「そうなんだ」
意外な事実である。
てっきり、日本で生まれたのかなと思っていた。
「でも、流暢に日本語話してるじゃん」
「それは、パパとママが気を使って、家で日本語を話してくれたから」
「なるほどね」
「ちなみに、英語は全く話せない」
「大変だね」
文芸部の部長というステータスで、国語が苦手。
さらに、ハーフだけれど、英語は話せない。
……これは、苦労しそうだな。
「でも、社会は何で点数が低いの?覚えるだけじゃない?」
「社会に出たことがないからかな……」
「そういう科目じゃないよ」
「私なんて、社会に出たらダメだけどね」
「そんなことはないと思う」
「いいの。慰めないで。わかってるから。どうせ神畑くん、帰ったら、SNSに、このこと書くんでしょ?」
「しないよそんな陰湿なこと」
SNSはやっていないし、始めたとして、友達がいないから、誰にも見てもらえない。
悲しい話だ。
「こんなことがバレたら私、魔女裁判にかけられて、殺されちゃうよ。今まで人を欺いていた罰として」
「大袈裟すぎるから」
「その前に、退学しよう……」
「でもさ、理系科目は、どうしてこんなに点数高いの?」
「向こうの方が、少し進んでたから、貯金があるの」
「なるほど」
逆鉾さんは、テスト用紙を回収して、カバンにしまった。
「どうして机の上に、テスト用紙を?」
「採点間違いで、点数が上がらないかなって」
「そっか……」
教室だと、誰かに見られる恐れがある。
だからここでやっていたわけだが、一瞬の隙を突かれて、僕にバレてしまった。
「正直、逆鉾さんを孤立から救いたい僕からすると、それは、ネタとしてありだと思うけどね」
「SNSの?」
「それはもう忘れて。いや、友達を作るネタとしてってこと。だって面白いでしょ?友達できるよ?」
「そうかな……」
「そうだよ」
「でも、神畑くんも、友達いないんだよね?説得力がないっていうか……」
急に、痛いところを突かれてしまった。
逆鉾さんは、割とはっきりものを言うタイプである。
「あっ、ごめんね。失礼なこと言っちゃった。小指を切るから許して」
「怖い人じゃないんだから」
「私、こんなんだから友達できないんだよね」
「まぁでも、人それぞれ、欠点はあるから」
「私なんて欠点だらけだよ。誇れることが一つもない」
相変わらずネガティブだな……。
逆鉾さんの場合、その容姿は誇れると思うんだけど、それを活かせとも言えないし、難しい。
「えっと、国語は、どの辺が苦手なの?」
「漢字は大丈夫なの。でも、気持ちを答えなさいとか、そういう問題ができない」
「うーん。普段から本読んでたら、わかりそうな感じするけどな」
「それとこれとは別。恋愛の本読むのが好きな人が、モテるわけじゃないでしょ?」
「なかなか核心をついた例えだね」
絶対に、人前でしないほうがいい例えだった。
「そもそも、国語で取り上げられてる文章、面白くないの」
「それは確かにあるね」
「普通の小説だったら、もう少し点数が上がると思う」
「うん」
「神畑くん。私、学校の先生になろうかな」
「どうしたの急に」
逆鉾さんにしては、前向きな意見が出てきた。
「私みたいに、苦しんでいる生徒が、いなくなるようなテストを、作ってあげたい」
「それだけじゃないからね、仕事」
「そうなの?」
「そうじゃないと思ってたの?」
この人も、もしかして、授業聞いてない系女子なのだろうか。
桃林さんにしろ、逆鉾さんにしろ、孤立する女子には、ちゃんと共通するダメポイントがあるみたいだ。
「でも、私なんか教師になったら、生徒から体罰をくらいそうだよね」
「それは体罰って言わないよ」
「みんなから陰口言われて、最終的に、男子生徒にひと気のない校舎裏へ連れていかれて……」
「ただのエロ漫画じゃない?」
下部さんが喜びそうだ。
逆鉾さんは、またしても暗い顔になってしまう。
「はぁ。やっぱり私、教師はやめる」
「諦めが早いよ」
「人生諦めが肝心って、よく言うでしょ」
「それはネガティブな意味で使う格言じゃないんだけどな……」
「国語は、はっきり言って、何をしても無理だと思う。まだ、英語と社会なら、なんとかなるかも……」
そう言って、逆鉾さんは、カバンから、英語の教科書を取り出した。
「神畑くん、英語は得意?」
「いや、得意じゃない」
「そうだよね」
「そうだよねって」
「でも、私よりはできると思うの。よかったら、教えてくれない?」
「うんまぁ、僕でよければ」
英語の教科書を開く。今回のテスト範囲に、付箋が貼ってあった。
「えっと、どこがわからないの?」
「全部」
「全部?」
「ABC言えないし……」
「それはちょっと、マズイな」
今時、幼稚園児でも言えるのに。
「どこまで言える?」
「Gまでかな……」
「逆になんで、Gまではわかるの?」
「私、Gカップだから……」
「……」
「……エッチ」
「今のは逆鉾さんが悪いと思う」
僕の視線に気がついた逆鉾さんは、すぐさま胸を隠した。
気を取り直して。
「まずはABCを覚えよう。次に、英単語を覚えるんだ」
「うん……」
「浮かない顔だね」
「ごめん、ブサイクで」
「そういう意味じゃないよ」
「私、暗記科目は苦手かも」
まぁ、社会があれだけ壊滅状態なのを見ると、薄々そうじゃないかな、とは感じていた。
「そもそも英単語帳、ちゃんと持ってる?」
「家にあると思う」
「じゃあ、今日からそれを持ち歩こう。どうせいつも本を読んでるんだし、その時間のうち、十分でもいいから、英単語帳読んでみたら?」
「……」
逆鉾さんは、渋い顔をした。
「嫌なの?」
「い、嫌じゃないよ。検討したくないなと思っただけなの」
「嫌なんじゃん……」
「ごめんね?せっかく考えてくれてるのに。ムカついたら殴っていいから」
「殴らないよ……」
まぁ、この調子だと、次のテストも、先が見えてるな……。
僕は思わず、ため息をついてしまった。
「私、どうしたら、この性格を直せるのかな」
「小さいことから、前向きに考えていけばいいよ」
「例えば?」
「道を歩いていて、今日は天気がいいなぁ。気持ちいいなぁ。とか」
「雨が降った日はどうするの?」
「草木が育つのが楽しみだなぁとか」
「あの、神畑くん。普通の人って、みんなそんなこと考えながら、歩いてるの?」
「いや、極端な例だよこれは」
それにしても極端すぎかもしれない。雨が降った日に、草木のことを想う人なんて、植物園に勤務している人くらいだろう。
「えっと……。うん。例えばね、僕だったら、今日は逆鉾さんと話せて嬉しいなぁ。いい日だなぁ。とか思ってる」
「本当に思ってる?」
「思ってるよ」
「視線が六割くらい胸にいってるのは、そういうこと?」
「そんなにいってますか?」
逆鉾さんは、またしても、胸を隠す。
いや、今この行動が目に入っている時点で、逆鉾さんの言っていることは、正しいのかもしれない。
「まぁ、話を戻すけれど、学校のテストなんてさ、その時その時の結果でしかないし、気にしなくていいと思うよ。社会に出たら、使わない知識ばっかりだし」
「どちらかというと、社会で必要ないのは、理系の知識だよね、私……」
「ごめん。このアドバイスは間違ってた」
僕は慌てて訂正する。
「ほ、ほら。逆鉾さんはさ、普段から色々本読んでるし。そっちの知識があれば、十分だよ」
「でも私、推理小説とか好きだけれど、活かせる知識なんてある?」
「あると思うよ」
「人を殺す予定なんてないんだけど……」
「犯人側の視点とは思わなかった」
そもそも、推理小説で行われる犯罪者の手口を、再現するのは不可能だろう。
まぁ、探偵の推理力を再現するのも無理だけれど。
「とにかく、大丈夫。気にしなくていいと思う」
「なんだか投げやりになってない?」
「なってないなってない」
逆鉾さんは、疑いの視線を向けてきた。
僕は目を逸らす。
「さて、じゃあそろそろ、僕は帰ろうかな」
「待って」
「なに?」
「私、今度補習があるの」
「あぁ、うん」
「その補習で、最初にやるテストがあるんだけれど……、そこで悪い点数を取ったら、補習の期間が伸びちゃうんだよね」
「なるほど」
「でも、文芸部は私一人だから、補習で活動できないと……その、評判が下がっちゃうの」
確かに、部員が一人で、さらに活動がないとなると、必要な部活であるかどうかは、審議の対象になりかねない。
ましてや、原因が補習となると、特にそうかもしれないな。
「だからね、神畑くん」
これは、あれか?勉強を教えてほしいっていう、アレかな。
友達のいない僕が、そこそこ憧れているシチュエーションじゃないか。
ついに、僕も誘われる時が来たんだな。
「……私の代わりに、文芸部として、ここで活動してくれない?」
違いました。
「えっと。いや。テスト頑張ろうよ」
「頑張りたくない」
「なにそれ」
「お願い神畑くん。この部室で、何しててくれてもいいから」
「いや、あの」
「私の悪口を紙に書いて、部室中に貼り付けてくれててもいいんだよ?」
「何その呪いみたいな行為」
まぁでも、よく考えると、僕が勉強を教えてあげたところで、点数が上がるとも限らないか……。
「……わかったよ。補習の期間中は、ここにいてあげる」
「ありがとう。神畑くんしか、頼れる人がいないから……」
逆鉾さんは、そう言うと、少しだけ微笑んだ。
こういう仕草が、この人は本当にずるい。
普段、笑わないだけに、結構胸にズキっと、くるものがある。
「えっと、じゃあ、さようなら」
顔が少し、赤くなっているのを悟られないように、僕は部室をあとにした。
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