下部織姫の場合
理事長から、プリンターのインクが切れたから買ってこいという、ゴリゴリのパシリ命令を受け、僕は、家電屋を訪れている。
「違うわね……ん〜。そうじゃないわね……」
……冷蔵庫を、開けたり閉めたりしながら、ブツブツと独り言を言っている人を、見つけてしまった。
見なかったことにしよう。僕は、早く用事を済ませて、家に帰って、布団に入りたい。
「あっ!そこにいるのは神畑くんじゃないかしら!」
はい、遅かったです。バレました。
ご存知、下部織姫さん。風紀委員長。
そして、変態。
下部さんは、早足で、こちらに近づいてくる。
「ちょうどいいところにいたわ。ちょっと助けてほしいのよ」
「店員さん呼んだら?」
「何よ冷たいわね。話を聞いてくれないなら、ここで大声で泣き叫んでやるんだから」
「何その脅し方」
しかし、この人ならやりかねない。
しょうがないから、話を聞いてあげることにした。
「で、何かな」
「私、ここの商品券が当たったのだけど、使い道がないのよ」
「うん」
「それで、サプライズとして、姉夫妻に何かプレゼントしたいのだけれど……何がいいかしら」
「あぁなるほど」
思ったよりまともな相談だったな。
「何が欲しいか訊いてしまうと、サプライズではなくなってしまうし、かと言って、適当に送ってしまっては、変な空気になるだけだわ」
「別に、プレゼントだったら、何でも嬉しいと思うけどね」
「それは考えが甘いわよ。間違っても、電動歯ブラシなんかプレゼントしたらいけないわ。そういう意味だと思われてしまうから」
下部さんは、頷きながら、自分の考えに、勝手に納得している。
そう考えるのは、おそらく下部さんだけだと思うけれども。
「でも、その割には、冷蔵庫見てたよね。あんなの、絶対リスク高いのに」
「あれは関係ないわ。隠し場所としての検討よ」
「何の話?」
「か、神畑くんには関係ないわ!同人誌の隠し場所なんて!」
いきなり顔を赤くしながら、怒られてしまった。
……絶対適さないでしょ、冷蔵庫なんて。
「えっと、訊いていいのか、わからないけれど、姉夫妻は、おいくつくらいのカップルなの?」
「姉は二十五歳。お兄さんも同い年よ」
「なるほどね」
「今何か、変なことを考えなかったかしら」
突然、疑いの視線をぶつけてくる下部さん。
「いや、なんで?」
「確かにあなたの想像する通り、姉たちは、高校の同級生だから、その時から、不純な行為があったかもしれないわ」
「は?」
「でも、今は真面目に過ごしているのよ。更生したの」
「えっと、下部さんさ、アホなの?」
「アホって言う方がアホなのよ。神畑くん、小学校で習わなかった?」
「だってそれ、小学生のセリフだもん」
そりゃあ、小学校で習うでしょ。
下部さんは、いつも通りの、変態的な妄想へ突入している。一体何が、彼女のスイッチを押したと言うのだろうか。
「いい?神畑くんみたいな、エッチな男の子にはわからないかもしれないけれど、結婚というのは、純愛なの。わかる?その人と、一生を添い遂げる約束をした、決して離れることのない関係。それを汚らわしい目で見るなんて、どうかしてるわ」
「僕、何も喋ってないんだけど」
「どうかしらね。プレゼントなら、カメラでいいでしょ。それでパンツでも撮影しあえばいいじゃん。って考えてそうな顔をしているわ」
今間違いなく、僕はしかめ面をしているはずなのだが。
「その、単純に、年齢がわかった方が、プレゼントも送りやすいでしょ?歳が離れていたら、マッサージ機とかね?」
「マッサージ機?」
「あっ」
下部さんの眉が、ピクリと反応した。
しまったな。これは確かに、僕のミスだ。
この変態妄想お化けに、マッサージ機なんて文字列をぶつけたら、よろしくない結果になるなんて、わかりきっている。
「あの、下部さん」
「わ、私の姉を、何だと思ってるのよ!」
ほら始まった。
とりあえず、こうなったらしばらく収まらないので、店員さんの目につかない、トイレ前へと下部さんを連れて行く。
「ちょっと!何手を握ってるのよ!ヌルヌルした手で!」
「汚い手で、にしてくれない?せめて」
僕は慌てて手を離す。
下部さんは、顔を赤くしたまま、離された手を、ゆっくりと撫でている。
「……私、汚されちゃったわ」
「トイレで手を洗ってきたら?」
「私を男子トイレに連れ込む気ね!?」
「いや……」
「それとも、神畑くんが女子トイレに入るつもりなのかしら」
「捕まっちゃうよ」
「何を言ってるの?覗き目的や、わいせつな行為目的でない場合、男子が女子トイレを使うことは、犯罪でも何もないのよ」
「何その知識」
少なくとも、下部さんにとって、全くメリットのない知識であることは確かだ。
「話を戻すわよ神畑くん」
「そうだね。お姉さん夫婦に、何をプレゼントするかだよね」
「そんな話はどうでもいいのよ」
「どうでもいいって言っちゃったよ」
「マッサージ機って、どういうつもりなの?」
下部さんは、頬を膨らませながら、僕に詰め寄ってくる。
「今、手を伸ばせば、触れられる距離って思ってるでしょ」
「思ってないよ。そんなロマンチックなこと」
「違うわよ。私の胸に」
「全然ロマンチックじゃなかった」
僕の方から、距離を離させてもらう。
「あのね、神畑くん。私の姉は、私と違って、清純なの」
「自分が不純なことは認めるんだ」
「マッサージ機なんてもらったら、使い方がわからないじゃない」
「いや、何を言ってるの?」
「それを見た、お兄さんが、俺が使い方を教えてやるよ!の声とともに、野獣になってしまう……最低よ神畑くん!私の家庭をどうするつもり!?」
とりあえず、僕はベンチに座った。
そんな僕を、下部さんは、見下ろしてくる。
「答えなさいよ」
「答える意味がないと思う」
「どうしてもマッサージ機をプレゼントさせたいというなら、私を倒してからにしなさい」
「どういう展開?」
下部さんは、僕のすぐ真隣に座った。
……この人、距離感バグってるのかな。
「はぁ。怒ったら、喉が渇いちゃったわ」
「何か、飲み物を買ってあげようか?」
「いいわ。変な薬を入れられたら嫌だし」
「じゃあ、お金をあげるから、買ってきなよ」
「こ、これが売春ってやつね」
「違うよ」
僕は下部さんに、二百円を手渡そうとした。
しかし、下部さんは、それを拒む。
「神畑くん。さすがに受け取れないわ」
「いや、いいよ。気にしなくて」
「こんなところで貸しを作ったら、後でどんな要求をされるかわからないもの」
「別に、何もしないよ」
「しなさいよ!」
情緒が不安定すぎる。
変な薬を飲まなくても、すでにテンションがおかしいじゃないか。
しかたなく、僕は、下部さんにちゃんと見えるように、自販機で、お茶を買った。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
渋々、と言った様子で、下部さんは、お茶を受け取った。
忘れそうになるが、僕はこの人を、孤立から救わなければいけないのである。
まずは、僕と仲良くなってもらって、そこから他の友達へ派生していく。そういう作戦だ。
……それまでに、僕に友達ができていればの話だが。
「はぁ、どうしたらいいのかしら、プレゼント」
ようやく話は、本題へ復帰した。長い戦いだったな。
「そもそも、家電っていうのが、難しいよね」
「そうなのよ。基本的に、もう揃っているものが多いのよね」
「アロマディフューザーとかはどうかな」
「あっ、それはいいわね。いい案よ。プラス5ポイント」
「いつから得点制になってたの?」
ポイントが貯まったら、何かもらえるのだろうか。
期待しておこう。
「待ちなさい。騙されるところだったわ」
「えっ」
「エッチな気分になるアロマを入れて、私の姉を痴女にさせる作戦よね?」
「それ、誰にメリットがあるの」
「変態は、メリットデメリットで動かないわよ」
「詳しいね変態に」
まるで自身が変態であるかのような詳しさである。
実際そうなのだが。
「他にはないかしら」
「そうだ。重要なことを訊き忘れてたよ。商品券は、いくら分なの?」
「一万円よ」
「へぇ。結構な予算だね」
「そうなのよ。だから、使わないのはもったいないのよね」
「そもそもさ、下部さん、使い道がないって言ってたけど、欲しいものないわけ?」
下部さんは、顎に手を当てて、考えるような姿勢をとった。
……胸が、少し強調されたポーズである。
思わず僕の視線は、そこへ移った。
その視線に気がついた下部さんが、慌てて胸を隠す。
「見〜た〜な〜!」
「怖い話みたいに言わないで」
「誰が妖怪おっぱいよ」
「そんなこと言ってないんだけど」
「神畑くん、女の子と話している時に、胸を見るなんて、最低よ?」
「それはごもっともだ」
ごもっともなんだけど、下部さんに、急な正論を言われると、なんか微妙に嫌な気持ちになる。
「で、その。欲しいものはないわけ?」
「思いつかないわね。買っても使わなさそうなものばかりよ」
「果物入れて、ジュース作るやつとかは?」
「私、ジュースあまり飲まないのよね」
「そうなんだ」
「牛乳ばっかり」
「あぁなるほど」
「ちょっと待ちなさい。今のなるほどは何?」
僕は誤魔化すようにして、自分の分の飲み物を、自販機へ買いに行った。
なぜか、下部さんが、付いてくる。
「どうしたの?」
「そ、そんな。買わなくても、あのお茶を飲めばいいじゃない」
「えっ?いや、だって……」
一緒の飲み物を飲むとか、下部さんが、一番嫌がりそうだなと思ったのだ。
ただでさえ、そういうことに過敏なのだから。
「何よ。さすがに奢ってもらった身で、間接キスがどうのこうのなんて、言わないわよ」
「そうなんだ」
まぁ、僕の方は、間接キスに抵抗はないけれど……。
お言葉に甘えて、僕はお茶をいただくことにした。
「じゃあ、もらうね?」
「そうね。奪われちゃうのね」
「その言い方やめてくれない?」
二口だけ、いただきました。
下部さんは、閉じられたキャップの部分を、じーっと見つめている。
「嫌なら言わなきゃよかったのに」
「誰が嫌なんて言ったのよ」
「顔に出てるよ?」
「私、顔に出されやすいタイプ……じゃなかった、顔に出やすいタイプなのよ」
「絶対間違えないでねそれ」
気を取り直して。
「で、結局、何を買おうか」
「サプライズは、諦めようと思うわ。やっぱり、直接この商品券を渡す方が、いいかもしれない」
「そうだね」
その方が、丸く収まるだろう。
さて、解決したし、僕は帰るとしようか。
「じゃあね、下部さん。また学校で」
「えぇ。さようなら」
あれっ。
何か忘れているような気もするな。
まぁいいか。忘れてる程度のことなのだから、別に大した用事じゃないだろう。
僕はそのまま、帰路についた。
……後日、理事長からの、厳しいお叱りを受け、何かしらの制裁を加えられることが決定したのは、ここだけの話にしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます