逆鉾雫の場合

「無理です」

「どうしたの」


逆鉾さんは、この世の終わりを迎えたみたいな顔をして、唐突に、そんなセリフを吐いた。

今日はいつもの文芸部の部室ではなく、多目的室である。

図書室が清掃中らしく、文芸部の部室にも入ることができないらしい。


「今度、部長会議があります。無理です」

「いやいや、端折り過ぎ」

「部長会議があります。まず朝起きた時、ベットから起き上がって、ドアを開けるまでに、地雷が仕掛けられていないかを確かめます。次に、親と挨拶を交わすんですが、親は私のことを好きじゃないと思うし、いっそ産まれてこな」

「はい、ストップ」


両極端すぎるだろ、この人。


「神畑くんなら、わかってくれると思った」

「ごめん。一ミリもわかってないや」

「じゃあもう、お金払って、その辺のおじさんにお願いする」

「絶対やめてね」


おじさんを簡単に信用してはいけないと、ちゃんと習わなかったのだろうか。


「あの、要件は?」

「私の代わりに、部長会議に出て」

「……えぇ?」

「わかってる、わかってるの。私の頼みなんて聞くくらいなら、いっそドブに入浴した方がマシだってことくらい」

「そんなわけないでしょ……」


挨拶代わりのネガティブをかましてきた、今日も絶好調の逆鉾さん。

清掃前、部室に本を置いてきてしまったらしく、今日は何も持っていない。

つまり、しっかり、僕と会話するしかないわけで。


「うぅ……」


ただ、手持ち無沙汰らしく、禁断症状のように、手が小刻みに震えている。


「……そんなに本、読みたいの?」

「読まないとやってられない」

「飲まないとみたいに言わないで」

「そ、そんな話はどうでもいいの。神畑くん。文芸部の部長になって」

「話変わってない?」


とりあえず、カバンの中に、古典の教科書があったので、それを手渡す。


「ごめん。私の手の菌がついて汚れちゃうから、洗って返すね」

「ただの嫌がらせだよそれは」


きちんと忘れず回収しよう。

本を手にして、落ち着いたのか、逆鉾さんは、いつもくらいの挙動不審具合に収まってきた。

……いつも挙動不審であるということには、触れちゃダメだ。


「えっと、話を戻そう。僕は、逆鉾さんの代理として、部長会議に出ればいいの?」

「それだけじゃないの」

「それだけじゃないんだ」

「今度の部長会議は、特別で、部の活動報告だけじゃなくて、今後の方針を、数分間スピーチしないといけないの」

「うわぁ……何それ」


そりゃあ、逆鉾さんには、確かに無理だな……。

というか、僕でも無理だけど。


「単純に、欠席すればよくない?」

「大事な会議なんだよ?欠席なんてしたら、後でどんな仕打ちを受けるかわからない」

「別に何もないって。多少怒られるくらいだよ」

「……文芸部は、部員が私だけなの。印象は悪くしたくない」


唇をキッと結び、しかめっ面をする逆鉾さん。

いや、文芸部以前に、逆鉾さんの人としての印象を、もう少し改善した方がいいと思うけど。


「でも、逆鉾さん。僕が会議で、何かやらかしたら、どうするの?」

「えっ、神畑くん。何をするつもり?」

「いやそんな、悪いことしようってわけじゃないよ」

「ごめん。弁護士は自分で依頼してね」

「何をすると思ってるわけ?」


それとも、そのくらい場が荒れるような会議なのだろうか。


「僕はさ、言っちゃ悪いけど、本とかあんまり読まないんだよ。文芸部の方針についてのスピーチなんて、できなくない?」

「別に、適当でいいよ。毎日マカロン食べてますとかでも」

「それ、軽くマカロン食べてる人をディスってない?」

「ううん」


逆鉾さんは、明らかに目を逸らした。

陽気な女の子が好むものであるところの、マカロン。対極にいる逆鉾さんからすれば、あまり好ましくない食べ物なんだろう。

世間はそれを、コンプレックスと言います。


「会議までに、何か読んだらどう?」

「おすすめとかあるかな」

「こち亀とか……」

「バカだと思われちゃうよ」


そもそも読み終わらないでしょそれ。


「無難に、ベストセラーを読めばいいと思う」

「そうだね。うん。わかった。ちなみに会議って、いつなの?」

「えっと、四時から」

「あっ、違う違う。日にち」

「今日」

「は?」


逆鉾さんは、自身の発言を誤魔化すようにして、古典の教科書を、ペラペラとめくり始めた。


「いやいや、逆鉾さん?」

「いとをかし」

「ふざけてるの?」

「音読してる」

「わかってるよ」


時計を確認しようと思ったのだが、この多目的室の時計は、一ヶ月に一回ほどしか使われないせいで、止まってしまっている。

そして、運が悪いことに、僕は今日、スマホを持ってきていない。

……逆鉾さんにも、期待はできないだろう。


「僕が教室を出た時は、もう三時五十分だった気がするよ」

「私はその十五分前に、教室を出た」

「算数の問題みたいにしないで」


しかも、必要のない情報だし。


「あのさ、もしかしなくてもこれ、遅刻してるよね?」

「してないよ。してない」

「なんでそこだけ急にポジティブなの?」

「神畑くん。よくわからないけど、今すぐ会議に行った方がいいと思う」

「めちゃくちゃ言うじゃん」


逆鉾さんは、わかりやすく焦り始めた。

印象云々のことを言うならば、遅刻なんてありえない。一番やってはいけないことだ。


……待てよ?

これは、逆鉾さんの作戦なのか?

僕は、疑いの視線を、逆鉾さんに向けてみる。


「な、何?急に見つめてきて……。私の顔、そんなにブサイク?」

「違うよ。あのさ、逆鉾さん。もしかして、わざと遅刻させた?」

「何のことかさっぱりわからないけど、バれちゃったみたいだから、飛び降りるね」

「はい待って」


席を立ち、窓に手をかけようとした逆鉾さんを、慌てて引き止める。


「落ち着いて逆鉾さん」

「落ち着いてるよ。躁鬱の鬱状態」

「それは落ち着いてるんじゃなくて、落ち込んでるんだよ」

「神畑くんの言う通り。わざと遅刻させれば、私は体調不良で、代わりに頼まれて来たっていう理由が、成立しやすい。そうでしょ?」

「そうだね」


別に、そんなことしなくたって、会議には出席したのに……。

一応、僕は、逆鉾さんを、孤立から救うという名目で、こうして仲良くさせてもらっているのだから、頼みはできるだけ聞いてあげるつもりである。


「じゃあ……もう行かないとね」

「いってらっしゃい」

「他人事じゃないんだよ?」

「わかってる。ここで祈ってるから」

「いや、それは別に……」

「そうだよね。私なんかに祈られたら、逆効果だもんね。ごめんね。ちゃんと寝てるから」

「こんなところで寝てたら、風邪引くよ」

「心配してくれるんだ」


逆鉾さんは、嬉しそうな顔をした。

……普通に、可愛い。

ハーフ美少女の、美しい笑顔に、思わず僕は、ニヤケてしまいそうになる。


「え、えっと、会議はどこでやるわけ?」


それを誤魔化すようにして、僕は慌てて質問した。


「生徒会室の隣の、特別会議室」

「そんな物々しい教室、うちにあったっけ」

「ないかもしれない。私だけ、嘘の場所を伝えられているとか……」

「ごめんごめん」


油断すると、すぐネガティブ攻撃が始まってしまう。

本当、この性格さえ治れば、一瞬で孤立なんて終わるのに。


「あの、神畑くん」

「なに?」

「文芸部、なんだけどね?一つだけ、活動しようと決めたことがあるの。それを会議で伝えてほしい」

「おっ。どんな活動?」

「読まなくなった本を回収して、図書室に置くの」

「いいじゃん」


一応、この学校には、図書委員がいるけれど、図書室の本の入荷は、だいたい逆鉾さん担当らしい。

そういう点では、かなりいい案じゃないだろうか。


「それは是非、報告するべきだね」

「でも、みんな私のことなんて信用してないから、回収した本を、ブックオフで売るんじゃないかって思ってそう」

「さすがに、そんな最低な人だとは思ってないと思う」

「じゃあ、神保町?」

「売る店の格の話じゃないよ」


言った後、この発言が、ブックオフの店員に聞こえたら、まずいなと思った。

が、あいにくここには、僕と逆鉾さんしかいない。そして、この多目的室がある棟は、取り壊しが決まっていて、二階と三階は使用禁止。一階も、多分僕らしかいない。


よって、誰にも聞かれていないのは間違いないわけだが……。

そうか、僕は、いや、僕たちは、そんな空間で、二人きりなのか。

なんか急に、緊張してきたな。


「どうしたの?神畑くん。顔がかっこいいよ?」

「顔が赤いんじゃなくて?」

「あっ、間違え、いや間違えてない、ん?あれ?いっ、うっ、うん?」


逆鉾さんは、首を傾げながら、自分の発言を、頭の中で整理している。

気持ちは嬉しいけれど、僕は正直、顔に関しては、褒められ慣れている。身長の高い男性が、身長高いですね!と言われ慣れているように。


だから、別に逆鉾さんが僕に……少しでも、好意があるなんて、勘違いはしない。


「えっと、話を戻そう。その計画は、きちんと報告しておくよ。問題は、スピーチだよね」

「結婚の?」

「一回思考をまとめてから、会話してもらえる?」

「じゃあ、ハワイで」

「一体どんな思考がまとまったんだろう」


逆鉾さんは、突然、ハッとしたような顔をした。

この妄想爆発女子は、一瞬にして、思考が恋愛へ引きずりこまれたらしい。

その相手が、偶然とは言え、僕になったのは、誇るべきだろう。


「ご、ごめんなさい神畑くん。私、神畑くんとは付き合えない」


そして、なぜか急に、フラれてしまった。

告白すらしてないのに。

めちゃくちゃショックです。普通に辛い。泣きそう。帰ったら杏美に慰めてもらおう……。


「だけど、会議には出席してほしい……」

「そうだね。もう行かないと」


完全に、都合のいい男と化してしまった。


「あの、無理しないでね。怪我だけ気をつけて」

「いちいち物騒なアドバイスしないでよ」


柔道部と空手部の、異種格闘技戦でもあるというのだろうか。

楽しみにしておこう。

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