神畑杏美の場合

「兄貴、ごめんな」

「気にしなくていいよ」


休日、杏美が、昼ごはんを作ろうとしたところ、うっかり材料を買い忘れていたことに気がついた。

すぐに買いに行こうとした杏美だったが、両親から送られてきて、消化していないインスタント系商品があったので、それを食べることを提案。

杏美は最初拒否したが、こういう機会でもないと、減っていかないので、なんとか了解してもらった。


せっかくの休日だ。ゆっくりしてもらおう。

……いや、違うか。杏美は毎日休日だ。


「杏美、学校はどうだ?」


カップラーメンを食べながら、僕は尋ねる。


約束通り、一応、週に一回は、学校に通うことになった杏美。

兄としては、当然気になるところだ。

しかし杏美の表情は、冴えなかった。


「まぁ、週に一回だから、行けてるかなって」

「そうか……」

「やっぱり、話の合う相手がいないのは、きついな」

「なるほどな」


杏美の趣味は、どちらかというと、男の方面に偏っている。アニメ、ゲーム、その他諸々……。最近では、プラモデルなんかも好きらしい。


「なぁ、休み時間だけでも、兄貴の教室に行ったらダメか?」

「それは、我慢する約束だろ?」

「あうぅ……」


せっかく、学校に来ているのだから、僕とは会話せず、新規の友達を作ること。

それが、杏美に出した課題である。


「兄貴、いざとなると厳しいよな。虎が子供を、穴に落とすみたいな」

「そんな、高いレベルのことを、しているわけじゃないんだけどな」


世間一般で見れば、友達を作るなんてことは、そこまでハードルは高くない。

……なんてことを、孤立している僕が言う資格はないわけだが。


杏美は、カレーを食べながら、ふいに、何かを思いついた様子で、目を光らせた。


「じゃあ、ご褒美くれよ」

「例えば?」

「友達を一人作ったら、その日は兄貴と一緒に寝られる」


現状、すでに、学校へ行く日の前の晩は、一緒の布団で寝てあげる約束をしている。

それで杏美も、満足してくれていると思っていたのだが。


「あのさ、杏美。世間の高校一年生女子はな、兄と一緒の布団で寝たいなんて、思わないんだよ」

「あたしは世間知らずだからな」

「誇ることじゃないぞ?」


ドンっ、と、自分の胸を叩く杏美。

引きこもりなので、世間知らずと言うと、文字通りと言った感じにはなるが……。


「だいたい、なんでそんなに、僕と一緒に寝たがるんだよ」

「人と寝ると、安心するんだよ。わからないか?」

「僕はできれば、一人でゆっくり寝たいかな……」


杏美のベッドは、そこそこ狭い。

二人で寝ると、寝返りをうつのもやっとなのだ。


杏美は、切なそうな顔をする。


「兄貴、あたしと寝るの、そんなに嫌なのか」

「嫌とかじゃなくてさ、うん。やっぱり兄離れしないと」

「あたし知ってるぞ。若者の兄離れってやつだ」

「聞いたことないな」

「あたしは古きを重んじるから、兄離れしないぞ」


よくわからない誓いを立てられてしまった。


「他のことだったらいいけどな」

「例えば?」

「うーん。単純に、何か買ってあげるとか」

「兄貴、そんな金あるのか?」

「まぁ、バイトしてるから、多少はね」


友達がいないと、やることがないのだ。

自然と、ほぼ毎日バイトへ行くようになってしまう。

あんまり稼ぎすぎると、国がうるさいから、最近は抑え気味ではあるけれど。


「今、欲しいものとか、ある?」

「そうだな……。兄貴の服とか?」

「おさがりだろそれは……」

「できれば脱ぎたてがいい。こういうのは温もりが大事だからな」

「嫌だよ」


兄のことを慕ってくれているというのは、大変嬉しいことなのだけれど、そこまでいくと、少し引いてしまう。

世の妹って、みんなこうなのかな。


「じゃあ、デートとかは?ついでにそこで、何か買ってくれよ」

「いや、杏美。それだと結局兄離れできてないぞ」

「兄貴、ちょっと待ってくれ。兄貴はあたしを、孤立から救いたいんだよな?」

「そうだけど」

「じゃあ、兄貴が離れたら、それは孤立を進めているってことにならないか?」


なかなか鋭いところを突いてくるな、この妹。

確かに、おそらく杏美は、今日明日で友達を作ることはできないだろう。週に一回しか、通わないのだから。

それなのに、兄離れだけが進行して行ったら、ただ孤立を深めるだけである。


「難しい話だな」

「難しくなんかないだろ。簡単な話だよ。兄貴もあたしと引きこもりすればいいんだ」

「いつからそんな話になったんだ?」

「一緒にゲームやろうぜ?楽しいぞ」

「誘惑の仕方が小学生だ……」


高校生にもなって、ゲームしたさで学校を休むのは、さすがに恥ずかしい。

杏美はそうでもないみたいだが。


「なぁ、杏美。やっぱり学校、ちゃんと通わないか?」

「ラーメン伸びるぞ、兄貴」

「露骨に話題を変えようとするな」

「学校に通うためには、兄貴と一緒に寝ないといけない」

「あのな」

「いいじゃんか。別に。減るもんでもないだろ?」


セリフが、完全におっさんのそれだ。


「兄貴、何もあたしは、兄貴のことを、異性として好きとか、そういう感情があるわけじゃないんだぞ。兄という、一人の家族として好きなんだ。だから、一緒に寝たい。何も間違ってないだろ?」

「そう言うと正論に聞こえるよ。でもな、例えば、僕だって、杏美だって、結婚するときがくるわけだ。その時、一緒に寝るのは無理なわけで」

「そうか?川の字で寝ればいいだろ?」

「その構成の川の字は聞いたことないぞ」


下部さんがここにいたら、めちゃくちゃ食いつきそうな話になってしまった。


「普通に、兄として慕ってる。だから一緒に寝たい。何か間違ってるか?」

「真面目な顔して言うセリフじゃないぞ」

「じゃあ、変顔する。3、2、1。はいっ」


杏美は、舌を出して、白目をむいた。

程度としては、低い変顔だ。

……可愛い女の子の変顔は、一般的に、だいたいそうでもないことが知られている。


「なら、兄貴は起きててくれてもいいから、あたしの布団に入ってくれ」

「なんだそれ」

「あたしが寝たら、いなくなっても構わないぞ。その代わり、あたしが起きるときには、横にいないとダメだ」

「シビアすぎる」


杏美は早起きだ。杏美より早く起きられる自信は、残念ながら、全くない。


「抱き枕とかじゃダメなのか?」

「さっきも言っただろ?あたしは温もりがほしいんだよ」

「布団の中に入れておけば、あったまるだろ」

「そうか、兄貴の布団の中に入れておいてくれるならいいぞ」

「生々しい感じがするから嫌だ」

「む〜」


杏実は、頬を膨らませて、抗議の意を示す。


「兄貴、さっきから断ってばっかりだぞ。あたしを営業の電話みたいに扱いやがって」

「そこまで雑に扱ってないだろ」

「だいたい、あたし引きこもりだぞ?もっとこう、面のケアとか必要じゃないのか?」


特に悲しそうな様子も無く、杏美はそう言う。

引きこもりの理由は、やはり訊けない。

ただ、別に、イジメを受けたとかではないはずだ。


「とても、メンタルが弱っているようには見えないけどな」

「弱ってるよ。メンヘラだからなあたしは」

「メンヘラは自分のことをメンヘラって言わないだろ」

「そうか?ツイッターとかだと、プロフィールに、メンヘラって書いてるアカウント、結構あるけどな」

「それは……、うん」


残念ながら、今の僕の語彙力では、それを綺麗な言葉で、フォローすることはできなかった。


「なぁ兄貴、良いだろ?学校に行くって言ってるんだぜ?」


上目遣いを使って、僕に問いかける杏美。

……いや、さすがにこれは、いくら可愛い妹の頼みでも、受けられないな。


「一緒に寝るのは無理だけど……まぁ、わかった。徐々に頑張ってくれ。友達ができたら、何かしらのご褒美は検討するから」

「ちぇっ。絶対だからな?」

「わかってるよ」

「でも、一つだけ頼みを聞いてくれないか?」

「いいけど、どうした。急に改まって」


杏美は急に、真剣な表情になった。

そんなにヘビーな話なのだろうか。


「……兄貴の食べてるラーメン、美味しそうだから、少し分けてくれないか?」

「そんなことかよ……」


構えて損してしまった。

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