下部織姫の場合

訪れたのは、風紀委員室。

風紀委員室というと、あまり聞きなれない言葉かもしれないが、この学校では、普通に浸透している。

主に、学校で不正を働いた生徒を叱りつけたり、没収したものを保存したりする役割を持っている。


「ぐへへ、ぐへへへへへ」


……はずなのだが。

今僕が目にしているのは、椅子に座って、エロ漫画を読んでいる、風紀委員長の姿だった。


普通に入ってきた僕に、気がつくこともない。


とりあえず、向かいの席に座り、机の上に、弁当を広げてみた。仲を深めるため、お昼ご飯を一緒に……と、思ったのだけれど。


「ぐへっ、あひょっ。うひひ」


……嘘でしょ?全然気がつかないんですけど、この人。

いや、いかがわしい動画を、ヘッドホンつけながら見ていて、気がついたらドアが開いていて親が……みたいな展開は、よく聞く。

でもこれはどうなんだ。そんなに没頭できるものなのか。エロ漫画って。


「そんなの、入らないわよ……つって!ぐへっ!」


最低な独り言を聞いてしまった。

こんな日に限って、僕の弁当には、ちくわやアスパラが入っている。おそらくだけれど、この内容は、下部さんの良からぬ妄想を掻き立ててしまう可能性があるな。

先に食べてしまおう……。


「はぁっ!?何で神畑くんがここにいるのよ!」


と、いうタイミングで、バレてしまった。

下部さんは、今更エロ漫画を隠し、何もしてませんよみたいな顔をしている。なんだその猿芝居。


「むっ。何よそのアスパラ」


早速食いついた。しかし、ちくわはバレる前に食べることができたので、さすがの下部さんでも、ここから良からぬ妄想を膨らませるのは不可能だろう。


「別に、普通のアスパラだけど」

「普通のアスパラってなによ」

「いや……。何が言いたいわけ?」

「ねぇ、神畑くん。これを見て」


下部さんが、机の上に出したのは、さっきまで読んでいた、エロ漫画だった。


「これ、今日校庭で回収した漫画なんだけれど」


さも、私は読んでないけどね。みたいな顔をしているが、よくバレてないと思えるな。


「作者名に注目してほしいの」


言われた通り、いかがわしい表紙の隅に書かれた、作者名を確認する。


「アスパラお兄さん?」

「そうなのよ」

「えっと。だから?」

「つまり、この漫画を持ってきたのは、神畑くんってことなのよ」

「何そのクソみたいな推理」


もちろん、犯人は僕じゃない。

というか、校庭で拾ったというのが、多分嘘である。

……この人のことだから、没収という名目で、いくつか風紀委員室に、保存しているのではないだろうか。


「アスパラを弁当に入れている生徒なんて、何人かいると思うよ?」

「いいえ。アスパラのベーコン巻きならまだしも、アスパラ単体を弁当に入れているなんて、不自然よ」


微妙な正論を言われてしまった。

妹の杏美の、チャレンジ的な料理だったわけだが。今回は裏目に出た模様。


「観念しなさい。正直に話せば、執行猶予付きで許してあげる」

「犯罪者みたいに言わないでよ」

「うるさいわね!犯罪者予備軍みたいなものよ」


怒りをあらわにする下部さん。

残念だけど、あんな風に、ニヤニヤしながらエロ漫画を読んでいる人の方が、よっぽど危険だと思うんです。


気を取り直して。


「あの、下部さん。昼休みだけど、ご飯食べないの?」

「今から食べようかなと思っていたところよ」


そう言いながら、下部さんは、コンビニの袋を、机の上に出した。

次々に、中身を取り出していく。


チョコクロワッサン、サンドウィッチ、サラダ、エロ漫画、ゆで卵、ん?あれ。

今なんか、混ざってなかった?


「あの、下部さん」

「ふふん。バランスいいでしょう?サラダで栄養はバッチリ。ゆで卵でたんぱく質。あとは……あっ」


みるみるうちに、下部さんの顔が、青ざめていく。

そして、とんでもない勢いで、机の上のエロ漫画を回収した。


……えっと。


「あの、下部さん」

「何よ」

「何よ、じゃないでしょ」


JKが、コンビニでエロ漫画を買ってしまっている。

これは由々しき事態だ。


「神畑くん。口は固い方?」

「うん、まぁ」

「私も上の口は固い方なのよ」

「ちょっと落ち着こうか」


動揺しすぎて、変なスイッチが入っているらしい。


「実はね、これ、エッチな漫画じゃないのよ」

「だったら、焦って隠す必要なかったじゃん」

「いいえ。普通の漫画であろうと、風紀委員長が、学校に漫画を持ち込むだなんて、あってはならないことだわ」


そう言いながら、下部さんは、先ほど隠した漫画を、机の上に出した。

確かに、表紙こそいかがわしい雰囲気だが、よく見ると、一般の少年向け漫画雑誌のものだ。


「できれば黙っていてほしいわね。ただでとは言わないわ」

「いや、別にいいよ。何も要求したりしないから」

「しなさいよ!」

「……」

「チャンスじゃない!この私の胸を揉むチャンス!」


自分の胸を指差して、息を荒くする下部さん。

さっき、漫画を持ち込むだなんて、風紀委員長にあるまじき行為だ。とか言ってた人とは思えない。


「あのね、下部さん。もっと自分を大切にしようよ」

「してるわよ。サラダで栄養はバッチリ。ゆで卵でたんぱく質を」

「それはわかったから」

「この漫画、出るのを楽しみにしてたのよ。帰りに買うつもりだったけれど……コンビニで、目に入ってしまったのよね」


まぁ、漫画コーナーに出向いている時点で、何かしらの意向を感じなくもないが、それについては触れないでおこう。

……あと、それだけ楽しみにしていた漫画を差し置いてまで、エロ漫画を読んでいたという事実にも、僕は触れないぞ。この深い闇には。


「そんなに面白いの?」

「面白いって感じじゃないわね」

「そうなんだ」

「まぁ、色々とあるのよ」

「うん」


多分だけど、表紙から察するに、際どいカットがたくさんあるのだろう。

……買う理由が、中学生みたいだな。


「さて、じゃあ、いただくとするわね」


下部さんは、まず始めに、サンドウィッチを食べ始めた。


「下部さん、いっつもコンビニで買ってるの?」

「そうね。両親は朝早くから仕事に行くから、作ってもらうのも申し訳なくて」

「なるほど」

「神畑くんのは、母親が?」

「ううん。妹」


下部さんの動きが止まる。

あれ、何かおかしなことを言っただろうか。


「神畑くん」

「なに?」

「妹さんが、弁当を作ってくれているってことは……二人暮らし?」

「そうだけど」

「ライトノベルじゃない」

「えっ」

「ライトノベルじゃない!」


机をバンッ、と、勢いよく叩き、立ち上がる下部さん。

また妙なスイッチを踏んでしまったらしい。


「いや、残念だけど、この世界は、ライトノベルじゃなくて、現実だから。下部さんが想像するようなことは、何も起きてないよ」

「わ、私が何を想像したって言うのよ」

「いやまぁ、うん」

「別に、神畑くんが、お弁当を作ってくれたお礼に、妹さんにマッサージを施してあげて、そのマッサージから良からぬ気分になった二人が、一線を越える物語なんて、想像してないわよ?」


まさかそこまで詳細に、妄想を膨らませているとは思わなかった。明らかに変態である。


「あのね、血が繋がった兄妹なわけ。変なことが起きるはずないでしょ」

「わからないわよ。神畑くんがそう思っていても、妹さんは、踏み出したいかもしれない。クラウチングスタートの構えをして、スタートラインに並んでいるかもしれないわ」

「何その独特な言い回し」


妄想となると、急に語彙力が上がるな、この人。


「確かに、仲は良いよ。でも、一般の兄妹と、それは変わらないレベルだと思う」

「一緒に寝たりとかしないの?」

「しな……いよ」


実際は、引きこもり改善プロジェクトの一環として、交換条件ではあるが、週に一回は、一緒に寝ているが、それは伏せておこう。別にやましいことなんてないのだが。


「一緒にお風呂入ったりは?」

「しない」

「一緒の歯ブラシ使うとか」

「ないね」

「一緒の下着を履くとか」

「あるわけないよ」

「仲良くないじゃない」

「下部さんの中の基準がバグってるよ」


普通、一緒にテレビを見るとか、そういう例えが出てきそうなものなのに。さすが変態といったところ。


「神畑くん。くれぐれも犯罪は控えるようにしてね」

「普段控えてないみたいな言い方やめてくれない?」

「予備軍じゃない」

「それは下部さんの勝手な決めつけだよ」


何度も言うが、本当に危ないのは、下部さんの方なのだ。


「それにしても、いいわね。妹さんの愛情たっぷり弁当なんて」

「そうだね。感謝してるよ」

「……ちょっと待って。と、いうことは、あのアスパラは、妹さんが作ったってことよね」

「えっ、うん。そうだけど」


その訊き方だと、種から育て上げたみたいなニュアンスになりそうだな。

もちろん、スーパーで買ってきたものである。


「妹さんのメッセージは、なんだったのかしら」

「どういう意味?」

「……今夜OK、とか?」

「最低すぎるよ」

「蓮根とか、ちくわとかあれば、断言できたのに、惜しいわね」


……先に食べおいて、本当に良かったな。


そんなこんなで、トラブルこそあれど、僕も下部さんも、無事食べ終わった。

うん。他の二人とは違って、下部さんとは、昼休みでも、仲を深められそうだ。


「下部さん。良かったら、またここで、昼ごはん食べない?」

「ここで?嫌よ」

「えっ、なんで?」

「なんでって、何よ。なんなの?」

「なんで急に怒ってるの?」

「怒ってないわよ!」


めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか。


「ごめん。そんなに僕と昼ごはん食べるの嫌だった?」


ちょっと、いきなり距離を詰めすぎただろうか。

しかし、下部さんは、慌てて手を振った。


「ち、違うのよ。そうではなくて……その、仕事、とか、その〜、えっと、ね?片付けたいから」

「……あぁ、うん」


そういうことか。

昼休みは、ここでエロ漫画を読みたいということらしい。


……と、いうわけで、孤立少女は三人とも、昼休みNG。全滅でした。


仕方ない、他の方法を考えよう。

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