逆鉾雫の場合
「そんな!返せないです!」
昼休み、今日は逆鉾さんと仲を深めるため、文芸部の部室を訪れた。
……そして、いきなり聞いてはいけない電話の内容が、耳に飛び込んできたところである。
扉を開いて、入ってきた僕を、逆鉾さんは、慌てた様子で確認した。
「すいません。今、学校関係者が来たので、はい。すいません。はい……」
同級生のこと、学校関係者って言うのやめてほしいんだけど。
通話を切った逆鉾さんは、かなり深めにため息をついた。
「どうしたの?逆鉾さん」
「私は罪を犯したの」
「重たいね。とりあえず、一緒にお昼ご飯でもどう?」
「私、朝ごはん食べてきたから」
「いや、うん」
一応、日本においては、朝昼晩と食べることが推奨されているわけだが。
朝ごはん食べてきたから、昼ごはんいらないなんて断られ方、初めてである。
「ちゃんと食べないと、体力落ちちゃうよ?」
「食べたら太るの。これ以上太ったら、どうしてくれる?」
逆鉾さんは、痩せている。
その上、出るところは出ているので、理想の痩せ方と言っていいだろう。
自分ではそう思わないらしい。やはり、ネガティブな女の子だ。
「まぁ、僕は食べるよ。欲しくなったら言ってね」
「毒、入ってない?」
「僕は自殺でもするのかな」
「するなら一緒に私も」
「早まらないで」
とりあえず、床に座り、弁当を食べ始める。
「で、何があったの?」
「図書館で借りた本、昨日が返却期限だったの」
「……へぇ」
「でも、すっかり忘れてて……」
「今日謝って、返せばよかったじゃん」
「それは無理なの」
「なんで?」
「めんどくさいから」
「えっ」
躊躇うことなく、そう言い切った逆鉾さんに、僕は驚きを隠せない。
「だって、図書館に行くには、電車に乗らないといけないの。でも、電車はいつ脱線するかわからないから、怖くて乗れなくて……」
「えっと、少なくとも、借りに言ってるってことは、その時は電車、乗れたんでしょ?」
「あの時は、ママの車で連れて行ってもらったの」
逆鉾さんは、カバンから本を取り出した。図書館のシールが貼ってある。
「これが、その本なの」
「へぇ〜。面白そうな本だね」
「面白くなかった」
「そりゃどうもすいません」
「違うの。私が悪いの。私がダメな人間だから、本まで面白くなくなっちゃったの」
「どんな影響力だよ」
ギュッと、本を握りしめて、不安そうな顔をする逆鉾さんは、見た目だけなら、儚げな文学少女だった。
「歩いて行ったら?」
「私、歩くの苦手なの」
「聞いたことないよ」
まぁ、めんどくさがりであることは確からしい。
電車を使わないといけないってことは、そこそこ距離があるのだろう。
「でも、図書館から電話がきた以上は……返さないとね?」
「そんな!返せません!」
「僕は司書じゃないよ」
「神畑くんが司書なら、返してもらえたのにね」
「必要の無い仮定だと思う」
逆鉾さんは、自分でそう発言した後、何かに気がついたかのように、ハッとした顔をした。
「そうだ。神畑くんに、本を返しに行ってもらえばいいんだ」
「えっ?」
それは、とんでもなく迷惑な発見で。
僕の中の逆鉾さんの株価は、アメリカの大統領が悪魔にでもなったかのように、急落してしまった。
実際なったらしい。あっ、今の発言はオフレコで。
「あのさ、逆鉾さん。そんなんじゃ、いつまでたっても孤立したままだよ?」
僕の役目は、あくまで、この孤立少女を、少しでも学校の輪に入れてあげることなのだ。
しかし、逆鉾さんは、迷惑そうな顔をする。
「別に、みんなに嫌われても構わないよ私は」
「少なくとも、目の前にいる人に嫌われない努力をしようよ」
「神畑くんは、こんなことで私を嫌いになったりしないと思う」
「どうしたの急に」
いつから僕たちは、そんな信頼関係を築き上げたのだろう。
……あるいは、本当にどうしても、僕にしか本を返却するという依頼を出せないということかもしれない。
「そうだ。お母さんにもう一度送ってもらえばいいじゃん」
「ママはパパとフランス行ってるから」
「……」
「私は飛行機が墜落するから、行かなかった」
「日本語おかしいよ?」
「……ハーフだから、かな」
「ごめん。そんなつもりはなかったんだ」
何かとんでもなく、人を傷つける発言をしてしまったらしい。
これは、挽回する必要があるよな……。
「……わかったよ。僕がその本、返しに行くから」
「本当?」
「うん」
「嘘じゃない?」
「嘘なんてついても、得がないからね」
「世の中には得がなくたって嘘をつく人たちがいるよ」
「例えば?」
「政治家とか」
「こら」
僕はきちんとオフレコにしたのに……。
「じゃあ、これ。お願いします」
逆鉾さんから、本を受け取る。
と、同時に、何か、低い音が聞こえた。
……逆鉾さんの、お腹から。
逆鉾さんは、恥ずかしそうに、頬を赤く染めて、俯く。
「お腹、空いてるの?」
「違うの」
「違わないでしょ?」
「いいの。私なんて、飢えてるくらいがちょうどいいから」
「何そのワイルドな発言」
サバイバル映画のヒロインが言いそうなセリフだ。
しかし、そんな発言とは裏腹に、逆鉾さんの視線は、僕のお弁当に、思いっきり向いている。
「……どれが欲しいの?」
「な、なにが?」
「いや、おかず」
「……」
「黙秘か」
「違うの。私が何かを話すことで、二酸化炭素が無駄に排出されて、地球温暖化が進むから、できるだけ不必要な発言は避けるようにしているだけ」
「スケールの大きな話だな……」
少なくとも、たった一人の、普段寡黙な女の子の発言ごときでは、地球温暖化に目に見えた変化なんてないだろうけれど、環境問題に関心があることはいいことだと思います。以上です。
「じゃあ、ほら、卵焼きをあげる」
僕は、箸で卵焼きを掴み、逆鉾さんに近づけていく。
しかし、逆鉾さんは、明らかに動揺した様子で、それを拒んだ。
「か、か、神畑くん。か、か」
「落ち着いて。なに?」
「かかかか、間接キス、じゃない?」
「いやまぁ、そうだけどさ……」
気にするほどのことだろうか。
妹のせいで、僕はそういうことに抵抗がない。
ただ、普段から毒だのなんだの言っているような逆鉾さんからしたら、そりゃあ気になるかもしれないな……。
「でも、お腹空いてるでしょ?」
「空いてますん」
「なにそれ」
「私、ベジタリアンだから、卵は食べないの」
「じゃあ、ブロッコリーをあげるよ」
「ブロッコリーアレルギーだから」
「聞いたことないよ」
このやり取りの間も、逆鉾さんのお腹は鳴り続けている。もはや、隠すことすら諦めた様子だ。
「じゃあ、わかった。僕は今から、耳を塞いで、後ろを向くよ。その間に、お弁当に何か起きても、気がつかないだろうね」
「……」
僕は、言った通り、耳を塞ぎ、逆鉾さんへ背を向ける。
実際は、耳を塞いだところで、音は聞こえるわけだが。
2分ほど待ったので、そろそろ声をかけようと思う。
「逆鉾さん、もういい?」
「いいよ」
僕は、弁当箱を確認する。
……おかずが全部なくなっていた。
白飯は、全て残っている。
なんだこの、小学生みたいな食い散らかし方は。
「逆鉾さん」
「お腹が膨れたら、バランスを崩して、階段から落ちちゃうかも」
「逆鉾さん」
「だから……、神畑くんに、抱っこしてもらおうかな」
「あの、逆鉾さん、僕の彼女なの?」
「そんなわけない」
「えぇ……」
そこまで否定されてしまうとは思わなかった。
部室内に、気まずい空気が流れる。
「えっと、逆鉾さんってさ、結構僕に対しては、距離感を詰めてくれているような気がするんだよ。……そういうの、男としては、勘違いしちゃうんだよね」
「聞いたことある。挨拶されただけで、好きになっちゃうとか」
「そうそう」
「私だったら、男の子に挨拶されたら、これから体育倉庫に連れてかれて、変なことされるんじゃないかって考える」
「それは、ネガティブなのかな」
どちらかというと、やや変態寄りの妄想のような気がする。
「私、結構本読むけど、現実では、男の子の方がそうなりやすいのに、本の中では、女の子がそうなるよね」
「まぁ、需要的にね」
激しくアピールする男子が主人公、または彼氏役だとすると、どうしても、女の子向けの作品になってしまうから。
「逆鉾さんは、美少女だからさ。うん。気をつけよう」
「わかった。家を出ないようにするね」
「違うよ?」
「家のトイレから出ないようにする」
「それは家族が困るんじゃない?」
「大丈夫、我慢強い家系だから」
「限度があると思うよ」
我慢強い家系の娘にしては、色々忍耐が足りてない部分を感じてしまうけれど。
「そもそも私は、美少女じゃないもん。胸がでかいだけ」
「卑屈すぎるよ」
「ママが言ってたよ。女の子にとっての胸は、男の子にとっての財力だって」
「そんな教育ある?」
そんなことを教えるくらいなら、もっとポジティブな思考とか、友達の作り方とかを、教えてあげてほしかったな。
白飯だけになった弁当を消化しながら、そう思う。
「えっと、まぁいいや。それで、お腹はもう大丈夫?」
「今のところ、異変はないかな」
「だから、毒は入ってないって」
「弁当に入ってなくても、神畑くんの唾液が毒性かもしれない」
「毒ヘビか何かなの?僕は」
警戒の仕方が、いちいち失礼だ。
逆鉾さんは、お腹も満たされて、満足したのか、椅子に座って、本を読み始める。
……人と一対一の状態で、取るべき行動でないのは確かだ。
もう帰ってくれ、そう言っているようにも思える。
まぁ、内容はともあれ、そこそこコミュニケーションはとれたし、大人しく引き下がるか。
「さて、そろそろ僕は教室に戻るよ」
「うん。教室で、私の悪口言わないでね」
「そう思うなら、もう少し僕に優しくしてくれた方がいいよ」
逆鉾さんと昼ごはんを食べることは、二度とないだろう。
……いや、今日も一緒に食べたわけじゃないけどね。
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