下部織姫の場合
「そこのあなた!カバンを床に置きなさい!」
次の孤立少女の元へ行こうと、廊下を歩いていたところ、後ろから呼び止められた。
「……あっ」
声の方を振り返ると、そこには、今まさに会いに行こうとしていた子がいた。
下部織姫(しもべおりひめ)さん。二年生。風紀委員長。
肩書きだけなら、特に違和感はない。
それは、桃林さんも同じだけど。
「両手を挙げて」
「いや、犯罪者じゃないんだから」
「男子はいつ私にエッチなことしてくるかわからないもの!いいから両手を挙げなさい!」
「えぇ……」
仕方なく、僕は両手を挙げた。
下部さんが、孤立する理由、それは、過剰なまでの性への反射神経。
いきなり右ストレートをもらってしまった。
下部さんは、僕に視線を向けたまま、カバンを急いで拾う。
そして、無言で漁り始めた。やがて、動きが止まる。
「……これはなにかしら?」
下部さんがカバンから取り出したのは、成年コミックである。
さっき、桃林さんから押し付けられたものだ。
「これは!なにかしら!」
「何って、成年コミックだよ」
「そんなことは知ってるわよ。なんであなたが、イタダキノボル先生の、人妻陥落天を持ち歩いてるのって訊いてるの!」
「詳しいね」
「うるさいわね!」
このように、下部さんは、いきなり本性を現してくれたが……実際は、エッチなことに興味津々である。
それは、この学校中の生徒が、すでに気がついていることなのだが、なぜか本人は、隠せているつもりでいるらしい。
「イタダキノボル先生の、人妻陥落天なんて学校に持ってきて、どうするつもりだったのかしら!」
「いちいちタイトル名と作者名言わないでよ」
「いいから答えなさい!」
悪いことをした生徒を、こらしめてやるんだからね!みたいなテンションで、下部さんは距離を詰めてきた。
「なっ、こんなに私に近づいて、どうするつもりなの!?手を伸ばせば私の体に触れられる距離じゃない!」
「そっちが詰めてきたんだよ?」
あと、今僕が両手を伸ばしたところで、ラジオ体操が始まるだけだ。
「下部さん、これ実は、拾ったものなんだよ。多分、誰かが間違えて学校に持ってきて、恥ずかしいから捨てたんじゃない?」
「なんですって!こんなに素晴らしい本を捨て……あぁいや、なんでもないのよ?私は風紀を乱す生徒は許さないわ!」
「多重人格なの?」
もしくは葛藤か。
噂には聞いていたとはいえ、思ったより強烈だな。この人は。
「どうせ神畑くんは、このエッチエッチエッチな本を、トイレでこっそり読むつもりだったのよね!」
「エッチ三回も言わなくていいよ」
「とにかく!この本は回収させてもらうわ!」
下部さんは、手に持っていた手提げ袋に、成年コミックをしまった。
「えっと、下部さん」
「なによ!」
「ごめん。まず、テンション下げてもらっていい?」
「これが普通よ!失礼しちゃうわね。ふんっ」
ふんっ。って口に出す人初めて見たんだけど。
どうやら、あまり歓迎されていないらしい。
「下部さん。どうして僕のカバンを、漁ろうと思ったの?」
「匂いがしたのよ」
「どんな匂いかは訊かないでおくよ」
「そこまで言うなら仕方ないわね。教えてあげるわ」
「話聞いて?」
下部さんは、手提げ袋を広げ、そこに顔を突っ込んだ。
そして、クンクンと、鼻を動かしている。
……この人、風紀委員長でよかったんですよね?
「うん。間違いないわね。女の子がこの成年コミックを、涎のついた手で触っているわ。強い匂いよ」
「……」
桃林さん、何をしていたのかな?
本人の証言と、だいぶ食い違っている。
まぁ、気にしないでおこう。
「鼻がいいんだね、下部さんは」
「何よその目は。さすがに鼻には入らないわよ」
「なんでそんな話になっちゃうの?」
「神畑くんがエッチだからよ」
「人のせいにしないで」
僕は同い年の男子生徒に比べれば、エッチではない方だという自負がある。
なんだそのしょうもない自負は。
「そろそろ手を降ろしてもいいかな」
「ダメよ。私と話すときは、ずっとその体制でいなさい」
「罰ゲームじゃん」
「誰が女王様よ!」
「言ってないんだけど……」
さっきから、まともな会話をしている自信がない。
もう、この際だから、本題に入ってしまおう。
「下部さん。理事長から連絡は聞いてると思うけどね。君は無事、孤立している認定を受けているんだよ。今日から、僕と一緒に、孤立から脱するための努力をしていこう」
「それはつまり、私を孕ませて、赤ちゃんを宿すことで、一人じゃなくすってことかしら」
「想像力が豊かすぎる」
逆鉾さんといい、なんでこの人たちは、こんなに妄想する力が発達しているのだろうか。
「ちなみに、孤立している理由は、わかってる?」
「わかってるわ。私の胸がでかいからよ」
「は?」
いきなり何を言い出すのだろう。この人は。
「私の胸が、平均的な女子高生のそれよりでかいから、思春期のエロエロ男子の目線は釘付け、女子からは嫉妬の嵐。そうでしょ?」
「いや、うん」
確かに、下部さんの胸は、週刊少年漫画雑誌の表紙を飾っても、何ら問題ないほどに、大きく育っている。
……ただ、この人が孤立しているのは、その面倒な性格のせいなのだ。まさか、本人がそれを理解していないとは。
「あのね、下部さん。下部さんは、まずその性格から治した方がいいよ」
「性格?おかしなことを言うわね。私はこの学校の風紀を大切に大切に守っている、いわば生徒にとってのヒーローみたいなものじゃない。誰が私の性格を、悪く言うわけ?」
ただでさえでかい胸を、堂々と張って、自信満々に言い切る下部さん。
これはどうやら重症らしい。
「実際、私がこの学校の風紀委員長になってから、学校内での生徒のみだらな行為は、極端に減ったわ」
「そうなの?」
「そうよ。手を繋いだり、目と目を合わせて会話したり……そんなのもう、セックスじゃない!」
「……」
よくこんな発言をしておいて、自分の性格に問題がないとか言えるな。
「何真顔になってるのよ」
「なるでしょ」
「私はね、エッチなことが許せないのよ」
「どの口が言うわけ?」
「う、上の口に決まってるじゃない!」
「そういう意味じゃないんですけど」
こんなことを言ったら、理事長に怒られるかもしれないが……この人は、孤立したままの方が、いい気がするな。
「ねぇ神畑くん。あなた、この成年コミックを、何か悪いことに使ってないでしょうね」
「だから、拾っただけだって」
「中身は?見たの?」
「開いて捨ててあったから、そのページは目に入ったよ」
「……参考までに訊くわ。どんなページ?」
「それ、訊く必要ある?」
「職務質問よ」
「何で僕、悪いことをした人みたいになってるわけ?」
下部さんは、僕を睨みつけてくる。答えない限り、帰さないぞ、という意思が伝わってきた。
「どんなって言われても……いわゆる普通の行為の最中だったけど」
「普通じゃわからないわよ。体位は?」
「下部さん、自分が何を質問してるかわかってる?」
「いいから答えなさいよ」
「……後ろから、でしたけど」
「百十三ページね」
「えっ」
「あっ、違うのよ。これは。私の病気なの。突然百十三ページって呟いてしまう病気。慢性百十三ページ症候群」
慌てて誤魔化す下部さんだったが、あまりに無理のありすぎる嘘だった。
「下部さん。好きなものは好きって言った方がいいよ」
「うるさいわね!私は風紀委員長よ!?エッチなものが好きなわけないじゃない!」
「そもそもなんで、風紀委員長になんかなっちゃったのさ……」
「だって、かっこいいじゃない。風紀委員長」
「すごい純粋な理由だった……」
でもそれは、放火魔が消防士になるようなものではないだろうか。
……そのうち限界を迎えそうだ。
かと言って、もし下部さんが、この性格で、風紀委員でなかったら、本能の赴くままに、エロの布教をしていたかと思うと、それはそれで恐ろしい話である。
「その、さ。言っちゃ悪いんだけど……、かっこよかった風紀委員長に、下部さんは、なれていると思うの?」
「なれてないわね」
「自覚はあるんだ」
「ダメダメよ。私はね、生徒みんなに憧れられるような、風紀委員長でありたいわけ」
「まぁ、そもそもこの学校、真面目な生徒しかいない進学校だからさ、風紀が乱れるわけもないんだよ」
当然、風紀委員長の出る幕なんてないわけで。
むしろ、風紀委員長が一番風紀を乱しているとさえ言える。
「だいたい、私の孤立を何とかする前に、自分の孤立を何とかしたらどうかしら?」
下部さんは、挑発するように言った。
…….さすが、学校の風紀を気にしているだけのことはあるな。僕が孤立していることも、知っているというわけだ。
どこかの生徒会長とはえらい違い。
「同時進行だよ」
「やっぱり二股じゃないの!」
「これ、二股って言うの?」
「とにかく、あなたみたいなエッチの怨霊みたいな男に、私のことをどうこう言われる筋合いはないわ!」
「勝手に殺さないで」
どうやら、下部さんは難攻不落っぽいな……。
今日はここまでにして、引き上げよう。
「じゃあ、下部さん。成年コミックも回収してもらったし、僕はもう行くよ」
「そうね。私もこれ読みた……、破いて捨てるから、これで失礼するわ」
せめて家に帰ってから読もうね。と、心の中で思いました。
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