Third kiss


 静寂に包まれた街を通り抜けると、崩れた古城が目に入る。

 かつて栄えていたであろうこの国は、今はもう見る影も無い。


 百年もの間、時が止まってしまっているのだという。


 この国を救うためには、古城の奥に眠るという姫に口付けをし、姫を目覚めさせなければならない。

 そうした噂が、まことしやかに囁かれていた。


「やっと辿り着けた」

 王子は人気の無い城下町に辿り着くと、小高い丘の上に聳えている古城を見上げた。

 城下町の綺麗さと反対に、古城だけは戦争の後のように崩れ落ちている。

 王子は、意を決すると、城に向かって歩き始めた。

 城までの道は種類の違う石によって、鮮やかな色の石畳が敷かれている。道に沿って様々な植物が生い茂っているものの、どれも光を遮るようなことはない。

 ふと、背中に視線を感じて振り返るものの、誰もいない。

 王子は何も無かったように、軽快な足取りで歩き始めた。丘の上の古城までは、そう時間はかからなかった。

「こんにちは」

 正面の門に立ち、そう声をかけるものの、何の反応もない。

 王子は勝手知ったるように壁に沿って外周を歩くと、壁が大きく崩れているのが見えた。

 よく見ると、植物が巻きつくようにして、新たな壁になっている。

 太くて人の腕では千切れはしないだろう。おまけに、あちこちにトゲが生えているのが見える。

 王子は、そっとツルを避けるようにしながら、身を潜らせた。

 頬に小さな傷がついても構わず進む。

 やがて、王子の前に朽ちていない大きな扉が現れた。

 両手で扉を押し開けると広い空間に出た。茨は相変わらず蔓延っているものの、今までの通路と違い、天井も高くて、至るところから入ってくる光で部屋全体が明るい。

 広間の先の壇上に、祭壇が組まれている。

 一歩一歩と祭壇へ近付いて行くと、後ろで扉が閉まる音がした。

 王子は振り返ると、微笑んだ。

「こんにちは、神官様」

「……よくぞいらっしゃいましたね、王子」

 神官と呼ばれた人物は、苦々しい表情で頭を垂れた。

「姫は未だに夢の中なのですね」

「ええ。数多の王子が目覚めさせようとなさいましたが、姫が目を開けることはありませんでした」

「そうか」

 王子は姿形こそ変わったものの、前世の記憶を宿しているらしい。

 神官は凛とした王子の横顔を、忌々しげに睨みつけた。

 王子は迷うことなく祭壇へと近付き、その薔薇の花弁のような柔らかな唇に口付けを落とした。



「姫、長い間お待たせいたしました」

 王子は片膝を折り、玉座に腰掛ける姫に微笑みかけた。

「……お会いしたかったです、王子」

 二人は再会を喜び、抱きしめ合うと、段差を椅子代わりにして、並んで腰を下ろした。

 幼い頃もそうしていたことを思い出して、二人はどちらともなく笑った。

 心優しい王子は、姫と結ばれるはずだった。けれども、謀略により殺害されてしまったのだ。

「やっと、前世のことを思い出せました。そして、貴女にかかった呪いのことも」

 王子は悔しそうに拳を作る。

「幼い頃から貴女を見ていたのに……呪いから守れなかった」

「王子、気に病むことはありません」

「でも」

「この呪いは、わたしがかけたものなの」

 姫の告白に、王子は言葉を失った。

「……他に守る方法が思い浮かばなくて、眠りにつくことにしたの」

「……姫」

「目覚めれば、きっと、わたしは……わたしの心は……」

 姫はその大きな瞳から、涙を溢すと、王子の拳に手を重ねた。

「お願いです、王子。今はどうか、このままここを立ち去ってください。


 神官には気をつけて」



 王子が目を覚ますと、神官は背後で静かに立っていた。

 ……王子を見下ろすようにして。

「姫はお目覚めになりませんでしたか」

「……そうですね。なんと恐ろしい呪いなのでしょう」

 王子は神官を窺う。

 真っ白なフードを身に纏い、常に感情も気配も押し殺して、彼だけは百年も姫の側に居た。

 百年もその眠りを見届けていた。

 その執念に背筋が粟立つ。

 一体、姫は眠り続けることで何を守ろうとしているのだろうか。

「……出直させていただきますね」

「ああ、王子。よければこちらを」

 神官が取り出したのは、姫の頬よりも尚赤い林檎。

「これは」

「お召し上がりください」

 二人の視線が合った。神官の目が、暗く、暗く輝いていた。



 立ち去る王子の背に、神官は楽しげに呟いた。

「残念でしたね、姫様」



 ――姫は未だ深い眠りの中に居る。








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