Second kiss
静寂に包まれた街を通り抜けると、崩れた古城が目に入る。
かつて栄えていたであろうこの国は、今はもう見る影も無い。
百年もの間、時が止まってしまっているのだという。
この国を救うためには、古城の奥に眠るという姫に口付けをし、姫を目覚めさせなければならない。
そうした噂が、まことしやかに囁かれていた。
「ふー……やぁっとついた」
大剣を背にした王子は、頬を伝ってきた汗を手の甲で拭った。
怪我をしてしまった馬を捨ててから、二日間歩き通しだったものの、王子の目はまだ熱を失っていない。
噂だとばかり思っていた国は実在した。ということは、この国に眠り続けている姫君がいるはずだ。
王子は古城へと脇目も振らず、人気のない城下町を駆けていく。
そして、城まで続く色鮮やかな石畳に差し掛かると、背中に視線を感じて振り返った。
「……誰だ」
気配こそないものの、明らかに何者かの視線はある。
もう一度辺りを見回してみるものの、敵意のあるような人影は見当たらない。王子は先を急ぐことにした。
駆け足で丘を登ると、そこには穏やかに佇む城があった。
「へぇ……立派な城じゃねぇか」
壁に沿って外周を歩くと、壁が大きく崩れているのが見えた。
よく見ると、植物が巻きつくようにして、新たな壁になっている。
ツルは太くて人の腕では千切れはしないだろう。おまけに、あちこちにトゲが生えているのが見える。
背負っていた大剣を引き抜くと、王子は横に一閃で薙ぎ払った。
茨のツルは、大きく分断されて、目の前に道ができた。
王子は邪魔なツルを力任せに薙ぎ払いながら進むと、前に朽ちていない大きな扉が現れた。
剣を納めて、両手で扉を押し開けると広い空間に出た。茨は相変わらず蔓延っているものの、今まで切り開いてきた通路と違い、天井も高くて、至るところから入ってくる光で部屋全体が明るい。
広間だったのだろうか。壇上には祭壇が組まれている。
一歩一歩と祭壇へ近付いて行くと、後ろで扉が閉まる音がした。
王子は振り返ると、剣に手を伸ばした。
「……さっきからジロジロ見てたのはお前か?」
「これはこれは、遠路遥々とよくぞわが国へ。王子様」
真っ白なフードを身に纏った人物が、恭しく頭を垂れた。
男女かわからない不思議な声だ。抑揚も少なくて、感情も読めない。
現れたときも、気配が全く感じられなかった。
――斬ってしまおうか。
姫さえ手に入れられれば、国民に用はない。
「お前は誰だ」
「わたしはしがない神官にございますよ。わたしのことよりも、どうか姫を目覚めさせてはくださいませんか」
「ホントにキスで目覚めるのか」
「ええ。王子はお話がお早くていらっしゃいますね」
神官と名乗る人物は、王子に近付くと、耳打ちをした。
王子は剣を手放した。
「貴方の口付けが必要なのです」
その空いた王子の手を引くようにしながら、神官は祭壇へと誘う。
「さあ、王子様、
――目覚めのキスを」
王子は、祭壇に横たわる姫の顔を見た。
真珠のような淡く輝く白い肌、頬は熟れた林檎のように赤く、唇は薔薇の花弁を思わせるほど柔らかに見える。
とても、百年眠り続けているとは思えないほど瑞々しい。
王子は、姫の白くほっそりとした顎に手を添えると、噛みつくような口付けをした。
「ようこそ、我が国へ。北の国の王子」
目を開けると、そこには王座に腰を下ろした姫が居た。
「ホントにキスで目覚めたのか」
その問いに、姫は首を振った。
「いいえ。ここはわたくしの夢の中。不躾なご挨拶で申し訳ありません」
「やはりキスなんかで呪いは解けないか。どうやったら目覚めるんだ?」
王子の言葉に、姫は憂いを帯びた笑みを浮かべると、再び首を振った。
「……お帰りください。貴方がわたくしを目覚めさせたところで、この国は貴方に差し上げられません」
「……お見通し、という訳か」
「貴方ほどの力量があれば、自ら国を豊かにすることはできるはず。……他国を力ずくで手に入れることで得るものは恨みだけです」
二人はしばらく睨み合ったのち、王子はやれやれと両手を挙げた。
「降参です。この国は諦めましょう」
口ではそう言っているものの、王子は豊かさを得るまで諦めることはないだろう。
目に宿る熱は鎮まらずに、さらに燃えんばかりだ。
北の国は作物が育ちにくい。国を餓えさせないという王子の強い意志を感じて、姫は微笑んだ。
乱暴な手段は誉められたものではないが、国を思う気持ちは尊い。
「貴女のような強かで美しい姫君は他に居りませんでした。いつか目覚めるときはわたしの妃に」
姫の手を取ると、その甲に口付けをした。
去り行く王子の背に、神官はぽつりと呟いた。
「残念でしたね、王子様」
――姫は未だ深い眠りの中に居る。
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