Awake someone with a kiss

美澄 そら

First kiss


 静寂に包まれた街を通り抜けると、崩れた古城が目に入る。

 かつて栄えていたであろうこの国は、今はもう見る影も無い。


 百年もの間、時が止まってしまっているのだという。


 この国を救うためには、古城の奥に眠るという姫に口付けをし、姫を目覚めさせなければならない。

 そうした噂が、まことしやかに囁かれていた。


「よしよし、長旅ご苦労だったな」

 この国まで乗せてきてくれた、艶やかな黒い毛並みをした愛馬を労うと、王子は自らの足でこの地に立った。

 噂だとばかり思っていた国は実在した。ということは、この国に眠り続けている姫君がいるはずだ。

 馬を青々と繁る街路樹に繋ぎ止めて、王子は街道を歩き始めた。

 不気味なほどの静けさだ。自分の足音以外に、人の声も生活音もない。

 それなのに、道も建物も、百年もそのまま放置されているとは思えないほど綺麗だ。

 ――まるで、人々だけ神隠しに遭ってしまったかのような。

 なにか情報を、と思っていたが、人が見当たらないのでは仕方がない。

 王子が見上げると、正面には遠く見えていた古城が小高い丘の上に聳えている。

 城下町の綺麗さと反対に、古城だけは戦争の後のように崩れ落ちている。

 この国に、何があったのだろうか。

 王子は、城に向かって歩き始めた。



 城までの道は種類の違う石によって、鮮やかな色の石畳が敷かれている。道に沿って様々な植物が生い茂っているものの、どれも光を遮るようなことはない。

 ふと、背中に視線を感じて振り返る。

……誰もいない。

 緊張しているのかもしれないと、強張った背中から力を抜くように息を吐いた。腰に差した剣に掛けていた手を解く。

 もう一度辺りを見回して、誰もいないことを確認すると、王子は先を急いだ。

 駆け足で丘を登ると、そこには慎ましい城があった。王子が住まう城は、倍以上大きくて荘厳だ。

「誰かいないのか!」

 正面の門に立ち、大きな声でそう問いかけるものの、何の反応もない。ここも無人のようだ。

 渋々、王子は城の周囲で手掛かりを探すことにした。

 壁に沿って外周を歩くと、壁が大きく崩れているのが見えた。

 よく見ると、植物が巻きつくようにして、新たな壁になっている。

 太くて人の腕では千切れはしないだろう。おまけに、あちこちにトゲが生えているのが見える。噂を信じ切っていなかったのもあって、王子もそこまで装備を整えてはいない。

 王子は、面倒だなと舌打ちをしながら、腰の剣を引き抜くと、縦に横にと振りかざして道を切り開いた。

 

 やがて、肩で息をし始めた頃、王子の前に朽ちていない大きな扉が現れた。

 左手で扉を押し開けると広い空間に出た。茨は相変わらず蔓延っているものの、今まで切り開いてきた通路と違い、天井も高くて、至るところから入ってくる光で部屋全体が明るい。

 広間だったのだろうか。壇上には祭壇が組まれている。

 一歩一歩と祭壇へ近付いて行くと、後ろで扉が閉まる音がした。

 王子は慌てて振り返ると、腰に差していた剣を引き抜いて構えた。

「何者だ!」

「これはこれは、遠路遥々とよくぞわが国へ。王子様」

 真っ白なフードを身に纏った人物が、恭しく頭を垂れた。

 男女かわからない不思議な声だ。抑揚も少なくて、感情も読めない。

 現れたときも、気配が全く感じられなかった。

 ――まさか、亡霊ではないだろうな。

 構えた剣の切っ先が震えてしまいそうだ。

「わたしはしがない神官にございますよ。わたしのことよりも、どうか姫を目覚めさせてはくださいませんか」

「姫様……。あの噂は本当だったのか」

「ええ。わが国の姫は呪いにかかり、長い長い眠りについてしまわれました」

 神官と名乗る人物は、王子に近付くと、耳打ちをした。

「貴方の口付けが必要なのです」

 王子の肩を抱くようにしながら、神官は祭壇へと誘う。

「さあ、王子様、


 ――目覚めのキスを」


 王子は、祭壇に横たわる姫の顔を見た。

 真珠のような淡く輝く白い肌、頬は熟れた林檎のように赤く、唇は薔薇の花弁を思わせるほど柔らかに見える。

 とても、百年眠り続けているとは思えないほど瑞々しい。

 王子は、たどたどしく姫の赤い頬に手を添えると、恐る恐る触れるだけのキスをした。


「ようこそ、我が国へ。西の果ての国の王子」

 瞬きすると、そこには玉座に腰を下ろした姫が居た。

「ひ、姫様?」

 目覚められたのか、と問おうとすると、首を振られた。

「いいえ。ここはわたくしの夢の中。不躾なご挨拶で申し訳ありません」

「いや……それよりも、呪いを解く術は存じないのですか。わたしが解いて差し上げましょう」

 王子の言葉に、姫は憂いを帯びた笑みを浮かべると、右へ視線を移した。

 その視線の向こう、遥か先には王子の国がある。

「……お帰りください。たとえわたくしを目覚めさせたところで、貴方は貴方の国の王たる器にはなりえないでしょう」

 その一言に、王子は愕然とした。

「なぜ」

 何度も「なぜ」と繰り返しながら王子は頭を抱えた。


 西の果ての国には、現在三人の王位継承者が居る。王子は第一子にも関わらず、母親に見捨てられ、後ろ盾もない。

 弟達に王位を譲りたくない。

 その一心で王子は、国外へ飛び出した。国民からの支持を集める方法を考えていたある日、この国の噂を耳にした。

 例え最果ての国であっても、呪いを解いて一国を再建したならば、きっと誰しもが英雄として迎えてくれるのではないかと思ったのだ。


 気付けば姫は元のまま横たわっている。王子は呆然と自らの手の平を見つめた。


「残念でしたね、王子様」



 ――姫は未だ深い眠りの中に居る。





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