第11話「にじのかご」

目を覚ましたカナエを、メルはそっと抱き起こしました。



「気分はどうだい?」


「ああ、なんだかへんな感じがする」


「無理もない。こちらでは大して時間はたってはいないが、記憶を辿ったのだ。おまえにとっては長い旅だったろう」



まだはっきりしない頭で、カナエはぼんやりと星空を見上げました。すると、夜空からきらきらしたなにかが舞い降りてきました。


星屑を集めたようなきらきらがカナエたちの近くに降り注ぎ、ゆっくりと渦を巻いたかとおもうと、次の瞬間にはひとりの老婆へと姿を変えました。それはアーテルの飼い主。あの占い師でした。

しかし、カナエはその正体が誰であるか、ついにわかりました。



「ニライ…だったんだね」



占い師が、着ていたローブをバサリと脱ぎ捨てると、そこには在りし日のままの姿で、ニライが立っていました。クゥが走りよって抱きつきます。


「おかえりなさい!」


「クゥかい。ただいま」


そしてクゥを片手で抱き寄せたまま、カナエに向かって言いました。


「久しぶりじゃあないか。愛しき末の子よ」



メルはカナエを支えたままニライを見上げると言いました。


「ようやくのご帰還ですか。あなたにしては、ずいぶんと手間取ったようですね」


ニライは鼻で笑うと、手のひらを天に向け両手を広げました。


「それこそずいぶんな言い草じゃあないか。しばらく会わない間に意地でも悪くなっちまったのかい?メル坊」


いたずらっぽく笑うニライに、メルはため息をつきました。


「そう言いたくなるのもあたりまえでしょう。カナエを探しにいったまま連絡もよこさないで」


「すまなかったよ。ちょっと時間がかかりそうだとわかってね。その間、むこうで占い師なんてやってみたら、これが案外おもしろくてさ」


「まったく、あなたって人は…」



うなだれるメルをよそに、ニライはクゥをそっと引き離しカナエへ近づくと、そばへ片膝をついて座りました。そして、おもむろにカナエの額に親指で中指を力いっぱい引き絞った手を近づけて…。



《バチンッ!》


「あいたーーー!」



もんどりうつカナエを愉快そうに見つめ、口を開きました。


「無事に戻れたようだね」


「うん…」


「まったく…あんたを探すのも一苦労だったよ。転生されちゃあ、気配を追えもしない。ようやく見つけたと思ったら、かけらも力がないんじゃあね」


まだ額を痛そうにさするカナエの頭をくしゃっと撫でると、ニライは立ち上がりました。


「元が元なんだ。しばらくすればそのときもくるかと思って待ってみれば、なんだかんだで数十年さ。まあ、そのかいもあって、あんたを戻してやれたんだがね」


「じゃあ、アーテルに『おひるねのくに』の話をしたのも…それとも、アーテルもおいらのことを?」


「あの子はなんにも知らない、正真正銘、普通の猫だよ。まあ今や、私がみっちりしつけた優秀な使いだがね。あの子にここの話をしたのはそのとおり、あんたをここへ戻すためさ」


ニライはさっきまでメルが腰掛けていた石へ座りました。クゥはさっきまでのように、そのそばに座りました。


「力も戻り、帰ってこれたんだ。またしっかり働いてもらうよ」


カナエは慌てました。


「ちょっと待ってよ!おいらがここへ戻ったのには理由があって…」


「お黙り!」


ぴしゃりとニライは言いました。そして、その真紅の目でカナエを見据えて言いました。


「調子のいいことばかり言うんじゃないよ。あんた、自分が仕事ほっぽり出した結果、ここがどうなるか、考えなかったのかい」


カナエは思わずうつむきました。自分の都合ばかりで、あとのことなど考えもしないで飛び出していったことを、さきほど思い出したからです。


「願いってのも、おおかたあの子のことだろう。もうわかってるだろうけど、あの女の子はあんたとここを出ていった、ララって子の生まれ変わりさ」


カナエははっとしました。(やっぱりそうなのか…)


「あの子の夢を叶えるためここに来たんだろうけど、それならなおのこと知らなきゃならない。あんたがここを出て行って、その結果どうなってしまったのか」


「うん」



そして、ニライは話しました。

カナエがいなくなったことで、虹の雫を花にできないこと。その結果『織り夢の海』に虹の雫が溢れていること。そして、それが原因で、地上へ夢を持つ魂たちを届けることができなくなったこと。

カナエは話を聞くうちに、自分のしでかしたことを深く反省しました。


「まあ、夢を持たずにあっちで見つけるって魂もいるから、全部が全部、転生できないわけじゃない。それよりも深刻なのは、転生した担い手たちだよ」


「どうなったの…?」


「カナエ、担い手たちの役割がなんだったか、覚えてるかい?」


ニライがたずねました。


「うん。『虹の担い手』たちが夢を願う力で、虹の雫、つまり虹をつくる」


「そのとおり。しかし、ひとことに『夢を願う』といっても、それは簡単にできることじゃない。それは、担い手たちは誰かのためにあろうとするからだよ。利己的であってはならない。混じりっけなし、誰かを思いやる力さ」


カナエは、メルにそう教えてもらったことを思い出しました。


「だから担い手たちは、そのはたらきのかわりに、『虹の加護』を授かる」


「虹の加護?」


「地上にかかった虹から、わずかばかり、夢を叶えるための力を受け取れる」


カナエはそのひとことに衝撃を受けました。


「気付いたようだね」


「………うん」


「あんたが花をこさえて、あたしが虹をかけないと、地上にいるその力を受け取るべきものが受け取れない。努力に見合い、夢を叶えるはずのものたちの夢がいっこうに叶わないんだよ」



カナエは今度は反省どころではありませんでした。自分がとった行動が、これほどの大ごとになるなんて、思ってもみなかったからです。

そんなカナエとニライの様子を、メルとクゥは黙って見つめていました。雲の海の向こうでは、空が少しずつ白み始めていました。


「これでわかっただろう。あたしが苦労してあんたをここへ帰したわけも」



「さあカナエ、選択の時だ。あんたには二つの選択肢がある。一つは、またここから逃げ出して、あの子のもとへ帰る。そうすれば、あんたの猫としての寿命が終わるまでは一緒にいれるだろうさ」


カナエはうつむいたまま静かに泣いていました。ずっと一緒にいたい。その気持ちを振り切ってまでしてここへやってきたのです。


「そしてもう一つの選択肢は、このままここに残り役目を全うする。そうすれば、夢を持つものたちを地上へ送ってやれる。担い手だったものたちの夢もまた虹の加護を受けて動き出すことだろう」



「もちろん、あの子も含めてね」


ニライの最後に付け足したひとことに、カナエは思わず顔を上げました。


「そこまでは気付かなかったかい?描き手であるあんたほどの夢と一緒に、あの子は虹の雫に乗って地上へ行ったんだ。担い手とみなされたんだよ。いつかも言ったけど、幸か不幸か、どちらにとってもね」


あの日、カナエが『わき』として捨てられた日のことでしょう。


「だからこのままだと、あの子の夢も、この先ずっと叶わない」


「そんな…」


ララを助けるために起こした行動が、かえってララ、女の子の夢を叶える足かせにもなっていたなんて。


「さあ選びな。あんたのすべて…あの子の夢を捧げてまで地上へ戻るか、あんたがすべてを捧げて、ここでの役目を全うするか。二つに一つだよ」


「おいらがここに残ってきちんと役目を果たせば、あの子の夢は叶うの?」


「ああ、叶う。あたしもあの子のことはずっと見てきたよ。それこそ、あんたより長くね。そのあたしが保証しよう。あの子の努力は並大抵のもんじゃない。虹の加護さえあれば、あとは時間の問題さ」



それなら、カナエはもうなにも望むことはありません。


「わかった。おいら、きちんとやりきるよ」


「よろしい。じゃあ、あんたらがタダ乗りした分、こっちでしっかり働きな」


ニライはようやく笑顔を見せてくれました。カナエは立ち上がり涙を拭きました。その背中を、顔を出したばかりのお日さまが、まるで慰めるようにじんわりと温めてくれました。

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