第9話「にじのはじめ」

カナエはひとまずメルを探すことにしました。メルはいつも、〔大きな声で名を呼べば来る〕と言っていましたが、これから頼もうとすることを思えば、カナエは自分からお願いに行く方がいいと思いました。


すると、日が沈みつつある空の向こうに、きらきら輝きながら落ちていく光を見つけました。カナエはそれが何かを知っていました。

地上に虹をかけたニライが、この世界へ戻ってきたときのものです。


(ちょうどメルのよくいる池のほとりあたりだな。もしかしたら、二人ともそこにいるかも知れない)


そう思ったカナエは、先を急ぎました。

やがて池を囲む木々が見えてきたので、カナエは歩を緩めました。そして、メルを探して池へと足を進めました。


やがて、木々の隙間から池が見えるくらいに近づいた頃、誰かと誰かの話す声が聞こえました。カナエが木の陰から覗くと、そこにいたのはやはりニライとメルでした。

メルより少し背が低い、細身の女性がニライです。月夜のような藍色の髪は、穏やかな海のように波うっています。また、カナイとよく似た白い装束を着ていました。

腰に手をあてたニライが、メルを見据えて言いました。



「へえ…離れずかい。めずらしい事もあるもんだね」


「ええ…」


「で?手は打ってるんだろうね?」


「はい」


「まったく…誰の手落ちかは知らないが、困ったもんだよ」


ララのことを話しているようでした。


「わかっちゃいるだろうが、離すんなら早めにやりな。この世界じゃ、夢と魂はより結びつきやすくなっちまう。お互い泣き別れる辛さなら、あんたが一番よく知っているはずさ。なあ、メル坊」


「わかっています」


「変な同情なんてするんじゃないよ?そんなもの、誰の得にもなりゃしないんだから。ひと思いに…いいね?」


「はい…」


「この平和で退屈な『おひるねのくに』で、そんなしめっぽい顔すんじゃないよ」



会話を盗み聞きしたカナエは弱り果てました。カナエは、メルなら話せばわかってくれるかもしれないと思っていましたが、ニライの助言でそれも危うくなりそうだからです。


(ここは一旦様子を見よう。それから、メルが一人のときを見計らって話をしてみよう)


そう思ったカナエは、その場から立ち去ろうとしました。そのとき、メルと話しているニライの視線が、こちらへ向いた気がしました。

カナエは慌てて木の陰に隠れました。心臓がどきどきと早鐘を打ちます。



「ニライ?」


「いや、なんでもない。それより…」



どうやら気付かれずに済んだようでした。

カナエはその場を四つ這いになって離れ、足音も聞こえないであろう十分な距離になったところで走り出しました。



「ひとまずララに知らせなくちゃ…今はおとなしくしないと」


《ビュウッ》


カナエは背中に風を感じました。そして、風が押すままに空へと舞い上がりました。


「う、うわぁー!」


そして、そんなカナエの体を、ニライの細い腕が受け止めました。そしてそのまま夜空を駆け抜けます。人の姿をしたままで、そんなことができるのはニライくらいだと、いつかカナイが言っていたことを思い出しました。


「やあやあ、我らが愛しき末の子よ。こんなところで何をしている?」


「え、ええっと…」


ニライの真っ赤な瞳に見つめられ、カナイは言葉を失います。


「メルに聞いたよ。あんた、例の離れずをやけに気にかけてるようじゃないか」


「だって、かわいそうじゃないか!」


「ふんっ」



ニライは不満げにそう鼻を鳴らすと、地面へ着地しました。そこには、ユニコーン姿のメルも駆けつけていました。

二人の帰還を見届けたメルは、またいつもの姿に戻りました。



「メル、ちょっとおいで」ニライが言いました。


「なんでしょう…?」メルが言われたとおり近づきます。すると。


《バチンッ!》と、音が鳴りました。


「くっ…!」


メルは額を押さえ、苦しげな声をあげました。ニライは今しがたメルの額を打った右手の中指をさすっていました。


「カナエの教育はお前の仕事だろう。それがなんだい、基本も教えちゃいないのかい?」


「いや、私は順を追って…」


涙目のメルがそう言うと、ニライはまた中指を親指で強く引き、メルへかざしました。


「いいわけは聞きたかないね」


「面目ない…」


相変わらず、ニライには誰も逆らえません。


「まあいい。カナエ、よく聞きな。『虹の描き手』の私たちはね、すべての夢や魂に対して、平等でなければならないんだよ」


「わかってるよ。でも…だったら…すべての夢が望む魂と一緒になるべきじゃないのか!?」


カナエがそう言うと、メルは目を伏せました。ニライは、カナエを哀しそうな目で見つめていました。


「それはね、カナエ。夢の立場だから出る考えだよ。夢が望む魂が、常にその夢を望むとは限らないのさ」


ニライはそう言ってメルの方へ踵を返すと、その肩に手を置いて言いました。カナエは、ニライの言う言葉の意味が、いまいち理解できませんでした。


「いずれ知ることだよ。いい機会だ、教えてやりな」



ニライはカナエの頭を一度だけくしゃっと撫でると、またどこかへ飛んで行ってしまいました。後に残されたのは、メルとカナエだけになりました。

カナエは、さっきニライから言われたことの意味を考えていましたが、やはり納得がいかなかったので、メルにたずねることにしました。



「メル、さっきニライが言ってたことって、どういうこと?」



メルはさっきニライが見せたのと同じ目で、カナエを見つめています。そして、カナエに歩み寄り膝をつくと、肩にそっと手を置いて、その目を真正面から見つめて言いました。



「私たち『虹の描き手』が、元は夢だったというのは説明したね?」


「うん…。夢だけど素質を認められて、自分にとってぴったりな魂と出会うまで、夢を送るお手伝いをするんでしょ?」


「ああ。しかし…一つだけおまえに言っていなかったことがある…」


「何…?」


カナエは急に恐ろしくなってきました。


「それは…」



「それは、『虹の描き手』となるほど大きな夢は、一度魂にすてられたものたちだということだ」



それを聞いたカナエは、呆然と立ち尽くしました。その頭の片隅では、ニライに声をかけられた日のことを思い出していました。



〔おや、何をしてるんだい?こんなところで〕


〔待ってるの〕


〔魂をかい?〕


〔うん…〕


〔もうずっと、ここでそうしているだろう。どうだい、暇つぶしがてら、ちょっと助けちゃくれないかい。私たちと、この世界のすべての夢を〕



カナエはメルの手を振りほどくと、今来た道を駆け出しました。



「カナエ!」



メルの制止にも耳を貸さず、カナエは走り続けました。その頬を、一筋の涙が伝いました。


(すてられた…?おいらも…みんなも…?)


無我夢中で走ったカナエはやがて、さっきララといた岩へとたどり着きました。


(今日はここで、星を見ながら眠ろう…)


そう思ったカナエは、岩の中心に寝転びました。そして、星空を見ながら泣きました。すると、ごそごそという音と共に、またララが視界に現れました。



「待ってたわ。どうだった?その後は」



ララに涙を見られてやしないかと思ったカナエは、今度はぶつからないように起き上がると、服の袖で涙を拭いました。


「どうしたの?何かあった?」


「…」


カナエはなんと言っていいかわかりませんでした。さまざまな感情が、入れ替わり立ち替わり押し寄せては、心を乱します。


「おいら…すてられた夢だった…」


「カナエ…」


「おいらみたいに大きな夢は、誰も引き受けちゃくれないんだ」


「…」


ララはカナエの背を優しくさすりながら、じっと耳を傾けていました。俯いたカナエの目から、涙が溢れては落ちます。



すると、ララが突然立ち上がりました。



「ララ…?」


ララはカナエのために歌をうたいました。





一人寂しく 砂漠照らすは宵の月


連れ添う星は多かれど 寄り添う星などありはせぬ


歌いましょう 歌いましょう 一人寂しく待ちぼうけ


暁 砂焼くその頃に 泡と消えゆく月なれど





ララは歌い終わると、カナエの隣に座りました。


「どうだった?」


「…うん。綺麗だった」


「ありがとう。もう泣かない?」


「うん…」


カナエは、さっきまでの荒れ狂う海のような心が、穏やかになるのを感じていました。


「さすがはあたしよね。まだまだ歌声は衰えてはいないようよ」


「うん。凄いと思う」


「えへへ」


ララは恥ずかしそうに笑いました。


「ねえ、カナエ」


「何?」


「あんた、私の夢にならない?」


「な、何言ってるんだよ!さっきの話を聞いてただろ?」


カナエは信じられないとばかりに言いました。


「聞いた上で言っているの。どうせそんじょそこらの魂じゃ、あんたみたいな大きな夢は怖気付いちゃうんでしょ?」


「それは、そうだけど…」


「あたしはそんなにやわじゃないわ。それに、あんたのお陰で、大事な気持ちも思い出せたし」


「大事な気持ち?」


「夢を初めて見つけたその時よ」


そう言って、ララはあの人形を見せました。


「これはね、歌でみんなを笑顔にしたご褒美だって、お父さんが彫ってくれた猫の人形なの。あたしの宝物なんだ」


「猫だったんだね」


カナエは思わず言いました。


「失礼ね。確かに、お父さんは手先が器用ではなかったけれど、一生懸命作ってくれたのよ」


「そうなんだ。でも、それこそ、その夢はどうするのさ。元の夢を持って、おいらまで受け入れるだなんて、そんなの、聞いたことないよ」


「そんなの…知らないわよ!」


ララは言いました。


「でも、やっぱりなんか、あんたは放っておけない。一緒にいれば、なぜかうまく行く気がするの。二つまとめて、あたしが叶えてあげるわよ」


ララはそう言ってまた笑いました。

その時です。ララの握る猫の人形がまた、淡い光を放ちました。


「また光ってる…」


「うん…」


「あたし思ったんだけど、この子はあんたと一緒にいるときだけ光ってないかしら」


「え、そうなの?」


「ええ。だからきっと、この子もあんたといたいのよ」


カナエはどうすればいいかわからなくなりました。カナエには『虹の描き手』という役目もありました。これだって、とても大切なものであることはよくわかっているつもりです。


(でも…)


「すぐに返事しろなんて言わないわよ。明日の朝、またここに来るわ。そのときにでも、返事を聞かせてちょうだい」


「あ…」


「どうしたの?」


「明日も『夢送り』があるんだ。だから、しばらくすれば港町に行かなくちゃ」


「わかった。今日と同じくらいの時間よね?それまでには来るようにするわ」


ララはそう言って、どこかへ行ってしまいました。カナエはそのまま横たわり、目をつむりました。

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