第8話「ララのゆめ」
カナエは、島では自分の好きな場所をいくつか見つけて、そのどこかで過ごすことにしていました。
そんなカナエが向かったのは、ポネアのちょうど右手の付け根にある小さな森でした。その真ん中には低いまな板状の岩があって、そのさらに真ん中で、お日さまに暖められた岩の温もりを感じながらお昼寝をするのが、最近のカナエのお気に入りでした。
見上げれば、ぽっかり空いた穴から空が見えました。
(あの子…ララは今頃どうしてるかな…)
流れる雲を見ながらそんなことを考えていると、不意に視界に何かが現れました。驚いたカナエが飛び起きると…。
《ごちんっ!》
「いったあ!」
「いったいじゃない!」
カナエの顔を覗き込んだのは、ララでした。
「何するのよ…まったく」
ララはおでこを押えてカナエに言いました。
「そっちこそ、さっきといい、なんでいつも急なんだよ…」
カナエもララと全く同じ格好でおでこを押えています。
「ちょっと聞きたいことがあったのよ。ねえ、カナエだったかしら、あなた、さっき凄いことしてたわね」
ララがそう言って身を乗り出しました。
「ん?ああ、『夢送り』のこと?」
「名前なんて知らないわよ」
「ポネアの説明、聞いてないの?」
「ポネア?あの、亀のおばあさん?」
ララはいたって真面目に答えました。
「亀のおばあさんだって?」
カナエは声を上げて笑い出しました。
カナエはポネアを尊敬してはいましたが、その物腰がお年寄りみたいだと常々思っていたので、ララの例えが面白かったのです。
「何よ。おばあさんでしょ?あの亀」
「やめてよ!」
カナエがあまりに楽しそうに笑うので、ララもつられて笑い出しました。そして二人は、しばらく岩の上で笑いあいました。
ようやくクスクス笑いになった頃、カナエはたずねました。
「で、『夢送り』がどうしたの?」
ララは言いました。
「そんなことが出来るってことは、カナエは何か不思議な力があるのよね?」
カナエは得意そうに言いました。
「まあね。なんて言ったって、おいらは『虹の描き手』だから」
「何その『虹の描き手』って」
「本当に話を聞かないままだったんだね。いいかい、『虹の描き手』っていうのはね…」
カナエは、これまでメルたちが教えてくれたことを、自分がそうしてもらったのと同じように、ララへ説明しました。
「なるほど。なら、あたしやっぱりもう一度、この夢と生きたい」
ララはそう言って、今も手に持つあの人形を見つめました。カナエは近くで見るのが初めてだったので、興味津々でした。しかし、その表情はすぐに曇りました。
「いや、それはできないよ」
「どうして!」
「ララ。ここでは、君のように夢を手放さないままやって来た魂は、『離れず』って呼ばれてる。そしてそれは、あまりいいこととは言えないみたいなんだ」
カナエは出来るだけ言葉を選びながら話しました。
「何があったか知らないけれど、その夢はもうボロボロだろう?それは、ここへ来てから汚れたとか、そういうんじゃないってこと、ララは分かっているはずさ」
その一言に、ララは俯いてしまいました。
「その夢を、そんなになるまで傷つけてしまったのは、他でもない…」
「………ってる…よ」
「ララ?」
カナエはしまったと思いました。俯いたララの膝の上、握りしめた両手に、ぽたっぽたっと涙が落ちます。
「あんたに言われなくてもわかってるわよ…そんなこと…」
顔を上げたララは、目にいっぱいの涙を浮かべていました。
「ララ、一体君に何があったんだ?」
カナエは、メルに『離れず』の話を聞いた時から、ずっとそれが気にかかっていました。
「おいらでよければ教えてくれないか」
頷いたララは、ぽつりぽつりと話し始めました。
それは、とても悲しい運命の末に、命を落とした少女の物語でした。
ララは、周りを砂漠に囲まれた、ある王国に生まれました。
その国には、王族を頂点としたとても厳しい身分制度がありました。そしてララの生まれた家は、気の遠くなるほど昔から、代々続く奴隷の家系でした。
貧しく辛い暮らし。でもララは、沢山の兄弟や家族に囲まれたこの生活が、決して嫌いではありませんでした。
また、ララには好きで好きでたまらない事がありました。それは、歌を歌うことでした。
まだ幼いために、家族の仕事を手伝えなかったララは、せめてその疲れた心だけでも癒したいと、家族のために歌を歌うようになったのです。
歌声を聴いたララの家族は、その優しい心と美しい歌声に、声を震わせ、涙ながらに礼を言いました。また、〔同じように辛い日々を乗り越える仲間たちにも、その歌声を聴かせてあげなさい〕と言いました。
その言いつけ通り、ララは村の広場で歌を歌うようになりました。
毎夜のように歌っているうちに、その歌声を聴こうと、わざわざ別の村から監視役人の目を盗んで聴きに来るものまで現れました。
そんな事を繰り返すうちに、ララの歌声には不思議な力が宿りました。聴いたものの心をほぐすばかりか、癒されたその心を惹きつけて離さないようになったのです。
奴隷たちの様子がおかしい事に気付いた見張りのものが、上役に告げ口するまで、そう時間はかかりませんでした。やがてそれは、王様の耳にも届く事になりました。
そんなこととは知らず、『魅了の巫女』と呼ばれるようになったララは、奴隷たちにまるで女神のように扱われるようになりました。
ある日、いつものようにララが歌っていると、物々しい軍人たちを引き連れて、王様が村にやって来ました。王様は言いました。
「巫女よ。お前は素晴らしい歌声と不思議な力を持つと聞く。これからは、余のためにその力を使うのだ」
ララ言いました。
「お断りします。私は私の家族と大切な仲間のために歌います。もし、お気に召さないのであれば、この首を刎ねて頂いても構いません」
臆することなくそう言い切るララに、王様はいたく感心しました。
「大した度胸だ。では、こうすればどうだ?」
王様はある提案をしました。
「この村…いや、国中の奴隷を解放してやろう。元々、先王から続くこの悪習を、なんとかせねばと余も常々思っていた。もしお前が力を貸すなら、周りの国々の奴隷も解放し、この手でこの大陸を平等で平和な世界に導こう」
王様がこう言うと、広場は歓声にわきました。皆、口々にララと王様を称え、泣きながら抱き合って喜びました。なぜなら、長く続く戦争のために労役はますます厳しさを増し、戦そのものにも奴隷を駆り出すようになっていたからです。
「住む土地はここをそのまま使うと良い。奴隷ではなく、きちんとした仕事も与えよう」
そうして、ララとその村の仲間は、その全てが奴隷から解放されました。ララは家族と村の仲間に見送られて、王様と王宮へ旅立ちました。
王様は常にララをそばに置いて、戦の時にも必ずついて来させました。
戦になれば、ララはその火蓋が切って落とされるより早く前線に立ち、担がれた神輿の上から敵国の兵に向かって歌いかけました。すると、それがどんなに一触即発な状態だったとしても、敵兵は武器を落とし、膝をつき兜を脱いで、涙ながらにララの歌声を聴くのでした。
いつしかララは、〔この歌声で全ての人々を幸せにする〕と、夢見るようになりました。
投降した敵兵や敵国の民も、ララの家族たちと同様に、家族として温かく迎え入れると、王様は約束してくれました。家族たちはといえば、村で静かに暮らしていて、いつかララが帰るのを待っているとのことでした。
ララは王様に、そして、授かった力とそれを授けてくれた神様に、深く感謝しました。
そして、ララが王宮に召し抱えられてから三年の月日が経つ頃、王様の国はようやく大陸の全てを統一することが出来ました。
最後の戦勝会の席で、ララは王様に言いました。
「国王様。ありがとうございました。これで、皆が平和に暮らせる世界になったのですね」
王様は言いました。
「こちらこそ礼を言わねばならぬ。こうも簡単に行くとは、正直、夢にも思っていなかった」
王様のその一言を聴いて、参加していた王族や軍の将達はいやらしく笑いました。優しさや慈しみとは程遠いその笑顔…。
ララは嫌な予感がしました。
「国王様。私、村に帰りたいのです。平和になったこの世界で、家族や仲間と静かに暮らしたい…」
ララが言い終わらないうちに、会場は笑い声で溢れました。王様は誰よりも高いところで、誰よりも高らかに笑っています。それは、いつもの優しい顔とは全く違っていました。
「村に帰りたい?それは無理な相談だな。何故なら、お前が村と呼んだ場所には、もう何もありはせんのだからな」
ララは王様の言葉に耳を疑いました。
「どういうこと!?村は…仲間は…家族はどこにいるの!村で静かに暮らしているって…」
「お前は耳も頭も悪いとみえる。以前こう言ったろう?『お前の家族たちは、村で静かに暮らしている』とな。ああ!すまない…言われてみれば確かに、一言添えるのを忘れていたよ。静かに暮らしているとも。みんな仲良く、あの世でな!」
「そんな…いつから…」
「いつから!?全く馬鹿げた質問だ。そんなもの、お前を連れ出したすぐ後に決まっているだろう!」
「じゃあ…ずっとあたしを騙して…」
「こう見えて心配性でな。後顧の憂いは絶っておく主義なのだよ」
「なんてこと…」
「捕らえろ。牢に繋いで、逃すんじゃない。こいつの力で、他の大陸…いや、世界すら手中に収めてやる」
ララはその場に崩れ落ちました。衛兵達が次々にやってきて、ララを取り囲みます。
(あたしのせいだ…あたしのせいだ…。あたしが、こんな力と夢を持ったばかりに…)
ララの中で、何かがふつりと切れました。
「あああああああーー……!!!」
ララの言葉にならない叫びは、王宮中だけではなく国中に響きました。絶望を纏ったその声は、それを聴いた人々、特に敵国から無理やり連れて来られて奴隷となったものの心や、家族を人質に取るなどして脅され、幕下に入った敵国の将の心を、闇に堕としました。
華やかな戦勝会は、すぐさま怒号と悲鳴が行き交う凄惨な場へと姿を変えました。王宮へは奴隷が押しかけ、その場にいたものに手当たり次第に飛びかかり、武器を奪っては奥へ奥へとなだれ込みます
やがて王宮には火がかけられました。火はやがて炎となり、全てを巻き込んで、瞬く間に王宮を包みます。
ララはその中心でうずくまって泣きながら、ただただ自らの運命を呪っていました。
ララが全てを話し終えた時、ララだけでなく、カナエまでも泣いていました。ララのあまりに悲しい過去に、後から後から涙が溢れ出ます。
「あたしは確かにひどいことをしたし、夢を呪いもした。でも、やっぱり捨て切れなかったんだ。あたしの歌声を聞いたみんなが、幸せそうな笑顔になるのをもう一度見たいんだ」
そう言って、ララは人形をぎゅっと握りしめました。
その時です。カナエは人形が微かに光った気がしました。
「ララ!見て!」
「え…?」
じんわりと、ぼんやりと、まるで蛍の光のように、ボロボロの人形が光っては元に戻ります。
「まだ、どうにかなるかもしれない!」
「本当…?あたし、またこの夢を持って歌っていいの…?」
ララの瞳に希望の光がさしました。
「まだはっきりとは分からないけど、きっとララの気持ちに反応したんだよ!いつかのように、純粋に夢を求める想いに」
カナエにそう言われたララは、人形をぎゅっと大事そうに抱きしめました。
「おいら、仲間に聞いてみるよ。なりたてのおいらより、きちんとしたことを誰か教えてくれるはずさ」
カナエは胸を張って言いました。ララは心配そうにその顔を見つめています。
「でも、それでもやっぱり『この夢を諦めて他の夢を持て』と言われないかしら…?」
「それは分からないけど…とにかく、出来ることはやってみよう!」
カナエはララを勇気付けるように言いました。
「じゃあ、おいら行くよ。出来るだけここを離れないで」
カナエは岩を駆け下りました。
「わかった。でも、食べるものなんかはどうすればいい?」
ララが困ったように言いました。それを聞いたカナエは笑いました。
「大丈夫だよ。ここじゃあ、飢えることは無いんだ。のんびり待ってて」
「わかった…」
走り去るカナエの背中を見送りながら、ララは胸のあたりを押さえていました。
(なんだろう…息が苦しい…)
(少し疲れたのかもしれない)
そう思ったララは、しばらく横になって休むことにしました。
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