第7話「にじのながらえ」

それは遠い遠い


いつか過ぎ去った在りし日々


魂に刻まれたかつての記憶




わきの意識は深く深く、導かれるように魂の奥深くへと進んでいきました。




「……………エ」


遠くで誰かが呼んでいます。




「………ナエ」





「カナエ」


原っぱに寝転んでいる少年に一人の男が声をかけていました。ゆったりとした紫色のローブと、後ろで留めた長い銀髪が、風をうけてさわさわとなびきます。

今度はそばに片膝をついてしゃがみ込むと、少年の肩を何度か揺すりました。しかし、それでも起きる気配がありません。カナエと呼ばれた少年は、まるでバンザイするように、両手を頭の上に投げ出した状態で、気持ちよさそうに寝息を立てています。



「いい加減に起きないか。さあ」


銀髪の男が、今度はカナエの頬を数回、優しくはたきました。


「ん……むぅ…?」


余程眠いのでしょうか。カナエは尚も眠り続けています。すると男はすうっと息を吸いました。


「カナエ!!」


「はいっ!!!」


突然の大声に、カナエは手足をバタバタさせて慌てて飛び起きました。そして、目の前の男に気付いて言いました。


「あれっ?メル!?どうしたんだよ!急に大声なんて出してさ。びっくりしたー」


カナエは言いました。そんなカナエの様子を、銀髪の男…メルは腰に手を当て、厳しい眼差しで見つめています。


「どうしたもこうしたもあるか。今日はおまえが初めて、『虹の永らえ』として正式に『夢送り』に参加する日だろう。それに、〔どうせ港町に行くんなら、朝から『燈火«とうか»の迎え』を見たい〕と言ったのは、おまえのはずだよ?」


そう言われたカナエは、目をパチクリ、口をぽかんと開けています。


「あっ!そうだった…」


「忘れていたのか!?まったく…おまえというやつは」


メルはやれやれとばかりに、眉間を親指と人差し指で揉みました。


「さあ行こう。船はもうとっくに港に着いているはずだ」


「うん!」


わきは服に付いた草を手で払うと、港へ向かって歩き始めたメルの後に続きました。



やがて草原を抜け、二人は森に差し掛かりました。港へはここを抜けるのが近道だというのは、カナエもよく知っていました。


森に入ってすぐに、どこからか、小さく歌声が聴こえてきました。カナエが不思議に思っていると、それを察したメルが言いました。


「きっと、ダディズリーが近くにいるのだろう。彼は歌が好きだからね」


「ダディズリー?」


「我々と同じ『虹の描き手』だよ」


それから少しして歌声が大きくなってくると、ぷかぷか浮かんだ大きなシャボン玉が、どこからともなく現れました。

二人がシャボン玉の流れてくる方へ行くと、一匹の熊が岩の上に座ってシャボン玉をふかしては、合間に歌を歌っていました。ダディズリーです。


「久しぶりだね。ダズ」


メルが声をかけると、ダディズリーは二人に気が付いて、器用に岩の上から降りてきました。

そして、メルに向かって歩み寄る熊は、背の高さはそのままに、筋骨隆々な短髪の男へと姿を変えました。浅黒く逞しい肉体のあちこちには、 傷跡が見てとれます。


「よう、メル!久しぶりじゃねえか!元気そうだな」


ダディズリーは嬉しそうにメルの背中をバンバンと叩きました。あまりに強く叩くので、メルはよろけて前につんのめりました。


「ああ、お前の方こそ、息災のようで何よりだよ」


「あったりめぇよ」


そう言ってダディズリーは豪快に笑いました。それからカナエに話しかけます。


「おう、坊主。お前ぇが新しい『虹の永らえ』なんだってなあ」


「う、うん」


「俺はダディズリー。『虹の選り手』だ。よろしくな。兄弟」


ダディズリーはそう言って、大きな手のひらをカナエに差し出しました。


「兄弟って?」


「なんだぁ?そんなことも知らねえのか。俺たちはな、たった七人で助け合いながら『夢の虹をかける』って、でっけえ仕事をやってんだ。それはもう、家族みてえなもんなんだよ」


ダディズリーの隣で、メルが微笑みながら頷きました。


「あ、ありがとう…」


カナエは照れ臭そうに、ダディズリーの手を握りました。


「よしよし、そうこなくちゃな。俺のことは遠慮なく、ダズと呼べばいい」


ダディズリーはにかっと笑うと、カナエの頭をくしゃっと撫でました。


「挨拶が済んだなら、そろそろ行かねば。行こう、カナエ」


「うん。ありがとう!ダズ!」


「ダズ、また」


カナエは一足先に、港へ向かう道を歩き出しました。カナエに続いて歩き出そうとしたメルを、ダディズリーが呼び止めました。


「メル」


「どうした?ダズ」


「あいつ、随分『若い』んだな…」


「ああ…だが心配はいらない。ニライが見出したんだ。力不足ということはないはずだよ」


「バカやろう…そんなことが言いてえんじゃねえよ。それだけあいつは…」


悲しみと同情が入り混じった目で、ダディズリーはメルを見つめました。


「わかっている」


ダディズリーの言葉を遮るようにメルは言いました。そしてため息をつくと、シャボン玉を手でぽんぽん弾いて遊んでいるカナエを見やりました。


「クゥの時にも感じたが、我々のような『過ぎた夢』というものは、魂にとってはどうにも荷の勝ちすぎるものらしい」


「ああ…」


「そう気に病むな。ダズ。『我々を迎える魂』が、まったくないわけではないのだから」


「そうだな。引き留めて悪かった。行ってくれ」


そう言って頬をかくダディズリーへ頷くと、メルはむこうで待つカナエの元へ向かいました。


「遅いよメル。早くいこう!」


「まったく…調子のいいことだ」


メルがカナエに追いつくと、また二人で歩き出しました。


やがて森を抜けました。すると、長い坂道を下った先、遠く前方に港が見えました。太くずんぐりした、小高い岬のふもとにあるのが港町です。色とりどりの屋根と、白い壁の建物がひしめき合う様子は、ここから見るとまるで積み木のおもちゃのようでした。


メルの言ったとおり、港には立派な帆船が停まっています。


「うわぁー、でっかい船!凄いね!メル」


「ああ、そうだな」


カナエはたまらず駆け足になりました。その様子を、メルは優しく見守ります。


丘を下り終えると、港町へさしかかりました。そこかしこにさまざまな動物たちが行ったり来たりしていて、あたりは賑やかです。船着場のある桟橋へ向かって大通りを歩きながら、二人は話しました。


「ここは【夢送りの町】だ。ここにやってきた『芽吹く魂』たちは、やがてまた、ここから旅に出る。この世界で出会った夢と共にね」


「うん。昨日教えてもらった。『芽吹く魂』は好きな場所で、自分に合った夢を見つける。それは、果物の形をしていたり、魚だったり、花だったりするんだよね」


「ああそうだ。居眠りしていた割には、よく覚えているじゃないか」


「へへ」


二人が大通りをなおも進むと、船着場が見えてきました。近くで見る帆船は、とても大きく感じます。これなら、この町のすべての魂を合わせたとしても、みんな乗ることができるでしょう。

カナエがそんなことを考えながら歩いていると、だんだんとあたりが騒がしくなってきました。気付けば目の前には、野次馬のような集まりができていました。


「何か騒がしいな…。私が様子を見てこよう。カナエ、おまえはここにいなさい」


「うん。わかった」


メルはカナエを置いて、あっという間に行ってしまいました。

すると、メルが消えた場所から少し離れたところ、犬とシマウマの間から一人の女の子が飛び出してきました。

女の子は後ろを気にしながら走っていたので、そのまま真っ直ぐにカナエにぶつかりました。


二人はそのままの勢いで地面に倒れこみました。


「いっ…てて…」


「いったあ…ちょっと!何ぼうっと突っ立ってるのよ!」


「何だって!?ぶつかって来たのはそっちじゃないか!」


「何よ!」


黒い髪に、翡翠色の鋭い目つきをした女の子は、カナエをきっと睨みつけます。カナエは、女の子の肘のあたり、褐色の肌に血が滲んでいるのに気づきました。

手には何やら、ボロボロの人形のようなものを持っています。


「おい、血が…」


「どいて!」


そう言うが早いか、女の子はカナエを押しのけて走り去ってしまいました。その場には、さっきの女の子のものでしょうか。靴が片方、落ちていました。


「お、おい!待てよ!」


カナエは靴を拾うと、女の子を追いかけました。




一方その頃、騒ぎの原因を見に行ったメルは、それが空振りに終わったことを知りました。船の中はとっくに空っぽで誰も乗っておらず、ざわざわとした空気は、今は静まりつつありました。


まず船内の様子を確認したメルは、タラップを桟橋に向かって降りながら前方を見つめていました。そこには先程、坂道を歩いたときに見えた岬がありました。メルはなぜか、その岬に向かって大きな声で話しかけました。


「ポネア!何があった!?」


そう言い終わると、メルは少しの間待ちました。すると、岬の岸壁に刻まれた二本の溝が、それぞれゆっくりと開きました。

そのうちの一つは、大きな目でした。そして、より長い方の溝は、どうやら口のようでした。驚くことに、この島は大きな大きなカメだったのです。


「メルかい?」


ポネアはしゃがれた声で答えました。メルはもう一度たずねました。


「騒ぎがあったようだが、何か知らないか?」


「ああ…そのことかい…。なに…大したことじゃないよ…。あたしがいつものように、いつもの説明をしていたのさ…」


メルは目を瞑り、組んだ腕の上で指をトントンと叩きながら聞いていました。カメのポネアの話はいつも、そのゆっくりとした話し方のせいで、肝心なところにたどり着くまでが長いのです。


「それでさ…ここでの暮らし方を話し終えた頃に…何やら騒がしくなったのさ…するとどうだい…一人の女の子が『欲しくない夢なんていらない!』とか言って、船を飛び出してっちまったのさ…」


「まさか…」


メルはハッとした様子です。


「ああ…そのまさかだろうねぇ…」


「その子は…『離さず』か」


「いつ以来だろうねぇ…」


「さあな」


メルはこの話は終わりだとばかりに、ピシャリと言いました。


「私はその女の子とやらを探すとしよう。早く落ち着かせないと、他の魂にも影響しかねない」


「そうだねぇ…ああ…『夢送り』までには戻ってきとくれよ…?」


「わかっている。ありがとう。ポネア」


そう言ってメルは、一人待つカナエの元へ戻ろうとしました。その背中に向かって、ポネアが言いました。


「あの子を『離して』やるなら早めにしておやり…手にしていた夢を見たが…あれはもうボロボロだよ…よっぽど酷い目にあったんだろうねぇ…」


「ああ、無論そのつもりだ」


メルは歩みを止めず、自分に言い聞かせるように言いました。ポネアはメルを見送りながら、その後ろ姿が小さくなった頃にようやく最後のひとことを言い終えました。



「しがみつけば、しがみつくほど、無理に離すのはどっちにとっても辛いもんさ」



「あんたのときみたいにね…メル」




その頃、カナエは女の子を追って走っていました。動物の魂たちをかき分けながら、その背中を見失うまいと一生懸命です。

そして、町のはずれまで来たところで、ようやく追いつくことができました。カナエは前を走る女の子の肩を掴もうと手を伸ばします。思いがけず、その願いはすぐに叶うことになりました。

女の子が何かを見つけて、急に速度を落としたのです。


「わっ!わわっ!」


カナエは全速力で走っていたため、女の子に半ば突っ込むような形でぶつかりました。


そして。


《バッシャーーーン!》


二人して小さな川の中へ落ちてしまいました。カナエは溺れまいと、必死に手足を動かします。


(ま、まずい…)


カナエは、自分が泳げないことを思い出しました。


「ねえ」


声がします。カナエは溺れないように必死で気が付きません。


「なにしてるのよ」


ようやく声に気付いたカナエが声のした方を見ると、女の子が腕組みをしてこちらを冷ややかな目で見ています。


「あ、あれ?」


そう言ってカナエが恐る恐るジタバタするのを止めると、水の深さは座り込んだカナエの胸ほどもありませんでした。そんなカナエに、女の子は手を差し伸べました。


「あ、ありがとう」


女の子の手を借りて、カナエは立ち上がりました。そして、さっきからずっと握りしめていた靴を、女の子に渡しながら言いました。


「これ、君の靴だろ?落ちてたから、拾ってきた。ケガは平気?」


「大丈夫。これくらい、なんてことない」


女の子はそう言いながら、靴をブンブン振り回して、水を払いました。カナエはそんな様子をじっと見ていました。もう片方の手には、さっきも見かけたボロボロの人形が握られていました。人形は木製のようで、何か動物をかたどったものに見えました。


「何見てるのよ」


「えっ…別に。ごめん」


「ふんっ」


取りつく島もないその態度にたじろぎながらも、カナエは話しかけました。


「おいら、カナエ。君、名前は?さっきはどうしたんだ?あんなに慌てて」


女の子はと言えば、カナエを信用できるかどうかを、慎重に見定めているようでした。


「別に君をどうこうしようなんて、そんな事は考えてないよ。ただ、何か手伝える事はないかと思ったんだ」


カナエの心から心配そうなその様子に心を許したのか、女の子はようやく口を開きました。


「ララ」


「え?」


「名前よ。あんたが聞いたんでしょ」


「ああ!ララっていうのか。おいら、カナエ。よろしくな」


「さっきも聞いたわ」


そう言って苦笑いをしながら、ララはカナエの差し出した手を握りました。


「それで、さっきはどうして…」


カナエがそこまで言った時です。カナエの肩越しにどこかを見つめるララの顔が強張りました。そして、カナエがそれに気付くより早く、握手を振りほどいて逃げ出しました。そして、バシャバシャと川を走り抜けていきました。

突然のことにカナエは驚きましたが、後ろから声がしたことでララが逃げた理由がわかりました。



「あ、待ちなさい!」



いつの間にか近くまで来ていたメルがそう言いましたが、時すでに遅し。女の子はとっくに藪の中へ飛び込んでいなくなってしまいました。

メルがカナエにたずねました。


「カナエ、おまえもあの子を追いかけていたのか」


「うん。あの子…ララって言うんだけど、ぶつかった拍子に靴が脱げたんだ。それを渡そうと思って」


「そうか。元の場所にいないから、あとで探そうと思っていた」


「あ、そうか。ごめんなさい」


カナエは素直に謝りました。


「いや、理由を聞けば無理もない。それに、あの子の名前も知れた。ひとまずはこれで十分だろう」


「あの子は何で逃げたの?」


「ポネアから聞いたが、どうやら『離さず』らしい。ということは、ここへ来る前の記憶も失っていないのだろう。その名の通り、『夢を離さないで』来てしまっているから、それを取り上げられると思ったんだろうな」


カナエは、聞きなれない言葉が気になりました。



「何?その『離さず』って」



カナエの質問に、メルはいつもと違った反応を見せました。いつもなら、わからないことや教えて欲しいことを聞けばすぐに教えてくれるのですが、今はカナエの顔をじっと見つめて、何かを考えている様子でした。

そして、ようやく話すつもりになったのか、カナエの前に片膝をつくと、その目を真っ直ぐ見据えて話し始めました。



「カナエ、夢を叶えた魂は、その夢とともに星になるといつか教えたね」


「うん」


「そして、夢を叶えることができなかったものは、また、ここへ帰ってくるとも」


「うん。聞いた。それで、また新しい夢を見つけるんだよね」


「その通り。では、叶わなかった夢はどうだ?」


「だから、さっきと同じさ。新しい魂を見つけるんだよね」


「そうだ。しかし、それができるのは、ここに来る魂たちが一度、それまで抱いていた夢と別れを済ませているからだ」


メルは話を続けました。


「そうして夢と別れた魂は、生まれ変わるために一度それまでの記憶をなくすんだ。しかし、ごく稀にではあるが、叶えられなかった夢にしがみつき、手離すことなくここへやって来てしまうものがいる。それを我々は『離さず』と呼んでいる」


カナエはさっきの女の子、ララを思い出していました。そして、その手に握られた人形のことも。


「もしかして、あのボロボロの人形?」


「人形?私は気付かなかったが、ポネアも同じことを言っていたな。きっとその人形だろう。見た目にわかるほど傷んでいるのなら、なおのこと夢と魂を『離して』やらねばなるまい」


「そうしないとどうなるの?」


「夢がそれほど一方的に傷んでしまったのは、その子自ら、その夢に疑いや後悔を抱いたからだ。夢と魂は信頼によって結びつく。それが崩れてしまっている今、このままでは…」



「いずれ夢と魂の…どちらも消えてしまうだろう」


「そんな…」


カナエは言葉を失いました。


「クゥに探すのを手伝ってもらおう。普段からこの島中を回る彼女なら、うまく見つけてくれるかもしれない」


メルはそう言うと立ち上がりました。


「あとで頼みに行くとして、カナエ、町に戻って先に『夢送り』を済ませよう」


「でも…」


「あの子が心配なら、そう焦ることはない。数日のうちにどうこうなるものでもない」


「本当?」


「私が今まで、嘘をついたことがあるかい?」


「…ない」


「わかったなら行こう。今ごろ、みんなおまえを待っているだろう」


メルはカナエの頭を優しく撫でました。カナエはこくりと頷いて、港町へ足を向けました。メルはしばらく女の子の消えた藪を見つめていましたが、踵を返してカナエのあとに続きました。




ララが逃げ出してからしばらくして、二人は船の停泊する桟橋に戻ってきました。さっきの騒動のときも、大勢の魂で賑わっていた船着場は、今は足の踏み場もないほどの魂たちでいっぱいです。

これから行われる『夢送り』によって、この魂たちは夢と共に地上へ送られるのです。


メルとカナエは今、桟橋の先端にいました。メルや魂たちが見守る中、カナエは雲の海に浮いた大きな雫型の青い塊に向かって、なにかぶつぶつと、おまじないのようなものを呟いています。

先ほどの帆船ほどもあるその塊は、一見、巨大なサファイアにも見えましたが、少し違いました。不思議なことに、お日さまの光を受けて、表面が虹色にきらめいています。


「夢持つ魂の結び強く…割れず別れず共に行かん。いつか来るその日まで、いつか至るその機まで…」


カナエが最後のひとことを言い終えると、青い塊は虹色に色を変え、まるで生きているかのように動き出しました。そして、それが止む頃には、その姿は大きく様変わりしていました。

元々雫の形だった塊は、今や雲の海に浮かぶ、一輪の花となりました。


カナエはふうっと短く息を吐きました。ようやく儀式は終わったようです。


「カナエ。よくやった」


メルがカナエの肩に手を置いて、ねぎらいの言葉を掛けました。


「ありがとう」


「大したものだ。とても初めてとは思えない」


「ニライに教えてもらった通りにやったもの」


メルを見上げて、カナエは得意そうに笑いました。


「おまえがこうして祈ることで、花は咲き、皆を地上へ届けることができる」


「うん!」


「では、皆さんにご搭乗いただきましょう」


一人の青年がそう言って、メルの隣に現れました。その青年はメルとカナエのちょうど真ん中くらいの身長で、着ている服も、髪の色も真っ白です。


「カナイ!見てた?おいらの初仕事」


カナエはカナイに抱きついて、褒めてくれとばかりに言いました。


「ああ、立派なものだ。よくやったぞカナエ」


そう言って、カナエの頭を撫でました。カナイは、自分と名前のよく似たカナエを、とても可愛がっていました。


「カナイ、よろしく頼むよ」


メルが言いました。


「はい」


カナイはそう答えると、後ろの群衆に手を振りながら声を掛けました。


「では皆さん!焦らず騒がず、順番にお乗りください!」


ようやく出発の時です。

出発を待っていた魂たちが乗り込むと、花の上はすぐに一杯になりました。その様子を見て、満足そうに頷いたカナイは少し屈むと、空へ向かって飛び上がりました。するとたちまち、純白のドラゴンへと姿を変えました。


「では皆さん、よい旅を」


花を見下ろしそう言ったカナイは、両手を広げ天を仰ぎました。すると、花の周りの雲が渦を巻いていきます。

カナエとメルは、その様子を桟橋の上から見ていました。


その時、ふと一陣の風が吹きました。空を見上げたメルにつられて、カナエも顔を上げました。その風は、あるものが近づいている証でもありました。


島の上空を、何かが猛スピードで飛んでいます。その何かは、前方に虹色の花を確かめると、頭を下げ、どんどん高度を落としました。頭がちょうど桟橋の上を通る時、『彼女』はその先端にいるカナエを見つけ、人知れず微笑みました。


「ニライだ」


そう呟いたカナエの頭の上を、大きな大きな龍が駆け抜けて行きます。胴の太さは、花の倍はありました。

龍は空を悠々と泳ぐと、はるか先の空の上でとぐろを巻きました。全身を覆う鱗は、太陽の光を浴びて七色に輝いています。頭には、地上であれば大木と言えるほどの、金色の角がありました。

ニライは今度は空に向かって真っ直ぐ昇ったかと思うと、仰向けのまま反転して急降下していきます。


タイミングを合わせたカナイが、腕を振り下ろしました。すると、渦を巻いていた雲が開け、花がゆっくりと回転しながら、徐々に落ちていきます。そして、ニライは完全に雲の海へ潜り、花も見えなくなりました。

メルとカナエのそばに、ひと仕事を終えたカナイが着地しました。


「あとは姉さんに任せましょう」


「ああ。ご苦労様。カナイ」


「ありがとう。メル」



「かっこよかったよ!カナイ!」


カナエは目を輝かせて言いました。


「ありがとう。では、私はもう行くとするよ」


「ああ、よろしく頼むよ」


「カナエ、どうだい?ひとっ飛び」


この島の守護者でもあるカナイに、地上でゆっくり休む時間などほとんどありませんでした。なので、カナエがカナイに遊んで欲しいと頼んだときは、決まって空の散歩でした。


「今日はだめなんだ」


「そうか、残念だ。なら、また今度」


「うん!」


カナエは優しいカナイが大好きでした。カナイは再び空へ飛び立つと、あっという間に見えなくなってしまいました。


「いいなあ。ねえメル、おいらもカナイみたいなドラゴンになれないかな?『虹の描き手』は、その役目に応じてもう一つの姿を手に入れるんだろ?」


無邪気にたずねるカナエに、メルは苦笑いしながら答えました。


「そうだな。しかし、ドラゴンというのは難しいだろう」


「なんでさ」


「あの二人は特別だからね。我々とは『成り立ちが逆』だという話はしただろう?彼らは応じた役目を引き受けているに過ぎない」


「んー…。おいら、難しくてよくわかんないや…」


「いずれわかる日がくるだろう。まあ、おまえのその性格なら、猫なんかがお似合いかもしれんな」


「猫?」


カナエは納得のいかない様子です。


「では、私も行くとしよう。カナエ、なにかあったら私を呼びなさい。いいね?」


メルはそう言って、ユニコーンへと姿を変えました。


「わかった」


そのなにかがなにを指すのか、カナエはわかっていましたが、あえて確かめるようなことはしませんでした。メルは誰もいなくなった桟橋を、島へ向かって駆けていきました。


カナエはもうずっと、ララのことが心配で仕方ありませんでした。自分ではどうにもできないことだとわかってはいましたが、だからといって、なにもせずにはいられませんでした。

ポネアはなにか知っているのか、教えてもらおうと思いその横顔を見ましたが、今は休んでいるようでした。カナエは諦めて、自分も島へ帰ることにしました。

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