第6話「ゆめのなみだ」
メルを先頭に一行は丘を下りました。そして腰かけるのにちょうどいい石を見つけ、メルがそこへ座りました。
クゥがそのすぐそばの草の上に座ろうとしましたが、メルはそれを手で制しました。クゥとわきが、いったいどうしたんだろうと顔を見合わせていると、メルが懐から一枚のハンカチを取り出しました。
そしてそれを片手でひろげ、ふわりとわきたちの前に放り投げると、不思議なことに、金色の刺繍がなんとも美しい青い絨毯になりました。
「これに座るといい」
「あら、ありがとう」
クゥがそう言って腰を下ろすと、わきも遠慮がちに絨毯の上に足を踏み入れて、メルの正面へと座りました。
「では、始めようか。君がなにも覚えていないということだからね。こちらもそのつもりで話をしよう」
「ああ...じゃなかった。お願いします」
「そんなに硬くなることはない。いつも通りにすればいい」
「うん…ありがとう」
わきは少しだけ肩の力を抜くことにしました。メルは小さく頷きました。
「まずはこの世界について説明する必要がある。わき。そもそもこの世界を我々が何と呼んでいるか、君は知っているかい?」
「それは…おひるねのくにだろ?」
そうわきは答えました。すると、わきが言い終わるのが早いか否か、メルは大きく目を見開きました。わきは何かまずいことでも言ったのかと思いましたが、それは取り越し苦労のようでした。なぜなら、一瞬間を置いてから、メルが声を上げて笑い始めたからです。
わきはもちろん、クゥもたいへん驚いたようで、しばらくその様子を見ていることしかできませんでした。
「なるほど!そういうことだったのか!」
ひとしきり笑ったあと、涙目のメルが言いました。
「いや、すまない。悪気はなかったんだが...その...少し驚いてね」
「驚いた?」
なんでも知っていそうなメルでも驚くことがあるのかと、わきは意外に思いました。それは、クゥにとっても同じだったようです。まん丸な目をさらにまんまるにして、口元を手で押さえています。
「ああ。君の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったからね。ここにはかつて、この世界を『おひるねのくに』と呼んでいた一人の人物がいてね。その人を思い出したんだよ。恐らく君がここへ戻って来たことにもなにか関係があるんだろうが、まったく...」
そう言うと、メルはやれやれとばかりにため息をつきました。
わきはそれが誰なのかとても気になりましたが、今はメルの話をおとなしく聞くことにしました。そうしていれば、いずれ知りたかったことをすべて知ることができると思ったからです。メルは話を再開しました。
「さて、気を取り直すとしよう。ここはね、わき。正しくは『織り夢の海』、またの名を『追い夢の淵』と言うんだ。その名の通り、夢にとても関係の深い場所だ」
「夢に?」
「そうだ。わき、君は夢と聞いて、何を思い浮かべる?」
「え?ええっと…寝ているときに見たりもするし、起きているときに追いかけたりする」
「面白い例えだけれど、どちらも正解だ」
「ありがとう」
わきは少し照れくさそうです。
「ここは、これから『芽吹く魂』と、そんな魂と『連れ添う夢』とが出会う場所だ」
「魂と…夢?もしかして、ここは天国なのか…?」
「確かに、再び生を授かろうとする魂がやって来る場所であるあたりは、ここは君たちが『天国』と呼ぶものによく似ているかもしれないね」
「ともかく、夢というのはね、わき。いつでも叶えられるために生まれてくる。そして『自らを叶えてくれるもの』または『叶えて欲しいもの』とともに生きる。でも、その多くがそうはならずにここへ戻って来るんだ。そしてまた、叶えてもらうために旅に出る」
「夢が…旅をしている?」
「そのとおり」
メルはわきに向かって頷きました。
「叶った夢は、その魂に抱かれて星になる。夜空に輝く星たちがそうだ」
わきは星空を見上げました。
「しかし、叶わなかった夢はそうはいかない。彼らは星になるために、旅を続ける。叶わなければ繰り返し、何度でも、何度でも…」
メルは悲しげに目を伏せました。そんなメルを気遣ってか、クゥがメルの膝に手をそっと置きました。
「大丈夫だよ。ありがとう。クゥ」
メルはそう言って微笑み、クゥの手に自分の手を重ねました。そして、わきにたずねました。
「わき。我々が何と呼ばれる存在かは、誰かに聞いたかい?」
わきは答えました。
「うん。『虹の描き手』って、クゥが教えてくれた。『虹の描き手』は虹を育てて、おいらがいた世界に送り出すって」
そう言ってクゥを見ると、クゥは優しく微笑んで頷きました。メルはその様子を見て話を続けました。
「そうだね。では、その虹はなにでできているのか…わかるかい?」
「もしかして、さっき言ってた、魂と…夢?」
「そうだ。虹というのは、『夢を持つ魂』でできているんだよ。わき。」
メルは言いました。
「それっていったい…」
「その答えはあそこにある」
メルはそう言って、先程まで自分の居た丘の上を指さしました。
「さっき、木の根元で休んでいるものたちがいたろう?あれが、『夢を持つ魂』たち。すなわち『虹の担い手』だ」
「あの白鳥とか蛇とかが?」
「ああ、そうだ。あれは芽吹く魂と連れ添う夢、そのふたつが合わさった姿なんだ」
「おいら、難しくてよくわかんないや…」
そう言って項垂れるわきを、メルが優しい眼差しで見つめています。
「君は本当に変わらないね。いつか私がこうやって君に話した時も、同じことを言っていたよ」
わきは、なんと言っていいかわかりませんでした。
「話を戻そう。もちろん、どんな『夢を持つ魂』でも『虹の担い手』になれるわけじゃあない。それは、高潔な『夢を持つ魂』でなければならない。例えばその『夢を持つ魂』の願いが、自分自身にむけたものではなく、誰かのためであったりね」
「誰かのため…」
「その通り。そうでなければ、虹は生まれない」
隣で聞いていたクゥが、深く頷きました。
「そして、『虹の担い手』が願う力をもとに虹を作り、それを地上に掛けることで、すべての魂が生まれ変わる。わき…今度はあの木を見てごらん」
わきは、メルに言われたとおりに木を見ました。
「さっきと何も変わらないけど…。あ!」
わきが驚きの声をあげると同時に、木のあたりが徐々にぼんやりと光っていきました。
「少し急いだので心配したが、問題なさそうだ」
メルは誰に言うでもなく、そう呟きました。
木が放つ光。それはどんどん輝きを増して、今やあたりは昼間のように明るくなっています。
「な、なんだ?」
「これが『虹の継ぐ手』と呼ばれる私の役目。こうして集めた願う力を、虹へと継ぎ合わせるんだ」
とても美しい光景が、目の前にありました。木の枝の周りにある無数のシャボン玉が、黄色や橙、赤色と、様々な色に変わり、鮮やかな光があたりを染めています。それはまるで、虹が溢れ出したようでした。そして、シャボン玉が一つ、また一つと点滅を始めます。
最初は蛍のようにゆっくりと。そして、それは徐々に速くなっていきます。すると、ふいに光が止みました。あれだけ明るく光っていたのが、まるで嘘のように。
そしてあたりは再び月明かりだけになりました。失敗してしまったのかと思ったわきが、メルへ話しかけようと口を開きました。
次の瞬間です。
「わあっ!」
わきは思わず歓声をあげました。再び輝きを取り戻したシャボン玉、その光が、巨大なアーチを描いて、まるで虹色の橋を掛けるように夜空の青いお月さまめがけて流れ星より速く伸びていきます。メルとクゥは、動じることなくその様子を見守っています。
虹色の光は、果てしない夜空へグングンと伸び続け、やがてその端っこがようやく見えなくなったと思った頃に、まるでシャボン玉がはじけるようにして、一瞬で消えて無くなりました。あたりには、その残滓がきらきら漂っています。
「メル、今のは…」
「しっ…まだ終わってはいないよ」
メルはまた、わきの視線を導くように、ある方向を指さしました。それはお月さまでした。
青と白のマーブル模様をしたお月さまが今、先ほどまでのシャボン玉のように淡くじんわりと瞬きます。それから、マーブル模様がゆらゆらと何かを形作るかのように揺らめくと、お月さまを包むように見えた光がガラス玉を伝う水のように一点に集まりました。
そして…。
「あっ…」
わきは今度はため息を漏らしました。一点に集まった光が、まるで葉っぱの先から朝露が滑り落ちるように、雫となって夜空へ落ちました。それは、お月さまが流した涙のようにも見えました。
光の粒は下へ下へとゆっくり落ちて、やがて見えなくなりました。わきは光の粒が森の陰で見えなくなっても、しばらくの間そちらを眺めていました。
「終わったよ」
メルにそう声をかけられたわきは、思わずはっとしました。この世のものとは思えない神秘的な光景に、すっかり心を奪われてしまっていたようです。わきは、メルへ向き直りました。
「メル、あれは?」
「『夢の涙』と呼ばれるものだよ。あれはやがて海に落ちて、その『ほとぼり』が冷めることで『虹の雫』となる」
「あれが、虹の雫…」
わきは、今見たものが、カナイの言っていた『虹の雫』なのだと知りました。
「うまくいけば……明日の明け方には『虹の雫』を地上へ送れるだろう。いつもより急拵えだったが、うまくいったようだ」
メルは最後のひとことを、まるで自分に言い聞かせるように言いました。それを聞いて、クゥが心配げに言いました。
「ごめんなさい。わたしがいつもより早く来たせいで、無理をさせてしまったのね」
メルは首を横に振りました。
「それは少し違う。カナイから話を聞いたときに、こうなる事はわかっていた。準備はきちんとしたから、クゥが気に病むことはなにもないよ」
メルは、そう言ってクゥの頭を撫でました。
「あとはカナイがうまくやるだろう。『虹の見届け』と『虹の初め』二つの役割を担うことは大変だろうが、よくやってくれているよ。いや、彼ならできて当然かもしれないが…」
「虹のはじめ?」
「虹を掛ける場所を決めるんだ。難しいが、とても大事な役割だよ。ただ…それだけではないがね」
「へえ。いろいろあるんだな」
わきはすっかり感心して言いました。そんなわきを、メルが真剣な眼差しで見つめます。
「な、なに?」
「我々『虹の描き手』は、夢や夢を持つすべてのもの、そして夢を持つべきすべてのもののために存在している」
「う、うん…」
「つまり我々は、それらすべての夢や魂に対して、平等でなければならないんだ」
メルのその一言を聞いたそのとき、わきの頭の片隅でとても古い記憶が蘇りました。
〔私たちはね、すべての夢や魂に対して、平等でなければならないんだよ〕
はっとしたわきの様子を見て、メルが言いました。
「思い出したかい?『七色の末の子』いや……『虹の永らえ』よ」
メルの傍で、クゥがはっと息を飲みました。
「に、虹の…って…?じゃあ…おいらも…」
メルは立ち上がり、わきへ歩み寄ると片膝をつきました。
「君は遠い昔に、ある少女と共にここを飛び出していった、我々の兄弟だよ」
わきはたった今告げられた事実を飲み込もうと必死です。
「虹色の末の子………カナエよ。これから君の意識を魂の記憶へと
#継__つ__#
なごう。できることなら…すべてを思い出したそのときに、己の役割を思い出し、自ら戻ってきておくれ…」
メルはそう言うと、わきの頭に手を置きました。その手がじんわり熱を持つと同時に、ここへやって来るときに通ったあの渦の中のふわふわした感じがわきを包みました。
そして、わきの意識はどんどんと薄れていきました。
《どさっ》わきの体が、絨毯に崩れ落ちました。
「わき!」クゥが悲鳴にも似た声をあげます。
「心配いらない。眠りに落ちたようなものだから」メルが言いました。
「彼にはすべて思い出してもらわなければ。『あの子』も含めた、すべての夢のために…」
そう言ってメルはわきを抱きかかえると、もう一度先ほどの石に腰掛けました。そして膝の上にわきを乗せると、心配げな様子でその身体にそっと手を添えました。
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