第3話「うずのむこう」
「うわぁーーー…!」
渦の中へ飛び込んだわきは、奥へ向かってどんどんどんどん吸い込まれていきます。
渦の中ではどこが上なのか下なのか全くわからないので、吸い込まれているというよりは、中心に向かって進んでいると言った方がいいかもしれません。
中へ入ればすぐにでも目的地に着くと思っていたわきは、いったいいつまでこうしていればいいのだろうと、いつもお昼寝するときの格好で考えていました。
(渦に飛び込んでどれくらいたっただろう…もう一時間はこうしているのに…)
渦にまかせてくるくると回りながら、ときにうとうと、ときにキョロキョロしながら、わきはまだ見ぬ目的地に思いを馳せました。
(アーテルが言うには…自然がいっぱいで、ふかふかのベッドがあって、お腹が空くことがなくて、なにより…願いを叶えるユニコーンがいる!)
(願いを叶えてもらうには、まず、この『ユニコーン』ってやつを探さなきゃ。はてさて、どうしようかな…)
それからまた数十分程経ったころ、ようやく渦の中心に明かりが見えてきました。
徐々に近づいているためか、少しづつ大きくなっていきます。
明かりだと思っていたものは、表面がとても滑らかな丸い鏡のようなものでした。大きさはゆうに十メートルはあります。普通の鏡なら映し出されるのは鏡の前の景色ですが、そこにあるのは、玉虫の羽のようにいくつもの色が浮かんでは消えていく不思議な光景でした。
「これを抜ければ着くのかな。着いたらまずは、案内してくれる誰かを見つけよう。丘の上に木陰のベッドとか言ってたな…。そこに向かうとするか」わきはそう言うと体勢を整えました。
そして、鏡のようなその表面にゆっくりと吸い込まれていきました。そこを抜ければいよいよ『おひるねのくに』です。
わきはぎゅっと目をつむって、通り抜けるに身をまかせました。それは、柔らかなクッションに顔をうずめる感覚に似ていました。そして、先に抜け出した顔がひゅっと風を感じたので、ゆっくりと目を開けました。あとは、目の前の地面に器用に着地するだけ。
の、はずだったのですが。
「え…?うそ!?ちょっと!待って!」
目の前にあったのは、見たこともない程の空高くから、はるか下を見下ろす光景でした。
渦を抜けた先の世界は、見渡す限りの青空と雲の海が広がっていました。『雲の海』というのはたとえの話ではありません。この高さでは小さくて見えませんが、わたしたちが普段目にする海と同じように、大小さまざまな帆船が雲に浮かんでおり、帆に風をはらませ悠々と航海をしていました。
そしてなにより目立っていたのが、雲の海に浮かぶ大きな大きな島です。
少し楕円の形をしたその島には木々が生い茂り、ところどころには家々が集まる村のようなものや、草原がありました。
楕円形の両端にはそれぞれ岬のように突き出た土地がありました。細く短いとんがった岬には灯台があり、反対側の、太くずんぐりした小高い岬のふもとには、港町がありました。港の周りには、海鳥たちが魚を目当てに飛び回ります。
わきは猫ですから、もちろん飛ぶことなんでできません。慌てて引き返そうとしましたが、今や渦の出口から上半身が完全に出ている状態です。前足をジタバタしているうちに、わきの体は少しずつ出口から出てきます。
そして、最後の最後。しっぽの先が完全に出てくるのを、わきは青ざめた顔で待つことしかできませんでした。
そして、その時はやってきました。
「う、う、う、ううわぁーーー!!!」
叫び声を上げながら、わきは地上へ向かってみるみる落ちていきます。
「はばっ!あばばばば!」
叫んだまま落ちたせいか、開けっぱなしの口から大量の空気が流れ込んできます。わきは大の字で落下しながら、頭ではこの状況をどうやって乗り切るかを必死に考えていました。
(ま、ま、まずいぞ!)
途中、真っ逆さまに落ちながら、空を飛んでいた白鳥の群れに飛び込みました。空から突然現れたわきに、群れの仲間たちはやかましく騒ぎ立てます。わきはそのうちの一羽に、無我夢中でしがみつきました。
「いたい!いたい!痛いってば!爪を立てないで!」
わきは必死になるあまり、爪を出していることに気づいていませんでした。
「ご、ごめん!傷つけるつもりはなかったんだ!悪かったよ」
わきは羽をバタつかせる白鳥の背中に、なんとかよじ登りながら言いました。
「傷つけるつもりはなかったですって?突然ぶつかってくるわ、ひっかくわ、なんなのよあなた!」
「ほんとごめん。おいらもいきなり落ちたもんだから、びっくりして」
「なによ『落ちた』って。あと、重いのよ!」
白鳥は飛ぶ姿勢を保つためか、羽をバサバサと動かし続けますが、徐々に高度は落ちています。
「このままじゃ飛べやしない!降りてちょうだい!」
白鳥がそう言うと、周りをぐるぐる飛んで様子を見ていた仲間たちも、一斉に『そうだ、そうだ!』と喚きます。
「そんな!おいら、海に叩きつけられて、ぺしゃんこになっちゃうよ!」
わきは「あんまりだ」と、どうにかこのまま背中に乗せておいてもらえるよう頼もうとしました。しかし白鳥たちの抗議の声はなりやみません。背中を借りている白鳥も、わきを背中から降ろそうと、バタバタを続けています。
その時、《ビュー》と風を切る音と共に、大きな物体が現れました。
上空からわきたちに向かってまっすぐ一直線に飛んできたかと思うと、目と鼻の先で畳んでいたその逞しい羽根を《バサッ》と広げ、急停止しました。そして、その場で豪快な羽音とともに空中に留まりながら、『それ』はわきに向き直りました。
「ド…ドラゴンだ……」
わきの目の前に現れたのは純白のドラゴンでした。あまりの大きさと迫力に、わきは開いた口が塞がりません。ドラゴンなんて、女の子が読んでいた本の挿絵でしか見たことがありません。
「どうしたんだい、そんなに騒がしくして」
見た目の厳しさとは裏腹に、玉を転がすような、耳に心地いい声に、わきは再び驚きました。もっと地の底から響くような、恐ろしい声を想像していたからです。
「カナイさま!どうしたもなにも!このヘンな色の猫が、さっきからしがみついて離れないんです!」
そばにいた一羽が、カナイと呼ぶ白ドラゴンに訴えかけました。わきは、「ヘンな色」と言われたことに少しむっとしました。
「なんだい、ヘンな色の猫というのは」
カナイは白鳥たちを鼻先でかき分けながら、わきのいる方を覗き込みました。わきは、食べられてしまうのではないかと、身構えました。
しかし、反応は意外なものでした。
「おや?お前は…」
「な、何だよ…」
「末の!久しぶりじゃないか!」
「な、久しぶり?」
「おや、なんだい?その顔は」
「だ、誰か別猫と勘違いしてやしないか?おいら、わきっていうんだ。その『すえの』なんて名前じゃないやい!」
そうは言いながらも、わきは記憶の片隅で引っかかっていることがありました。あの占い師の言葉です。
『良い旅を。七色の末の子よ』
「わき?なんとなんと。やはり記憶を無くしているとみえる。無理もないが、いやはや…」
カナイは、一人で何か物思いに耽っています。
「カナイさまぁ…もう…限界…」
わきの乗る白鳥が、ぜえぜえと息を切らせて言いました。
「ああ!すまないすまない。では『わき』とやら、私の背中に乗りなさい。下へ降ろしてあげよう」
そう言うとカナイは頭をわきたちの下へ潜り込ませると、下からそっと支えました。わきは白鳥の背中から降りて、カナイの額あたりへ移動し、白鳥はカナイの鼻の上でぜえぜえ言いながら息を整えています。
「ほんと…ぜえ…どうなることかと…」
「ご、ごめんよ」
短い休憩を終えた白鳥はひとしきりぼやいてから、また群れの仲間と一緒に大空へ帰っていきました。
「さて、行こうか。わき」
「ああ。ありがとう、カナイさま」
「ははは!カナイ様ときたか!」
何がおかしいのかはさっぱりわかりませんでしたが、カナイはなにか物知りなふうだったので、わきは思い切って聞いてみました。
「な、なあカナイさま。おいら、『夢を叶えるユニコーン』ってやつに会いたいんだ。どこに行けばいい?」
「まずは下へ降りようか。わき、背中へ」
カナイは短く返事をすると、羽ばたきを止め滑空する体勢になりました。わきは慌てて背中へ移動しながら、なんとなく話をそらされたのだと気付きました。
「行くよ。しっかりつかまるんだ」
カナイはそう言うと、羽を少しだけ畳みました。そして、頭と首を真っ直ぐにして少しだけ下へと向けると、その巨体はまるで滑るようにして大空を飛びました。
「わっ!わわ!」
わきは風圧で飛ばされそうになりながらも、背中にしっかりとしがみつきました。背中には鉄のように固く、陶器のように滑らかな鱗があり、つるつると滑ってしがみつくのも一苦労です。
さっき白鳥に爪を立てたときは怒られてしまったわきでしたが、これならきっと怪我などしないだろうと、こっそり爪を鱗に引っ掛けました。そうすることで、わきは吹き飛ばされずにすんだのです。
それでも、猛スピードで空中を落ちるのは決して心地のよいものではありません。わきはぎゅっと目をつむり、一秒でも早くこの空の旅が終わることを祈りました。
時間にしてほんの数分。しかし、わきはとても長い時間に感じましたが、ようやく地上へと辿り着いたようです。
緩やかに速度が落ち、一瞬の浮遊感のあと、またあの《バサッバサッ》という大きな羽ばたきが聞こえ、わきが恐るおそる目を開けたときにはもう、《ズシン》と地面に着地したところでした。
「さあ、着いたよ」
「あ、ああ…おっ!おあー…!あいた!」
わきはふらふらとおぼつかない足運びで、半ば滑るようにしてカナイの背中から飛び降りましたが、案の定、着地に失敗してお尻をしたたかにぶつけました。
「大丈夫かい?」
「ああ、ありがとう。だけど助かったよ。一時はどうなることかと思ったんだ」
わきはそう言ってカナイを見上げました。カナイはわきの目線の高さまで、首を伸ばして顔を下ろし、その目を真っ直ぐに見つめました。あまりに真剣な様子に、わきは固唾をのみ、次の言葉を待ちました。
「さっき、ユニコーンを探していると言ったね?」
「あ、うん…」
「君が『僕の知ってる君』じゃないなら、それはおすすめしないね。『虹の雫』にでも乗って、今すぐ元いた世界へ帰るべきだ」
「なんなんだよ、さっきから。おいらのこと知ったふうに言って」
「知ってるよ。君のことは、たぶん今の君よりもね。ただ、それすら知らないままの君が、『メル』に会うのはおすすめしないってことさ」
謎かけのようなカナイの台詞に、わきはますますわけがわからなくなりました。
そんなわきをよそに、カナイはまた大きな羽根を広げたかと思うと、そのまま羽ばたきを始めました。わきは飛ばされまいと体を低くして地面に踏ん張りました。
そんなわきに向かって、徐々に地上を離れながらカナイが言いました。
「また会えてよかったよ『虹色の末の子』よ。『虹の見届け』としてはね。ただ、『兄』として言えることは、やはりメルには会わない方がいいってことだ」
「兄ちゃんだって!?さっきからわけわかんないことばっかり言って、なんなんだよ!」
一匹と一頭はしばらくにらみ合いを続けました。
すると、先にその沈黙を破ったのはカナイの方でした。
「もし…」
「…」
「もしどうしてもメル…『虹の継ぐ手』を探すというのなら、まずは『虹の結び手』を探すといい」
「虹の結び手だって?」
「そうだ。といっても、何のことだかわからないだろうな。でも、心配いらない。君がまだ性懲りもなく『虹の継ぐ手』を探すのなら、『虹の結び手』の方から君を見つけるだろう」
わきが今言われたことを必死に頭へ叩き込もうとしているうちに、カナイは再び口を開きました。
「そういえば、君はどうしてまた戻ってきたんだい?ああまでしてここを出ていった君が」
「え?いや。占い師が願いが叶う世界があるとかなんとかって…。なんだって?出ていった?」
驚くわきをよそに、カナイはまた考え事を始めました。
「占い師…。いや、まさか…」
「なあ!おいってば!」
どうにか食い下がろうとしたわきでしたが、羽根を持たないわきにはカナイを制止する術はありませんでした。カナイはどんどん羽ばたきを強めて、みるみる空へ舞い上がりました。
「さようなら末の…いや、わきよ。願わくば、何事もなかったかのように、元の世界へ帰ってくれ」
「いやだね!願い事を叶えるまでは絶対に帰ってやるもんか!」
わきは精一杯の大声で、カナイに向かって叫びました。
「はははっ!君は本当に、相変わらずだな!それじゃあ、いずれにしても良い旅を!」
カナイはそう言うと、いよいよスピードを上げて、空へと消えていきました。
わきはその姿を見えなくなるまでじっと見つめながら、心の中で、何かがざわざわと音を立てるのを感じていました。
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