第4話「くまのきょうだい」

「行っちゃったな…ドラゴンのやつ…」


知らない世界の知らない土地で一人取り残されたわきは、少しだけ心細くなっていました。


「さあ、どうしようかな…」

「ひとまず、ユニコーンの名前が『メル』ってことはわかったし、誰かを見つけて聞くしかないな」


そう言ってわきは歩き始めました。


わきが降ろされたのが島の南西あたりの森であることは、さっき見た空からの景色と、雲の海のはるか上空を飛ぶ白鳥の群れの位置から知ることができました。なのでわきは、島の西端に見えた港町へ向かうことにしました。少なくとも町があるなら誰かに会えると思ったからです。


アーテルの話していたとおり、おひるねのくにはとても良いお天気で、わきは森の中を歩きながら降り注ぐ木漏れ日を見上げたり、ときにそよ風に揺れる木々のさわさわという音に耳を傾けたりしながら、のんびりと進みました。

そうやって歩きながらわきは、さっきカナイから聞いたことを自分なりに整理していました。


(ユニコーンはメルって名前で『虹のつぐて』とかいって、さっきの『虹のみとどけ』のカナイが言うには、おいらはユニコーンに会わない方がいい?なんでだ?)


(ああ…そういえば、『虹のつぐて』を探すなら、まず『虹のむすびて』を探すといいとも言ってたな。でも、向こうから見つけるとも…。でも…そうは言われても、一体それがどこの誰やら……ん?)


わきの足が止まりました。その理由は目の前の光景にありました。

先ほどまでは気づきませんでしたが、わきの体の大きさほどもあるシャボン玉が、一つ、また一つと、ふわふわ漂ってきたのです。



「でっかいシャボン玉!」



わきは、出どころはどこだろうと、シャボン玉の流れてくる方向へ足を進めます。途中、一本の川にぶつかりました。流れはそれほど急ではありませんでしたが、わきが泳ぐには深く、飛び越えるには幅があります。シャボン玉はその川の流れに乗るようにしてこちらへやってくるようです。わきはその流れを辿るようにして川沿いを駆けました。


そうして少し行けば、森の端に着きました。その先は、そよそよと風が吹き渡る草原です。美しい緑の絨毯が風に身をまかせてゆらゆらと踊る姿に、わきはつい見とれました。

すると、どこからともなく歌が聞こえてきました。



「お〜れはく〜まのシャボン吹き〜。に〜じのにないてさ〜がす〜のさ〜」



わきは声のする方を見ました。そこには一匹の大きな熊がいました。

濃いブラウンの毛並みにまん丸な耳。熊といえばそうなのですが、その誰かはそれにしてはヘンテコな格好をしていました。


川辺の切り株に腰かけた熊は、先ほどからせっせとシャボン玉を吹き続けています。背中にはこれもまた大きなカーキ色のリュックを背負っていて、そこに赤い傘を差し込み、肩からは水筒を下げて、頭にはお手製のものなのでしょうか、なんとも不恰好な藁の帽子をかぶっていました。

わきは恐るおそる近づいてみます。そして、勇気を出して話しかけてみることにしました。



「や、やあ」


「ふふ〜んふ〜ん」


「あ、あのさ。ちょっといいかな?」


「ふ〜んふふ〜ん」



熊はわきの声が聞こえないのか、シャボン玉に夢中なのか、こちらをちらとも見ません。無視されたと思ったわきは、さっきより大きな声で話しかけました。



「おいってば!」


「うるせぇ!」



突然の大声にわきはびくっと少し飛び上がりました。熊がゆっくりと立ち上がり、わきに向き直りました。さっきのカナイほどではありませんが、わきと比べるとやはりずいぶんな大きさです。

さっきは座っていたために見えませんでしたが、よく見ると、なんだかあちらこちら傷痕だらけです。



「大事な『仕事』の邪魔しやがって。なんだあお前ぇ...にゃんころがこんなところで何してやがる」


「ごめん、邪魔するつもりはなかったんだ。ちょっと聞きたいことがあって」


わきは、おっかなびっくりたずねました。


「聞きたいことだと…?いいぜ。言ってみな」


そう言うと熊はまた、シャボン玉を飛ばしはじめました。


「おいら、『虹のむすびて』ってやつを探してるんだ。どこにいるかとか、名前とか…何か知らないか?」


(仕事と言う以上、この熊はこちらの世界の住人だろう)そう思ったわきは、目的に一歩近づいたのではないかと期待に胸を膨らませました。しかし、返ってきた反応は予想とは違ったものでした。


「何だと...?お前ぇ、うちの妹に何の用だ。まさか、よからんことでも考えてるんじゃねえだろうな...?」


熊の声には明らかな怒りが感じられました。もともと鋭かった眼に怒りの火が灯ったかと思うと、ただでさえ大きな熊の体がさらに大きく膨らみます。


「い、妹!?ちょっと待てよ!おいら、ついさっきこっちに来たばっかで、誰が誰かなんてわかんないよ!」


わきは、熊が何をそんなに怒っているのかさっぱりわかりませんでしたが、ただ事ではないようすに慌てて言いました。


「いい度胸だ。お前ぇ...ただで済むとおもうなよ...?」


しかしそれが聞こえていないのか、熊はじりじりとわきへ詰め寄ってきます。相手がなにか知っている以上、何も手掛かりを得ることがないまま逃げるわけにはいきません。わきは思わず身構えます。

その時でした。



「おーい!おにいちゃーーーん!」



どこか遠くから、誰かの可愛らしい声が聞こえました。


すると、さっきまであんなに怒っていた熊が、その声が聞こえた途端に大人しくなったばかりか、吊り上がっていた目尻もみるみる下がり、表情も優しく綻んでいきます。

そして、何かを探すように辺りをキョロキョロと見回すと、ある方角でその目が釘付けになりました。



「おお!クゥ!クゥじゃないか!」



わきもつられて同じ方向を見ると、遠く坂の上に、小さく誰かが見えました。その誰かはしきりにぴょこぴょこ動いたあと、こちらに向かってやってきます。

わきはひとまず襲われずにすんだことにほっとしながら、熊と誰かを交互に見ました。


その誰かが、最初にいた場所とわきたちが今いる場所の中程に差しかかったころ、ようやくわきにもその誰かの姿がはっきりと見えてきました。それは、こぐまのようでした。

こぐまは文字どおり小さな体を一生懸命に動かして、とてとてと駆けてきます。しかし、その速度はわきの小走りほどしかありません。



「「あっ!」」



わきと熊が同時に声をあげました。というのも、『クゥ』と呼ばれたこぐまが、なにかに足を取られて転んでしまったからです。熊が駆け寄ろうとしましたが、こぐまはすぐに立ち上がりました。



「えへへ。転んじゃった」



そして、ようやくわきたちの元へたどり着きました。そして走ってきたままの勢いで、熊へ抱きつきました。



「お兄ちゃん!」


「おう。久しぶりだな」


熊はそう言ってクゥをそっと抱きしめました。わきはそのようすを少し離れて見つめていました。それに気づいたこぐまが、こちらへ向き直ります。



「あら私ったら、挨拶もしないで。わたしは『クゥ』と言います。こっちは兄の『ダディズリー』よろしくね」


そう言ってわきへ行儀よくお辞儀しました。ブラウンの毛並みは兄熊と同じですが、耳の間にはブロンドのさらさらとした髪がなびいており、肩から双眼鏡をさげています。



(お兄ちゃん?ってことは、この子が『虹のむすびて』なのか?)


「ところでお兄ちゃん、この猫様はお友だち?」


クゥはわきの周りをぴょんぴょこまわりながらまじまじと観察をしています。しっぽの感触を確かめたり、耳の三角形の大きさを計ったり、今は『バンザイ』させたわきの脇あたりを、双眼鏡越しに熱心に見つめていました。



「ああ、そうだった!このにゃんころの野郎、お前を探してるとかなんとか言っててな。とっちめてやろうとしてたのよ」


「なんで?」


「なんでってお前ぇ…こいつがもし悪いやつなら、妹に近づけるわけにはいかねえじゃねえか!」


「またそうやって相手を困らせてたのね!?」


「またとはなんだ、またとは。俺はお前ぇのことが心配で…」



突然始まった兄妹喧嘩に、わきはどうしていいかわからず、おろおろすることしかできませんでした。



「なあ…」


「だいだい!お兄ちゃんはいっつもそうなのよ!ふらっとどこかに行ったと思ったら!」


「なあってば…」


「そ、それは言わねえ約束だろう!俺だって仕事じゃなけりゃあお前ぇとゆっくり!」


「お、おいってば!」


「うるせぇ!」

「うるさいわね!」



今度はどちらからも叱られてしまいました。ダディズリーは『ふんっ』と鼻を鳴らし、クゥは自分の口から出た言葉にはっとした様子でした。



「あ、ごめんなさい。つい」


「いや、そんなことは別にいいよ。それよりいろいろ教えて欲しいんだ。おいら、こっちに来たばっかりでわからないことだらけなんだよ」



わきは『おひるねのくに』にやってきた経緯と理由を簡単に説明しました。それを、ダディズリーはシャボン玉をふかしながら、クゥはしきりに相槌をうちながら聞いていました。


特にクゥはわきのいた世界が気になるようで、時折、「まってまって」と質問を投げかけてきては、わきの話を遮ります。わきがそれに答えながら話をすすめたため、終わるころには、あたりはオレンジ色に染まっていました。



「願いを叶えに命がけで渦を越えて…なるほどな。お前ぇが怪しいやつじゃねえってのはよくわかった」


ダディズリーが口を開きました。わきは(だから最初から話を聞いてくれれば)と思いましたが、すんでのところでその言葉を飲み込みました。


「確かに、お前ぇの探す『虹の結び手』ってえのは、俺の妹、クゥのことだ。そして俺はダディズリー。『虹の選り手』をやっている。さっきも言ったが、俺たちは兄妹なのさ」


「ずっと気になってたんだけど、その『虹のなんちゃら』ってのは、いったい何なんだ?」


わきは聞きました。


「今度はこっちが教えてやる番だな。俺たちやカナイ、お前ぇが探してる『メル』ってやつは、みな『虹の描き手』ってやつよ」


「虹のえがきて…」


横で説明を聞いていたクゥが、話を繋ぎます。


「そう。あなたたちが暮らす世界、わたし達は『虹の落つ場所』とか、『願いの行く末』とか呼んだりしているんだけど、そこへかける虹を、わたしたちで育てて送り出すの」


「虹を育てるだって?空にかかるあの虹を?」


「そうよ。凄いでしょ!」


「ああ…」


わきはこちらに来てから驚くことばかりです。


「お兄ちゃん『虹の選り手』が、『虹の担い手』を見つけるの。それを『虹の継ぐ手』と結び付けるのが『虹の結び手』。わたしの仕事なの」


「なるほど…。わかるような…わかんないような」


聞き慣れない言葉ばかりの兄妹の話に、わきは難しい顔をしています。そんなようすを見てダディズリーが更に詳しく教えてくれました。


「虹を育てるには、その『虹の担い手』がいないと駄目なんだ。担い手は交代制だから、不足が出ないように常に探してる。これでな」


ダディズリーはそう言って、シャボン玉を一つ、『ぷうっ』と吹き出しました。


「シャボン玉?」


「やっぱり見えているか。これは、ただのシャボン玉じゃあない。担い手の素質がないと見ることもできやしないんだ。素質のあるものとないものをシャボン玉で選定する。俺が『選り手』と言われるのはそのためだ」


シャボン玉越しに夕陽がゆらゆら揺れています。


「これに触れると中に入れる。そうやって中に担い手候補が入ったシャボン玉をクゥが見つけて、メルの元へ案内する。『結び手』と呼ばれる所以だな」


「へえ。面白いんだな。でもそれが見えたからって、みんながみんな触るとも限らないだろ?そんなときはどうするんだよ」


「俺たちの世界に来たやつらは、最初に『虹の誘い』からもろもろ説明を受けるんだよ。あらかじめ伝えてあるから、仮に「担い手になんかなりたくねえ」ってやつは、わざわざ触りはしねえだろう。まあ、そんなやつはいねえだろうがな」


「どうして?」


「それは『虹の担い手』になることが、すなわち『願いを叶える』ことに繋がるからさ。誰だって叶えてぇ願いの一つくらいあるもんだろう」


わきはダディズリーの一言にはっとしました。


「願いが叶う?担い手になると、『メル』ってやつに願いを聞いてもらえるのか!?」


「正確にはそうじゃねえ」


「なんだ…」


「それなりの『対価』が必要ってこった」


「なんだよ、それ」


「これ以上は、メルに聞く方が早いだろう。どれ…クゥにメルのいる場所へ案内してもらうといい」


「え?いいのか?」


「どのみち、クゥはこれから行くところだろうからな。それに、メルのいる場所はクゥじゃないとわからん。俺ですら会おうと思って会えるもんでもないんだ」


そう言って、ダディズリーはクゥを見やりました。するとクゥは、腰に手をあてて、得意そうに言いました。


「そうよ。わたしが見つけないとね」


わきは思わず訊ねました。


「どうやって見つけるんだ?」


「それはね。わたしたち『虹の描き手』の体からは溢れた夢が光になってにじんでるんだけど、わたしにはそれがはっきり見えるの。たとえ遠くにいたとしても、それは空へと昇る光の柱となって見えるから。それを双眼鏡でね」


そう言って、クゥは肩からさげた双眼鏡をポンポンと肉球で叩きました。


「なるほど。そうやって兄ちゃんを見つけたんだな」


「えへへ」


クゥは照れくさそうです。そのようすを見ていたダディズリーが、クゥの頭に手を置いて言いました。


「クゥ、俺のところに来たのは、ただ俺を見つけたからってだけじゃあないんだろう?」


「あら、お兄ちゃんも気づいたの?」


「いや、そういうわけじゃねえが、いつもなら俺のところに来るのはもう少し先だろう。わざわざ来た理由は、こいつじゃあないのかってな?」


ダディズリーはそう言って、わきをちらっと見やりました。わきは居心地悪そうに言いました。


「なんだよ。俺がなんだって?」


「わき、実はね…あなたも『虹の描き手』みたいな光を放っているの…。わたし達に比べればほんの微かなものだけど…でも確かに、あなたからは夢が溢れてる」


クゥのまん丸の瞳が、まっすぐわきを見据えました。ダディズリーが口を開きます。


「それにな。お前ぇの話を聞いて思ったんだが、何やら不思議な方法を使ってではあるが、ここはそうほいほいと来れる場所じゃあないんだよ。『虹の描き手』のたった一人を除いてな…。まあ、それはお前ぇじゃあねえが、お前ぇもただの猫なんかじゃねえってことだろう」


「…」


わきはダディズリーの言ったことを理解しようと一生懸命考えました。でも、何がどうすればそうなるのか、さっぱり見当がつきません。ダディズリーが続けて言いました。


「とにかくメルと会ってみるといい。どのみち、俺たちじゃあ手に負えんしな」


そう言ってダディズリーは、シャボン玉の道具をしまいました。


「それじゃあ、行きましょうか。メルも日が暮れるころにはどこかに腰を落ち着けるだろうから、見つけやすいと思うわ」


「ああ。助かるよ」


「じゃあまたね。お兄ちゃん!」


「ああ、気をつけてな」


ダディズリーは大きな腕を振りました。


「ありがとう。ダディズリー」


「おう。妹にちょっかい出すんじゃねえぞ?」


「出さないよ!」



ダディズリーに見送られながら、クゥとわきは歩き出しました。わきはいよいよユニコーンに会えるのだと期待に胸が高鳴りましたが、同時に不安もありました。

ただ夢を叶えたくてやって来ただけなのに、気付かないうちに『何か大きな流れ』のようなものにのみ込まれているんじゃないか。

わきはそんな気がしてなりませんでした。


遠く雲の海に太陽が沈んでいるのか、空を見上げれば、徐々に藍色に染まる空にはキラキラと星が輝いていました。

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