第28話 夢の中

 カールはベッドの上にいた。身体に痛みは無い。目を開けるとそこには見慣れた長年の煤で黒ずんだ天井があった。腕を動かしてみると、古いベッドが軋む。外からはヘルメサンドの冒険者街の喧噪が聞こえてくる。部屋は暖かく、窓から吹き込んで来る風は初夏に匂いがした。


 (街に戻ったのか?)


 カールの最後の記憶はカールの最後の記憶はコロック鳥と共に崖から落下し、地面に叩き付けられたこと。あれは春になったばかりの頃だった。


 (随分と長い間、意識を失っていたのか)


 そうなると、気がかりは命がけて手に入れた宝石蝶が春の舞踏会に間に合ったかどうかが気になる。


 (モナたちが宝石をボラリッチリに届けてくれていればいいのだけれどな)


 首を動かそうとすると、またベッドがギシギシとなる。足を延ばすと、あっさりとベッドの木枠にぶつかった。新人の冒険者ならともかく、貴族になったカールを寝かせるには粗末な寝台だ。

 ふと、部屋の中に気配を感じ、カールはその気配の正体を確かめようと身体を起こした。ベッドの横に、使い古されて脚の高さがずれた粗末な椅子が一脚置かれており、そこに黒髪の少女が座っている。最初はその少女がミアミに思えた。アブロテンの戦いの後、同じ様にカールに横で本を読んでいたことがあったからだ。しかしよく見ればそれはミアミではない。カールがもっと知る人物だった。


 「ホルン?」

 

 そこにいたのは、カールが十年間一緒に冒険をした仲間、今はヘルメサンドの実質的な統治者であるホルン・ヘランだった。真っすぐな黒髪に意思の強そうな黒い瞳。一見すると少年と勘違いしてしまいそうな女性らしさをあまり感じさせない小柄な身体。間違いなくホルンだ。だが、目の前の少女はカールの知るホルンとは違った。正確には、二年前に別れた時よりも若いホルンがそこにいた。今のホルンはカールと同じ二十代半ば過ぎ。伸ばし続けた髪は背中の辺りまで届き、子供のような外見だが肌は冒険と年月の跡が見られるはずだった。だが、今カールの目の前にいるホルンは、まだ少年と少女の境目にいた十代半ばの姿。髪は肩の辺りで切りそろえられ、全体的に幼かった。


 「どうしてここに?」


 カールの問いかけにホルンは何も答えなかった。

 カールはあらためて部屋の中を見渡した。良く知っている場所だ。そこは、カールとホルンが一年目の冬を越す為に必死にお金を貯めて借りた最初の個室だった。暖房を使う金銭的な余裕は無かったため、二人で同じベッドに寝てお互いを暖め合ったものだ。もちろん、カールはその頃から男性機能が死んでいたので、体温を共有する以外はしていない。

 カールとホルンはちょっとしたいざこざや他の女性冒険者がパーティに加入したこともあり、二年目の冬は別々の部屋を借りている。この部屋で暮らしたのは十年以上昔、そして目の前にいるホルンも十年以上前の姿。そこから導き出される結論は一つだった。


 「やっぱり俺は死んだのか」


 カールは自分の身体を見た。傷一つない身体は、二十代の今の身体にも見えたし、ホルンと同じ十代の頃にも見えた。自分という存在が曖昧なのは肉体を失ったからだろうか。

 ホルンはカールをじっと見たまま何も言わない。


 「人間、死ぬ前に親しい人が迎えに来ると聞いたことがある。俺の場合は君か」

 

 ホルンはやはり何も答えない。


 「でも変だよな。ホルンはまだ生きていて、歳を取っている。そうすると、これは幻想か」


 どうして生きているホルンの幻想を死んだカールが見るのか。


 「やっぱり君が俺の心残りだったんだな」


 二年前、カールはホルンの求婚を断った。彼女は、今のままのカールでいいと言ってくれた。男女という意味で人を愛する事は知らなかったが、家族としてホルンの事を大切に思っていた。それでも、カールはホルンの側に居続けることが出来なかった。自分では彼女の希望を叶えられない事を知っていたし、その上で傍にいつづける自信が無かった。それは、父シェーンの呪縛だった。父の様に女性を不幸にしたくない、その思いが、カールをホルンから離れさせた。

 だが、ホルンから離れたことでカールの中の何かが壊れてしまった。泣き崩れるホルンを置いて島を出たことで、女性を「不幸にする」父と同じ道を自分も歩んでいると感じ、運命に立ち向かえなかった自身の無力さを恨んだ。王都での享楽的な生活で少しは傷も癒えたが、島を離れてからのカールは常にむなしさを感じていた。


 「なあホルン、俺は……」

 「カールさん!」


 カールがホルンに語りかけようとした時、突然部屋の扉が開き、見慣れた金髪の少女が入ってきた。少女は癖の強い金髪を振り回しながら、カールの寝ているベッドまでずかずかと近付いてくる。


 「モナ?」

 「そうです。あなたの運命の相手のモナ・エルビーです。カールさん、いつまで寝ているんですか?」

 「どうして君までここに? まさか死んでしまったのか?」

 「いいえ。私は生きてますよ。傷一つ無いですが、鳥の糞まみれで待っているんです」

 「待つ?」

 「そうです。私も、ミアミも、ノーラも、アニーもみんな待ってます。カールさんが帰ってくるのを」


 モナはそう言うと、カールの腕を掴みベッドの上から引きずり下ろした。そのままモナに身を任せていると、床に落ちそうだったので、カールは慌てて立ち上がる。


 「さあ、行きましょう。急いでください」

 

 そのまま部屋からカールを連れ出そうとするモナの手をカールは振りほどいた。


 「いや、俺はここでいいよ」

 「はあ? 何を言っているんですか?」

 「迎えなら、もうホルンが来てくれた。俺はここでゆっくりすることにするよ」


 多分、それは死を意味している。だがそれも悪くないと思えた。このままホルンの幻と共に人生を終える。そうすれば、ふがいない自分自身や父親の血、そういった呪いに悩まされる事は無い。


 「カールさん、本当にそれでいいんですか?」

 「どうだろうね。それも悪くないって思えるんだ。もう十分やれることはやったし、今ここで終わってもいいかなってね」

 「何達観してるんですか!」


 モナが床を思いっきり踏みつけた。この宿は安宿なんだから床が抜けるぞ、幻の中だと分かっていたがカールはそう言いそうになる。


 「ホルン様の事も、私の事も、お父さんの事も、何一つ解決していないじゃないですか。それでいいんですか? 良くないですよね。ちゃんと全部に決着をつけて、死ぬのはそれからにしてください。そもそもカールさんが死んだら、私たちがホルン様に殺されますよ!?」


 カールの護衛に失敗したとホルンが聞いたら、きっと怒り狂ってくれるだろう。実際にモナたちを殺すことはないだろうが、冒険者として引退せざるを得ない様な、あるいは不思議島から追放するくらいはしそうだった。


 「だから、とりあえず生き返ってください。私たちのために。そして、本物のホルン様のために」


 そう言ってモナはベッド横の椅子に座ったままの若いホルンを見た。ホルンはただ微笑んでいた。


 「らしくないな」

 「は? 何がですか。私はいつもこんな感じです」

 「モナの事じゃない。ホルンだよ。本物のホルンならモナの事を叩き出すか、そうでなければ一緒になって俺を部屋から引きずり出しただろうね。だから、ここにいるホルンは偽物だ。たぶん俺自身の、言い訳のための」


 ホルンの幻は、やはり何も言わなかった。


 「そうだな。そうだよな」


 カールは一度目を閉じると、大きく深呼吸をした。自分の身体に意識を集中させる。すると今まで感じていなかった痛みを全身に感じた。両腕が痛い。多分、右手は骨が折れている。両足も痛い。どこかがざっくりと切れているようだ。そして頭が割れる様に痛み出した。塔五階分の高さから落ちたのだ。両手両足が残っているだけマシというものだ。


 「カールさん、早くしてください。私の治癒の奇跡もそんなに長くは保ちません。最後に必要なのはカールさん自信の気合いです。根性を入れてください。さあ、早く!」

 「わかっている。今戻るよ」

 

 モナはカールの手を引いて部屋から出ようとした。カールは扉の前で一度だけ部屋の中二振り返り、ホルンを見た。


 「後で、ちゃんと会いに行くから」

 「うん、待ってる」

 

 そう言うと、ホルンの幻が消えた。部屋が消え、最後にモナも、カール自身も消えた。辺りが真っ白になり、やがて広がった光がカールの真ん中目がけて収束した。


 「カールさん!? 良かった気がついたんですね」


 目を開けると、目の前にモナの顔があった。その向うには背の高い針葉樹が見える。周囲は肌寒く、背中越しに感じる大地は冷たい。


 「……俺はどれくらい意識を失っていた」

 「ほんの十分ほどですよ。でも良かった。もう目覚めないかと思いました」

 「コロック鳥は?」


 カールは身体の痛みを堪えながら周囲を見渡した。しかし、どこにも巨大な鳥の怪物の遺体は無かった。


 「アレなら地面を這って逃げて行きました。飛べないほど重傷だったのでしばらくは戻ってこないと思います」


 少し離れた所から周囲を警戒しているノーラの声がした。


 「カビル卿、もし立てるのなら早くここから立ち去りましょう。日が暮れる前には森を抜けてキャンプ地に辿り着きましょう」


 アニーが心配そうにカールの顔を覗き込みながら言った。


 「ああ、そうだな。ミアミは?」

 「私もいる。宝石もちゃんと無事」

 「よかった」


 カールは上半身を起こすと改めて自分の身体を見た。右手は骨折しており添え木が当てられている。両足は取りあえずは動くが、相当な重傷だったららしく大量の血がズボンに着いていた。


 「モナが治療してくれたのか?」 

 「はい。がんばりました」


 そう笑顔で笑うモナの右腕はむき出しで、大きな火傷が残ったままだった。


 「その腕は」

 「ああ」


 今更ながら自分のやけど跡を隠していないことに気がついたモナはアニーのものらしいマントを上から羽織り身体を隠した。


 「えっと、死にそうなカールさんに治癒の奇跡をありったけ使ったので私は後回しです」

 「すまないな」


 火傷の治療は時間が経つ程魔法でも治り難くなる。最悪の場合、火傷の跡がモナの半身に残ることになる。


 「まあ、責任は取ってもらいます。でもよかったです。アブロテンで奇麗だった頃の私の身体を見てもらっていて」

 「……いや、あれは」

 「おっほん!」


 わざとらしい咳払いをアニーがする。


 「カビル卿、動けるのなら早く。せっかくコロック鳥を撃退したのに、野犬や狼に襲われて全滅したのでは笑えませんので」

 「わかった……」


 カールは痛みをこらえその場に立ち上がり、アニーに肩を借りながらできるだけ急いで岩山から離れ輝きの湖のキャンプ地に戻った。

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