第26話 宝石蝶を求めて(5)
外に出るには広間を通過しなければならない。しかし広間には大蜘蛛がいる。行きは火を焚く事で蜘蛛を近づけないで済んだが、今はたいまつを用意している余裕はなかった。洞窟の奥からはゆっくりではあるが確実にコロック鳥の足音が地鳴りの様に響いてきていた。
「一気に駆け抜けるぞ」
入口で躊躇してたノーラたちを追い越し、カールは大蜘蛛が待ち構えている広間に入った。目指す場所は広間を抜けた先にある洞窟。そしてその先にある岩山の外だ。
カールに続いて、他の四人も駆け足で広間に入った。五人の頭の上で、薄いオレンジ色をした五匹の蜘蛛が侵入者に気がつく。
「シャァー!!」
前回は聞こえなかった威嚇音が頭上の蜘蛛たちから発せられた。走って広間に入ったことで蜘蛛たちを刺激してしまったらしい。蜘蛛たちは巣の中から出て来るとカールたち目がけてヌメヌメと光る白い塊を吐き出した。
「カール様、蜘蛛の糸が来ます! 右上前方!!」
ノーラが叫んだ。カールは少しだけ視線を右上に上げ、オレンジ色の影を確認すると素早く真横にステップを踏む。次の瞬間、さきほどまでカールがいた位置に塊になった蜘蛛の糸がべちゃっと音を立てて張り付いた。カールにはその糸に見覚えがあった。
「獲物の動きを止める粘着性の糸だ。まともに食らったら動けなくなるが、連射は出来ないし見ていれば充分に避けられる。あと四匹分、一度集まって円陣を」
五人は一度広間の中央に集まり、蜘蛛たちの攻撃に備えた。下手に逃げようとして誰かが糸に捕まるよりも、回数の上限分避けてから逃げ出した方がいいと判断したのだ。
天井に張られた蜘蛛の巣から別の二匹が顔を出し、アニーに向けて巣を放った。
「大丈夫、よく見れば避けられる」
アニーは軽い足取りで続けてかわす。目標を外れた蜘蛛の巣はべちゃっべちゃ音を立てて地面に広がった。
「後、二匹です。一つはこちらに。モナ、次はあなたです」
ノーラが別の蜘蛛の糸を避けながらモナに警告した。
「髪の毛に気をつけて」
「わかってるって! えいっ」
モナは手にしていたショートソードを投げつけ、自分に向けて飛ばされた巣を撃ち落としていた。
「へへん、どんなもんです!」
「よし、これで五匹分。しばらくはあの糸を投げることはできないはずだ。今のうちに」
カールの期待通り、四人の冒険者はきちんと蜘蛛の糸に対処することができた。もし蜘蛛が地上に降りて来てもアニーとカールで時間をかけずに対処できるし、普通の糸を吐かれても身体に纏わり付くが動きを封じられる程ではない。洞窟の奥から聞こえてくるコロック鳥の足音はさらに大きくなっているが、これならば追いつかれる前に洞窟から抜け出せそうだった。助かりそうだ、五人がそう思った時、油断が生まれた。
「あれ、うわあ」
広間を抜けようと走り出したモナが、突然地面に倒れた。先ほどアニーが避けて地面にへばり着いていた蜘蛛の巣を誤って踏んでしまったのだ。蜘蛛の糸には恐ろしい粘性があり、モナは右半身を下に倒れたまま動けなくなる。モナは左手を糸の外にのばし、何とか粘着する糸から身体を話そうとするが、もがく度に白い糸が身体にまと割り着く。さらにモナの長い髪にべったり蜘蛛の糸が付着していた。
「馬鹿! あなたは何をしてるの」
アニーが駆け寄り、すぐにモナに背中を向けて剣を構えた。蜘蛛の攻撃からモナを守るためだ。
「モナ、口に糸が着かないように注意してください。息が出来なくなって窒息します。ミアミ、どうすれば外せますか?」
「ちょっと待って」
ノーラとミアミもモナに駆け寄り、ミアミは糸の一部を指で触りその性質を確認していた。そうしている間にも、奥の洞窟からはコロック鳥の足音が近づいて来た。
「ごめん、みんな。私に構わず逃げて」
「そんな事、出来るわけがないでしょ」
「でも!」
その時、一匹の大蜘蛛が糸を天井から吊るし、ターザンロープの様にモナたち目がけて襲いかかってきた。ちょうどアニーからは死角になる方向からだ。
「危ない!」
カールは蜘蛛とモナたちの間に飛び込み、剣を一閃させ薄オレンジ色の大蜘蛛を両断した。蜘蛛は勢いがついたまま、二つに切り裂かれ、カールの近くの地面に激突しオレンジ色の体液を辺りにぶちまける。
「カビル卿? すみません」
「気をつけろ。直接襲ってくるつもりらしい」
カールはモナを守るためにアニーの反対側に立った。
「カールさんまで? 本当に、私の事は置いて行ってください。もうすぐコロック鳥も来るんですよ」
「モナの事は私たちが何とかします。カビル卿は先に洞窟から出てください」
蜘蛛を警戒するカールにモナとアニーが逃げる様悲痛な声を上げる。
「君たちは大事な事を忘れているようだけど、宝石蝶の宝石はモナの背負い袋に入っているんだよ」
それを聞いたノーラが、ナイフでモナの背負い袋を切ろうとする。モナとモナの背負い袋は糸に囚われていたが、袋を切り裂いて中身を出す事は出来そうだった。カールは慌ててノーラの手を取って止める。
「いい判断だけど、それは別の、本当に危険な時に取っておいてくれ。今はまだそこまでする必要は無い」
「しかし、」
「火よ」
ノーラが反論しようとした時、突然ミアミが叫んだ。
「昔、これと似た物を作っている魔法使いがいた。刃物では切れず、引っ張っても、叩いてもダメ。でも火をつけたらあっさりと燃えた。この糸もきっと同じはず」
「わかりました。火を用意します」
ノーラが慌てて火打石を取り出す。
「みんな急いで!」
アニーが大蜘蛛を相手に剣を振るっていた。蜘蛛たちは糸を使って自在に攻撃の軌道を変えており掴みどころがない。飛びかかるように見せかけ、直前で糸を天井に放って逃げたり、空中ブランコの様に二匹の蜘蛛が巧みに連携し攻撃を加えたりしてきた。アニーは何とかそれに対応しようとするが、一人と四匹では限界がある上、アニーの剣は天井にいる蜘蛛に届かない。何か飛び道具が必要だった。
「ノーラ、モナの事はミアミに任せて私を手伝ってくれ」
「!? カール様?」
「ノーラ、私に」
ミアミはノーラの手から火打石とたいまつを奪う様に受け取った。
カールはとっさに状況を飲み込めないノーラに向かい合う。
「君の腕なら目を瞑っていても動かない的に矢を当てられるな」
「は、はい。でも生きている蜘蛛は……」
「大丈夫だ。今から私が壁や天井に目印を付ける。ノーラは目を閉じて、私が合図したらそこに向かって矢を放ってくれればいい。できるな」
「わかりました。やってみます」
「頼むよ」
カールはそう言うと、先ほど倒した大蜘蛛の遺体に近づき、その剣でその足を一本切り落とした。それから、モナを襲おうとしてアニーに追い払われている蜘蛛たちの動きを観察する。
「よし、まずそこ」
カールは切り落とした蜘蛛の足を掴むと、広間の壁目がけて投げつけた。足は回転しながら飛んで行き、岩肌にぶつかる。足にのこっていたオレンジ色の体液がインクを散らした様に洞窟の壁に印をつけた。そのオレンジは大蜘蛛動揺、薄らとしていたが暗闇の中でも確認することができた。
「ノーラ、最初はあそこだ。目を閉じて、私が合図したら矢を」
「わかりました!」
カールの意図を理解したノーラは、弓に矢をつがえると、オレンジ色の印が着いた壁に向かって矢を構え、目を閉じた。カールは糸を使って空中を自在に飛び回る蜘蛛の動きを追う。一匹の蜘蛛が天井から吊るした糸を使ってアニーに襲いかかろうとしていた。その軌道は大きな振り子のようだ。カールは心の中でタイミングを計る。
「今!」
カールの合図でノーラが矢を放った。その矢はオレンジ色の印が着いた壁に真っすぐに飛び、ちょうどその空間を放物線を描いて通過していた蜘蛛に吸い込まれる様に命中した。
「まず一匹! ノーラ、次の目標はあっちだ」
カールはまた別の蜘蛛の足を手に取り、今度は天井に向かって投げつける。ノーラは新しい印の位置を確認すると再び弓を構え目を閉じた。ノーラの手は震え、大粒の汗が顔や首に浮き出ていた。目を瞑っているとはいえ、生き物を射殺すという行為を認識してしまい大きな精神的負担があるようだ。
(このやり方は何度も続けられないか。だがあと三匹だ)
「さあ蜘蛛ども、こっちに来い」
カールは地面に置かれていたミアミが使っていたカンテラを手に取ると、それを大きく振って蜘蛛の注意を惹いた。一匹の蜘蛛がカールに気がつき、襲いかかろうと天井を移動してきた。カールが数歩横にずれると、カサカサと岩の天井を進んでいた蜘蛛も進路を変える。その先には、先ほどカールがつけた別の印があった。
「ノーラ、今!」
目を瞑ったままのノーラが再び矢を放った。タイミングのぴったり合ったその矢は、天井を移動していた蜘蛛の胴体に突き刺さり、力を失った蜘蛛が地面に落下する。
「いやあっ!」
カールたちから離れた所で、アニーが別の大蜘蛛を切り伏せた。アニーの斬撃は蜘蛛の頭部に深手を負わせる。大蜘蛛は糸を吐いて逃げようとしたが、アニーは糸を剣で払うと蜘蛛の傷口を思いっきりブーツで踏みつけた。ぐちゃっと嫌な音がして、蜘蛛の頭が潰れオレンジ色の体液が辺りに広がる。
「あと一匹です」
「よし、モナは?」
「後少しで剥がれる」
カールが確認すると、神官服の袖を噛んだモナが苦痛に顔を歪ませていた。ミアミがモナの右半身ごと蜘蛛の糸をたいまつの火で焼いていたのだ。火が広がらないようにはしていたが、特に糸の粘液が着いていたモナの肩や腕はかなりひどい火傷を負っているようだった。粘着性の糸が着いていた髪は既にばっさりと切り落とされていた。
「カール、モナは大丈夫だから」
「任せた。ノーラ、アニー。あと一匹をやるぞ」
カールは次の足を持ち、印をつける場所を探した。最後の一匹は糸を吐く力をなくしたのか地面に降り立ち、ちょうどカールたちの明かりが届くギリギリの距離で牙をむいて威嚇をしていた。
「下にいるのなら、このまま」
「待て!」
大蜘蛛に切り掛かろうとしたアニーの肩を、カールが掴む。大蜘蛛の後ろに巨大な影が現れたのだ。その黒い影は鋭い爪の着いた足で大蜘蛛を踏みつぶした。
「キィエエエエッ」
黒い影がさらに一歩前進し、カールたちの明かをその身に受けた。それは全身の半分近くに火傷を追ったコロック鳥だった。怪物は憎悪にまみれた目でカールたちを睨みつけていた。
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