第25話 宝石蝶を求めて(4)

 空洞の上部で一羽の巨大な鳥が旋回していた。逆行で細部まではっきりとは見えなかったが、その巨大な鷹のような輪郭は間違いなくコロック鳥だった。


 「カビル卿! こちらです」


 森を抜けようと走っていたカールに、巨大なキノコの傘の下にいたアニーが声をかけた。そこには剣を抜いたアニーと山刀を持ったノーラ、それに髪を濡らしたモナが服を抱えながら身を隠していた。水浴びの途中だったらしく、モナは下着を身につける時間もなかったらしく、白い肌を冷たい空洞の空気にさらし青白くしていた。


 「無事だったか。怪我は無いな」


 カールは三人に合流し、三人に怪我がないことを確認する。

 

 「カールさん、そんなにジロジロと見ないでくださいよ」


 緊張感無く、モナが顔を赤らめる。


 「モナ、早く服を着て。これから戦闘になるかもしれない」

 「私の下着、まだ鳥の糞まみれなんだけど」

 「なら神官服だけでいいでしょ。とにかくその目立つ頭を下げて」

 

 アニーが無理矢理モナの頭を抑え、姿勢を低くさせる。その拍子にモナが持っていた服が地面に落ち、豊かな胸があらわになった。だが、モナは恥じらうより先にキノコの傘越しにコロック鳥の姿を見上げた。


 「多分、私が見つかったんだよね。川で水浴びをしていたから」

 「すみません。私も油断していました。水浴びよりも脱出を優先させるべきだったかもしれません。あのコロック鳥の目は少なくともモナを捉えています」

 「キノコに隠れていても?」

 「動物は人間よりずっと目がいいんです」


 ノーラの言う通り、旋回するコロック鳥の中心はカールたちが身を隠しているキノコの森だった。だが一向に降下して攻撃を仕掛けてくる気配はない。


 「攻撃してこないのはなぜだ?」

 「あそらくですが、モナ以外の位置を把握できていないからです。昨日、私たちは五人でしたから」

 「このまま隠れてやり過ごすわけにはいかないか」

 「どうでしょう。今はまだ様子を見ていますが、いずれ仕掛けてくると思います。その前に先手を取って行動した方がいいと思います」

 「一戦交えますか?」


 アニーは剣を力強く握りしめながら瞳に闘志を溢れさせた。頼もしくはあったが、昨日の戦いでは一撃で行動不能にされていることを考えると、まだまだアニーはコロック鳥級の怪物と戦うには経験不足だ。


 「いや、あちらは空でこちらは地上。飛び道具も無い我々に勝ち目は無い。宝石も手に入ったので無理に戦う必要もない。ここから逃げ出そう」

 「カール様のおっしゃる通りだと思います。私たちが入ってきた洞窟まで逃げれば、コロック鳥も追ってこないかと思います」


 ノーラがカールの意見に同意し、アニーもやや不満そうであったが頷いた。その横でモナがゆっくりと素肌の上に神官服の袖を通そうとしていた。そんなモナにアニーが不満をぶつける。


 「モナ、さっさと服を着て」

 「……この服、直接肌の上に着るにはごわごわし過ぎ。というか洗えなかった汚れが服につくんだけど」

 「水浴びならここから出た後にいくらでもすればいいでしょ」

 「私たち、あの鳥に殺されるかもしれないんでしょ? 死ぬ時が糞まみれって悲しくならない?」

 「なら、意地でも生き残ることね」

 「もちろんそのつもり。私とカールさんとの明るい未来の為にね!」

 「ずいぶんとのんびりね」


 後ろのキノコの茂みから、投石器を持ったミアミが現れた。パーティ唯一のまともな飛び道具だが、ミアミの技量では飛んでいる目標に命中させることは難しいし、そもそも遥か上空を飛行するコロック鳥に届くわけもなかった。

 

 「ミアミ、宝石は?」

 「大丈夫。背負い袋の中。ところで、どうするの」

 「逃げる事にした。あれは私たちを見逃してくれそうにないからね」

 「そう。それが賢明だと思う」

 「ノーラ、行けそうか?」


 ノーラは身を隠しながらコロック鳥の様子を観察する。


 「あのコロック鳥、旋回を止めません。あれは猛禽類が獲物を探してる時の動きです。この洞窟に、あれだけの大きさの鳥が食べる様な動物はいないでしょうから、狙いはやはり私たちだと思います。おそらく、キノコの森から出た瞬間に襲いかかってくると思います」

 「厄介だな。洞窟の入口まで、全力で走っても、二分はかかる」

 「身を隠す場所はありませんし途中に川もあります。戦いは避けられませんね」

 「襲われるとしたら渡河中か。よし、では全員でまとまってキノコの森から出よう。できるだけコロック鳥を刺激しない様にゆっくりと歩いて、川を渡って、洞窟に逃げ込む。もし襲ってくるようなら、私とアニーで時間を稼ぐから、その間に他の三人は洞窟に逃げ込む。モナ、治癒の奇跡は後何回使える?」

 「二回です」

 

 昨日アニーを治療した分、まだ完全に使用回数が回復していない。


 「ノーラ、当てなくてもいい。もし出来たら弓でコロック鳥を牽制してくれ」

 「わかりました」


 出来る限りのことはします、とノーラは小声で言った。


 「ミアミは宝石を頼む。私に万が一の事があったら、それをホルンに渡してくれ。彼女は私の依頼人と知り合いだからきっと上手く手配をしてくれる」

 「私はカールを見捨てない。そんな事をしたらシェーンに怒られる」

 

 ミアミはそう言うと、背負い袋から宝石蝶の宝石が入った箱を取り出し、モナに渡した。


 「モナが持っていて。この中で一番戦闘向きじゃないから」

 「ミアミ、いつも言っているけど、私そういうの嫌だからね」


 モナは少し不機嫌そうにミアミから宝石の箱を受け取った。

 冒険者は常に万が一の事を想定している。モナ、ミアミ、アニー、ノーラの四人は良くパーティを組んでいると聞いていたので、彼女たちもその時の事を考えて話し合っていた。もし犠牲が避けられなくなった時、戦闘能力がある他の三人が敵を足止めし、モナが逃げる算段になっている。この四人の中では、治癒の奇跡が使えるモナが一番世の中の役に立つ。

 カールたちは装備を確認し、コロック鳥から逃げる用意をした。アニーはそのまま剣を握りしめ、ノーラは弓を手にした。モナは鳥の糞で汚れたワンピース状の下着に宝石の箱を包んで自分の背負い袋に入れ、カールも靴のひもを縛り直す。

 準備が終わると、モナとミアミが洞窟に入る時に使った魔法の明かりを灯したカンテラに布をかけ手にもった。布をかけたのは少しでもコロック鳥の注意をひかないためと、洞窟に入ったらすぐに明かりを使えるようにするためだ。

 準備が終わると、カールは全員の顔を見た。宝石は無事に手に入った。後は、この四人と共にヘルメサンドに戻るだけだ。ホルンから預かった四人の少女、そのだれ一人として欠けさせる分けにはいかない。


 「それじゃあ、行こうか」


 カールの合図と共に、五人は一斉に巨大なキノコの笠から出た。

 先頭はノーラとアニー、その後ろにミアミとモナが並び、最後尾はカールが務めた。五人はゆっくりと歩きながら空洞の中央を流れる川に向かった。先ほどモナが水浴びをしていたからか、岸の一部が水に濡れている。

 ノーラが上を注意しながら前進する。


 「まだ旋回を続けています」

 「このまま見逃してくれればいいのだけれど」


 キノコの森から川岸までは百メートルほど、ゆっくり歩いても一分程度の距離だ。上空のコロック鳥を警戒しながら、五人は何事も無く川岸に辿り着いた。


 「仕掛けてくるとしたらここか」

 「川の中は足場が安定しません。襲われたらとにかく対岸に急いでください。まず私が行きます。来たときと同じ、浅い所を進みますが滑りやすいので注意してください」


 ノーラは一度上空のコロック鳥を確認した後、川に入った。川幅は十メートルほど。浅い部分も多いのでそれほど時間を要しない。少し間隔を空けて、ミアミ、アニー、モナが続く。ノーラが渡り切ったところでカールも川に入ったが、その時空気の変化を感じた。肌にぴりっとした痺れを感じる。上を見上げると、コロック鳥がカールたち目がけて降下を始めたところだった。


 「敵襲、来るぞ」

 「みんな急いで洞窟に走って!」


 カールの声に他の四人が一斉に動き出した。まず既に対岸にいたノーラが牽制に矢を放った。矢は明後日の方向に飛んで行ったが、コロック鳥の注意をわずかに引きつけただけだった。

 コロック鳥の最初の狙いは川の中にいたミアミだった。攻撃に備えていたミアミは冷静に足を止めると、投石器を使って煙幕弾を空中に投げた。空中に黄色い煙が花のように開き、コロック鳥の視界から渡河中の冒険者の姿を消した。


 「今のうちに走ってください!」


 川の中にいた三人と、川に入ったばかりのカールは煙が上空にある内に川を渡りきろうと走りだした。その上空で煙に阻まれたコロック鳥は、降下を止めるべく翼を大きくはためかせた。


 「しまった、煙幕が」


 コロック鳥の意図は速度を殺して煙に突っ込まないようにすることだったのだが、結果的に発生した強風が黄色い煙を散らし、その下に隠されていた冒険者たちの姿を晒した。


 「牽制します。みんな急いで」


 ノーラがもう一度、矢を放つ。矢は偶然にももう一度降下しようとしたコロック鳥の頭部近くを通過する。自分の目を狙われたと勘違いしたコロック鳥は、渡河中のミアミたちを諦めノーラに攻撃対象を定めた。鋭い爪がノーラを襲う。ノーラは転がるように低い姿勢で地面をかけ、なんとかその一撃を避ける。目標を外したコロック鳥の爪が固い岩盤をチーズのように切り裂き、続いて小屋ほどもある巨大な体躯が地面を揺らしながら着地する。そこに、川を渡り切ったアニーが斬撃を加えた。狙ったのはコロック鳥の尾で、命中したもののほとんど傷を負わせることはできなかった。しかし、コロック鳥の注意を集めた事で、ノーラが体勢を立て直し間合いを取るわずかな時間を稼いだ。

 

 「ギイイイェ!」


 コロック鳥はアニーに向けて翼を水平に振った。昨日はまともに食らったそれを、アニーは剣を上に突き立てながら身を屈めてかわした。先ほどまでアニーの上半身があった位置を勢いよく翼が通過し、その下部を剣の切っ先がかすった。コロック鳥の翼が僅かに切れ、鮮血が当たりに飛び散る。昨日カールがやってみせた様に、敵の勢いを利用して攻撃を加えたのだ。


 「さあ、こっちに来なさい」


 アニーが怒声を上げてコロック鳥の注意を奪う。その間に、ミアミとモナが川を渡り切り洞窟に向けて駆け出した。

 コロック鳥が自分の後ろを走って行く二人の少女に頭を向けると、背後からノーラが矢を放ち、ノーラの方を向くとアニーが剣で尻尾や翼の先端を攻撃した。コロック鳥は前後方交互に攻撃を受け、苛立ち、自分の前で気勢を放つアニーに憎しみの込もった目を向けていた。そのコロック鳥の半身は火傷を追っており、分厚い羽が無くなり爛れた肌が露出していた。


 「昨日の恨みを晴らしたいのね。でも、それはこっちも同じ」


 アニーは剣を上段に構えると、正面からコロック鳥に切り掛かった。コロック鳥は一瞬姿勢を低くすると、その鋭い足の爪でアニーを押しつぶそうとその場で前方に跳躍した。上から自然落下してくる巨大な怪物を前に、対抗する手段の無いアニーは地面を転がって必死にそれをかわす事しか出来なかった。


 「アニー! 十分だ、後は引き受ける」


 ようやく川から上がったカールは叫びながらコロック鳥の尻、火傷で羽毛が無くなっている部分に斬りつけた。羽毛に守られていないその部分に鋼鉄の塊が打ち込まれる。


 「ギエエッ!!!」


 傷は深く、今までで一番大きなダメージをコロック鳥に与える事ができた。アニーとノーラはその隙に逃げだし洞窟に向かった。痛みに耐えられなくなったコロック鳥は一度その場から飛び上がり上空に逃れた。


 「よし、みんな洞窟の奥まで!」


 カールはアニーとノーラに少し遅れ、洞窟に向けて走り出した。モナとミアミは既に洞窟の中に入っており、入口ではミアミが投石器で小石を空に向かって放っていった。ノーラは走りながら、時々背後を振り向き上空のコロック鳥に矢を連射していた。どれも命中することは無かったが、コロック鳥の頭の近い位置を次々と矢が通過したため、怪物に急降下を躊躇させることに成功した。


 「アニー、ノーラ、カールさん、あと少しです!」


 すでに洞窟内でカンテラの明かりを用意していたモナの声援に励まされ、カールはアニーやノーラと同時に洞窟に飛び込んだ。


 「カールさん、ご無事で!」

 「何とかね。今はとにかく逃げよう。この洞窟は広い。コロック鳥だって飛べずとも歩けば通れるはずだ」

 「そこまでの執念がないといいのだけど」

 「まったくだ。ノーラ、先頭行けるか?」

 「はい!」


 ノーラはすれ違いざまにミアミから魔法の明かりを灯したランタンを受け取るとそのまま先頭に立ち、洞窟の奥に進んだ。カールたちもその後ろに続く。コロック鳥はまだ空洞の上空にいるらしく、翼をはためかせる音が洞窟の内部まで響いてきた。

 カールはコロック鳥が追って来ないことを確認すると、一つ確かめたい事があり、ノーラの隣に並んだ。


 「矢が当たりそうになっていたな。なにかコツを掴んだのか?」

 「当てるのではなく、かすめる様にしたんです。当てられないことは変わりませんが、怪物の動きを制限することはできました」

 「いい腕だった。助かったよ」

 「ありがとうございます」

 

 カールが少しペースを落とし、最後尾に着くと、後ろからコロック鳥の奇声が聞こえて来た。その声は洞窟の中を反響している。続いて、何か大きく動きの鈍いものが洞窟内をバタンバタンと踏みしめる音がした。


 「あれは、足音ですね。やはり追って来たようです。昨日の火傷を根に持っているのでしょうか」

 「嘘! あの鳥どれだけしつこいの?」

 「大丈夫、見た感じだけど、コロック鳥は地上では直線的に走るのは得意でも、ここみたいに曲がりくねった所を進むのは苦手みたいだから。落ち着いて逃げましょう」

 

 ミアミがランタンを持ったモナを落ち着かせる。モナの手は腰に差したショートソードにのびていた。彼女の場合、恐怖で動けなくなるというよりは、怒りで敵に切り掛かりそうだった。もちろん、モナの実力では一撃で返り討ちにあってしまう。


 「ミアミの言う通りだ。みんな、冷静に行こう」



 リーダーらしくアニーがその場を締め、五人は早足で出口に向かって洞窟をすすんだ。やがてカールたちの進む前方に、少しだけ広い空間が見えて来た。オレンジ色をしたクモが巣を張っていた、あの広間だった。

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