第24話 宝石蝶を求めて(3)
「カビル卿、ノーラが巣らしいものを見つけました」
空洞に入ってしばらくしてから、アニーがカールに報告した。カールたちはノーラが見つけたというコロック鳥の巣を見に行った。それは空洞の開口部近くにある突き出た岩の上にあり、確かに鳥の巣らしいものが見える。とはいえ、距離で言うと二十階建てくらいの塔と同じ高さがある位置にあり、とても登っていけそうにはなかった。
「あそこに宝石蝶があっても完全にお手上げだね」
「残念ながらそうですね。この壁を登るのは不可能だと思います。あの位置でしたら、かえって外から岩山を上り上の穴から降りた方が早いかもしれません」
「アニーはこの岩山を登れそうか?」
「それも、残念ながら」
「カール、まだ諦めるのは早い」
そう言ってミアミが空洞の中でもひと際目立っていたキノコの森を指差した。
「あの森は巣のちょうど下にあるでしょ。普通、鳥は排泄物を自分の巣の下に落とす。鳥の糞には植物にとっていい栄養がたくさん入っているからあそこだけ植物が成長しているのはきっとコロック鳥の糞が長い時間をかけて森を育てたから」
「なるほど。昨日宝石蝶を食べたコロック鳥の排泄物があの森の中にあるかもしれないんだな」
「そう。それにあのキノコはどう見ても魔法的な何か。すごく大きいし、魔法の明かりと同じ様に青白く光ってる。コロック鳥が魔法の力を持った生き物を食べて、その排泄物があのキノコの森を育てているのなら分かりやすい」
「よし。ではあのキノコの森に行ってみよう。アニー、それでいいかな」
「わかりました、カビル卿。ただ脱出の経路も確認させてください。万が一コロック鳥がこの中に戻ってきたら、来た時と同じ道順で外に逃げます。よろしいですね」
「ああ。この中で戦うのは厳しいだろうからね」
空洞はコロック鳥が飛び回るのに十分な広さがあり、それでいてカールたちが身を隠せるような場所がほとんどなかった。逆に、コロック鳥が壁に無数になる岩の出っ張りに留まれば、遠隔攻撃手段を持たないカールたちには手も足も出なくなる。 」
カール達五人は上空を警戒しながらキノコの森を目指し空洞の中を進んだ。途中、幅の広い川を渡る必要があったが、幸いなこと流れは緩やかで、カールたちは比較的浅いところを選んで渡ることができた。
空洞の森に着くと、そこには乳白色をした細長いキノコ、大きな笠を持ち青白く発行するキノコや無数のコケ、シダが森を作っていた。幻想的なその光景にカールたちは圧倒された。
「幻想的ですね。まるでおとぎ話の世界みたい」
モナが目を輝かせながら一番近くの光るキノコに近づく。そのキノコはモナの身長の倍程の高さがあり、モナは笠の下から妖精の様に淡く光を放つキノコを見上げていた。
「すごいキレイ。そに、この辺りは地面が白いんですね。まるでお城の大理石みたいです」
モナの言う通り、森とその周囲だけはなぜか白い塗料のような物のために真っ白になっていた。白い地面が発光キノコの光を反射させ、森を一際明るくしている。
「モナ、それは多分、コロック鳥の排泄物だと思う。ほら、鳥の糞って白いでしょ。それが長い年月をかけて地面に広がって色を変えたんだと思う」
「えっ?」
「だから、あなたが愛おしそうに踏んでいる大地はコロック鳥のトイレみたいなものね」
「えええっ? これ全部鳥のウンチなの?」
モナは慌てて白くなった地面から離れて森の外に出た。
「森の面積はけっこうありますね。辺り一面、鳥の糞で真っ白です。このどこかに宝石蝶の宝石があるとしても、探すのは手間ですね」
それを遠巻きに見ていたアニーが溜め息混じりに言った。
「確かにね。キノコの笠の上とかにあったら私たちじゃあ見つけれないかも。でも、手がかりはある」
ミアミは落ちていた石を一つ拾うと白くなった地面をそれで引っ掻いた。白い糞は乾燥した塗料の様に地面にこびりついており、それなりの厚みがあった。
「ほら、この辺の糞は随分と昔に乾燥してる。宝石蝶を含む排泄物は、多分昨日の今日でまだ湿っているはず」
「つまり、新しい糞を見つければいいの?」
「そう」
「……私は最初、薄雪花を採集に行くと聞かされて随分と落胆した。でも、今思うと鳥の糞を探すよりは花を摘んでいた方が良かったかもしれない」
「そうね。でも薄雪花も鳥の糞も色は同じ白じゃない」
カールたち五人はキノコの森に入り、新鮮な排泄物を探しまわった。森はそれなりに広かったが、ある程度進むとバラバラに砕けたキノコが散らばっており、周囲よりもキノコの数が少ない場所があった。もりの中にはハエのような昆虫が何匹もいたが、その場所は他よりも多くの昆虫がいた。何より、そこの地面は乾燥しておらず、まだ湿っていた。
「多分、あのあたりだと思いますが……」
「ああ、如何にも最近ぽい。ハエがたかっているし、なんだか腐敗臭もする」
ノーラが控えめに言って足を止めた。
アニーもノーラの後ろで歩みを止める。二人ともそこから先に進む気はないらしい。
「多分、上から落ちて来る糞の衝撃にキノコが耐えられなくなってバラバラになったんでしょうね。あの辺り、池みたいになってる」
周りよりもキノコが少ないその場所に、ちょっとした糞の池があった。落下してきた糞の衝撃で削られた窪地に、糞が溜まり、さらに壁から染み出たわき水が流れ込み液状に溶かしていた。池に糞が落ちた時に中身が飛び散ったのか、周辺には白い飛沫の跡がいくつもあった。ミアミがその飛沫跡の一つを石で掬いまだ水分が残っている事を確認する。
「どれもまだ新しい。きっとあの中でしょうね」
池の中の液体はそれなりの量があり、破壊されたキノコの残骸も浮かんでいる。一見すると地面の大鍋に注がれた牛乳シチューの様にも見えた。状態になっていた。白い粘性の高い液体の中に、キノコの残骸やコロック蝶が食べたと思われる動物の骨が見える。その周囲をハエや名前も分からない虫が飛び回っている。
「それで、だれが探す? 私は嫌だけど」
ミアミが、断固たる拒否反応を示しながら言った。
「……私はコロック鳥を見張っているべきだと思います。いつ巣に戻ってくるかわかりませんから、視界のいい森の端で上を警戒しています」
ノーラが抜けた。草や土で汚れることをあまり気にしない彼女でも鳥の糞まみれになるのは嫌らしい。それに見張りが必要なのは確かだ。
「私はノーラを護衛します」
アニーも一歩後ろに下がる。彼女はいつも戦闘以外の仕事には消極的だ。しかし、彼女が言う通り、戦闘員であるアニーはいつでも戦える位置にいてもらった方がいい。
「私も嫌ですよ」
それに続いてモナも首を振る。
「そうすると、私がやることになるのか」
「え? ちょっと待ってください」
仕方なく糞の池に近づこうとしたカールをモナが引き止めた。
「待ってください。カールさんにそんなことはさせられません。私たちの依頼主ですから」
「ではモナも手伝ってくれるか?」
「う、それは、もちろん……」
ミアミが迷っているモナの耳元に顔を近づけ、そっと呟いた。
「ここであなたが頑張ったら、きっと今晩当たりにカールがご褒美をくれると思うの」
「ご、ご褒美というと?」
「少なくとも一緒に寝るくらいはしてあげるでしょ? 晴れていたら私たち三人は外で寝るから。二人でゆっくりするといい。ね、カール?」
カールは何かが腐敗してぼこぼこと気泡を上げている鳥の糞溜まりを見た。できればあそこに入りたいとは思わない。糞の池の深さは、多分足首かそれよりももう少し深いくらい。中をさらえば確実に全身が汚れる。池は五人全員で調べればすぐに終わるだろう。だが一人で中をさらっても、大した時間は掛からないはずだ。
「う、私は、カールさんがどうしてもと言うなら……」
モナはまだ迷っていた。カールはモナと、糞の池、それから怪物に襲撃された場合の事を考え、五秒で決断を下した。
「モナ、頼めるかな」
「はいぃ!」
モナは嬉しさと悲しさ半々の微妙な表情でカールの頼みを引き受けた。
それから、モナは荷物を森の外に下すと、神官服を脱いで下着姿になり、気合を入れながら糞の池に飛び込んでいった。
「カール、あなたにはモナを見守ってあげて」
ミアミはそんな事をカールに言った後、キノコの森に生えている植物の観察を始めた。ノーラとアニーは申し訳なさそうにモナを見送った後、空洞の上部の穴や周辺から怪物が出てこないか周囲の警戒を始めた。カールは池から少し離れたところで、白い鳥の糞にまみれるモナを護衛することにした。といっても、作業で跳ねる糞が届かない位置に立っているだけだったが。
モナは糞の池の中に入り、両手で底を漁っていた。最初は手を中に入れる事を躊躇していたが、何度目かで心の中で何かが振り切れたらしく、髪や顔に汚物が着いても気にすることなく、底から動物の骨や、消化できなかった何かを取り出しては池の外に放り投げていた。
「これは、ただの石。こっちは、キノコの破片。蝙蝠の羽、何かの骨、これも骨。これは、うげえ、コロック鳥ってこんなものまで食べてるの。人間のはありませんように」
その後ろ姿を見て、カールは初めてモナを好ましく思った。普通の女性は間違いなく汚物の池に入らないし、その中で物探しなどしない。カールには、舞踏会で着飾った女性たちよりもモナの様に冒険者らしい女性の方が魅力的に映った。あるいはそう感じるのはカールが普通ではないからかもしれない。普通の恋愛が出来ない自分は普通とは離れた女性を好ましく思うことで、叶いもしない夢で気を紛らわせているのかもしれない。カールは少しだけ自己を嫌悪した。
「マルデル様、早く見つけさせてくださいよー」
モナは泣きそうな声を出しながらも池の半分くらいまで移動していた。
「あと少しであそこの探索は終わりそうね。なに、その嫌そうな顔は」
ミアミがカールの隣にやってきた。
「自分がしたくない仕事をモナにやらせていることに、少し嫌悪感を持ってね」
「いいじゃない。ちゃんとご褒美をあげればモナも喜ぶ」
「……俺は立たずのカールだ。最後にモナが望むものは多分与えられないよ」
「それはわからないでしょう。あの子があなたに何を望んでいるのか、私も知らないし」
「玉の輿ではないのか?」
「さあ。本人に聞いてみたら」
モナの全身はいよいよ真っ白になりつつあった。さすがにカールもモナが可哀そうに思えてくる。
「やはり私も手伝うか」
「やめた方がいい。怪物の糞に触れて変な病気をもらう可能性もあるから」
「……ミアミはそれを知っていてモナにやらせているのか」
「大丈夫。モナは今まで一度も風邪を引いたり病気になったりしたことがないの。本人は田舎育ちで頑丈だからって言ってるけれど、多分マルデル神の加護か何かだと思う。私たち普通の魔法使いには無いんだけどね。神官の人ってたまにそう言う力があるのよ」
「神様の加護がモナにはついているのか」
「あんな子でも、選ばれた子だもの」
病気になりにくいという加護のお陰で汚物まみれになるのだから、何が幸いなのか良くわからない。カールは神様に関わる力は使えないので実感はなかった。
「これも違う、あれも違う」
モナはいよいよ池のほとんどを調べてしまった。
「もしかして、宝石蝶の宝石も消化されちゃったとか。あるいはあの巣の中に落ちているのかもしれないわね」
「それじゃあモナは汚れ損か」
「あの中に無いということがわかっただけで大きな収穫。今夜はたっぷり慰めあげて」
「ひどい女だな、ミアミは」
「そう? あ、もう一度探すみたい」
池の底を全て調べてしまったモナは、糞の池からは上がらずもう一度中央に向かって歩いていった。モナが歩く度にドロドロとした液状の糞が波を立てる。モナは池のほぼ中央に仁王立ちすると、大きく息を吸ってから両腕を空に向かって突きだし、何かをぶつぶつと唱えている。そして、気合と共に汚物の中に突き入れた。無駄に勢いがあったため、跳ね上がった白い糞がモナの顔につく。
「うわあ、あそこまでするんだ」
遠くで見ていたミアミがそれを見て一歩後ろに下がった。
「ええい、外れ。次!」
モナは叫びながら再び池のある場所に腕を突っ込んだ。どうやら、何か第六感的な物で宝石の場所を探ろうとしているらしい。五回くらいそれを繰り返した後、モナは両手を糞の池に入れたままもぞもぞと探し、やがて何かを見つけたらしい。
「あっ!」
白濁とした糞の池の底にあるそれが何かはわからなかったが、モナの手には確かに平べったく硬い石のようなものの感触があった。
「さあ、来い! 私とカールさんの為に!!」
勢いよく、モナが両手を上げる。そこには糞に塗れた小さな円盤状の物体があった。大きさはちょうど宝石蝶の赤い模様と同じくらい。
「マルデル様、私、信じていますからね」
モナは取り上げた円盤状の物をワンピース状の下着の袖で拭った。白い糞が取り払われると、そこには真っ赤に透き通った物体が姿を見せた。少し離れたカールにもそれが持つ独特の雰囲気でそれが宝石蝶の宝石であることが分かった。
「やった! カールさんやりましたよ。私宝石を見つけました。これで結婚してくれるんですよね」
糞まみれのまま、モナは汚物の池から上げり、カールに向けて駆けてきた。
「結婚の約束まではしていないと思うが……」
「あれを避けたらカビル男爵の名前が落ちるわね」
ミアミはさらに一歩、カールから距離を取る。カールは観念して、鳥の糞に塗れたモナを受け止めようとしたが、モナはカールの数歩前で止まった。
それから自分が手にしている赤い宝石をじっと見つめた。
「モナ?」
先ほどと様子の変わったモナに、カールは宝石に魅了の魔法でもかかっていたのではと不安になる。
モナは一度目を閉じると、小声で信仰する神の名前を唱え、それから宝石をカールの前に突き出した。
「カールさん、私見つけました」
「ありがとう、モナ」
カールが宝石を受け取ると、モナは少しだけ寂しそうに笑った。
「ちょっと水を浴びてきますね。ご褒美、期待しています!」
そういうと、モナは森の外にかけて行った。森の外から、悲鳴が聞こえてきた。どうやら糞まみれのモナに抱きつかれたらしい。アニーとノーラは「汚い」とか「離れてください」とか叫んでいる。
カールは手にした赤い宝石をまじまじと見た。やはりそれは、カールが求めていた宝石蝶の宝石だった。
「あの子、よく抱き着いてこなかったわね」
「ああ、私も意外だった。覚悟はしていたのだけれど」
「糞まみれだから遠慮したのかもね。取りあえずおめでとう。無事に宝石が手に入った」
「できれば一対で欲しかったが、まあ一枚でも十分だ。これでプサラに帰れるよ。君たちには本当に感謝だ」
カールは達成感と、一抹の寂しさを感じていた。ようやく、モナやミアミ、アニー、ノーラとの冒険に慣れて来たところだ。それが終わるのは少し寂しい。だが感傷に浸るのは全てが終わってからでいい。春の舞踏会にいまモナが見つけた宝石を届ける方が先だ。島にはまた来れるし、モナたちと旅をする機会もまだあるだろう。
カールは改めて手にした宝石を見た。それは爪の先ほどの厚さしかない赤透明な物体で、カッティングした宝石の様に面が出ていた。カールが読んだ文献によると実際には石ではなく、硬化した蝶の組織らしい。その透き通るような赤にはどこか目を奪われるものがあり、かつて多くのノスアルク貴族が宝石蝶の宝石をこぞって求めたことも納得が言った。
カールは宝石を厚手の布で包み、虫かごの残骸と毛布の切れ端から作った箱に入れた。これでよほどのことが無い限り宝石が破損する心配はない。
(これで仕事は完遂できそうだな)
ボラリッチリやレーフ伯爵令嬢の顔を思い浮かべて安堵していたカールに、ノーラの鋭い警告が飛び込んできた。
「コロック鳥が戻ってきました! みなさん身を隠してください!」
カールは慌てて近くにあった大きなキノコの笠の下に身を隠した。すぐにミアミが隣にやって来る。上空を見上げると、黒い大きな影が空洞の開口部をゆっくりと旋回していた。あの動きは地面にいる獲物を探す動きだ。
「くっ、このタイミングでか」
森の外からは、アニーとノーラがモナを呼ぶ声が聞こえてきた。モナは水浴びをすると言っていた。キノコの森と空洞を流れる川の間にはそれなりの距離があり、皮の近くには遮蔽物はほとんどない。上空を旋回するコロック鳥が見つけたとすれば、川で水浴びをしていたモナだろう。見つかったのがノーラやカールなら、他の四人はキノコの森に身を隠していればいい。ノーラやカールは自力でコロック鳥を引き離し、空洞に続く洞窟や、空洞の中で崩れていた巨大な岩の台座に身を隠すこともできただろう。だが、モナには単独でコロック鳥を振り切って身を隠せるだけの力は無い。
「ミアミ、宝石を頼む」
カールはミアミに宝石の入った箱を渡すと、剣を抜いてキノコの森から出た。
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