第20話 輝きの湖(3)

 キャンプ地に戻ると、ミアミが椅子代わりの石に腰掛けながらいつもの本を読んでいるところだった。カールたちが近づくと、その気配に気がついたミアミがページを捲る手を止めて顔を上げた。


 「お帰りなさい。その顔、首尾は上々だったみたいね」

 「もちろん! 見事に宝石蝶を捕まえたよ!」


 荷物係のモナが、誇らしげに宝石蝶の入った虫篭を両手にかかえてミアミに見せた。宝石蝶は急に動かされ驚いたらしく、篭のそこに止まりじっとしていたのでその羽が垂直に立てられて外からでも見やすくなる。


 「本当に宝石が羽についているんだ。この蝶の羽、紙みたいに薄い。どうやって飛んでいるのかしら。それとも、宝石に見えるけど羽と同じ素材でできているのかしら」


 いつもより饒舌になりながら、ミアミは宝石蝶を観察していた。モナはミアミに虫篭を預けると、一日中背負っていた荷物を自分たちのテントの近くに下ろす。


 「ふう、さすがにちょっと疲れました」

 「ご苦労様。モナのおかげで助かったよ」

 「そうですか? じゃあ、今晩はご褒美で私と一緒に寝てください」

 「それはダメだ」


 カールも自分が持っていた虫取り網をモナたちのテントの近くに置くと、モナがさきほど置いた荷物の中から自分の剣を取り出した。虫取り網や虫篭、蝶を捕まえるための餌や道具はもう必要なかったが、身を守る剣だけは手元に置いておきたかった。荷物をまとめて置いたのはこれから振るという雨に備えるためだ。濡れて困る物はテントに入れ、それ以外は雨の影響を受け難い場所に置いておく必要がある。ノーラとアニーも背負っていた荷物を自分たちのテントの横に置いた。

 

 アニーは自分たちのテントに入ると、中から一枚の大きな布を持ち出した。ロウが塗り込まれた防水用の布で、アニーはそれをまとめた荷物の近くに置いた。


 「後で必要な物をテント内に移したら、残りをこれで覆って雨に備えます」

 「準備がいいな」

 「エプルア山脈の天候はここよりも不安定ですから」

 「ところで、馬たちの調子はどうでした?」

 

 ノーラ宝石蝶の篭を調べているミアミに尋ねた。


 「原因はわかった。そこの石の上に置いてあるやつ」

 「そこですか。……これは、カタツムリでしょうか」

 「そう。それを食べてお腹を壊したらしい」

 「なになに? わー、キレイ」


 カタツムリを見ていたノーラの側にモナが近づき、石の上に並べられていた殻を一つ手に取った。その殻は虹色をしており、一目で普通のカタツムリとは違うことが見て取れた。


 「これはどんな魔法の力を持っているの?」

 「調べてみないとわからない。少なくとも馬が食べるとお腹を壊す」

 「そっか。ん、ねえミアミ」

 「何?」

 「馬はこのカタツムリを食べたんだよね。じゃあ、これって」

 「ああ、下痢気味の馬の排泄物から拾ったものだけど」

 「きゃああああ」


 モナは悲鳴を上げ、手にしていた虹色の殻を遠くへ放り投げ、慌てて湖の岸辺にかけていった。


 「一応、洗って乾かしていたのだけど。ヘルメサンドに持ち帰って調べるつもりだから今投げた奴も拾っておいてね」

 「なんか、私今日はこんなのばっかり」


 モナは湖の水で手をごしごし洗いながら嘆いていた。

 モナとミアミのやり取りを横で見ていたアニーとノーラが顔を見合わせて笑った。それからノーラが岩山の方を観察し雨雲が増えている事を確認する。


 「やはり夕方辺りから雨が振りそうです。あと一時間もしないで来ると思います」

 「備えた方がよさそうね。私たちはともかく、馬をどうするか。洞窟でもあればいいのだけど」

 「大きな木の下で我慢してもらうしかないですね」


 その時、はるか上空で何かが羽ばたく音がした。

 接近して来る怪物に最初に気がついたのはノーラで、すぐに音の方向に目を向け叫んだ。


 「カール様! 湖の上、大きな鳥がいます」

 「コロック鳥か」


 この辺りにいる大きな鳥といえばコロック鳥しかいない。カールは剣を鞘から抜き上空を見上げた。そこには小屋ほどの大きさがある巨大な鷹のような鳥が、鋭い爪を光らせながら直角に近い角度で急降下していきていた。目標はテントの側、宝石蝶の虫篭を持った黒髪の少女だった。


 「ミアミ、逃げろ!」


 カールはとっさにミアミに向けて駆け出した。ミアミは宝石蝶が入ったままの虫篭を抱え、ようやく上を見上げようとしていたところだった。コロック鳥の鋭い爪がミアミを引き裂く直前、カールの腕がミアミを突き飛ばした。ミアミは地面に倒れ、その手から離れた虫篭は宙を舞い、地面に落下した。衝撃で蓋が外れ、宝石蝶が外に逃げ出す。

 コロック鳥は地上近くで翼を小刻みに動かしホバリングをしながら、篭から逃げ出した宝石蝶を目で追っていた。宝石蝶はコロック鳥の羽ばたきで生じた強風に吹き飛ばされ地面に落ちる。体勢を立て直したカールとミアミ、剣を抜いたアニーがそれぞれ武器を構えると、コロック鳥は轟音を立てて地面に着地するとカールたちに向かって鋭い奇声を発した。


 「キイェェェッ!」


 ただの鳴き声ではない。何らかの増幅の魔法の力も備わっているらしく、全身を震わせるような高音の波を受けたカールたちは思わず動きを止めてしまう。地面でじっとしていた宝石蝶はその音波に驚いたようで、急に岩場から飛び上がった。ただでさえ大きな宝石蝶は、その羽に宿した一対の赤い宝石に太陽の光を反射させながら必死に上昇しようと羽ばたいた。次の瞬間、コロック鳥のクチバシが宝石蝶にむけて大きく開かれた。


 「カール、あの鳥が宝石蝶を!」


 ミアミが投石機に煙幕弾を装着しながら叫んだ。

 カールは剣を手に切り掛かろうとしたが、間に合わない。コロック鳥は巨大なクチバシで強引に宝石蝶を喰らい、飲み込んだ。


 「こら! それはカールさんの物なんだから」


 モナが近くにあった石をコロック鳥に向けて投げつけた。それは見事に頭部に命中したが、ほとんどダメージにはならず、かえってコロック鳥の怒りを買っただけだった。コロック鳥は次の目標をモナに定め、力強く地面を蹴った。


 「え、なんでこっちにくるの」

 「キイイイ!!」


 コロック鳥は、頭を突き出すような姿勢でモナに向けて突進した。

 

 「わああっ、危ない」


 モナは何とか攻撃をかわしたが、その先にはモナたちのテントとその横にまとめた荷物に向けて突っ込んで行った。コロック鳥は荷物を踏みつぶし、さらにテントに突っ込んだ。直立した高さはカールよりも二周りほど大きいコロック鳥の前に、テントはズタズタに引き裂かれた、荷物はバラバラに砕かれた。虫取り網が折れ、大きな鍋は鳥の足形にひしゃげ、破れたテントの布や、中に敷かれていた寝袋や毛布の残骸がコロック鳥の身体にまとわりつきタ。コロック鳥はその場から飛び上がろうとしたが、テントを固定していたロープと先ほどアニーが用意した防水布がうまい感じに巻き付き羽ばたくのを邪魔されていた。

 怪物の動きが止まった。アニーとカールはすぐに反撃に転じた。


 「今なら行ける!」

 「カビル卿、私は左側をやります」


 頭に被さった防水布を振りほどこうと暴れるコロック鳥にカールとアニーが左右から切り掛かった。カールは胴体部分に向けて思いっきり剣を振り下ろした。剣は狙い通りの位置に直撃したが傷は浅い。コロック鳥の全身を覆う羽毛はカールの予想よりもずっと強固だった。

 一方のアニーは、翼の羽が生えている部分を狙ったためその一部を切り裂くことができた。コロック鳥にとっては両方ともかすり傷程度にしかならない。しかしそのかすり傷がコロック鳥の怒りにさらなる火を注いだ。


 「キエェェェ!!」


 コロック鳥はその場から飛び立つことを諦め、甲高い鳴き声をあげながら翼をはためかせた。その風圧で地面の土や小石が飛ばされカールたちに襲いかかった。カールは腕で顔を守ったが、アニーは小石を鎧で受けながら、もう一撃加えようとコロック鳥の死角から接近しようとした。しかしコロック鳥はすぐにアニーに気がつき、その場で飛び上がると身体を捻りながら空中で一回転し方向を変え、アニーに向けて体当たりを食らわせた。まともくらったアニーはその衝撃で数メートルも吹き飛ばされる。


 「アニー!? モナ、すぐに治療を! 煙幕弾で目潰しをする。みんな吸い込まないで」


 ミアミが手にした投石機を振り回し、セットしていた弾丸を暴れるコロック鳥に命中させた。加熱した弾から煙が溢れ出て、コロック鳥の視界を潰した。大量の白い煙がコロック鳥の姿を隠す。


 「みんな一旦距離を取るんだ」


 カールの指示で全員がコロック鳥から距離を取った。倒れていたアニーもモナの治癒の奇跡を受けて動けるようになったらしく、ノーラとモアに肩を借りながらその場から離れようとした。煙の中でコロック鳥が暴れているらしく、テントの残骸がカール目がけて飛んで来た。カールは慌ててそれをかわした。


 (これは、まずいな)


 今のカールたちとコロック鳥とでは戦力差がありすぎる。本来なら、戦いに慣れた冒険者五、六人でようやく互角の相手だ。正面から戦って勝利するのは少し厳しいかもしれない。

 煙の中で何かが動く気配がした。その気配の先にあるのは、先ほど煙幕弾を投げつけたミアミだった。


 「まずい。あの鳥、ミアミを狙っているぞ」

 「ちょうどいい。こっちに来なさい!」


 ミアミが投石機を使って湖岸で拾った丸い石を煙の中に投げつけた。負傷したアニーたちから注意をそらすための一撃だった。


 「ギエゥ!」


 十分な遠心力を得た小石は、強力な一撃となって怪物に命中した。コロック鳥の頭が煙から出て来る。その両目は煙幕をまともに浴びたせいか真っ赤に充血していた。


 「煙幕でも目潰しはできないの? これだから怪物って嫌い。頑丈すぎるのよ」


 ミアミは冷静に、二発目を投石機にセットし回し始める。しかし、魔法使い、しかも戦闘用の魔法を一切使えないミアミにとって正面からコロック鳥と戦うのは無謀だった。カールはコロック鳥に攻撃を行なう前に、別の方法が無いか周囲を見渡した。一つ、使えそうなものがある。テントから少し離れたところに作った焚き火だ。


 「ノーラ、火だ。俺が動きを止める。火をあいつに投げつけてやれ」


 そう叫びながら、カールはコロック鳥とミアミの間に立ちふさがった。ノーラがコロック鳥に火をつけられるか、正直自信がなかった。弓で射ったり、刀で斬りつけたりするよりは簡単だろう。

 剣を構えたカールに向けて身体にテントの布をまとわりつかせたままのコロック鳥が突進して来る。


 「竜鱗よ!」

 「ギギィエ!!」


 カールは竜鱗の魔法を使い守りを固め、コロック鳥のクチバシ攻撃を避け、その身体を剣で薙いだ。先ほどとは違いコロック鳥自身の勢いと体重が加わっていたため、カールの剣は怪物の右足の付け根にかなりの深手を与えることができた。片足を切られたことで、コロック鳥は数歩進んだ後その場に片足を着いた。そこに、後ろから火のついた枝が飛んで行く。ノーラがたき火の火を投げつけたのだ。火はコロック鳥に命中し、身体にまとわり着いていた防水布に引火した。その布は水を弾く代わりに火にはめっぽう弱くなっている。たちまち、コロック鳥は炎に包まれた。

 体中で火が燃え始めたコロック鳥は、その場でのたうち回り懸命に消火しようとしていた。


 「全員、離れろ! 森の中に退避するんだ」


 カールの指示で、ミアミ、モナ、アニーの三人がその場から森の中に逃げ込む。カールとノーラは燃え盛るコロック鳥に火のついた薪を投げつけてから、アニーたちの後を追った。

 コロック鳥はそのまま焼き鳥になるかと思いきや、湖の中に転がり込み火を消すと、そのまま水しぶきを上げて空に飛び立ち、岩山に向けて飛び去った。

 後に残されたのは灰になったモナたち四人のテントや寝袋、そしてコロック鳥に踏みつぶされバラバラになった荷物だった。カールが持って来ていた宝石蝶を採集するための道具、虫取り網や虫篭も修理不可能なほどに破壊されており、食料も乾燥豆以外は暴れたコロック鳥のおかげで消し炭になっていた。

 さらに悪い事に馬が全て居なくなっていた。コロック鳥の火が馬をつないでいた手綱に燃え移ったようだ。混乱した馬は、カールたちを置いてどこかに行ってしまったらしい。元々ヘルメサンドで借りた馬だ。道に迷って時、カールたちの元に戻ってくる可能性はかなり低かった。

 唯一幸いだったのは、少し離れた所に設置してあったカールのテントが無事だったこと、負傷したアニーの傷は浅く、モナの治癒の奇跡でほぼ全快したことだった。


 「ひどくやられたな」

 「申し訳ありません。護衛の私が真っ先にやられてしまいました」

 「アニーは悪くないよ。私も宝石蝶を手に入れて油断をしていた。コロック鳥がいることは朝から気がついていたのに。もっと対策を取るべきだった。しかし参ったな。まさかあの鳥の怪物が宝石蝶を食べるとは思わなかった」

 「申し訳ありません」


 もう一度、アニーがカールに謝罪した。

 ほんの少し前まで、旅は順調だった。宝石蝶も手に入り、後は帰るだけ。そう思っていた。それが僅か数分で、捕まえた宝石蝶は失われ、採集用の網や篭は全て壊れ、さらに移動用の馬も失った。命があるだけ幸運なのかもしれないが、カールの仕事は失敗したと言ってもいい。


 「カール様、雨が来ます。これは嵐になりそうです」


 気落ちするカールにノーラが控えめに報告した。空を見上げると、岩山に掛かっていた雨雲はかなりの大きさになっており、風にも雨の匂いがしてきた。


 「今日はとんでもない日だな……」


 カールは暗雲のたちこめる空を見上げて溜め息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る