第16話 アブロテン村〜戦いの後〜

 「モナ・エルビーさん? 彼女は僕に取って天使様です。彼女が治癒の奇跡を使ってくれたおかげで、僕は足を切断せずにすんだんですから。重傷者が多いと、手術で助かる人って後回しにされがちなんですよ。モナさんがアブロテンに居てくれて本当によかった」

アブロテンで戦った、ある若い冒険者

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 アブロテン村を百体を超える怪物が襲った夜、結局カールがベッドに戻ることができなかった。燃え続ける家屋の消火、生き残っていた怪物との戦い、死者を一ヶ所に集めたり、負傷者を救助したりと村を駆け回っている内に、気がついたら朝日が昇り切っていた。それでもカールたちは本来のアブロテン守備隊や村人ではなかったので、一段落し安全が確保できた時点で宿に戻る事ができた。他の兵士や冒険者は念のため再襲撃に備え、動ける者はそのまま警戒に当たっていた。最初はカールも、特にアニーが警備に加わろうとしたが、コック大尉に部外者は入れられないと断られていた。

 それから、カールたちは宿に戻った。アニーやモナたちは四人部屋を借りていたので途中で別れ、カールは自分の部屋に戻ると返り血や煤で汚れたコートと服を脱ぎ、下着姿でベッドに潜り込んだ。緊張が解け、久々の怪物との戦いの疲れがずっしりと全身にのしかかり、カールは死んだ様に眠り落ちた。


 目を覚ますと、太陽が真上からやや傾いた位置にいた。もう昼過ぎからか、妙にベッドが暖かかった。カールはまず耳を澄ませ、外から聞こえて来る音を確認する。何かを運ぶ男たちの声や、昼食を食べていない人にスープを配る女性の声がかすかに聞こえた。村は取りあえず平和らしい。そよりも気になった、カールの真横から聞こえて来る寝息だった。頭を少し横にすると、なぜか横でモナがカールと同じベッドで寝ている。さらにその向う、ベッド横の椅子にはミアミが何かの本を読んでいた。カールの気配に、ミアミが本から顔を上げる。


 「カール、目が覚めたの」

 「ああ。よく眠らせてもらってよ。ミアミは休んだのか?」

 

 ミアミは小さく頷いた。


 「私はアニーみたいに力持ちじゃないし、ノーラのように応急手当もできない。モナみたいに治癒の奇跡も使えない。そんなにやる事は無かったから、疲れも少ない」

 「そうか。ところで、」

 「カールの横に寝かせたのはちょっとしたご褒美。ポーションをがぶ飲みして、夜通し治癒の奇跡を使っていたから」

 「それを聞くとベッドからたたき出すわけにもいかないか」

 

 カールが身体を起こすと、毛布の一部がめくれモナの身体が外気に触れる。ワンピース型の下着姿のモナは、冷たい空気にぶるっと身体を震わせた。カールは毛布をモナの身体にかけ直す。


 「まるで父親みたい」

 「俺の子供にしては大きすぎる」

 「態度と目の話。まるで父親が遊び疲れた小さな娘を見る感じ。それじゃあモナは喜ばないわよ」

 「無茶を言うなよ」


 カールが苦笑すると、ミアミは少しだけ寂しそうに言った。


 「私を見るシェーンもそんな目をしていた。私には、それが悔しくてしょうがなかった」

 「つくづくあいつは罪作りな男だな」

 「あら、私は自分を不幸だと思ったことはないわよ。シェーンに恋をして、それを糧に今日まで生きてこれた。あの人は私にとって忘れられない人」

 「あんな男の事はさっさと忘れてた方がいい。人間としてもろくな奴じゃなかったし、もう死んだ人間だ。いくら想っても届く事はない」

 「たとえ叶わなくても、私は一生忘れない。そういう恋をしてしまったの」

 「それはもう呪いじゃいか」

 「確かにね。でもそれはカールも同じでしょ?」

 

 その言葉にカールは反論ができなかった。ミアミの言う通りカールも未だに、父親の呪縛から抜け出せていない。それが男性機能の喪失の原因であるし、父とは違う生き方をしたいと脅迫的に感じながら生きているのが事実だ。父の罪への贖罪として、カールの異母兄弟姉妹を見つけて財政的な支援していることも、未だにシェーンを忘れられないことの証でもある。


 「君の言う通り、俺も一生忘れられないんだろうな。だがシェーンは死んだ。俺も君も、それを乗り越えなくちゃならない。今すぐは無理でも時間をかけて」

 「私はそうは思わない」


 ミアミは読んでいた書物を音を立てて閉じた。


 「十五年前に不思議島が見つかるまで、ドラゴンの存在を信じる人なんてほとんどいなかった。でも実際に不思議島にいる」

 

 どこか遠くを見ながら、ミアミが言った。


 「ドラゴンが実在するなら、他の伝説も事実だったと思えない? 例えば、水の上を歩いたり、見えなくなった目を見えるようにしたり、死者を蘇らせるとか。もしかしたら、この島にはその手段があるのかもしれない」

 「……死者を? 笑えない冗談だ」

 「もう冷たい土の中で骨になってしまったでしょうけど、私はあの人がいる場所を知ってる。不思議島にその手段があるなら、私はもう一度シェーンに会える」

 「あの男がこの世に帰って来ても、不幸な女性を増やすだけだよ」

 「そうでしょうね。多分、あの人は蘇っても私には指一本触れてくれそうにない。でも会いたい人にもう一度会えるなら、私は何だってする」


 微妙な沈黙がカールとモナの間に流れた。

 ミアミは真剣だ。冗談ではなく、本当に奇跡の手段を探している。そしてそれが見つかればカールの父親を蘇らせるのだろう。不思議島は夢を追いかける場所だ。ミアミも彼女の夢を追いかけている。そしてそれを止める権利はカールにはなかった。


 「カール、心配しないで。私が調べた限り、死者を蘇らせる方法は記録に無い。私が一生かけて探しても多分見つからないと思う」

 「それが分かっていても、まだ探し続けるのか」

 「夢って、見ている間が一番幸せなの。もし叶ってしまったら、次の夢を探さなければならないでしょ? そういう意味じゃ、私は夢を追って一生幸せに生きられる」

 「やっぱり呪いだよ、それは」

 「かもね。それよりも、カールは私みたいな女をこれ以上作らないよう気をつけて。ホルン様も、そしてモナも。シェーンには劣るけどあなたも厄介な呪いをまき散らしているの」

 「……気をつけるよ」


 かつて、カールは家族同然の仲間であったホルンの想いに応えられれず、島を離れた。再び島を訪れたカールに、今度はモナという少女が心を惹かれ始めている。シェーンの子供には多かれ少なかれ、人を引きつける魅力が備わっている。カールも例外でない。カールは、その魅力を使って冒険者になり、仲間と出会い、貴族にまでなった。厄介な血だが感謝しないわけでもないのだ。


 それからカールはモナを起こさないようにベッドから起き、身支度を整えると村の復興を手伝うため外に出て行った。

 カールが部屋を出てしばらくしてから、ベッドの上でモナが動き出した。


 「よく抱きつかなかったわね。随分前から起きていたんでしょ?」

 「二人して深刻な話を始めるから。軽いノリで絡めないじゃない」

 「未婚の娘が、恋人でも無い男性のベッドに下着姿で潜り込んでおいて、そんな事を心配するの?」

 「カールさんは、本当に女性に興味を持てないって分かってるから」

 

 モナはカールにかけられた毛布を大事そうに抱えながら、ベッドの上で上半身を起こした。


 「でも隣に居続けたら、いつかそれが当たり前になるかもしれないでしょ?」

 「ホルン様は十年隣にいてカールに逃げられたけど?」

 「私はホルン様よりいい女なの!」


 モナはベッドの上で胸を張った。ミアミが見たところ、普通の基準で見れば未だに少年のようなホルン・ヘランよりもモナの方が女性としての魅力は圧倒的にある。お互いの身分を隠して、男たちの前に立ったとすれば、十人中九人はモナを選ぶだろう。ただ、カールの心を射止めるのに女性としての魅力がどれほど役に立つとミアミは思っていなかった。それでも自分はモナを応援する、そう考えていると、モナが躊躇いがちにミアミを見た。


 「ねえ、ミアミは幸せなの? 叶わない恋を、もう亡くなった人を思い続けて」

 「ええ」

 

 何の疑問もなく、ミアミは真っすぐにモナの問いを肯定した。


 「私にとっては終わらない夢を見ているようなもの。夢から醒めようと思えばできけど、私は当分このままでいい」

 「死者を蘇らせるから?」

 「それが出来るとは思っていないけどね」

 「私は、」


 モナはカールにかけてもらった毛布に愛おしそうに包まりながら、先ほどまでカールが横になっていた空間にそっと手を伸ばした。


 「私は幸せになりたい。運命とか関係無しに、好きになった人と一緒にいて、普通に恋をして、結婚して、いつか子供だって欲しい。一緒に歳を重ねて、いつかたくさんの孫に囲まれてマルデル様のところに召される。そんな事を夢見ちゃいけないのかな」

 「あなた次第じゃない? 夢を見続けるのも夢から醒めるのも。あなたの神様は何て言っているの?」

 「マルデル様は、カールさんが運命の人だって」

 

 モナはそう口にして俯いた。基本的にモナは嘘をつかない。そして信仰するマルデル神に関することは、極端な解釈をすることはあっても真実しか話さない。モナが啓示を受けたのなら、それは間違いなく事実なのだろう。俯いたのは自信が持てないからだとミアミは解釈した。何せ、相手はあの英雄、ホルン・ヘランだ。


 「神様が言うならその通りなんじゃない? モナがホルン様を押しのけてカールの心を掴む未来はさっぱり見えないけど、友達として応援してる」

 「……ありがとう。がんばってみる」

 「変なモナ。いつもよりもずっとしおらしいじゃない」

 「多分、マルデル様にお願いのし過ぎ。もう少し休むね」

 「そうしなさい。出発は明日だから」


 モナはカールのベッドの真ん中にモゾモゾと移動し、わずかに残ったカールの体温を感じながら目を閉じた。ミアミはモナが再び寝息を立て始めると、再び本を開いて読書を再開した。その本は何年も前に不思議島の遺跡で見つかったもの。発見以前にこの島にいた何者かが残した書物で、魔法について様々な事が書かれていた。ミアミの夢は、まだ終わっていないし、叶わないまま人生を追えるつもりも無かった。

 

 怪物の襲撃で大きな痛手を負ったアブロテン村で、カールはその日一日、村の復興を手伝ったり警備についたりした。できればすぐに出発をしたかったのだが、モナの存在は生死の境をさまよう人間がまだ残っている段階では重要だったし、アニーやノーラも起きてすぐ兵士たちの手伝いを始めたと聞いたので諦めた。彼女たちはカールに雇われた冒険者としてよりも、不思議島の住人としての責務を大切にしている。カールもかつての住人としてそれは尊重したかった。


 その日の夕方前、コック大尉の指示でカールは焼け落ちた正門で他の冒険者と共に警備に当たる事になった。がれきや怪物の死体の後片付けに比べれば楽な仕事だったが、もう一度襲撃があった場合は最前線で戦うことになる。コック大尉はさきほど眠りについており、もし怪物の襲撃があった場合はベテランの兵士や冒険者と共にカールが指揮をとることになっていた。それに備え、カールは借り物の金属鎧と兜を身につけていた。カールが竜鱗の魔法を使えるのは一日に一回。昨晩使っているので、再び使えるようになるのは明日の朝以降となる。

 しかし、カールは一時間もしない内に大きさの合わない鎧を脱ぐ事ができた。島の奥地に遠征に出ていた部隊から派遣された先遣隊がアブロテン村に到着したのだ。その数は五十名ほど。見るからに腕の立ちそうな兵士と冒険者で構成されていた。先遣隊の先頭には隊長らしい兵士がいた。マスケット銃は持たず、小型の短銃と船乗りが使うような曲刀を腰に下げている。その男は正門跡の真ん中に立っていたカールに近づき、声をかけた


 「見慣れない顔だが冒険者か?」


 無骨な鎧兜姿だったので貴族には見えなかったらしい。もちろん、カールに隊長をとがめる気は無かったし、自分の身分を説明する気もなかったのでただ頷いて返した。


 「村の警備をしている冒険者だ。そちらは?」

 「私はヘルメサンド守備隊のベラン大尉だが、私を知らないのか?」

 「申し訳ない。最近島に来たばかりでね」

 「そうか。アブロテンはひどくやられたな。百体以上の怪物がアブロテンに向かったと報告を受けていたが。被害はどれくらだ?」

 「昨日の襲撃で出た死者は四名。重傷者は十三名だ。後対空砲が全部やられた」

 「そうか。死者が出てしまったか」


 隊長は残念そうに壊れた正門越しに被害を受けた村を確認した。


 「そちらはどうなんだ? 怪物の指揮官とやらは倒せたのか?」

 「ああ。ホルン様が一騎打ちで仕留めた。大したもんだよ俺たちのボスは。角の生えた悪魔を槍で一突きだもんな」

 「ホルン、様は無茶ばかりするんだな」

 「まったくだ。大将は後ろでゆっくりしていてもらいたいんだが、真っ先に突撃していくからな。部下のこっちはヒヤヒヤさせられているよ。ところでコック大尉は無事か?」

 「大尉なら砦にいる」

 「そうか。俺はコック大尉に会ってくる。部下達はしばらくここで待機させてもいいか」

 「もちろんだ」


 隊長はカールに礼を言い砦に向かった。

 それからしばらくして、到着したばかりの先遣隊が村の警備を行なうことになった。交代が完了したことで、昨晩の戦闘で疲弊していたアブロテンの兵士や冒険者はやっと休めるようになり、それぞれのねぐらに戻っていった。カールも他の兵士たちと夕食を取り部屋に戻ると、モナとミアミの姿は部屋から消えていた。カールは誰もいない事に少し寂しさを感じながらベッドに横になった。


 翌日の朝、カールたちは村を出発した。

 コック大尉は数日以内にホルン・ヘラン子爵がアブロテンに到着すると知ってカールをもう一日村に引き止めようとした。しかし、カールはその申し出を丁寧に断り村から出た。一泊だけのはずのアブロテンで二泊もしてしまっており、早く宝石蝶を手に入れてボラリッチリに届けなければレーフ伯爵令嬢の社交界デビューに間に合わなくなりそうだったからだ。

 思わぬ寄り道をしてしまい、なんだか冒険が終わった気分になっていたが、カールの本来の目的はこれからだった。存在が確かでない宝石蝶を捕まえる、それはインプの大群を相手にするよりもずっと難しいことに思えた。

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