第12話 アブロテン村〜襲撃、モナ!〜

「モナには人を惹きつける何かがあるんです。初めて島に来た時は少しおかしな子だと思っていましたが、あっという間に信者を増やしたんですからね。おかげで我々もヘルメサンドに神殿を持てましたよ」

ヘルメサンドのマルデル神殿神官長

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 レモン風のビールや香草で風味をつけた蒸留酒を大量に飲んだカールはほろ酔い気分のまま、宿の自室に戻った。既に月は空高くに上っていた。部屋の暖炉の火が部屋全体を暖かい橙色に染めていた。


 アニーと木剣で戦った後、カールは宿屋の大型サウナで旅と稽古の汗を流した。その後、他の四人と一緒に食事をしようと一階の酒場兼食堂に降りたのだが、その後、予想外の事が起きた。カールとアニーの立ち会いを見ていた兵士らが酒場におり、カールは彼らに呼ばれて一緒に酒を飲む事になった。さらに昼間にすれ違った女冒険者やカールと顔見知りの古参冒険者も現れ大宴会となってしまったのだ。アニーも今までの鬱憤とした感情をある程度吐き出せたのか、貴族であるカールが平民である兵士や冒険者と同じテーブルで同じ物を食べる事に特に文句は言わず、ノーラやミアミと食事をし、時々兵士に誘われて酒を酌み交わしていた。普段は賑やかなモナは魔法の使い過ぎでダウンしており砦の空きベッドで寝ていたので宴会には参加していなかった。

 宴会は何時間も続き、アニー達が自分の部屋に戻った後もカールは昔の仲間に強引に付き合わされ王都の話をしていた。兵士や冒険者らはいつまでも酒を飲んでいそうだったので、眠気を感じたカールはまだ飲み足りなそうな彼らのために宿の主人に金貨を数枚、おそらく今晩のこの店の飲食代は全て賄える額を渡し部屋に上がって来たところだった。


 カールはベッドの上に横になり、部屋の隅に置かれた荷物を見た。ノーラが丁寧に運んでくれたそれらの中には宝石蝶を捕るための網や篭が入っている。カールはまだ護衛の少女らに本当の目的を告げていなかった。明日の夜は野宿になるのでその際に伝えるつもりだった。

 酒で火照った身体と暖炉の火の暖かさが心地よく、カールはこのまま寝てしまおうと靴を脱ぎベッドの中に潜り込んだ。空は満月で、暖炉の火と相まって部屋の中はカーペットの柄が分かるくらい明るかった。


 (島に戻ってよかった)


 部屋に一つしかない窓はベッドの真横にあり、カールは寝転がりながら夜空を見上げ、一日を振り返っていた。不思議島の荒野やかつての友人たち、それにアニーともようやく打ち解けることができた。何より、ここにいる間は貴族的な振る舞いや貴族同士の諍いに気を配る必要がない。島の人間の多くはカールをただの成功した冒険者として扱ってくれる。それはとても心地のいい者だった。

 カールが眠りに落ちかけた頃、誰かが部屋の扉をノックした。


 「誰だ?」


 カールは念のためベッド横に置いた剣に手を伸ばす。


 「モナ・エルビーです」

 「モナ? 悪いが明日にしてくれないか。今日は少し疲れたんだ」

 「大事なお話があります。私の父親について」


 扉の外のモナはいつもより少し深刻そうだ。モナの両親は彼女が幼い時に亡くなったと聞いている。その父親がカールの父であるシェーンである可能性もゼロではない。ヘルメサンドでコートを購入した時に言われた通り、カールとモナはどこか似ている雰囲気があった。希代の結婚詐欺師として大陸に名前を響かせ、各地に不幸な子供達を産み落としたあの男がモナの父親である可能性は十分にある。


 「……わかった。入ってくれ」


 扉が開くとそこには火のついたロウソクを持ったモナがいた。昼間の神官服やトレードマーク的な帽子はなく、夜着兼下着の木綿のワンピースだけのシンプルな格好だった。帽子が無いため髪の暴れっぷりがすごく、翼を広げて敵を威嚇する鳥のようにも見えた。モナも髪の毛のことは気にしているようで、軽く髪を整えてから部屋に入ってきた。

 カールは起き上がるとベッドの縁に腰掛け、モナに椅子を勧めた。モナは部屋の中央までくると椅子と、それからカールを見て立ち止まる。

 

 「カールさん、お話があります」

 「ああ。まずは椅子に座ったらどうかな」

 

 モナは一度椅子に近づく。椅子は物書き机とセットになって壁側に置かれており、ベッドからはある程度距離が離れている。モナは机にロウソクを置くとなぜかそのままカールが腰掛けるベッドの近くまですたすたと歩いて来た。モナの動きはどこか固く、緊張しているようにも見えた。


 「どうかしたのか?」


 モナは質問に答えようとして言葉を飲みこんだ。カールは少しだけ身体を動かし、剣の手の届く距離まで移動する。モナに襲われるとは思えないが一応警戒のためだ。モナはカールをじっと見て、それから大きく呼吸をすると、夜着に手をかけ一気に脱ぎ去った。


 「モナ!?」


 夜着は下着を兼ねているので、当然その下は何も身に付いていない。張りのある豊かな胸、小さな腹とメリハリのある腰、その肌は月の光を受けて白く輝いており、両足を肩幅に開きしっかりと立つモナは女戦士の彫像を思わせた。美しい、カールはモナの身体を見て素直にそう感じた。冒険者として鍛えている事もあり、無駄な肉付きは無く、それでいて筋肉質には見えない。艶かしく男を挑発するのではなく、ある種少年の様に溢れんばかりの若さをただ誇示するモナを純粋に美しいと思った。

 しかし、モナの性別が男でも同じように感じただろう。カールには性欲が無い。まだ不思議島に来る前に、父親の悪名と、養ってもらっていた宿を訪れた女性たちから受けた行為がトラウマとなり芽生え始めた性への欲求が消えてしまったのだ。以来、カールは女性の肌を見ても感情が沸き上がる事も、肉体が反応する事も無くなった。

 もし他の若い男性なら、モナの行為に理性が吹き飛ぶ事もあるだろう。しかしカールにはそもそもそういう感情が湧かなかった。


 「モナ・エルビー。父親の話をするのに服を脱ぐ必要は無いよ」

 「え? 反応鈍くないですか。私、結構気合いを入れて脱いだんですけど」


 モナは自分の身体を惜しげもなく、堂々とまるで舞台役者のようにカールの前にさらしていた。


 「多分、気合いの入れ方を間違えているよ。さあ、服を着て。父親の話があるのだろ」

 「こうなれば次の手段です。えいっ」


 モナが助走をつけてカール目がけて飛び込んで来た。その瞬間カールの脳裏に浮かんだのは避けるか投げ返すかの二択。抱きとめるという選択肢は無かった。とはいえ、裸の少女を投げ飛ばすのは気が引ける。カールは足を踏ん張るとモナを避ける様にベッドの枕側に移動する。ベッドに腰掛けた姿勢ではあったが、すぐに動ける用意はしていた。目標を失ったモナはそのままベッドの上に突っ込み、妙な声を上げながら形のいい尻を突き出す様な格好でうつ伏せに倒れた。


 「あぐう」

 「……」


 カールはベッドから立ち上がると部屋の物書き机の方に移動しモナと距離を取る。カールが椅子に座ると、モナはもぞもぞと動きだし、ベッドの上に座った。


 「避けるなんてひどくないですか」

 「もう少し訓練が必要だね。飛び掛かる動作が相手にバレバレだ」

 「私はアニーとは違うんですけど」


 モナはベッドの上で拗ねてカールから顔をそらした。恋人との約束時間に大幅に遅れた男とそれに腹を立てる女といった構図になり、一瞬カールは自分が悪いことをしているのではと錯覚に落ちた。噂では、カールの父も雰囲気を作るのが上手かったと聞く。

 

 「一応確認するけど、父親の話というのは?」

 「あれはカールさんを釣るための餌です。私の父親は平凡で敬虔なただのマルデル信者の鉱夫でした。随分前に亡くなりましたが今でも顔は思い出せます」


 あっさりとモナは白状した。


 「入れ知恵したのはミアミか?」

 「助言です。カールさんは父親のシェーンさんに並ならぬ思いを抱いていると教えてくれました。シェーンさんの名前を出せば取り合えず部屋には入れると」

 「まったく」

 「ねえ、カールさん、私って避けられる程魅力ないですか」


 ベッドの上で、モナが自分の胸を誇示する様にぱっと両手を広げた。多分、モナはもう少しもったいぶるかあるいは動作をゆっくりするべきだ。先ほどから動作がきびきびし過ぎており色気を感じさせない。男をじらすテクニックを身につければもう少し色々とできるのだろうが、もちろんカールにそんなアドバイスをするつもりはなかった。


 「モナも知っているだろ。私は立たずのカールだ。女性の身体を見ても特に何も感じないんだよ」

 「でも、私が脱いだ時に声を上げていましたよね!?」

 「護衛の冒険者が突然脱ぎ出したら誰でも驚く」

 「本当に、本当に何も感じないんですか?」


 モナはベッドの上に立ち上がろうとするが、柔らかいマットレスに足を取られて尻もちを着く。カールは先ほどから明け透け過ぎるモナにため息をついた。


 「奇麗だとは思うよ。だからなおさら、もう少し自分を大切にした方がいい。私の父の様な男に弄ばれ望まない妊娠などしたら君の人生は台無しになるよ」

 「カールさんの子供なら望ところです!」

 「いや、だから私はそういうことはできないんだよ」


 もしそれが出来ればカールがホルンの求婚を断る事は無かった。その事がホルンを傷つけ、カールが島から離れる切っ掛けにもなった。ホルンは、カールにとって最初の冒険者仲間であり、十年近くともに過ごした家族同然の親友だった。彼女を悲しませた事はカールにとっても大きな傷跡であり、もし自分に人並みの機能が備わっていれば、そう思うとやり場の無い怒りと悲しみがこみ上げて来た。


 「あの、目の前で美少女が裸になっているのに勝手に思い出にふけらないでくれません? これすごく勇気がいるんですけど」

 「ああ、すまない。いや違うな。私が謝ることはないね。君はいつもそうやって貴族や金持ちの商人に言いよっているのか」

 「まさか! カールさんは私がそんな尻軽女に見えるんですか。ここまでしたのはカールさんが初めてです。まあ色仕掛けを試みたことはありますが……」


 最後の方は小声だった。カールの見たところ、モナの色仕掛けはまったく年季が入っていない。よく言えば初々しいが、経験豊富な貴族などには通じないだろう。そもそもモナはただの街娘ではなくマルデル神に使える神官だ。いくらマルデルがマイナーな神だとはいえ、下手に関係を持つと他の神殿から何を言われるか分かったものではない。


 「カールさんは特別なんです。先ほどマルデル様から啓示があったんです。今すぐカールのさんの所に行くべしって」

 「服を脱ぐのもマルデル様の指示なのか」

 「いえ、そこまでは聞いてません。これは私の創意工夫です。神々は常に人間が努力することを求められますから、はくしょん」


 ベッドの上でモナがくしゃみをした。いくら暖炉があるとはいえ、季節はまだ春になったばかり。北国に位置する不思議島の夜はまだまだ寒い。カールは仕方なく、椅子から立ち上がるとベッドに向かった。モナは期待と不安を入り交じらせ大きな青い目を潤ませていた。カールはベッドに手をかけると、モナは両手を胸の前で組んで目を閉じる。カールは淡々と毛布を手に取り、それをモナの身体にかけた。


 「あれ?」

 「風邪をひくぞ。明日からも旅は続くんだ。体調管理はしっかりとね」

 「カールさんは優しいんですね。私の期待する優しさとはちょっと違うんですけど、はあ」


 モナは諦めたらしく、毛布で身体を隠すと何を考えたのかそのままベッドに横になった。カールのベッドはすっかりモナに占領されてしまう


 「モナがそこにいると私が眠れないのだけれど」

 「一緒に寝ましょう! 添い寝です、同衾です、まぐわいです」

 「最後のは違うだろ。いくら私と一緒に寝ても何も起こらないよ」

 「もちろん、すぐに何かが変わると思っていません。でも毎日一緒に寝たらもしかしたら何かが変わるかもしれませんよ」

 「……それはないよ」


 かつてホルンが似たような事を言った。その時はカールもホルンの言葉に従ったのだが結局変化は訪れなかった。もっともそれ以前から、お金の無かったホルンとカールは冬の寒さを凌ぐために同じベッドで寝ていたりもしたのだが。

 

 「カールさん、今他の女の人の事を思い出していますよね。さっきから目が遠いです。少しは私を見てください」

 「無茶を言うね」


 カールはベッドに腰掛けたまま、どうしたものかと思案した。モナをベッドから引きずり出し部屋から追い出すのは簡単だ。だがきっと、モナはすぐに部屋の扉を叩き始めるだろうし、裸に毛布のモナが外で騒げばアニー達が駆けつけてきてややこしいことになるだろう。とはいえ、一緒に寝るわけにもいかない。何も起こらないとはいえ、結局は他の三人との関係にひびが入る。わずか一週間程度の関係だが冒険ではそれが命取りになることもあるし、せっかく良好になったアニーとの関係を悪化させたくはなかった。

 結局、カールは結論を出さずに済んだ。遠くの方で鐘が打ち鳴らされたのだ。


 「何の合図だ?」


 カールとモナはベッド横にある部屋で一番大きな窓によって外を見た。必然的に、二人はベッドの上に並んで座る事になる。窓から外を見ると、砦の屋上で兵士が鐘を打ち鳴らしているようだった。カールたちのいる場所からははっきりとは分からなかったが、遠くから人の叫び声や銃声が聞こえて来る。決定的になったのは村の入口の方から聞こえてきた大砲の音だ。夜中に大砲を撃つ理由は一つしかない。


 「カールさん、敵襲です」


 モナも冒険者らしく素早く頭を戦闘態勢に切り替え、ベッドから跳ね起きようとした。当然、身体を隠していた物が全て下に落ち、何もまとわぬ全身をカールの前にさらす。しかしモナたちが使う堅いベッドと違い、カールのベッドは非常に柔らかくモナがバランスを崩す。カールの頭の中も戦闘モードに切り替わっていたので、こんどは躊躇無く、倒れるモナに手を差し出しその身体を受け止めた。

 ここまでは良かった。


 「カビル卿、敵襲です。避難の準備を……」


 ノックもなしにアニーが部屋に飛び込んで来た。アニーは完全装備で既に鎧や脛当てを身につけ剣を腰に差していた。後ろには同じく武装したノーラとミアミの姿もある。アニーはベッドの上にいる全裸のモナと、そのモナの身体に手を回し抱きしめようとしている様に見えるカールを見て顔を引きつらせる。


 「モナ? カビル卿? これはどういうことですか」

 「違うんだアニー、これは誤解で」

 「いやだなあ、アニー。いまいい所だったんですから邪魔をしないでくださいよ。もう野暮なんだから」

 

 モナは情事を仲間に見つかったという設定にしたらしい。あえてカールに身体を預ける。


 「……不潔」

 「あの親にしてこの子ありか。血は争えないのね」


 アニーの後ろでノーラが軽蔑の眼差しを、ミアミは生暖かい視線をそれぞれカールに向けていた。


 「カビル卿、この件は後でしっかりと説明してもらいます。いまは、避難を!」


 額に青筋を立てながらアニーがベッドに近づき、カールに抱きつくモナの脇の下に腕を入れる。


 「ひやっ、冷たい。アニーの鎧が冷たい!」

 「あなたはとにかく離れなさい。カビル卿の避難が最優先です」


 カールから引きはがされたモナは、アニーに体をがっちりと抑えられていたので手足をバタバタさせ抵抗する。、ミアミが床に落ちていた夜着を拾い上げて渡すとしぶしぶとそれを身に着けた。


 「カビル卿、砦に避難します。こちらに」


 有無も言わせぬアニーの迫力に、カールは黙って頷くと剣だけを手にして立ち上がった。幸い、ほろ酔いで寝ようとしていたので普段着のままだ。靴を履いてコートを身に着け、顔を上げると、アニーの顔は昼間よりもさらに険しくなっている。せっかく打ち解けたと思ったが全て水の泡だ。


 (厄介毎が続くな)


 窓の外に赤い光が見えた。どこかで建物が炎上しているのか、あるいは周囲を照らすために兵士達がかがり火を炊いたのだろう。まずは敵の正体を確認する必要がある。コック大尉や兵士たち、この村にいる冒険者に任せられるなら素直に砦に避難する。もし彼らの手に余るようなら、カールも戦わなくてはいけない。それは貴族の責務だし、この島を実質的に統治するホルンに対する義務でもあった。こじれたアニーたちとの関係はこの敵襲を乗り越えてからだ。

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