第8話 道中(1)〜ダンゴムシ、大地を駆ける〜
「さっきから望遠鏡を下に向けて何を見てるんだ。珍しい怪物でもいたか? あっちには、ああノーラか。この前振られたのにまだ諦めてないのかよ。なに違うって? すごくいい男? なんだそりゃ」
第六連絡塔の兵士
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早朝は曇りがちだった空も、朝日が昇りきった頃には白い雲の合間に青空が見えていた。岩がちな丘陵地帯を冷たい海風が駈け、春を迎えたばかりの大地には薄らと緑や小さな黄色い花が芽吹いてる。
五人はヘルメサンドを出るとすぐ馬上の人となった。先頭は道案内と前方警戒を兼ねたレンジャーのノーラ。装備は弓と矢筒、短剣、防具らしいものは身につけず、厚手のマントに皮のベストだけの軽装で、馬も他の四人に比べて荷物が少なかった。その次はアニーで、比較的重装備で馬の背中や鞍の両脇には組み立て式の木の棒や丸めた布を載せていた。
カールはアニーの後ろに続き、その後方にモナとミアミが並ぶ。モナの馬は金属製の鍋やバケツを、ミアミは大きな木箱を左右に吊していた。カールとノーラ以外の三人は外からは中身が分からないが妙に多くの荷物を馬に括り付けている。
ヘルメサンドの周囲では、時々放牧中の羊飼いやヘルメサンドに向かう冒険者や農民とすれ違った。その頻度はかつてカールが冒険者をしていたころよりも多い。
しかしそれ以上に目立ったのは一定の間隔を置いて丘や高台に建っている塔だった。
それは四階建ての建物くらいの高さの木を組んだだけの簡易な塔だった。最上部の屋上には青く塗られた巨大な木の板があり、その傍に兵士が二人立っている。一人は銃を、もう一人は固定された大型の望遠鏡をのぞいており、望遠鏡の先には別の塔があるようだった。
「あれは?」
カールは馬を少しだけ進め、アニーに声をかけた。
「連絡と警戒用の施設です。私たちは連絡塔と呼んでいます。大規模な怪物の侵攻があると、上の青い板を赤い板に変えて、狼煙を上げます。連絡塔は半島の付け根まで伸びていますので、怪物が来る半日前にヘルメサンドに危険を知らせるものです」
「私がいた頃にはなかったな。できたのは最近かな」
「ここ一年ほどです」
「作りはずいぶんと簡易な物にみえるけれど、あれでいいのか」
「元々、観光客に安心してもらうための物なので、工期と費用を抑えた結果あのようになりました。見た目は悪いかもしれませんが、実際に先日の大規模な襲撃時に役に立ち、すぐにアブロテンに救援を出す事ができました」
「大規模な襲撃? アブロテンが襲われたのか」
ヘルメサンドのある半島の付け根には三つの比較的大きな村がある。アブロテンは小さいが石造りの要塞も備えた中心的な場所でそこが襲われたとなると不思議島の治安にとっては大きな懸念だった。
「正確にはアブロテン村の周辺の村にです。いくつかの農村が襲われ、その報告を受けたホルン様の部隊がアブロテンで怪物を迎えうちました」
「島の南部で最近怪物の襲撃があったのか。どうりで同じ方向に進む人がほとんどいないわけだ」
城門の前にはあれだけいた冒険者や商人も、カール達と同じ方向かう人はほとんどおらず、その少人数も農村の近くや別れ道で別の方向に進んでいた。カールたちは馬に乗っているので移動が速いとしても、不思議島でもかなり大きいアブロテン村へ行く人がほとんどいないというのは異常だった。
「私たちも最初から北の海沿いの道を進むべきなのでは? その方が危険も少ないし距離も短い」
「アブロテン村に立ち寄るようにとホルン様の命令です」
「それは聞いたけれど、引退した冒険者が一人加わったところで大した影響はないと思うけれどね。ホルンは他に何か言っていなかったかな」
「いえ、存じ上げません」
そっけない返事にカールが肩をすくめると、アニーが面倒くさそうに「ご不便をおかけします」と謝罪する。この少女、普段は礼節を口うるさく言う割に、不思議なことにカールに対する態度は表面的なものだけで、かなり失礼なものだった。
「アニー、そんな風に不愛想だからいつもお客さんにも嫌われるんですよ」
モナが追い付いてきてカールとアニーに並んだ。モナがアニーを注意するとは珍しい。
「私は戦士だ。あなたみたいにピーピーとさえずるのは性に合わない」
「ピーピーって、ちょっとかわいい? でも鷹だってお行儀よくしていないと餌をもらえないんですよ?」
「私が鳥なら餌は自分で狩りに行く。モナ、カビル卿は任せた。私はノーラと今後の予定を話してくる」
「予定なんて前にすすむだけなのに。せっかくだからカールさんと会話の練習でもしたらどうです? この前の貴族と違って話せばわかる人ですよ。って、もう」
モナの言葉を無視し、アニーは馬の速度を少しだけ上げ、前を進むノーラの方に行ってしまった。
「大変みたいだね」
「アニーって本当に愛想が無いんですよ。あんな態度でお客さんの相手をするから護衛や観光案内の仕事が減って、怪物退治、怪物の噂の確認とか、村の巡回とか見張りとかばかりなんです。怪物退治なんかしても出会いなんてないのに。一緒にパーティを組む私たちの身にもなってほしいです」
「まあ、ストロボルムさんはそっちの方が好きなんだろうけどね。兵隊みたいな仕事もするんだ」
「そうなんです。最近は冒険者なのか兵隊なのかわからなくなる事が多いんですよ。この前のあの連絡塔で三日も立ちっぱなしですよ。椅子は無いし、はしごは高いし、私はスカートなのに塔の上ですよ」
モナの着ている神官服は、ゆったりとしたローブも胸の辺りに信仰しているマルデル神の紋章が入っている。ローブの下は、昨日は普通のスカ—トと素足だったが、今日は馬に乗る為かスカート風ズボンを履いている。
「でも見張りも悪いことばかりじゃないんです。あの連絡塔の望遠鏡は大陸から取り寄せた最新式で夜はきれいな星が見れるんです」
「連絡用の望遠鏡を上に向けてしまうのはどうかと思うけれど」
「いいんです。どうせ怪物なんて来ないんだし。そうだカールさん、私と一晩連絡塔でロマンティックな夜を過ごしません、あいった」
モナに向かって前を進んでいたアニーがポケットから出したクルミの殻を投げつけた。殻はモナの顔に直撃し、鼻の頭を赤くした。
「アニー? 馬が驚くから物を投げないで」
「あなたは少し言葉を慎みなさい」
そんな会話をしている間に、一行は連絡塔の下を通り過ぎた。先頭を進むノーラが見張りについている兵士に手を振っている。
「この塔がちょっと前まで私たちが見張りについていたところです。六番目の連絡塔だから第六監視塔っていうんですよ。もっと面白い名前にすればいいのに」
「連絡塔はいくつあるのかな」
「全部で十三だったかな、それくらいです」
「一つ当たり三人としても三十九人、かなりの数だな」
交代要員を入れれば百人近い兵士を配置していることになりその人件費だけでもかなりの額になるだろう。
「一年程前、ヘルメサンド近くでちょっとした襲撃事件があって、大陸から来た貴族の方が腕の骨を折ったんですよ。それでちょっと悪い噂が立ったので、お客さんが安心できるように塔を作ったそうですよ。万が一怪物の大群が近づいてきてもパーッと連絡が取れて、観光客は港の大型船で本土まで逃げるんです。後は兵隊と冒険者がヘルメサンドの城壁でじっくり怪物を撃退する準備をするわけです。そういえば、みんな安心してもらえるでしょってホルン様が言ってました」
「そうか、ホルンも頑張っているんだな」
カールが王都で襲撃の話を聞いていないのは、ホルンの迅速な対応があったからなのかもしれない。あるいはあえて情報を止めたのだろうか。
「カールさん、カールさん、軍隊や連絡塔もいいですが島の観光もどうですか? あそこに見える小さな丘を見てください。昔コロック鳥が巣を作ろうとして大変だったんです。私たちがパーティを組んだばかりの頃に偵察のお仕事が来て……」
モナは辺りの風景について延々と説明を始めた。カールは旅の音楽代わりにモナの話を聴き適当な相槌を打ちながら馬を進めた。
モナがおしゃべり好きなことは昨日の時点で分かっていたが、馬に揺られる以外にすることが何と彼女はひたすらしゃべっていた。不思議島らしい珍しい、もっともカールのよく知っているものだが、ものの話もあれば、恋人が心中してその両親が慰霊の為に建てた碑だとか、小道をそれると羊飼いの家があってそこのおかみさんのスープが美味しいとか世間話に近いものも多かった。時々、ノーラが思い出したようにアニーの間違いを訂正していたが、アニーとノーラは後ろを振り返り全員がついてきていることを確認することはあったが、会話に加わることは無かった。
一行はこまに休憩を取りつつ、島の東に向かう道を進んでいた。道は舗装こそされていなかったが、長年多くの冒険者が通った事で踏みならされており進みやすい。しかし最初はまばらにいた他の旅人は、ついに誰もいなくなってしまった。
太陽がそろそろ朝日とは言えない位置に上った頃、先頭を進むノーラが握りしめた左手を上げた。アニー、モナ、ミアミの三人は急いで馬を止める。
「襲撃か」
カールも一呼吸遅れて馬を止めると、剣の柄に手をかけ、ノーラが睨む方向に視線を向けた。カール達は緩やかな丘陵地帯におり、丘と丘の間を通る道にいる。周囲の丘に怪物が隠れているのかもしれない。
「カビル卿は少し下がっていてください」
剣を抜いたアニーがカールの前方に寄る。
「カールさん、一応、足の速い怪物が来たら一緒に逃げます。追いつかれそうになったら私が囮になります。まあ、カールさんの方が強そうなんですけどね」
モナが少し困った顔をしながらカールの左側に馬を進めた。モナのいう通り、この中で一番腕が立つのはカールだ。
「私の護衛は必要ないよ。いくら王都での生活が長くとも戦い方までは忘れていないさ」
「そうもいかない」
スリングを手にしたミアミがカールの右側に馬を並べる。
「一応、守らせてもらう。カールを守るのが私たちの仕事だから」
スリングは投石用の紐で、ミアミが手にするスリングには丸い弾丸が載せられていた。弾丸は大き目で真ん中に接着したような跡があるのでおそらくは目つぶしや毒の入っているのだろう。
自分よりも弱い、少女たちに守られるというのはどうも居心地が悪い。
カールたちの前方で、ノーラが遠くの丘に目を凝らしていた。やがて、黒い小さな塊がいくつか姿を現す。それは人間の子供くらいの大きさをした球状の物体で、斜面を転がりながら移動していた。それを見た瞬間、モナの緊張が解けた。
「あー、ストロリポリ(大ダンゴムシ)ですね」
カールもよく知っている怪物だ。名前の通り酒樽ほどある巨大なダンゴムシで丸まった状態で転がりながら移動するのが特徴だった。
ストロリポリ(大ダンゴムシ)は二十匹くらいの群れで時々斜面の岩にぶつかって空高く舞い上がったり、隣同士でぶつかり合って弾き飛ばされて、また群れに戻ったりしていた。
「ずいぶんと数が多いな」
「最近は羊の糞の中で幼虫が育って、数が増えた」
「たまに羊や子供が轢かれて神殿に担ぎこまれてくるんですよ。基本的には臆病で人間に近付くことは少ないんですけど。あれもこっちには来なさそうです」
モナが気の抜けた声で言うとミアミもスリングと弾丸を腰のポーチにしまう。
「カビル卿、念のためあれがいなくなるまでこの場で待機します」
少し離れたところから、アニーが剣を握り群れを監視しながら言った。カールは「わかった」と返す。もう一人、ノーラは群れだけでなく周囲の丘にも注意を払っていた。
「そういえば、駆け出しのころ金属鎧を買う金がなかったからあれでできた鎧を着ていたよ。懐かしい」
「確かに、ストロリポリ(大ダンゴムシ)の外皮は頑丈」
「え、あれを着るんですか?」
「案外着心地は悪くないよ。軽くて頑丈だ」
丘を下りきった大きなダンゴムシの怪物はその勢いにのって隣の丘の斜面を転がり上りはじめた。そのうちの一匹、小さなストロリポリ(大ダンゴムシ)が別の個体に弾かれカール達の方へ転がってきた。
「一匹来ます」
ノーラが小さいがよくとおる声で他の四人に警告する。カールはもしもの時は自分が対処しようと思い、馬を前に進めようとした。
「カビル卿は下がっていてください」
腕の見せ場と思ったのか、アニーの声がいつもより高い声をあげ、カールの進路に立ちふさがった。しかしアニーの希望とは裏腹に、小さなストロリポリ(大ダンゴムシ)は地面の窪みを利用して進路を戻し、群れの方へ向かった。
「あ、いっちゃった」
危機感を遠くに置いてきたモナが馬の鬣を撫でながら言うとアニーが少しだけ名残惜しそうに剣を鞘に納めた。そうしている内に、回転の勢いを失った群れは球体を解き、無数の足を使って丘を登り始めた。
「私、あれ苦手です」
「あら。かわいいと思うけど。一匹持ち帰りたいくらい」
「ミアミは悪趣味」
群れは次々と丘の向こうに消えていき、こちら側に弾かれていた最後の一匹も無事に群れに合流していった。それを確認したノーラがカールたちのところにやってきた。
「危険は無いようです。先に進みましょう」
「よく丘の向こうに隠れていたストロリポリ(大ダンゴムシ)を見つけたね」
「ワシャワシャと足音がしましたから。最近は数も増えていますのでいそうな気配はしました」
「いい耳を持っている。ヒョーが目をかけるわけだ」
「ありがとうございます」
カール達はその後も、道沿いに東に向かった。途中、空飛ぶクラゲや首無し猫などの怪物の姿もあったが、それらはやはり人間に積極的に害を加えるものではないので、結局何事も起こらなかった。
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