第7話 出発〜馬小屋の横で朝食を〜

「お客さんは観光ですか? それなら街から歩いて一時間くらいの所にある小人の森がおすすめです。不思議島名物のマンドラ・ビーツが歩く姿を見る事ができます。南に進むと、羽根イルカの生息地があります。すごいですよイルカが空を飛ぶんです。他にもヘルメサンドのあるネス半島には日帰りで行ける名所がたくさんありますよ」

ヘルメサンド観光案内

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 辺り一面が真っ白い朝靄に覆われていた。

 港町であるヘルメサンドの朝霧は一際濃い。ほんの数歩先も見えないほどだが街灯の明かりのおかげでどこが通りかはかろうじてわかった。


 カールは眠気を払う様に頭を振ると、荷物を背負い直し宿屋を出た。空は薄らと明るくなってきたが、街の住人のほとんどは眠っている時間帯だ。行き先は冒険者街の端にある東の城門。霧の海を泳ぐ様にゆっくりと進む。とはいえ冒険者街から城門まではほんの一区画で、十五分もかからず城門前の広場に到着した。


 城門の前の広場は、いざという時には外から来た数百人の兵士が天幕を張れるくらいの広さがある。それを囲むように宿屋や厩、日用品や旅用品を売る商店などがある。カンテラの灯りを振りながらホットミルクを売り歩く青年や、依頼主の名前を呼びながら歩く冒険者、屋台でかき込むように朝食を食べる兵士と早朝にも関わらず広場には活気があった。


 広場に入ったカールは周囲を見渡す。


 (霧も濃いし人も多い。モナたちを見つけるのは一苦労だな)


 そんなことを考えた矢先、まるで最初からカールがそこにいる事を知っていたかのうに正面の霧からアニーが現れた。


 「カビル卿、おはようございます」

 「ストロボルムさん? おはよう。いい朝だね」


 アニーは金属製の防具を身に着け、分厚い毛皮のマントを羽織り、腰には剣を差していた。胸当てや脛当ては良く手入れがされており、両方とも花をモチーフにした装飾が入っている。


 「今日は霧が濃いので足下に注意してください。あちらに他の仲間と馬が待機しています」

 「どうして私がここにいるとわかった?」

 「カビル卿が宿泊されている宿から門までは一本道です。ここで待っていればいつか来られると思っていましたので」

 「確かにね」


 どうやらアニーは通りの出口でずっと待っていたらしい。相変わらず不機嫌そうではあったが、仕事には忠実らしい。

 

 アニーはカールを広場にある貸し馬屋の一つに案内した。そこには馬が二十頭は入る厩があり、その隣の事務所では日帰り用に馬を貸し出しており、何組かの冒険者や商人が店員と価格の交渉をしていたがどうやら馬が足りなくて困っているらしかった。

 アニーは事務所には向かわず、店の外に並べられた馬の列に向かった。そこには既に五頭の馬が並んでいた。馬の傍には簡単なテーブルとイスが置かれており、そこには昨日とほぼかわない恰好の白い帽子に白い神官服を着たモナ、黒いローブを着たミアミ、他にもう一人の女冒険者が座り朝食を食べていた。


 厩の目の前で食事をするなど王都の貴族の令嬢はまずやらない。馬や土、干し草などが混じった匂いが漂う空間で、モナたちは美味しそうに赤いソースのかかった肉団子とパンを食べていた。不思議島の名物、羊の肉団子マンドラ・ビーツソースかけだろう。カールも同じ物を宿で食べて来ている。


 モナはカールの姿を見つけるとフォークをテーブルに置き椅子から立ち上がり、大きく手を振りながら駆けよってきた。カールも軽く手を上げて答える。


 「おはようございますカールさん、会いたかったです。 えいっ!!」


 掛け声をかけながらモナがカールにタックルを仕掛けた。もちろん、カールを倒すためではなく、抱き着くためだ。昨日、会った直後の時は身を躱したが、今回はある程度親しくなっていたので受け止めてしまう。旅用の厚手で頑丈な服に冬用のコートを羽織ったモナの体重がカールにかかる。


 「カールさん! ついに私の愛を受け止めて、てあれ?」


 カールはモナを受け止めた後、抱きしめはせずすぐに押し返して二人の距離を保つ。

 

 「カールさん、ちょっと冷たいです。昨日はあんなに色々尽くしたのに」


 モナがわざとらしく泣き真似をすると、なぜかアニーが冷ややかな視線をカールに向けた。


 「昨日は助かったよ。色々と買い物に付き合ってくれて」

 「いえいえ、カールさんのためなら何でもしますよ。コートに剣に、ポーション。それに地図や食料、色々ご一緒できて楽しかったですよ。最期はご飯までごちそうになって」

 「モナ、あなた昨日は神殿に戻ったんじゃなかったの」

 「うーん、あの後偶然カールさんにお会いしちゃって」

 「あなたという人はどうしていつも……」


 アニーはモナへの文句を言おうとして言葉を飲み込み、カールに頭を下げた。


 「カビル卿、モナが失礼なことをしませんでしたか」

 「本当に買い物に付き合ってもらっただけだよ。私がいたころと街がずいぶんと変わっていたから、正直モナさんに案内してもらえて助かったよ」

 「それならば、良いのですが……。モナ、とにかくあなたはカビル卿に迷惑をかけないこと。厩の人に私たちが出発するって伝えて来て」

 

 モナは「はーい」とやる気のない返事し、カールにウインクする。アニーが軽くモナを小突くと、モナはしぶしぶと事務所の方に向かった。「こちらに」といって仏頂面のままアニーが馬がつながれている場所までカールを案内した。


 「カビル卿、私の仲間を紹介します。レンジャーのノーラと魔法使いのミアミです」


 アニーに呼ばれ、二人の女性冒険者が席から立ち上がる。一人は昨日も会ったミアミ。厚手の布で出来た黒っぽいローブの下に黒いズボンを履いている。もう一人、ノーラと呼ばれた女性冒険者はマントと、その下に皮のベスト、背中には弓矢を背負っておいる。年頃はアニーと同じくらいでまだ十代後半に見えた。それぞれ両手を胸に当て、カールに対して深々と頭を下げる。


 「二人とも顔を上げて。ミアミにノーラさん? カール・カビルだ。よろしく頼むよ」


 カールが言うと二人は黙ったまま顔を上げる。初対面のノーラという少女はともかく、昨日カールを呼び捨てにしていたミアミも妙にかしこまった態度を取っていた。


 「改めてよろしくミアミ。魔法の腕には期待しているよ」

 「お昼の鶏肉を冷やすためにもう一回使っちゃたからあまり期待しないで。カールの腕前にも期待している」


 あっさりとミアミは昨日と同じ対等なしゃべり方に戻った。ちらりと横を見たのでどうやらアニーに遠慮したらしかった。カールを呼び捨てにしたミアミに当然のようにアニーが眉をひそめる。


 「ミアミはカビル卿と知り合いなの?」

 「ええ。古い知り合い」

 (そうだったか?)


 そう言われるとアニーも言い返すことができない。


 (昨日初めて会ったとはいわない方がよさそうだ)

 

 カールは視線をぶつけ合っているアニーとミアミから目を離し、初対面の冒険者に顔を向けた。

 

 「ノーラさんだったかな? よろしく。私のことはカールでかまわないよ」


 カールが笑顔で手を差しだすとノーラは手を握り返していいものか躊躇した。それを横で見ていたミアミが助け舟を出す。


 「大丈夫。カールは平民出身だから多少の無礼があっても気にしない。現に私が呼び捨てにしても何も言わないでしょ」

 

 それを聞いたノーラは少しだけ迷った後、差し出されたままのカールの手を軽く握り、すぐに手を離した。


 「君はレンジャー?」


 ノーラがかしこまったまま頷く。


 「ノーラはお城で兵隊に弓を教えている。あの「目潰し」ヒョー・リエットの側近」

 「いえ、側近だなんて。私はリエット様の部下で、お手伝いをしているだけです」

 「ヒョーの? それはすごいな」


 リエットはかつてのカールの仲間だった男だ。二つ名の由来は大型のドラゴンの目をたった二本の矢で貫いたこともに由来する。カールの「立たず」と違い人に語りがいのあるエピソードだ。弓の技術には相当なもので、そのリエットに認められているということはノーラという少女も相当な腕前だと思われた。

 

 リエットの弓の腕は一流だが、それ以上に耳と目がよかった。森や山ではもちろん、都市でも様々なうわさ話を集め、隠された真実を暴くことが得意だった。将来は貴族の浮気調査をする探偵になる、冒険者時代のカールにリエットはよく冗談でそう言っていたものだ。しばらく思い出にふけるカールに、ノーラは沈黙に不安を感じてしまった。


 「カビル卿? 私何かお気に触る様なことを言ってしまったでしょうか」

 「ん、ヒョーの事を思い出していただけだ。それに私はカールでいいよ」

 「しかし、それは……」

 「カビル卿、出発準備が整った様です」


 事務所の方からモナが小走りでやってくるのを見てアニーが言った。カールは改めて自分の護衛に着く四人の冒険者を見渡した。戦士のアニー、神官のモナ、魔法使いのミアミ、レンジャーのノーラ。パーティの半分が魔法を使える、逆に言えば戦闘中の護衛が必要で、前衛で戦えるのはアニーだけ。パーティバランスはあまり良くない様に思えた。


 「ずいぶんと後衛寄りの編成だね」

 「問題ありません。今回カビル卿が向かう北には最近怪物の出現報告がありません。荷物持ちの人足だけでも十分なくらいです」


 アニーはそもそもこの仕事が気にいらないらしい。戦士である彼女が荷物持ちで十分な仕事をするわけだから当然と言えば当然だった。


 「まあ、万が一の時は私も戦うから頼ってくれ」

 

 カールは腰に差した剣を鳴らした。


 「さっすが、私の運命の人、です」


 息を切らせながらモナが四人に合流した。さきほどので懲りたのか、あるいは自分が少し獣臭くなっていることを気にしたのか。今度のモナはカールに抱きつこうとはしなかった。カールは全員がそろったので改めて一人一人の顔を見た。


 「さて、みんな。改めてカール・カビルだ。今回は旅の護衛をよろしく頼む。今回は都のパーティの余興に不思議島のエプルア山脈に咲いている薄雪花を取りに行く。道中危険は無いだろうけれど、よろしくお願いするよ」

 「薄雪花? それならうちの魔法屋でも押し花を売っているけれど。昨日言ってくれれば良かったのに」


 真っ先にミアミが口を開いた。

 

 「今回は物自体よりも取りに行くエピソードが大切なんだ。困難を乗り越えて私自身が手に入れた幻の花といった方が王都の社交界での受けがいいんだ」

 

 そういうことなら、とミアミは納得した。


 カールはまだ旅の本当の目的は話していない。口の堅い冒険者ということでホルンには依頼しているが、街を離れるまでは旅の本当の目的、宝石蝶を採りに来たとは伝えられない。薄雪花の採集は偽装用の目的だ。薄雪花は、宝石蝶の生息地とされている輝きの泉に近い、エプルア山脈に咲いているので旅の進路はほとんど変わらない。


 アニーは平静を装ってはいるが、たかが花摘みにと不満そうで、モナはカールと同行できるならどこでも幸せ、ノーラは特に何も感じてはいないようだった。それでも、仕事をきちんとこなしたいらしく、一行のリーダーを務めるアニーが一歩前に進み出て、テーブルの上に地図を広げる。五人は小さなテーブルの上に広げられた地図を囲んだ。


 「カビル卿、昨日お話したエプルア山脈までの道順です。まず一度、東のアブロテンの村に寄り一泊、そこから二日かけて北上し。エプルア山脈の南端には三日目の日没前に到着します。山の麓で一泊し、翌日に薄雪花を採集、また一泊し、同じルートでヘルメサンドまで戻ります。約八日間の旅程ですが、採集がうまくいかなかった場合最長で二日滞在を延長します」

 「最大で十日だね。問題ないけれど、なぜアブロテンを経由するのかな。ヘルメサンドから直接北に向かった方が半日ほど余裕ができるのでは?」


 ヘルメサンドは不思議島の南西側にあるネス半島の西端にあり、その半島の付け根ある村がアブロテンだった。アブロテンは島の南側の内陸にあるので、北に行く事だけを考えるのならばわざわざアブロテンに寄る必要はない。ヘルメサンドから海岸沿いに東に進めばいいのだ。


 「ホルン様からの指示です。別件の輸送任務と念のためカビル卿とアブロテンに向かうよう言われています」

 「念のため?」

 「アブロテンはホルン様の遠征部隊の後方基地になっているのです。現在ホルン様が部隊を率いて怪物の根拠地を攻撃していますが、アブロテンの防御を固めるためにもカール様に立ち寄ってもらいたいとのことです」

 「僅か一晩の滞在だけど構わないのかな」

 「万が一の万が一、そうホルン様はおっしゃっていました。アブロテンも二週間程前に一度襲撃されていますが、それ以降は特に大きな戦闘はありません。ですので、カビル卿のお手を煩わせることはないかと思います」


 アブロテンの村はいわばヘルメサンドの防壁的な役割を担っている。カールが現役の頃から村は柵で囲まれ、銃や大砲を持った兵士が警備にあたっていた。そこに剣を持ったカール一人が加わったところで大した戦力にはならないと思われたが、ホルンの要請ならとりあえず従う以外の選択肢はなかった。


 「わかった。そのルートで行こう」

 「ご理解、感謝します。それではカビル卿、そろそろ開門の時間になります。荷物を馬に積みます」

 「頼む」

 

 カールが荷物をアニーに渡す。カールの荷物は虫取り網の入った筒、予備の網や金具が入った袋、虫かごの入った袋、宝石蝶から宝石を取り出すための道具があった。外見からはわからないようにそれぞれがケースに入れられているの。アニーは一つずつ、皮ひもで鞍左右に縛り付けた。さらに旅用の携帯食料や予備の武器、毛布などが入ったバックパックを括り付け、カールの旅支度は完了した。アニーは楽しそうな表情はしていなかったが手際は鮮やかなものだった。


 ふと他の馬を見ると、どの馬も妙に多くの荷物を積んでいた。特に目立ったのはミアミの馬で左右に大きな木箱を一つずつ下げている。


 「その荷物は? 妙に頑丈そうだけれど」

 「あの箱には魔法の箱が入っている。私の冷却魔法で野菜とか果物とか肉とかを冷やしている。だから昼食には期待して。他は魔法のポーション。ガラスは割れやすいから」


 ミアミの荷物は布で覆われた大きな木箱のようで、昨日カールが購入したポーションなら二十本以上が入りそうな大きさをしていた。半分に肉や野菜が入っているとしても十本はありそうだ。それが左右に一つずつある。通常、冒険者が旅に持って行くマジック・ポーションは一つか二つと決まっている。そもそもポーションが高価なので庶民には手に入りにくいし、大抵の冒険者は回数が終わる前に撤退する。


 「私が冒険者をしている頃、昼食は干し肉とパンが当たり前だったけれど、最近の冒険者は随分といい物を食べるんだね」

 「これは貴族やお金持ち向けのサービス。一応、カールも貴族だから。私たちだけなら食事は保存食とか乾燥した豆を塩水で戻すだけ」

 「そういうことか。箱に入っているのは八日分の食料なのかな?」

 「今日の分だけ。残りはアブロテンで買い足す」

 「じゃあ明日以降は普段通りの食事でいいよ。その方が荷物も減るだろう?」

 

 ミアミはアニーの方を伺う。アニーは仕方なさそうに頷いて返した。


 「わかった。あの箱はアブロテンに置いておく」

 「カビル卿、そろそろ開門時間です。今日は天候は荒れない見込みですが、アブロテンまでは半日以上かかります。休憩はこまめに取りますが途中で疲れた遠慮なく声をかけてください」

 「わかった」

 

 カール、アニー、モナ、ミアミ、ノーラの五人はそれぞれの馬を引き、はぐれない様に密集しながら城門に向かった。城門の前では、カールたち以外にも大勢の冒険者が開門を待っていた。多くは軽装でヘルメサンドの周辺の観光案内や、日帰りの採集の仕事などを引き受けているらしかった。冒険者の中に篭を持った少女の姿もあった。ふとカールは昨日港で分かれたイエニーを思い出した。不思議島での初めての夜を彼女はどう過ごしたのだろうか。


 しばらくすると城壁の上で兵士が鐘を六回鳴らした。


 「開門!」


 別の兵士が大声を上げると、重々しい音を立てながら城門がゆっくりと開く。

 外からの風が流れ込み、広場に溜まっていた霧を吹き飛ばした。ぼんやりとした周囲がはっきりと見える様になる。あくびをしながらいつもの仕事に繰り出す冒険者。初めての不思議島に胸を躍らせる金持ち。巡回に向かうらしい兵士達。様々な人がそこにはいた。


 カールは開いた城門から見える不思議島の風景に目を細めた。

 岩がちな平原と切り立つ崖。春になったばかりの大地には薄らと草が生えている。

 湿気を帯びた冷たい風、岩の匂い。慣れ親しんだ不思議島との再会にカールの胸は高まった。


 「では出発しましょう」


 アニーの合図で、五人は馬を引きながら他の冒険者と一緒に城門の外に出た。

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