第2話 船上にて

 「嬢ちゃんは不思議島に渡りたいって? 金はあるのか? うーん、それだけじゃ、雑魚寝の三等客室で食事無しになるな。え、それでも船に乗るってか。わかった、なら船長に話をつけておく。不思議島までは丸一日かかるから、保存食でも買っておいた方がいいぜ。ああ、水くらいはサービスしてやるよ」

プサラの港にて、とある船の副船長

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 灰色の空と深い藍色の海、そこに肌を刺すような風が吹く。

 

 レーフ伯爵夫人との会合から一週間後、カール・カビルは不思議島に向かう船の上にいた。

 船は大型の木造帆船で、三段の甲板と三本のメインマストを備え立ていた。かつては別の国で旧大陸と新大陸の往復に使われていたが、旧式化したためノスアルク王国のスオース伯爵家が買い取り、今は王都プサラと不思議島間の輸送連絡船として乗客や商品を運んでいた。


 この船がプサラを出航したのは昨日の昼頃。ほぼ丸一日経った今の時刻は正午を少し過ぎた頃、男爵であるカールは先ほど船長室で早めの昼食を食べ終え、腹ごなしも兼ねて甲板に出たところだった。水平線の上には小さな影が見えている。目的地の不思議島だ。

 

 冬が終わったばかりの海風はまだ冷たく、船旅用に用意したコートの内側にも冷気が入り込んで来たが、先ほど食べた昼食のおかげで身体は内側から温まっており、何よりこれから島に渡るという興奮の前に多少の寒さは気にならなかった。カールの人生の半分、十四歳から約十年間を不思議島で過ごしており今回の旅は故郷への帰省のようなものだった。


 カールが島を見ている近くで、痩せた少女が一人、甲板の上を歩いていた。船に酔っているのか、少し足下がおぼつかない。見かねた副船長の男が少女に声をかける。


 「嬢ちゃん、あんまりふらふらして作業の邪魔はするなよ。後少しで島に着くから船室で横になってな」

 「あ、ごめんなさい。もう少しだけ」


 痩せた少女は十五歳くらい。使い古された鞄を肩からかけ、継ぎはぎが目立つ綿製のコートと表面がはげかけているブーツを履いている。コートはサイズが合っておらず、足りない裾から出た腕はか細く、足下もスカートから出た素足が冷たい海風にさらされ赤くなっていた。少女は忙しなく動き回る船員を避ける様に船の手すりにしがみつき、海に目を向けた。どうやら不思議島を見るために寒さを我慢して甲板上にあがっているらしい。

 

 船には他にも何人か乗客がいたが、みな船室で休んでいるようだ。島を見る少女に懐かしさを覚えたカールは少女に声をかけてみることにした。


 「やあ。島は初めて?」


 少女は少しだけ驚き、それから大きく白い歯を見せて笑った。

 

 「はい! 初めてです。あれが、あの不思議島なんですよね」

 「ああ。後一時間もしない内に向うの港に着くはずだよ」

 「一時間? あっと言う間ですね。できればずっとここで見ていたいんですけど」

 「島を? ここは寒いから船室に戻った方がいいんじゃないかな」

 

 寒さに震えながら少女は小さく首を横に振った。

 

 「もしかしたら島を外から見るのはこれが最後かもしれないので、しっかり見ていたいなって思うんです」

 「最後?」

 「あ、私、これからあの島で働くんです。本土にはもう家族も親戚もいないので、あの島が私の新しい故郷になる予定なんです。不思議島が故郷って、不思議ですよね。おとぎ話の住人になるみたい」

 

 自分の言葉が面白かったらしく、少女は口を抑えてくすっと笑った。

 カールはそんな少女を子供の時に無くした宝物を見つけたような懐かしい気持ちで見ていた。


 二人の横を船員が駆け足で通り過ぎる。追い風を受けた船はぐんぐんと島に近づいており、船員が慌ただしく上陸の準備を始めていた。


 「嬢ちゃんそろそろ下に、ってカビル卿?」

 

 少女に注意しに来た副船長がカールの姿を見て言葉を飲み込む。

 

 「どうかしましたか?」

 「いえ、そろそろ上陸の準備に入りますので、船室に戻れと、いえ戻っていただこうかと思いまして」

 

 副船長の言葉を聞いて少女が残念そうな顔をする。

 

 「副船長、彼女と私が甲板の上にいる許可をもらえませんか? どこか作業の邪魔にならない場所にいるようにしますから」

 「え、カビル卿はその子とお知り合いでしたか」


 副船長は思わず声を裏返して尋ねた。貴族の知り合いを三等客室に放り込んで食事も与えなかった事を罰せられるのではと心配したのだ。


 「いえ、今知り合ったばかりです。あの島に強い興味を持っているようなので。ご存知でしょう、私はあの島のおかげで貴族になれたのです。島を思う少女がいたら手を貸したいと思うのです。私も彼女と一緒にいて皆さんの邪魔にならないようにしますから許可をいただけませんか?」

 「はあ、それは、まあ」


 副船長は周囲を見渡す。遠くで船長が、「好きにさせろ」といったジェスチャーを副船長に送っていた。それを見た副船長は頭をかきながらしぶしぶ許可を出すことにした。


 「カビル卿ご一緒されるというなら、はい、わかりました。では船尾側の一番奥の甲板にいてください」

 「ありがとう。感謝します」

 「へえ、恐縮です」


 副船長は両手を胸の前で組み、深々と頭を下げた。


 「というわけで、仕事の邪魔さえしなければ船尾甲板にいてもいいそうだよ」

 「本当ですか? ありがとうございます。あの、偉い方だったんですね。わたし失礼をしていなければいいんですが」

 「気にしなくていいよ。今は貴族だけど昔は平民だったから。私も君と同じ様な歳の時に島に渡って、十年ほどあそこにいたんだよ」

 「不思議島に十年もですか?」

 

 少女は十年という言葉を噛み締める様に小声で繰り返す。それから少し不安そうにカールを見上げた。


 「あの、島で暮らしていいことはありましたか」

 「もちろん。たくさんあったよ。大変なことも多かったけど、不思議島のおかげで家族同然の仲間と出会えて、自分の家族も助ける事ができた。ついでに今の身分も手に入れたしね」

 「そうなんですね。安心しました。私、島の生活にちょっと不安があって」

 「不思議島なんて名前がついているけれど、あそこも普通の土地だよ。本土と変わらないさ」


 少女はカールの話を聞いてほっとしたらしく、少しだけ肩の力を抜いた。


 「そえじゃあ、後ろの方に行こうか」

 

 カールと少女は、甲板上にある急な階段を上り、船の最後尾の甲板に上がった。先ほどよりも強い風が二人に吹き付ける。しっかりとした服を着込んだカールには何ともなかったが、継ぎはぎが目立ち丈の合わないコートを来ている少女は思わず身を震わせ両腕で自分を抱きかかえた。

 

 「ここは冷えるね。しばらくこれを着ているといい」


 カールは自分が着ていたコートを脱ぐと、少女にかけた。

 

 「あ、ありがとうございます。でもこんなに上等なコート、私にはもったいないです」


 少女は慌ててカールのコートを脱ごうとするが、カールは手を上げて少女の動きを制した。


 「気にする事はないよ。せっかく島に着くのに風邪を引いてしまったら大変だからね」

 「でも、あなたが風邪を引いてしまうかもしれません」

 「大丈夫。こう見えても私は元冒険者なんだ。これくらいの寒さ大して事ないよ」

 「でも、」

 「それに私は魔法が使えるんだ。まあ、見てて」


 カールは少女に微笑みかけると、右手を胸に当て精神を集中させた。


 「緋の衣、我を覆え。炎昼よ、我が身を照らせ。ウォーム(保温)」

 

 カールの右手がぼんやりと赤く光り、同時に初夏の熱気がカールを包んだ。カールは身体の熱を逃がすため腕まくりをして、シャツの胸ボタンを一つ外した。少女は冷たい風に肌を晒すカールに目を丸くした。

 

 「もしかして、今光ったのが魔法なんですか?」

 

 興奮気味に少女が言った。


 「その通り。今使ったのは身体を暖める魔法。まあ、温度の調節ができないから真夏に厚着をしている感じで使い勝手は良くないけどね。ほら触ってみて」


 カールは右手を少女に差し出す。少女は恐る恐るその手を握る。


 「うわあ、暖かい! これが魔法! すごい、すごいですね」

 「そういうわけだから、船が港に着くまではそのコートは君が着ててかまわないから」


 少女は少し迷った後、恥ずかしそうに頷いた。


 「ありがとうございます。それじゃあ、しばらくの間お借りします。本当にありがとうございます。ええと、」

 「カールだ。カール・カビル」

 「ありがとうございます、カールさん。私はイエニーといいます」


 イエニーと名乗った痩せた少女はカールにぺこりと頭を下げる。特に態度に変化はないので、どうやらカールがあの有名なカールだとは気づいていないか知らないようだった。本来、貴族と平民の間には超えられない身分の差があり、平民と貴族の接し方には決まりがあるのだが、カールは今の気楽な関係が心地良かったので特に何も言わなかった。

 

 「あの、カールさんは元冒険者なんですよね。ユニコーン(一角獣)って見た事ありますか?」


 イエニーは後部甲板の手すりに掴まり、島を見ながらカールに尋ねた。


 「ユニコーン? 何度か見た事はあるよ」

 「本当ですか! どこに行けば見れるんですか?」

 「ユニコーンの生息地は島の東南側だよ。でも凶悪な怪物がたくさん出るところだから、イエニーが行くのはおすすめできないな」

 「そうなんですか。街の中とかにいたりはしないですよね。馬小屋とかに」

 「どうだろう。ユニコーンは珍しいし人気があるから誰かが捕まえてくるかもしれないな。まあその場合、馬小屋じゃなくて見せ物小屋かな。一角獣が好きなんだ」

 「はい、ずっと一会うのが夢だったんです。ユニコーンの角は万能薬になるって聞いて、いつか、見てみたいなって」

 「島で働いていればいつかは見れるかもしれないね。そういえば、何年か前に一度だけ一角獣が街の城壁の外に来たことがあったかな。もしかしたらそのうちまた来るかもしれないよ」

 「はい。気長に待つ事にします。私は元気ですし」


 そう言って少女は腕を曲げて力こぶしを作って見せたが、分厚いコートの上からは何も変化はわからなかった。少女は照れ臭そうにはにかむと、照れ隠しか島の方に頭を向けた。カールも苦笑して、不思議島に視線を移す。


 「あ、カールさん、灯台が見えてきましたよ。それと城壁みたいなものも」


 イエニーは手すりから身を乗り出し、水平線の彼方を指差した。小さな棒の上でキラキラと小さな光が定期的に輝いており、その下に白と茶色の壁が見えた。


 「ずいぶんと目がいいね。あれが不思議島の唯一の都市ヘルメサンドの城壁と灯台だよ。街は怪物の襲撃に備えてぐるっと城壁で囲まれてるんだ。白っぽい壁が新しいやつで、茶色が古い壁なんだ」

 「カールさん、お詳しいんですね」

 「あの島で十年以上暮らしたからね。昔はあの城壁の上で怪物と戦ったこともある。そういえば、イエニーはヘルメサンドのどこで働くんだ?」

 「宿泊施設ってきいています。親戚の方が最近、店をもったらしくて、そこの働き口を紹介してもらったんです」

 

 最近、不思議島は冒険者の島というよりは大陸中から来る観光客向けの島となりつつある。イエニーの親戚もそんな観光客を目当てにした宿屋の経営者なのだろう、そうカールは思った。


 「宿屋なら、冒険者から面白い話がきけるかもしれない。そういえば、領主が大きな見せ物用の展示施設を作っているって話を聞いたよ。もしかしたら冒険者がユニコーンを捕まえてそこで見せるかもしれないね」

 「そうなんですね! 私楽しみです」


 イエニーはすぐに表情を明るくすると、どんどん大きくなって行く不思議島を目を輝かせながら見つめていた。


 (俺も昔はこうだったな)


 カールはそんな少女を見ながら、十年以上前に自分が島に渡った時の事を思い出していた。

 あの頃は不思議島も発見されたばかりで、島にいるのは山師や犯罪者崩れ、滅んだ国の王族とその取り巻き、新大陸を負われた海賊、脱走兵、そして冒険者とろくな連中がいなかった。混沌とした世界だったが、何も持たない若者が成功するチャンスのある場所でもあった。新大陸に開拓地を持たないノスアルク王国にとって、突然現れた不思議島は神の差し出した救いの手のようにも思われていた。奇跡と不思議の島、それが十年以上経ち、冒険もすっかり観光ビジネスの一部となっている。治安は良くなりと街も落ち着いたと聞いている。


 「私も魔法って使えるんでしょか? えいっ、羊よ!」


 イエニーが自分の掌を海に向かって突き出し、妙な言葉を叫んだ。


 「羊?」

 「魔法で羊出せたら生活がこまらないじゃないですか。あ、鶏とか山羊でもいいです。豚とか牛ならもっと嬉しい。牛よ出よ!」


 イエニーは声高に言ったが、何かが起こる気配はない。


 「まだ海の上だからダメなんでしょうか」

 「いや、随分前に島の領域内には入っているから魔法は使えるはずだよ。現に私も使えただろ? でもイエニーが魔法の才能があるかは色々と試してみないとわからないんだ」

 「才能って島に入ればわかるものなんじゃないんですか? 自然に神様からの啓示みたいに、ぱーって」

 「そういう人もいるらしいけど、大抵は魔法使いに才能の有り無しを調べてもらうんだよ。イエニーも仕事が落ちついたら魔法使いに見てもらうといい」

 「そっか、島にくればすぐ魔法使いになれるわけじゃないんですね」

 

 イエニーは少しだけ残念そうに溜め息をついた。それを見て、カールは自分が島に渡った頃、空腹に苦しみパンを出す魔法を編み出そうと無駄な努力をしたことを思い出し、一人で笑った。


 「カールさん?」

 「あ、いや、私も昔、君のようにパンを出す魔法を練習したことがあったんだ。結局、そんな魔法はなかったんだけどね。つい懐かしくなって」

 「カールさんはいつ頃使えるようになったんですか?」

 「冒険者になってから五年後くらいだったかな」

 「五年も!? 先は長いんですね。さっきの呪文を教えてもらえば私も身体が温かくなる魔法が使えるようになるんでしょうか。緋色がなんとかとか」

 「いや、人によって使える魔法は違うんだよ。それに呪文はその人の趣味でいいんだ。精神的な集中すればいいだけだからね。まあ、大抵の人はその魔法用の呪文を持ってる。その方がイメージがしやすいから魔法が失敗し難いんだ」

 「じゃあ呪文って自分で考えられるんですか?」

 「ああ。私は自分の師匠と同じ呪文を使っているけど、別の人は、「俺は暖かい」を五回繰り返して魔法を使ってたよ。要はイメージだよ。想像力をどうやって具体的にするかって事だね」

 「じゃあ、あたしが魔法を使えるのなら、かわいい呪文がいいな。羊の毛皮でもふもふするとか」

 

 カールとイエニーが船尾で島を見ながら会話をしている間、船員は忙しく船を操り、船はヘルメサンドの港に近づいていった。イエニーは城壁の上に飛び出て見える建物を一つずつカールに尋ねた。旧市街の方の建物は全て答えられたが、新市街の方は見慣れない建物が多かった。それだけ街が発展してきたということなのだろう。

 街を囲う城壁もその石組がわかるくらいにはっきりとしてきた。ヘルメサンドは海岸沿いに東西にのびた細長い街で、船は北側から港に向けて進んでいた。

 

 「右と左で壁が違うんですね。えっと右側のキレイで大きい方が新市街でしたっけ」

 「そう左の少し古い方が旧市街の城壁だよ」

 「城壁の上にある細長い棒みたいなものは何ですか?」

 「あれは対空砲だよ。細身の砲身から空高く砲弾を打ち上げ、ドラゴンやワイバーンといった空を飛ぶ怪物と戦うための装備なんだ」

 「ドラゴンが街に来るんですか?」


 ドランゴンの恐ろしさはノスアルクでも有名だった。伝説の生き物でもあるし、不思議島が発見されたばかりのころ、百人以上の兵士がドラゴンに挑み全滅したこともあった。人間を襲う怪物は多いが、人間を一口で食べてしまう怪物は少なく、その中でもドラゴンは格別の畏怖をもって語られていた。


 「滅多にはこないから安心していい。もし来ても、大砲と銃の前には大した脅威じゃないさ。旧市街の方にお城が見えるだろ? あれがさっき言ったロリオフ要塞。昔あの要塞の上でドラゴンと戦った事があるんだ。あれはひどい経験だったよ」

 

 カールは昔の冒険譚を多少脚色して話した。イエニーはいちいち驚いたり、笑ったりしながらカールの話を楽しんでいた。イエニーの反応がよいので、カールは自分に講談師の才能があるんじゃないかと錯覚するほどだった。


 船はいよいよヘルメサンドの港に入った。カール達が乗る船の周りを、小さな漁船や別の船が行き来する。風に乗って人の声や街の雑踏も聞こえてきた。


 「カールさん、カールさん、あの人は弓矢を持っていますよ?」


 イエニーが城壁の上で警備に当たっている人影を見つけた。その人物は金属製の胸当てを身に着け長弓を持っており、すぐ隣にいるマスケット銃を持ち青い軍服を着た兵士と比べると百年以上生きている時代が違うように見えた。


 「あれは冒険者だよ。この島では、兵士以外は銃火器を持つ事が禁じられているんだ。だから冒険者は中世と同じ様に剣と鎧、弓矢や盾を使って怪物と戦わなければならないんだ」

 「銃の方が強いのに?」

 「冒険者は気が荒い人が多いからね。そんな人たちに銃を与えるのは危険だって王様が決めたんだ」

 「え、そんな荒っぽい人が多いんですか?」


 イエニーの顔に影が落ちる。

 

 「大丈夫。多少乱暴な人は多いけれど犯罪者は少ないよ。街で悪さをしたらすぐに牢屋行きか島からの追放さ。冒険者が街で悪さをすることはほとんどないよ。みんなお金儲けにきているわけだからね。それにイエニーが働く宿屋なら、お客さんは本土からくる観光客だろうから怖いことはないはずだよ」


 カールの言葉にもイエニーは安心することは無く、不安そうにしていたが、しばらくして何かを納得したらしく「そうですよね」と言って笑顔に戻った。


 船はいよいよ港に入り、速度を落としてゆっくりと桟橋の一つに近づいた。ある程度まで近づくと、乗組員達が船の舷から縄を投げ、それを港側の男たちが受け取り係船柱に繋ぎ止める。あっという間に船は桟橋といくつものロープで結ばれる。


 「そろそろ降りる準備をしないとだね。私は船室に荷物を取りに行くけど?」

 「私はこれで全部ですので大丈夫です」


 その言葉に、カールは少し表情を固くした。これから島で暮らそうとするにはあまりにも少女の荷物が少なかったからだ。肩から掛けた鞄は小さく、おそらく財布とハンカチくらいしか入っていなさそうで、着替えの一つも入っていなさそうだった。少し少女の境遇について追及したい気もしたが、カールは自分の船室に戻り荷物を取ることにした。船尾の甲板から降り、船内に入る。カールの部屋は船長室のすぐ隣にありアクセスしやすかった。


 カールは部屋の隅に置いてあった荷物を背負う。宝石蝶を採るための虫取り網や籠、宝石を取り出すための道具は外からわからないように分解してそれぞれケースにしまってある。そのため、荷物はずいぶんと大きくなっており、狭い船室の出入口から出るのにちょっとした工夫が必要だった。


 甲板に上がると、既に桟橋と船をつなぐタラップが下りており、船員や上客が桟橋へと降りているところだった。イエニーはタラップの入口でコートを脱いでカールを待っていた。


 「コート、ありがとうございました」

 

 カールはコートを受け取ろうとし、少し考えた。彼女の境遇がどうであれ、結局は他人だ。コートを与えても身分不相応な物を持った彼女が強盗にあったりあらぬ誤解を受けたりする可能性もあった。しかしイエニーの小さな鞄を見て考えを固めた。

 

 「それはもっておくといい。質屋で売ればちょっとした金額にはなるはずだ」

 「え、でも」

 「大丈夫。私はこれから島の奥に行くための新しいコートを買う予定で、それはもう使わないんだ。そうだ、小銅貨を一枚もらえるかな」

 「え、はい」


 イエニーは小さな鞄から小さな袋を取り出し、そこから小銅貨を一枚取り出す。見たところ、その袋には大した額は入っていなさそうだ。ちなみに小銅貨一枚は安いパン半分くらいが買える価値しか無い。


 「これで取引成立だ。そのコートは君のものだよ」


 イエニーは目を丸くし、やっぱり受け取れませんと言ったが、カールは半ば強引にコートを着せた。それを、カールを見送りに来た船長と副船長が何とも言えない表情で見ていた。別の船員がイケメンは手が早いと小さくつぶやき、副船長に殴られていた。

 

 「ほら、早く降りないと他のお客の迷惑になるよ」

 

 結局、イエニーはしぶしぶながらコートを受け取った。長身のカール向けのコートはイエニーには大きすぎたが、足首辺りまですっぽり覆われており暖かそうだった。


 カールとイエニーは、カールを見送りに来た船長と船員に挨拶をすると船から降りた。副船長の男が少し不安そうにイエニーとカールを見ていたので、カールは安心するよう手を振ったがそれが彼に伝わったのかはわからなかった。

 タラップは大きな木の板に滑り止めの細い木の棒をつけただけの簡単なものだったので、イエニーは時々よろめき、その度にカールが腕で少女の細い身体を支えた。もしかしたらコートが重すぎるのかもしれない。それでも、イエニーは転ぶ事無く急なタラップを降り、ついに不思議島に降り立った。揺れが無くなったことでかえってバランスを崩すがなんとか踏みとどまる。


 「やっと着きました。初めまして、不思議島。そしてありがとうお船さん!」

 

 二人が桟橋に降りると、イエニーは晴れ晴れとした表情で先ほどまで乗っていた船を見上げた。船の上では副船長がまだ不安そうにカールとイエニーを見ており、イエニーは彼に向かって大きく手を振った。やがて他の乗客もタラップを降りてきたので、カールとイエニーは桟橋の出口の方に進んだ。


 「ありがとうございます。なんだか助けてもらってばかりでごめんなさい」

 「いや、イエニーのおかげで船旅を楽しめたよ」

 「私も楽しかったです。カールさんはこれからどうされるんですか?」

 「俺は迎えが来るはずだから、ここで彼らを待つつもりだ。イエニーは叔母さんの宿屋にいくんだっけ」

 「はい。溢れるリンゴジャムという宿泊施設みたいです」


 カールの知らない店だった。最近新市街にできた観光客向けの宿の一つだろう。


 「それではカールさん、道中色々とお話をいただきありがとうございました。それからこんな立派なコートも。いつかうちの店に来てくださいね。サービスしますから」


 イエニーは小さな肩掛け鞄の紐を両手で掴むと真っ白な歯を見せて笑った。


 「ああ、気をつけて。機会があったら寄らせてもらうよ

 「ありがとうございます! カールさんも良い旅を」


 カールが手を振って見送ると、少女は桟橋を駆けて行き、街の中の雑踏に消えていった。その後ろ姿を見守りながら、カールはイエニーのこれからに良いものになるよう、神に祈りをささげた。カールの信仰するリーゲル神は宿泊と多産の象徴なのできっと宿屋で働くイエニーを助けてくれるだろう。

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