I REMEMBERED ②

「……おい、良い加減起きたらどうだ」


 俺は横ですやすやと安らかな寝息を立てているクロウタドリへと声を掛けた。……反応なし。ムカついたので渾身のデコピンをその額に喰らわせてやる。

「んぐっ……」

 痛みに眉間をしわくちゃにする奴。それから目を擦りつつ、心底眠たそうに軽く身を起こした。

「なんだよお、折角気持ちよく寝てたのに……」

 俺は鼻で笑う。よく言いやがる。

「バレてねぇとでも思ってんのか。この狸寝入り野郎が」

 薄目を開けたまま暫く黙っていたクロウタドリだが、やがて観念したように嘆息すると、完全に起き上がってその場に胡座をかいた。

「よく気付いたね」

「はっ、くせえ演技を二度も見せられるこっちの身にもなれよ」

「おいおい、今のはともかくアンインでは上手くやってただろう?」

「どうだかな」

 そして、俺は奴をじっと見据える。奴はその視線を逸らすことなく受け止めた。

「……どうして優等生を追わなかった?」

 つい先刻、あいつはラッキービーストを連れて外へと出ていった。てっきりその時に後から追いかけるもんだと思っていたが、こいつはそら寝を今の今まで続けていた。

「別に? 大した理由はないけど」

 クロウタドリは頭を掻きつつ返した。

「前に話した通りセルリアンに襲われる危険性は無いだろうしね。それに、行き先だって分かってるからさ」

「女学園か」

 奴は頷く。

「そ。ほんとは明日行く予定だったけど、あの様子を見ると居ても立っても居られなかったんだろうね。まあ、僕たちが付いていくよりもじっくりと見て回れるだろうし、好きにさせていいんじゃないかなって」

「……だとしてもだ」

 俺は腑に落ちず食い下がった。

「仮にも旅の仲間だろ。目的地の一つなんだから普通は付いていってやるもんじゃないのか」

 それを聞いたクロウタドリは、軽く目を見開いたのち、苦笑気味に言った。

「やっぱり君は優しいね」

「……どうしてそうなる。当然の疑問だ」

 それに、と俺は軽く横を向いて続ける。その先にあった窓の外には叢雲の掛かった月が浮かんでいた。

「お前らを追跡しているらしい例のセルリアン、そいつが優等生を襲うことがあったらどうするつもりだ。今は有益な存在かもしれないが、何時牙を剥くか分からないんだろう」

「それは多分大丈夫」

 奴は即答した。

「追いかけられていると言ってもね、あおちゃんには簡単に手を出せない状況にあるんだ。だからその点については心配は要らない」

 俺は眉根を寄せる。それはどういう意味なのか。簡単に手を出せないとは、そいつの目的に支障が出るからなのか、それとも物理的な障害があるからなのか――。


 そこで、はたと気付く。俺が二人の追跡を始めた時から、不可解な現象が相次いでいた。キョウシュウとゴコクを結ぶ連絡橋が崩落したこと。そして、定期的に発生する局地的な地震。もしもそれらが、関連付いているとしたなら。


「お前、もしかして――」

 奴を睨め付けて俺は訊ねる。

「そのセルリアンの正体が何なのか、?」

 思えばおかしなことだらけだった。脅威が迫っていると気付いているはずなのに、こいつは優等生を一人にする状況を易々と作り出していた。それは、これくらいなら大丈夫、と当たりを付けられるくらいには敵の素性を察知していなければ出来ないことだった。

 奴は答えない。俺は声を荒げた。

「おい、答えやがれ。お前はどこまで知っている? そもそも、優等生をあそこから連れ出した本当の目的は何なんだ?」

 「死に場所探し」――そんなもの、嘘に決まっている。そんなことのためだけに、セルリアンの正体を知りながら、そいつが狙っている存在をパーク・セントラルまで連れ回す訳が無かった。優等生を危険から遠ざけるためか? いや、抜け目のないこいつのことだ、追跡されることは織り込み済みだったろう。だったら、何故――。


 頭に過るある事実。気のせいだと頓着していなかったことが、今になって浮かんできた。

 二人の旅路――それはどういう訳か、


「――そろそろ着く頃かな」

 矢庭に立ち上がるクロウタドリ。月明かりを浴びて双眸の金の円が不気味に輝いた。

「おい」

「君はここで留守番ね。オコジョちゃんが起きて誰も居なかったら困っちゃうだろうから」

「待て」

「それじゃ、行ってくるよ」

 奴はドアの方へと歩き出す。ノブを握ったところで、追いついた俺はその肩を粗雑に掴み、身を無理矢理翻した。胸倉を掴み上げて戸に打ち付ける。

「……痛いよ、ミソサザイちゃん」

「ざけんなよ」

 俺は怒りを滲ませた低い声で呟く。


「あいつを、優等生を、?」


「……」

 少し目を逸らすクロウタドリ。夜の静寂が暫し続いたのち、静かに口を開いた。

「――件のセルリアンが、あおちゃんに特異的に反応していることは確かだった。彼女が動かない限り、あれもキョウシュウのアーケードのに在り続けただろう」

「へえ、そうかい。それで、そんな大層な怪物をこちらまで誘き寄せてどうするつもりだ?」

「そんなこと、聞くまでも無いだろう」

 そこで奴は俺の両手を振り解くと、後ろ手でドアを開いた。そのまま戸外へと出て玄関へと向かっていく。俺はそれに続く。

「勿論のこと、自力でどうにかできるとは思っていないさ。だからこちらまでやってきたんだ――セントラルの研究所にいるという彼女を当てにしてね」

 ローファーを履き終えたクロウタドリは、こちらを振り返る。顔つきがまるで変わっていた。これまで常に湛えられていた笑みは消え去り、代わりに引き結ばれた口と射る様な鋭い眼差しがそこにはあった。

「今のパークがもう長くは無いことは分かっているだろう。君と同じで、僕も必死なんだ。終わりが来る前に全てに蹴りを付けなくてはならない――の命にも、僕の罪悪にも」

 奴はドアを開ける。外の冷気が足許を潜り抜けた。俺は一歩を踏み出すが、そこで返す言葉を持たなかった。


「全てが終わったら消えるさ」


 ドアが閉じられる音を最後に、廊下は静寂に満たされた。冷たいフローリングの上に立ち尽くしたまま、俺は両の拳を握りしめていた。



***



 静まり返った教室に響く、ドアが揺れる音。数度開けるのに難儀したのち、ようやくそれは開かれた。室内に入ってきた彼女は、窓下で膝を抱えている私を認めると、鷹揚に声を掛けてくる。

「ここにいたんだね。無事で良かった」

 散乱した椅子や机をどかす物音を挟みながら、足音が近付いてくる。あと数メートル、というところで、私は声を上げた。

「来ないで」

 そこで足音はぱたりと止む。そして、私は俯いたまま沈黙した。

 蹲ったままの私と立ち尽くした彼女は、それから長い時間、沈黙の中で対峙していた。彼女は私が語り出すのを待っているようだった。でも、声が出ない。自分の中にある全ての活力が、先の一瞬間のうちに奪われ、払底してしまっていた。――いや、奪われたんじゃない。最初から、そんなもの無かった。私なんかが、持っちゃいけなかったんだ。

 どれくらい経っただろうか。低く重い呻きを上げたのち、やっとのことで私は口を開いた。


「……思い、出した……全部……何もかも……」


 布が擦れる音がした。目の前の彼女は多分、しゃがみ込んで、私に目を合わせている。けれど、顔は上げられなかった。

「アニマルガールとして生まれてから、異変が起こるまでの、全て……思い出した……思い出したのよ――全部」

 戻ってきた記憶を辿り、そして嘔気が押し寄せてくる。

「思い出せば、変われると思っていた。元の自分に……異変前の、ちゃんとした自分に、戻れるんだって、そう思って……でも、違った、そんなことなかった、私は生まれた時から、ずっと空っぽだった、今と同じで、何にもなくて――」

 そこで、私の胸を突然息苦しさが襲う。呼吸の仕方が分からなくなる。突如脳裏に過る異変の瞬間。それが更に苦しさを増し、私を恐慌状態へと追い立てた。浅く速い呼吸を繰り返す私に彼女は近付き、肩へ手を置いた。

「落ち着いて。前屈みになって腹式呼吸を意識するんだ。カウントに従って呼吸のスピードは出来るだけゆっくりに。1、2、3、4。1、2、3、4――」

 私は彼女に従って呼吸を整える。暫くすると、しっかりと深い呼吸が出来るようになった。落ち着いてみて、全身を覆う嫌な汗を感じる。そこで初めて、私は顔を上げて、彼女――クロウタドリの顔を見た。


「……思い出したの」

 私は改めて言う。

「異変が起こったあの日――あれは春、三月のことだった。卒業式当日だった。……私は式に行かなかったの。なんでかは分からない。分からないけれど、それでモノレールに乗って、キョウシュウ地方へと向かっていた。終点に到着する前に大きい地震が起こって、それで、それで――」

 そこで再び襲う嘔気。堪えて、やっとのことで、言葉を継ぐ。


「――


 クロウタドリは瞬き一つしない。ただ黙って私の言葉を聞いていた。


「ねえ――ねえ、なんで、なんで私、生きてるの? みんな、沢山の夢を持ってた。みんな、ちゃんと前を向いて、幸せに生きていた。私はそうじゃなかった。夢なんて無かった。何の目的も持たず、のうのうと生きてきた。異変の後だって同じ。ジャイアントやマーゲイはしっかり過去に向き合ってもう一度歩き出していた。オコジョはずっと生き残った責任を感じてパークのために全力を尽くしていた。それなのに、私は……自分のことを哀れな被害者だと思い込んで、言い訳ばっかりして、なんにもしないで暮らしてきた」


 視界が滲む。彼女の顔はもう見えない。


「生き残るべきは、私じゃなかったのよ。ちゃんと夢を持って、希望を抱いて、前を向いて歩けるような、誰かであるべきだった。それなのに、みんな死んじゃって、私だけ――」


「……あおちゃん」


「私、クラスの皆のこと、すっかり忘れてた。皆、卒業式に来なかった私にこんなに沢山の手紙を書いてくれたのに。優しかったのに。私は全部忘れてた。それに――あの子のことだって。最低、最低よ」


「あおちゃんっ!」


 クロウタドリは叫んで私の両肩を掴んだ。私はそれを無理矢理振り解く。

「触らないでッ!!」

 教室に響き渡る絶叫。刹那の静寂を置いて、私は言葉を継ぐ。

「……ねぇ、あなた、誰なの? 入学から卒業まで女学園のことは全部思い出したはずなのに、あの子と同じで、。思えば、あなたはいつも曖昧なことしか言わずに、学生時代の思い出なんて一つも語らなかったわよね。よく考えてみれば、ミソサザイがあなたのことを知らなかったのもおかしかった」

 私は彼女の双眸を睨め付ける。不気味に光る光円が、私の猜疑心を駆り立てた。

「――私の友達だったなんて、嘘なんでしょ。……ううん、あのアーケードの地下室で最初に私と出会った時から、あなたは嘘しか吐いてこなかったんだわ。それで、ミソサザイと同じで、私のことを利用しようとしているのね」

「……」

「ねぇ、答えてよ。何が目的なの? 私を使って何をしようとしているの? いいわ、協力してあげるから。どうせ私にはもう生きる意味も価値も無いんだから。だったら駒として使われて死んだ方がよっぽどマシ」

「……それは違う」

「何が違うのよ?! あなただって私のこと、本当は何とも思っていないんでしょう? 初めに私のことを心配してるだなんて言ったのも嘘なんでしょ? 私が前を向くきっかけを作る手助けをしたいって言ったのも、どうせ別の目的を達するための御為ごかしの理由付け。これまで私に掛けてきた優しい言葉だって、全部、全部嘘だったんだ」

「違うんだ、あおちゃん」

「……嘘吐き」

「聞いてくれ」

「嘘吐きッ!」

「聞いてくれっ――」

 そこで再び掴まれる両肩。先程と違って振り解くことはせず、私はただ身を背後の壁に預けたままでいた。抵抗する気力も、もう失っていた。そうして彼女の片腕に手を添えると、乾き切った口から、絞り出すように声が洩れ出す。


「……このまま、。あなた、強いんでしょ。だったら、ここで殺して」


 見開かれる彼女の目。そして、彼女は悲痛そうに顔をひしゃげてみせた。

 暫くの沈黙があったのち、その口が開かれる。


「……君が言ったことは、確かに当たっている。僕は嘘吐きで、最低な屑野郎だ。ある目的があって君を連れ出したことも、道中で様々な嘘を重ねてきたことも事実だ。けれど、全部が嘘だったわけじゃない」

 彼女はこちらを見据えて言う。それに光の無い目を返す私。

「――初めて君に出会った時、僕は昔の自分を思い出したんだ。生きる気力を失って、自暴自棄になっていた昔の自分を。それで、烏滸がましいけれど、君を、救ってあげたいと思った。でも、どうしてあげたらいいか、分からなくて……きっとありのままの自分で接したら、あの時の君は僕のことを拒んだだろうから。……だから、卑怯だけど、別の仮面を被ることに決めた」

 そこで彼女は力無く両腕を下ろした。そして、自嘲の笑みを浮かべる。

「僕に生きる意味を与えてくれた存在――クロツグミちゃん。彼女の真似をしてみようと思った。……最低だよな、自分が子を使って、取り繕おうとするなんて」

 それでも、と彼女は続ける。

「そのおかげで、君は少しづつだけど、心を開いてくれた。僕が慣れない冗談を言ったり、慣れない笑みを浮かべたりする度に、君は応じてくれた。それで、ようやく、ちゃんと本当の友達になれたって、思い込んでいたんだ。……でも、やっぱり罰が当たってしまった。当然のことだ。言い訳なんて出来るわけがない」


 俯きがちになっていた彼女は、再び顔を上げた。そうして、一つ深呼吸をすると、覚悟に満ちた眼差しで私を見据える。


「全部話すよ。信じてくれなくたっていい。二度と友達に戻れなくたって構わない。でも、少なくともこれだけは、話しておかなければならないから」


 そうして彼女は語り始める。それは――昔話などではなく、罪の告解に等しいものだった。


「どうか聞いてくれ。この救いようのない本当の僕の、如何しようもない罪悪の話を」

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