I REMEMBERED ①

 クロウタドリたちと共に川の字になって横になっていた私だったが、眠りに就くことは出来なかった。先程まで話していたラッキービーストの件と、翌日女学園に赴くという事実が、頭を一種の興奮状態にさせていたのかもしれない。

 暫く輾転として、毛布を被ったり剥いだりしていたが、眠気がやってくる気配は無かった。仕方がないので目を開き、上半身を起こした私は、闇に包まれた室内を見渡した。そうして、はたと気付く。――頭から離れないこの二つを、一遍に解決する方法があるではないか。私は二人を起こさないように徐に布団の上に立ち上がると、テーブルの方へと静かに歩いていった。そして、卓上で明かりを落としていたラッキービーストを慎重に持ち上げると、ドアを開けて廊下へと出る。冷え切ったフローリングに彼を置いたとき、振動でスリープ状態が解除されたのかその両眼と円形ディスプレイが淡く発光した。

《どうしたのかな?》

 彼はこちらを見上げ、小首を傾げて訊ねた。私は廊下のハンガーに掛けておいた外套を羽織りつつ返す。

「ちょっと夜の散歩に付き合ってもらおうと思って」

《もう遅いよ。セルリアンが出るかもしれないし止めておいた方がいいんじゃないかな》

「大丈夫。私には妙な加護がついているみたいだから」

 再び首を傾げる彼の傍を通り過ぎて、私は框の縁に並べておいたブーツへ脚を通す。ドアを開錠しラッキービーストと共に戸外へ出ると、拝借した鍵で再び施錠した。

 門の外に出て、ぐるりを見渡す。静まり返った通りを、張り詰めた大気が満たしている。見上げると、半月に少し届かないくらいの下弦の月。街灯も周囲の住宅も暗がりに沈んだ街の中では、それだけが唯一の輝きだった。私はオコジョが車を走らせてきた方へ身を翻し、こつ、こつ、と靴音を鳴らしながら進んでいく。その後から彼の独特な歩行音が続いた。

「案内して欲しい場所があるんだけど」

 私は前を見据えつつ言う。

《構わないよ。どこに行きたいのかな》

「――ジャパリ女学園、高等部」

 私の声から少し間を置いてから、彼は返答した。

《ルート検索が完了しました。ここからの最短経路は3.9km、徒歩での所要時間は約1時間となります》

「ありがとう、案内してちょうだい」

 分かったよ、と応じた彼はホップして私の前へと出ると、先導して暗闇の中を切り拓いてゆく。私はそれに続いて、一路試験解放区の中心地へと歩みを進めた。



***



 暫く歩いたところで、戸建ての住宅に混じって集合住宅や背の高いビルが目立つようになってきた。街の中心部が近付いてきたのだ。進行方向へ目を遣ると、街灯や信号の明かりも無い闇夜の中に中層ビルの群れが沈んでおり、それらが月明かりで微かに青白む夜空を切り抜いていた。

 そして、過ぎてゆく街の景色に、段々と既視感を覚え始める。ビルの谷間に整備された児童公園。道端のバスの停留所。街角のコンビニエンスストア。赤い庇が特徴的なパン屋。高床式のファミリーレストラン。カラオケ店の大きな袖看板。どれもなんてことない光景だが、全てが私の記憶を刺激するような感覚がした。――やっぱり、確かに私はこの街で暮らしていたのだ。

 中心駅へと通じる大通りへと折れた時、私は前でナビゲートしてくれている彼に話し掛けた。

「……色々考えていたんだけど」

 彼はこちらを振り返り、私の顔を見上げつつ後ろ向きに歩き始める。

「やっぱりあなた、私がアニマルガールだって気付いているんでしょ?」

 確かに私の外見はヒトそのものだ。最初に生体認証を潜り抜けることが出来たのも事実だろう。だが、それだけだった。彼は最初から私たちの会話を聞いていたはずだし、その中ではアニマルガールである私がヒトに扮しているということが散々話されていたはずだ。当時は認証さえクリアしてしまえば後はどうとでもなるだろうと考えていたが、オコジョの話を聞く限り、彼らラッキービーストは極めて高度な人工知能を搭載しているらしい。そんな表面だけの子供騙しが通用するはずは無かった。

《…………》

 彼は答えない。少し間を置いてから、私は言葉を継いだ。


「もしかして、私たち……?」


 大半のラッキービーストは言葉を交わすことは無いとは言え、ジャパリまんの供給等の業務を通してアニマルガール達と関わっている。対して彼は、あのモノレールの狭い乗務員席の中でこの20年間を過ごしていたのだ。彼は恐らく、異変前においても車掌としての役割を果たしていた。通常の個体と比べてヒトやアニマルガール達と接する機会が多かったことだろう。それが、突然起こった破滅により十年以上も世間から完全に隔絶されてしまった――。もし感情がある存在であるならば、感じる辛さは如何ほどのものか。


「私たち、少し似てるわね」

 彼が答えないことを肯定と捉えた私は、軽く苦笑して言った。

「もっとも、私は自業自得だけれど。あなたと違って、自分から他のアニマルガール達を避けてきたわけだし。それでいいと思ってた。……でも、やっぱり寂しかったんだと思う。ここまでの道中で他の子達と関わってきて、ようやく分かった」

 私は徐に空を見上げる。月から少し離れたところには、無数の星が浮かんでいた。

「誰かと一緒にいるって、結構楽しいのね。あなたがラッキービーストとしてのルールをちょっぴり破ってそうしようとしたのも分かる気がするわ」

 そこで、ずっと俯きがちだった彼は顔を上げ、こちらへと視線を向けた。

《……別にルールは破っていないよ》

「え?」

《僕たちがアニマルガールと対話が出来ないのは、無闇な干渉により彼女たちが形成した独自の社会構造が破壊されることを防ぐ為です。一方で、その憂慮される事態が起こる確率が低い場合、ないしはそのリスクを冒しても介入しなければならない事情がある場合には例外的に君たちに干渉することが許されているんだ》

 そして、と彼は続けた。

《君を始めとしたヒトの社会に完全に浸透したアニマルガールへの干渉においてはそういったリスクが生じる可能性が低いと考えられます。だから、アオサギ――君とは規則上も話が出来るんだ》

「そう……でも、それならわざわざ別に非常警報が継続しているだなんて嘘は吐かなくて良かったんじゃないの? そんな体面を取り繕うような振りをするってことは、許されているとは言っても推奨はされていないんじゃ」

《…………》

 彼は再び沈黙した後、身を翻して私に背を向けてしまった。もう、いい加減素直になればいいのに。

「ごめんなさい、別に責めているわけじゃないのよ。私はただ、あなたの正直な気持ちが知りたかっただけ」

 そう弁解する私の言葉を背中に聞きつつ、彼は黙ったまま前を歩き続ける。気分を損ねてしまっただろうか? 普通はロボットに対してこんなことを気にしたりはしないものだが、これまでのやり取りを通して、やはり彼らには感情に類するものが存在しているような気がしてならなかった。異変の記憶を持ち、それに対して様々な思いや悩みを抱えている存在は、私たちだけではなかったのだ。

《……それに》

 不意に前から飛んでくる声。

《まだからね、まだ君たちから離れるわけにはいかないよ》

「いや、だからそれも嘘で……」

《いえ、確かに助けが必要なアニマルガールを確認しています。――僕らにとっての最優先事項は、パーク内の動物とアニマルガールが健やかに暮らせることです。その子の安全が確認できるまで、同伴させてもらうよ》

 私は彼の言葉を訝った。どういう意味だ? もう彼が嘘を吐き続ける理由は無いはずだった。しかし、彼の言う要救助者など思い当たる節は無い。一体誰のことを言っているのか直接訊ねようとした時、彼が矢庭に発した言葉に、私は息を呑んでしまう。


「着いたよ」


 一拍おいて、私は顔を徐に横へと向ける。

 そこに聳え立っていたのは、巨大な鉄門。彼との会話に集中していて全く気付かなかったが、私たちはいつの間にか女学園の正門前へと辿り着いていた。重厚な門扉の威容は健在で、両開きのそれには数々の装飾が施され、開扉部には中央にが配された見覚えのある校章が。そして、それを通して、遠くの方に闇に沈んでいる高等部の校舎を覗くことが出来た。

 一歩、二歩、と私は後退りしてしまう。ここを訪れる覚悟は出来ていたとは言え、いざ目の前にすると怖気づいてしまう自分がいた。

《アオサギ》

 耳に入るラッキービーストの声。

《無理しなくていいんだよ》

 私は目を瞑る。瞼に映るのは、これまでの道中に出会ってきた数々のアニマルガール達。どれだけ辛くとも過去に向き合ってきた者たちに、私に前を向く勇気をくれた者たち。ここで引き返してしまえば、こんな自分に関わってくれた彼女たち皆に示しがつかない。


「……大丈夫。行きましょう」


 私は塗装の剥げた凍てつく門扉を握る。体重を掛けると、不気味な軋みを上げながら、記憶へと繋がるその門は口を開いた。



***



 正門から昇降口までは幅広の大通りで繋がれているので、迷うことは無かった。見上げると、道の両側に植えられた背高の木々の枝葉を落とした痩躯が背後へと流れていく。ジャコウジカやオコジョによればこういった見晴らしのいい通りはセルリアン達の格好の狩場であるらしいが、何事もなく校舎の前まで辿り着くことが出来たところをみると、どうやら件の御加護は継続しているらしい。


 昇降口は施錠されていなかった。これ幸いと中に足を踏み入れた私は、長い框の手前でブーツを脱ぐ。自分の上履きの場所など覚えているわけがないので私は来賓用のスリッパへと足を通すと、ずらりと並んだ靴箱の間を通り抜けて校舎内へと進んだ。ラッキービーストが気を利かせて足許を照らしてくれたので、校内に散乱したガラスの破片やらその他の危険な落下物を踏み付けないように注意しつつ廊下を進んでいく。

 自分の教室――は流石に覚えていないが、三年生の教室が何処にあるかくらいは分かる。普通教室棟の四階だ。昇降口に面した廊下の端を左に折れ、職員室の前にある階段を昇った。私の後に続いて、ラッキービーストがぴこぴこという独特な音を鳴らしつつホップで段を上がってくる。二階に到着したところで、私は一度廊下の方へと出た。この階の東端に、私が通い詰めていた図書室があるのだ。だが今は、廊下の最奥は暗がりに沈んで何も見えなかった。

 それから二階上がって四階へ。背後を軽く振り返ると、「生徒立入禁止」の看板が立てられている。校則は緩い方だったが、フィクションで見るように屋上が解放されている、ということは無かったな。ちっぽけな反抗心のある生徒は、この看板近くの階段に座り込んで駄弁ったり弁当を食べていたりしたっけ。不意に蘇ってくる当時の光景に頬が緩みそうになってぐっと力を込めた。自分の教室へと急がなければ。


 教室前方の扉の上に掲げられたプレートを横目に見つつ冷え切った廊下を歩いてゆく私。……こうやって各教室の前を巡っていれば思い当たる場所が現れるだろうと高を括っていたが、ピンとくる気配が無い。仕方がない、一つずつ虱潰しに周っていくとするか。

 まず〈3-A 〉へ。ガラガラ、と引き戸を開けたところで、私は目を丸くした。最初に目に入ってきた大きな黒板には、板面一杯にチョークで何かが書き込まれていたからだ。まさか、廃墟特有の落書きか? いや、普段のここはセルリアンが猖獗を極めていたはずなのでそれは無いはずだった。ラッキービーストにお願いして、足許を照らしていたライトを黒板へと向けてもらった。そうして、私は驚きで立ち尽くした。


「寄せ書き……?」


 でかでかと綴られた、「卒業おめでとう」の文字。その下は、色取り取りのチョークを用いて生徒が書き込んだであろう寄せ書きが埋め尽くしていた。どうして、卒業時に描かれたものがまだ残って――。


 そこで、背筋に冷たいものが走った。

 待て――そう言えば、


 私は踵を返して、廊下を駆けだす。隣の3-Bの教室へ。ドアを開けると、眼前には別の装飾が施された寄せ書きが。元は黒板の周辺に飾られていたであろう桜色のペーパーフラワーが無残に床に散らばり、埃を被っていた。

 次の教室にも、寄せ書き。その次も、さらに次にも――。卒業証書を入れる丸筒すら転がっているところすらあった。


 私は必死で考える。

 キョウシュウ地方へと向かったあの時は、何月だった? 気温はどれくらいだったか、桜は?


 そして、何個目かの教室へと入ったその瞬間、刹那の間を置いて、心臓が早鐘を打ち始めた。

 ずらりと並んだ机の窓側――その一席の卓上に置かれた、一冊の厚い本。身体に反響する煩い拍動を聞きながら、私はゆっくりとその席へと歩み寄っていく。その席は、窓外から差し込んだ月明かりに照らされて、青白く浮かび上がっていた。終ぞ机の前に至った私は、言葉を失った。そこに置かれていたのは、紛れもないであったから。


 私は徐に手を伸ばし、それを手に取った。ケースから中身を取り出し、ずっしりとしたそれを卓上に改めて置く。校章が載った生地表紙に震える手を伸ばし、ページを繰ってゆく。

 三学年の集合写真。教師陣の顔写真。入学式に始まり、学校生活の様子に、部活動の様子――クラスの個別ページ。鼓動が早くなる。どっ、どっ、どっ、どっ。うるさい、静かにして――。


 そうして、手が止まった。目が一人の生徒写真に釘付けにされる。

 そこに居たのは、姿、アオサギ――私の姿。





 閃光が走った。モノレールの中で感じたものと同じ。

 

 入学式。制服に身を包む皆がまだ恐かった。ずっと俯いて、下に敷かれた赤いカーペットを眺めていた。それでも、自分の中には確かに高揚感があった。――これから、学校生活が始まるんだ。


 初めての定期テスト。力を入れて勉強した甲斐があって、最初から学年トップを取れた。達成感と優越感。でも、これからも成績を維持し続けなくちゃ、という緊張感も覚えた。


 文化祭に体育祭。正直憂鬱だった。自分が苦手な雰囲気だったから。けれど、終わってみれば意外と楽しかったな。――誰かと、一緒に居られたから?


 合唱コンクール。歌は大の苦手だった。けれど、一人で歌うのとは違って、合唱ではクラスの皆の力を借りることが出来る。フレンズ達の歌声の調和ハーモニー――それを聞いて、感じて、歌うことの楽しさを知った。


 修学旅行。確か、リウキウ地方に行ったんだっけか。遠出をするのはこれが初めてで、とてもわくわくしたのを覚えている。観光地は沢山訪れたけれど、結局のところ、移動中の車内や旅館でのひと時が一番楽しかったような。


 楽しいことは、沢山あった。

 全てがきっと、良い思い出だった。


 ――でも、そう思えたのは、あの子が傍にいてくれたから。輪に入れず、壁際で本を読んでいるばかりだった暗くてどうしようもなく卑屈な私の手を取って、輝きの中に連れ出してくれたから。


 それなのに、私は――。





 月が雲に隠される。

 そして、足元に兆す揺れ。


 それは瞬く間に増幅し、校舎を揺さぶった。

 倒れる教卓。掲示物が落下し、散乱する。並べられた机が動き回り、凄まじい音を立てている。目の前にあった机がバランスを崩した時、中に入っていたらしい沢山の便箋が零れ落ちた。目に入る宛名は全て、私の名前。


 ああ――そうか。だから、卒業アルバムこれが残されていたんだ。

 だから――私は生き残ってしまったんだ。


 揺れは収まらなかった。校舎ごと崩れそうなほど、巨大な地震。

 どうでも良かった。崩れてしまえばいい。


 そうして、


 私はその場で蹲り、そうして、深い深い闇の中に、揺れに身を任せながらただ沈み込んでいった。

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