Duty for one of the alive ②
「適当に掛けてて。ちょっと着替えてくるわ」
オコジョはそう言って別室へと消える。私たちは広いリビングルームのソファやら木製のキャプテンチェアやらに腰掛けた。きっちりと整理整頓がされている綺麗な空間だったが、その一角、壁際の大きなテーブルの上には中央に配されたデスクトップPCを取り囲むようにして小難しそうな学術書籍が平積みにされた雑然とした光景があり、アカデミックな彼女の生活が垣間見えた。
少ししてリビングルームへと戻ってきた彼女は、さっきとは打って変わってパールホワイトの衣服に身を包んでいた。ルースな白のスラックスに、起毛素材で出来たフード付きのパーカーという出立ち。アニマルガールの衣服かと思ったが、背後のフードにはコミカルなクマの顔が縫い付けられているので、どうやら市販のものであるらしい。
「お待たせしたわね。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「いえ、お構いなく……」
「いいのいいの、私が連れてきたんだから」
「んじゃ、僕は紅茶で」
「俺はコーヒーで。砂糖とミルクも忘れずに頼むよ」
私は遠慮のえの字も持ち合わせない二人を睨め付けた。
「アオサギさん、あなたは?」
「あ……じゃあ、コーヒーをお願いするわ」
彼女に促されて私も結局そう注文する。はーい、と鷹揚に応じた彼女は、リビングルームの奥にあるアイランド式のキッチンへと向かっていった。
「しっかし、良い家だな。流石は学者サマだ」
「ちょっと、失礼でしょ」
私は相も変わらず言葉を選ばないミソサザイを窘める。
「あははっ、いいのよ、気を遣わなくて。ここ、元は女学園大学に勤めていた頃の借り上げ社宅だったの。小笠原大学に移る時に退去する予定だったんだけど、学生時代からお世話になっていた教授がなんと大学から買い上げちゃってね。『君をあんなボロ宿舎に住まわせる訳にはいかん』とかなんとか言って。その御厚意に甘えて、ここにずっと住んでいるのよ」
キッチンに立つオコジョは懐かしそうに目を細めてそう語る。ただ、その表情には少し陰が差していた。
暫くして全員分を淹れ終わった彼女は、盆にマグカップを載せて私たちが取り囲んでいた卓へと戻ってきた。それぞれにカップが行き渡った後に、卓上の中央にお茶請けが詰まったボウルが置かれる。ボウルの中には袋詰めされた色鮮やかなペストリーが積まれていた。
「お待たせしました~。紅茶は異変前から取っておいた既製品だけど、コーヒーはパーク内で採れた豆から挽いた特製のやつよ。この焼き菓子も最近作られたもの。まあ、どっちも貰い物なんだけれどね」
オコジョの紹介を受けて私は自らの目の前に置かれたカップを見下ろす。並々と満たされた黒色の液体からは絶えず湯気が立ち昇っていて、鼻に豊かで芳しい薫りを運んでくれる。カップを手に取って、私はそれを一口飲んでみた。そうしてはたと気付く――この味、以前に味わったことがある。
「……ねぇ、もしかして、最近キョウシュウ地方に行く用事とかあったりした?」
「キョウシュウ? 定期的に仕事で訪れているけど、どうして?」
思い出した。これは、水辺エリアで振る舞われたものと同じ味だ。
「旅を始めて直ぐにジャイアントペンギンに出会ったの。そこでコーヒーを御馳走して貰ったのだけれど、その時の味とよく似ている気がして……」
「えっ、彼女に?」
彼女は驚いたように目を見開き軽く身を乗り出した。
「あの子、異変以来ずっと塞ぎ込んでいて、なかなか他のフレンズと会おうとはしなかったのに……」
「ええ、確かに出会った時はそんな感じだったわね」
私はそれから、約一週間前の出来事を一通り話した。オコジョは興味津々と言った感じで相槌を打ちながらそれに聞き入り、最後には安堵したように胸を撫で下ろした。
「……良かった、本当に良かったわ。最初に彼女のもとを訪ねたのは10年以上前のことだけれど、その時から心配していたの。――でも、ようやく気持ちに整理が付けられたのね」
彼女はそう言って一口手元のマグカップに口をつけた。そしてその中身を軽く見下げて続ける。
「それで、コーヒーのことだけど、多分私があの子にあげたものだと思うわ。以前に彼女から依頼を受けて水辺エリアにあるステージの修理に赴いた時に、余っていたコーヒー豆を譲ってあげたのよ。まだ大事に飲んでくれていたのね」
やっぱり、と私は思う。最初にジャイアントの私室を訪れた時、電気が使えるのは伝手があった子に裏の配電設備を直してもらったおかげだと彼女が語っていた。きっとそれは、オコジョのことだったのだろう。こんなに広いパークの中でも、変わらず世間は狭いものなのだな。
それから暫くこれまでの旅路について雑談を交わしていた私たちだったが、やがて話題はオコジョの過去に纏わるものに移った。その端緒となったのは、ミソサザイの質問であった。
「そう言えばあんた、俺たちよりも年上だって話していたよな。一体何時フレンズになったんだ?」
オコジョはそれに対し、え~、と心底嫌そうに顔を顰めた。
「それ言ったら歳がバレちゃうじゃない」
「別にいいだろ。俺らだって皆アラサーだぜ」
ミソサザイは呆れた様にそう言って背をソファにどっかりと預ける。うぐ。突然突き付けられた実年齢に変な声が出そうになってしまう。
「いやいや、まだアラサーでしょ。こっちはそれどころじゃないんだから……。いい加減、アニマル”ガール”って呼ばれるのもキツくなるくらいなのよ」
口を尖らせてみせる彼女。暫く言い辛そうに眉間に皺を寄せて唸っていたが、結局観念したように溜息を吐くと、徐に打ち明けた。
「……実はね、私、第一世代のフレンズなの」
「第一、世代?」
「そう」
すかさずミソサザイが言い返す。
「そんなら俺だってそうだぞ。ミソサザイのアニマルガールとしては俺が初めてだった」
「それは、あなたが一代目のフレンズってだけでしょ。第一世代っていうのは、ジャパリパークの黎明期に生まれたアニマルガール達のこと」
そして、少し俯きがちになって言葉を継ぐ彼女。
「第一世代の中にはパークが出来るよりも前に生まれたものもいて、そして……その大半が『女王事件』によって命を落とした。私はその数少ない生き残り」
彼女の告白を聞いて、場は沈黙に包まれた。
『女王事件』――マーゲイとの会話の中でも上がったことのある、その名前。その際に聞いたのは動物研究所の副所長がセルリアンによる被害を受けたということだけで、それ以前に生きていたアニマルガール達が、事件を境に消えてしまったという出来事については初耳であった。
「あの……」
私は口を閉ざしてしまった彼女を見る。
「もし、あなたさえ良ければ――つまり、辛い思いをすることが無ければ、という意味なんだけれど……」私は、慎重に言葉を選びつつ、続けた。「……あなたがこれまでどういう様に生きてきたのか、聞かせて欲しいの」
彼女はこちらを見る。そうして、不思議そうに訊いた。
「それは、どうして」
こちらに向けられた大きな瞳から、私は目を逸らさない。彼女を真っすぐに見据えてから、私は言葉を返した。
「――さっき話したように、私は記憶を失くしているの。それを取り戻すために、自分のルーツがあるはずの女学園へ訪れようと思っている。……でも、目的地が目の前に迫った今になって、とても怖くなってしまって……。だから、二度も辛い体験を乗り越えてきたあなたの人生を知ることが出来れば、私にも過去に向き合う、なんというか――勇気が、湧いてくるような気がして」
自分の中にある正直な思いを吐露した。頭の中に木霊するジャコウジカの言葉。『色んな子にあなたのことを教えて、その反対にあなた自身のことも教えてもらうんだ』――同じように、誰かの物語を聞くことで、自分の中にもそれに反響した思いが湧いてくるような気がしていた。
「……分かったわ」
少し間を置いてから、オコジョはそう応じる。
「あなたの力になれるかは分からないけれど、出来得る限り話してみようと思う」
彼女は最初にコーヒーを一口飲んでから、語り始めた。
「私がフレンズになったのは、パークが出来た当初――まだ、”アニマルガール”と言う存在がこの世界に現れて間もない頃だった」
そして彼女は、軽い苦笑をその顔に浮かべた。
「思い返してみれば、当時の自分は本当に幼かったわね。この姿になってようやく理解できるようになったヒトの生活や文化を見て、知って、聞いて。そうしていつの間にか、そこにある価値観をなぞることこそに生きる意味があると、思い込んでしまっていたの」
気恥ずかしそうに頭を掻くオコジョ。これを打ち明けるのは気が引けるんだけど、と前置いてから続ける。
「あの頃はね、私、世に言うガリ勉だったの。と言っても、正直
それを聞いて、多かれ少なかれ、自分にもそんな節があったのではないかと考えてしまう。私が長きに亘って新世代のアニマルガールと関わろうとしてこなかったのは、単に馴染めなかったということもあるが、その一方で、彼女たちを心の何処かで見下していたきらいもあったのだろう。より長く生きてきて、より多くのことを知っている自分の方が大人であり、賢いのだと、そう思っていた部分があった。
でも、実際はそうではなかった。彼女たちはヒトによる庇護が無くなったこの島で、確固たる個を持って、強かに生きている。当たり前のように跋扈するようになったセルリアンから自らの力でその身を守り、自他の擦り合わせをした上でそれぞれが自らの価値観や生き甲斐を確立出来ているくらいには、成熟していて、大人であった。
「──そんな頃にね、ある二人のフレンズに出会ったの。あれはクリスマス・イヴの夜だったかしら。女学園大の入試を目前にして勉強に打ち込んでいた時に、クリスマスパーティのお溢れを貰おうと勝手に家に上がり込んできて……彼女たちに流されて、結局羽目を外して飲み食いしちゃったりして、本当にいい迷惑だったわ」
でも、と彼女は遠い目を宙に浮かべる。
「今考えてみればそれが、私にとって大きな救いになっていたのよね。一つの価値観に固執して視野狭窄になっていた私の視界を、あの子達が広げてくれた。高学歴を手に入れて、優良企業に勤めることだけが正しい生き方っていうわけじゃないんだって、気付かせてくれた。そのおかげで、それまで学歴を手に入れるための道具としてしか見てこなかった学問というものに、より真摯に向き合えるようになったの。最終的に研究者としてのキャリアを築くことが出来たのも、それが大きかったと思うわ」
オコジョは徐に横のデスクを見遣った。
そして私が目を彼女に戻した時、はっとする。彼女はじっとこちらを見据えていた。私が緊張から唾を飲み下した時、軽く引き結ばれていた薄い桃の唇が開かれる。
「そして、あの日──いつも通りだった、あの日──日常が終わってしまった」
彼女は私から目を逸らさずに続ける。
「当時はね、セルリアンなんて存在は全く知られていなかったの。そんな未知の生命体が、パークの各地を大挙して襲ってきた……その際に標的になったアニマルガールたちは戦い方なんて知らなかったから、為す術なく輝きとサンドスターを奪われて散っていった」
「それなら、あんたもやばかったんじゃないのか」
ミソサザイが口を挟んだ。彼女はこくりと頷いてみせる。
「パーク・セントラルに比べて試験解放区周辺は襲撃が遅れたから
全滅、というわけではなかったんだけど、それでも危機は刻一刻と迫ってきていた。当時はシェルターなんか無かったからフレンズ達は建物の中に立てこもることしか出来なくて、私も女学園大学の高層階で震えてうずくまっていたわ。外から聞こえる犠牲になったフレンズの断末魔に、構内はひどい恐慌状態だった。もう、これで終わりなんだ――そう覚悟を決めた時、声が聞こえたの」
そこでオコジョは私たちを軽く眺めまわし、それから瞳を閉じて、言った。
「『戦える者は心の用意を、弱い者は逃げる用意を』」
「……包み込むように温かく、それでいて凛とした声だったわ。それが、誰のものだったのかは今でも分からない。けれど、その声を聞いた時から、何か――名状し難いような力が、身体の奥から沸々と沸き上がって来るのを感じたの。そうして気付いた。まだやり残したことは沢山あって、ここで死ぬわけにはいかないんだって。そういう不思議な感覚を覚えたのは私だけじゃなくて、その場にいたフレンズ全員だった。学者の端くれの私が言うのはふざけているかもしれないけど、何かテレパシーのようなもので通じ合って、みんなが持つ生への欲求が共鳴し合ったような――そんな思いがしたの」
彼女は徐にカップを両手で持ち上げて、中で揺れる黒い水面を見下ろした。
「現実的に考えれば混乱状態の群衆が陥った集団幻聴だったのかもしれない。でも、さっき言ったようなファンタジーめいたことが本当に起こったとしても、おかしくないのよね。――だって、元は動物だった私たちがヒトの姿をとってからというもの、この島ではこれまでの科学を覆すような沢山の”奇跡”が、当たり前のように起こっているのだから」
彼女の言葉に、私は頷いた。思えば、動物がヒト化し、人語を解して種の隔てなく対等に話が出来るようになるというのは、夢や空想の中でしかあり得なかった出来事である。
「それから各地で奮起したフレンズたちによって『女王事件』は一応の解決を見て、再び日常が戻ってきた。とは言っても、多くの友人たちを失った状態で、だけれどね。事件後にはその以前よりも多くのフレンズが生まれるようになって、パークは賑わいを取り戻していった。私は女学園大学を卒業して、そのまま院進。辛いことの方が多かったけど、念願の博士号を手に入れた時には、たまらなく幸せだったわ。ようやく人生のスタートラインに立てたような気がした。でも、結局それも束の間のものに過ぎなかった」
あとはあなた達も知っている通りよ、と彼女は溜息交じりにそう言ってソファに背を凭せ掛け、宙を仰ぐ。私たち三人は反対に、顔を伏せった。
『例の異変』――20年前に起こったそれが、パーク内のアニマルガールを消し去り、ヒトを島の外へと追いやったのだ。わざわざ語ってみせる必要など無かった。ここで顔を合わせている四人は、みな言うまでもなく、その生き残りだったから。
「蓋し、幸せや平和なんていつも儚く消え去ってしまうものなのよね。喜びと落胆の繰り返し。もっと言えば希望と絶望の繰り返し。島の外も内も、それは世の常だった。永久に続く安寧なんて、在り得ない」
でもね、と彼女は続ける。見てみると、軽く口角を上げていた。
「禍福は糾える縄の如し、って言うでしょ。その通りで、森羅万象、遍く出来事は幸か不幸か、終わってみなければどちらに転がるか分からない。私は――酷い皮肉だけれど――二度の惨状を目の当たりにしたことで、なんというか、ようやく、自分の生きる意味、価値が分かった気がしたの」
オコジョの言葉に、私は目を見開いた。
「勿論、あの事件も異変も、起こらないに越したことはなかったわ。……でも、あれらが無かったなら、私はのんべんだらりと生きて、何となく死んでいた。だって、この世界には本当に”終わり”が存在するんだって、気付けていなかっただろうから。終わりを意識する機会を得たことで、変なことだけれど、ちゃんと生きられるようになったのよ」
私は、彼女に問う。
「……異変にも、良いところがあったって、こと?」
再び私を見つめ返す彼女。そうして、自嘲気味に苦笑を浮かべた。
「開き直りな自己弁護かもしれないけれどね。でも、私はそう思ってる。いや、思いたいのよ」
それにね、と彼女は附言する。
「二つの惨禍を経ても、フレンズ達は生きている。生きて、沢山のことを生み出している――前の世代が生み出し得なかったものをも、ね。私たちは確かに見てきたのよ、終わりを経ることでしかこの世に生まれなかった数々のことを」
――『終わりが終わらないこの世界の中でも、きらきらはずっと残り続けるから』
閃光のように頭を巡る、ぽっぽの言葉。
あれは、そういう――。
「……おい、大丈夫か」
横から掛けられるミソサザイの声に、私は振り向く。
「え?」
「暫く呆けてただろ。どうした」
「あぁ……」
異変によって生き残りが享受した恩恵。そして、異変によって新たに生み出された輝き。考えたことも無かった。私の中では、あの出来事は考えるのも忌まわしいものでしかなかったから。でも、彼女はそこを乗り越えて、その忌むべき記憶と向き合っていた。それどころか、その中に意味や価値さえ見出している。
――自分にも、そんなことが出来たなら。
「オコジョ」
私は彼女の名を呼ぶ。
「ありがとう。あなたのお陰で、少し勇気が湧いてきたわ。やっぱりちゃんと女学園に行って、自分の記憶と向き合ってみようと思う」
すると彼女は、軽く眉尻を下げて心配そうに訊き返した。
「力になれたのは良かったけど……本当に大丈夫なの? セルリアンが多いのもそうだけど、辛い思い出なんだし無理しなくったって……」
「大丈夫よ。ありがとう」
続けて私が浮かべた微少に、オコジョはようやく愁眉を解いてみせた。
そう、大丈夫。私はもう大丈夫なんだ。
20年間を無為に過ごしてきた、一週間前までの私とは違う。
誰かの目をちゃんと見れるようになった。新世代達と対等に話せるようになった。そして何より、自分の心を絶えず覆っていた希死念慮や無気力という膜を少しだけ破って、前へと進み、明るい方へと手が伸ばせるようになってきたのだ。
傍から見ればこんなもの、成長でもなんでも無いかもしれない。でも、私の中では、間違いなく大きな変化が起こっていた。
──もう少しで、異変前までの本当の自分に戻ることが出来るはず。
そんな確信めいた思いを胸に、私は女学園を訪れる決意を新たにした。
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