Duty for one of the alive ①

 数個目のインターチェンジで降りしばらく歩いていくと、見覚えのある光景が広がった。中央に遊歩道が整備された並木通りブールバード。あの明晰夢の中で、黒塗りの彼女と並んで歩いたその場所であった。――この先を進んでいけば、女学園に辿り着く。自分の記憶の核心となる場所がすぐそこにあるという事実に、私は少しの高揚感と、かなりの緊張感を覚えていた。

「しかし、記憶を取り戻すためとは言えあそこにもう一度行くなんて、あんたも相当の好き者だな」

 遊歩道へと続く横断歩道へと渡る途中でミソサザイがぼやく。

「好き者って言われるほどのことかしら。ただ母校を訪ねるだけよ」

「母校ね――まあ、あんたみたいな優等生なら、凱旋に等しいだろうな。俺はまっぴらだが」

 優等生。彼女の口から再びその言葉が発されて、私は眉を顰めた。

「……ねえ。ずっと思っていたんだけれど、私ってそんなに成績が良かったの?」

 自分の性格から言って、素行はよろしいものだったのだろう。だが、自分が他人より抜きんでて頭が良いとか、そんな風には思ったことが無かった。

「本当に覚えていないんだな。進学クラスの上位成績者。理系科目はまあ言うほどじゃなかったが、文系科目ではほぼ首位総嘗め。学内で噂される”図書室の碩学の佳人”たぁ、他でもないあんたのことだったぜ」

「何よそれ……」

 自分に付けられていたらしいやたらと仰々しい異名にぎょっとする私。まあ図書室に引き篭もっていたのは事実だが……。

「ミソサザイちゃん、よく覚えてるね。もしかしてあおちゃんのこと大好き?」

「んなわけねぇ。嫌でも耳に入ってきただけだ」

 茶化すクロウタドリに対して心底忌々し気に顔を歪める彼女。苛立ちから数度髪を掻きむしった後、それにしても、と続けた。

「お前、どうして受験しなかったんだ。理系の小笠原大は難しいにせよ、女学園大は余裕で入れただろ。あれだけの評定があれば推薦だって狙えたはずだ」

「え?」


 私は彼女の問い掛けに、数度目をしばたたかせた。受験――しなかったのか。それでは、当時の私は、どういう進路を考えていたのだろう。

 女学園に入学したアニマルガールには、二度の進路選択の機会が与えられる。一度目は中等部修了時における、高等部進学の有無の選択。そして二度目は、高等部修了時における、大学・専門学校進学の有無の選択。アニマルガールには、教育を受けさせる義務が課せられた”アニマルガールの親”などいない。従って、進路は全て彼女らの自由意思で決まるものだ。だからこそ、高等部まで進学し、かつ進学クラスに所属する者はとりわけ向学心が高いということになる。そんな進学クラスに所属し、首席かそれに近い位置にいたのにも関わらず、私は進学を選ばなかった……。それがどうしてなのか、今の私には思い出せなかった。


「そう言う君は進学しなかったの?」

 訊ねるクロウタドリ。

「しなかったな。俺にはそうする価値が見出せなかった」

「ふうん。折角頭良いのに」

「ペーパーテストなんかじゃあ本当の頭の良さは決まらねぇよ。女学園に入学しなくたって、優秀なフレンズは山程いた」

「それじゃあ、どうしてミソサザイちゃんは女学園に入ったの?」

 その問い掛けに、彼女は少しの間沈黙した。そして、少し遠い目をしつつ続ける。

「コマのためだ。あいつが俺を必要としてくれた。それだけだ」

 ミソサザイはそれ以上語ろうとしなかった。彼女は更なる詮索を避けようとしてか、歩みを速めて遊歩道を先んじて進んでいく。背後に残された私は、並んで歩くクロウタドリに目を遣って、そうしてふと思った。

 ――そう言えば、彼女の学生時代のことは何も知らない。

 数々の夢を通して、クロツグミが確かに私の友人であったことは分かった。しかし、その中に現れる黒い影は一つだけ――そこにクロウタドリの姿は無かった。

「ねえ」私は彼女に訊く。「あなたも、私と同じ進学クラスだったの?」

 彼女は軽く顔を上げてこちらを見つめる。それから俯きがちになって、口を開いた。


「……間も無く分かることさ」


「え……?」

 私はその言葉の意味が理解出来ず、眉を寄せた。何と返したものか考えているうちに、彼女もミソサザイと同じく先へと進んでいってしまう。

 私は立ち止まって、遠ざかっていく彼女を見つめた。そうして、途端に心細くなる。あの日、彼女と出会ってから、自分の旧友であると名乗る彼女と共に旅路を歩んできた。最初は随分と胡散臭く思っていたが、道中で様々なアニマルガール達と共に彼女と関わっていく中で、距離が縮まり、付き合い方も分かってきた。面倒臭いことも多いけれど、一緒に居るとなんとなく心地良く、落ち着く。きっと学生時代もこんな風に友人同士であったのだと、納得するようになってきた。


 けれど、たった今、彼女が再び遠くへ行ってしまったような感覚がしてしまったのだ。


「――ちょっと、あなたたち!」

 そこで不意に差し挟まれた声に、私は背後を振り返る。

 その先に居たのは、横断歩道の上に立ち尽くしてこちらを見つめている一人のアニマルガール。彼女は濃い藍の作業着を羽織っており、横に掻い込んでいたツールボックスをがちゃがちゃと鳴らしながらこちらに駆け寄ってきた。

「この辺りはセルリアンが多いのよ、そんな周りから見えやすいところ歩いていたら――」

 しかし、彼女はどういう訳か私から数メートル手前で驚いたように目を見開き、立ち止まる。そのまま暫くその瞳が私を見据えてきたので、疑問に思って小首を傾げようとしたその時、彼女の手からツールボックスが滑り落ち、地面にぶつかり大きな音を立てたのでびくりと身体が跳ねてしまう。私が当惑している中、彼女は矢庭にこちらへと駆け寄り、両腕をがっしりと掴んで言った。


「嘘……あなた、もしかして、ヒト?」



***



「なんだ、そういうことだったのね」

 私たちから説明をひとくさり聞いた彼女は、少し落胆した様子でそう返した。

「どちらにせよ、ここはあまり安全な場所じゃないわ。私に付いてきて」

「あ――いや、セルリアンのことなら別に……」

「え?」

 そこで、どう説明したものか迷う。件のセルリアンについては同伴すると決めたミソサザイにはしっかりと話しておいたが、無関係の彼女にまで話していたずらに不安な思いをさせるのは申し訳ない気がしたからだ。

「というか僕ら、さっき話したようにこの先の女学園に用事があるんだよね」

 クロウタドリが背後から口を挟んだ。

「それなら尚更危ないわよ。あそこは街中よりもセルリアンの数が多いの」

 彼女は身を翻し、通りの向こう側を指差した。

「あっちに車を停めてあるから、取り敢えず街中から離れましょう。私も丁度で急いで帰ろうと思っていたところだから」

 ツールボックスを拾い上げた彼女は、私たちの返答を待たぬまま横断歩道を渡っていってしまう。私は二人と顔を見合わせた。

「別に付いていかなくていいだろ。お前らの話を信じるならセルリアンの脅威は無い訳だしな」

 ミソサザイは面倒臭そうにそう言ってのける。確かに、その通りではあった。

「僕はどちらでも。あおちゃんが直ぐに女学園に行きたいのなら、ちゃんとあの子に断っておかないとね」


 私は少し考える。――女学園には、行きたい。記憶を取り戻す鍵がそこにあることは確実だからだ。けれども、それを見つけ出すのが怖いという気持ちもあった。心の準備が、まだ出来ていなかった。


「……一旦、彼女のところに行ってみましょう」

 私は横断歩道の向こうで私たちを待っている作業着姿の彼女を見遣って言った。

「おっけー。ミソサザイちゃんもいいよね?」

「チッ、面倒くせぇな」

 同意するクロウタドリに、嫌々ながらも同伴の意思を見せるミソサザイに、私はほっとする。私たちは横断歩道を渡り、女学園へと伸びる遊歩道を一度後にした。


 彼女の後に続いてビルの間を進んでいくと、間も無くして一つのコインパーキングへと辿り着く。駐車場の中に取り残されたらしい枯葉や汚れが積もった数々の車の中に、一台だけ綺麗な白色の商用ライトバンが停車していた。一度中を片すから待っていて、と告げて彼女は後部ドアを開けて上半身を車内に突っ込む。軽く覗いてみると、後部に積まれていたらしい様々な備品――詳しくは分からないが、電気工事に使うような――を持ち上げては背後に押しやっていく様子が見えた。少しして乗車するように促された私たちは、車両後部の積載空間に設えられていた簡易な座席へと座り込む。彼女は運転席に乗り込むと、全ドアをロックした上でエンジンをかけ、慣れた手つきでバンを出庫させた。別に他の車が来るわけでもないのに律儀に方向指示器を点滅させて車道に出た車は、薄く堆積した落葉を散らしながら市街地を走り抜けていく。

「もう少しでエアコンが効き始めるから待ってて」

 彼女はノールックで中央のコンソールを弄って温度調整をする。片手で作業着のジッパーを下げつつ、さり気なく後方確認をしてからもう片手でステアリングをして左折。全ての仕草が垢抜けていて、言うならば職業人のそれであった。私は身を軽く乗り出し、彼女に訊ねる。

「あの、まだ名前を聞いてなかったんだけど」

「ああ、そう言えば」

 ホルダーに置いてあったタンブラーの中身に口をつけてから、彼女は続けて自己紹介をする。

「私はオコジョ。あなた達と同じ異変の生き残りよ。――と言っても、大分年上だと思うけれどね」

 オコジョと名乗る彼女は、苦笑混じりにそう言った。

「この格好と車の中にある道具で分かったかもしれないけど、今は所謂電気工事士や修理士のような仕事をやっているの。ラッキービーストじゃ手が回らない電気設備・機械の修繕が主な業務内容ね。まあ、仕事と言うよりは慈善事業に近いけど」

「へぇ~、凄いね。それは異変前からのお仕事なの?」

「いや、異変の後から始めたことよ。異変前はここからちょっと離れた小笠原大学おがだいで助教をやっていたの。専門が電気電子工学だったからね、その知識を活かして何かやりたいと思っていて」

「大学の先生だったのか。そりゃまた大層なご身分で」

「大した肩書じゃないわよ。研究に割ける時間は教授や准教授に比べれば圧倒的に少ないし、精根尽くして書いた論文だって引用回数は悲惨なものだった」

 自嘲気味に笑ってみせる彼女。そうは言っても、その役職に辿り着くまでには相当の苦労をしたはずだった。その上で、彼女は異変後においても社会貢献を続けている。何もしてこなかった自分と比べれば天と地の差があった。

 暫くして、郊外の住宅街へと入った。幅広の通りに立ち並ぶ葉の落ちた背高のメタセコイアの並木。その背後では、洋風の戸建て住宅がいらかを争っていた。側道へと折れ、緩やかに波打つコミュニティ道路を抜け、やがて車は一軒の住宅の前で停車する。車内からオコジョがリモートキーを操作すると、駐車場入り口の可動式フェンスがゆっくりと上がった。彼女は一度車を切り返してから、駐車場へとスムーズにバック駐車を行った。

 降車した私たちは、彼女の案内に続いて戸口へと向かう。門から玄関までのアプローチからは華やかな前庭が一望できた。刈り整えられた芝生の上は落葉が覆っていたが、庭の中には落葉樹しかないという訳ではなく、幾つか青い葉を茂らせた植栽もある。その中には、私の目を引く一本の丸い低木――金木犀の木も立っていた。ただ、もう12月。花は全て落ちていて、ぴかぴかと日を照り返す硬い葉だけがこちらに顔を向けていた。


「あおちゃん?」


 立ち止まっていた私に、玄関に片脚を踏み入れていたクロウタドリが声を掛けてくる。ごめんなさい、と返してから、私は三人の後に続いてオコジョの家へと入っていった。

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