Anto Region / The District Experimentally Released for Animal Girls

THE CHASER ①

 片付けを済ませてダイニング・エリアを出発した私たちは、再びラッキービーストの案内に従って中央通りを南進し、やがてオデッセイ南駅へと通じる連絡通路へと辿り着いた。ダイニング・エリアに向かうまでとは異なって足取りが軽かったのは、恐らく飢餓感に近い空腹が満たされて活力が湧いてきたからであろう。

「ここを進めば砂漠に出られるの?」

 サケイがのんびりと訊く。

「この先には駅っていうものがあって、僕たちはそこから出る乗り物に乗ってパーク・セントラル――君たちの言う博士がいる場所へと向かおうと思ってたんだ」

「あ、もしかしてジャパリラインのこと?」

「そうだね。博士から聞いたの?」

「聞いただけじゃなくて乗ったこともあるわよ! 細長い棒の上を、滑るみたいに進むんでしょ」

 乗ったこともある――ということは、異変後もアント地方を周遊するモノレールの環状線は動いていたということか。しかし、ケープたちの話を聞く限り”博士”は猫のアニマルガールであるらしく、それならばヒトの認証無くしては動かないモノレールをどうやって動かすことが出来たのだろう。それとも、今付き添ってくれているラッキービーストと同じく、中央においても依然として異変時の警報が解除されていないということなのだろうか。

 頭上のサインに従って通路を進んでいくと、間も無くして幅広い改札口が現れた。ラッキービーストが横の通用口を開錠し、私たちはそこから構内へと入っていく。プラットホームには既に四両編成の列車が停車していて、彼の通信により全ての扉が開かれた。

《準備が出来たら発車するよ。目的地はパーク・セントラル駅でいいかな?》

「うん、大丈夫」

「――あ、ちょっと待って」

 クロウタドリに続いて私は彼に言う。

「その前に、試験解放区に寄ってもらってもいいかしら。確か、パーク・セントラルの数駅前で降りられるわよね」

《構わないよ。では、まず試験解放区駅へと向かいます》

 ラッキービーストはそう言って、運転席の中へと入っていく。はしゃぐ三人を横目にロングシートに腰掛けた私に、クロウタドリが訊ねてきた。

「何か用事でも?」

「……そうね、そんなところ」

 私はクロウタドリを一瞥する。こちらを見つめる黄金の輪を湛えた両の瞳。かつては誰かとこうやって目を合わせるのも怖かった。けれど、今はそうじゃない。知ってみたいのだ――他者を、そしてそれを通して自分自身を。そして、そのためには自分の記憶が深く根を下ろしているであろう試験解放区の女学園を再訪してみる必要があった。

「ま、いいよ。これはあおちゃんの自分探しの旅でもあるんだからね」

 彼女はそう言ってシートに深く背を預けた。私は列車の前方を見遣る。間も無くしてヘッドライトが点灯し、チャイムの後に扉が閉まった。

《それでは発車します。この先分岐器の上を通過する際に車体が大きく揺れますので、お立ちのお客様は吊り革や手すりにお掴まりください。次は、乾燥地研究所前、乾燥地研究所前です》

 モーター音を唸らせ動き出した列車は、オデッセイを後にする。そして、私たちの思い出の地へと向かって行くのだった。


「それじゃ、あたしたちは次で降りるわ」

 オデッセイから三駅目である南部オアシス駅に向かっている途中で、ケープはそう私たちに告げた。

「このまま乗っていれば博士のところに行けるけど、いいの?」

「大丈夫大丈夫、ケンキュージョに行ったって多分会えないから~」

「は、博士、いつもお仕事で忙しそうですもんね……」

 そうなのか。どうやら図書館の彼女たちとは違って、こちらの博士は肩書通りに研究職に勤しんでいるらしい。

「それに、今回の料理で食べ物探しへのモチベーションがめちゃくちゃ上がってきたのよ! 取り敢えずデザート・フーディーズの当面の目標は砂漠エリアの美味しいもの制覇! だから中途半端に他の地方に行きたくないのよ」

 そう高らかに宣言するケープ。それに私は苦笑いを浮かべる。パークの砂漠エリアは本物と比べても遜色のないくらい広大であるはずだが、一体何年かけるつもりなのだろうか。

 暫くして速度を落とし、駅に停車する列車。ドアが開き、別れの挨拶を言ったが早いか、ケープは意気揚々と外に駆け出して行ってしまう。ケープちゃーん、待ってー、とそれを慌てて追いかけるサケイ。そしてモロクトカゲだけは最後に残って、私たちに頭を下げてしっかりと挨拶をしてから、二人のあとを追いかけていった。



***



《――次は、試験解放区、試験解放区。お出口は左側です。お降りのお客様は、お忘れ物の無いようお気を付けください》

 デザート・フーディーズと別れてから30分くらい乗っていただろうか。食後ということもあり襲ってきた眠気にうとうととしていた時にそのアナウンスが流れ、私は目を開ける。窓の外に目を向けると、だだっ広い平野に広がる市街地が見えた。既に試験解放区の郊外に入っているのか、軌条のすぐ傍を数々の住宅が流れていく。駅に近付くにつれ中層建築物が目立つようになり、そして減速してホームに進入しようとする頃には、高層ビルも含めた商業・オフィスビルの厚い連なりが視界に広がっていた。

 私たちは試験解放区駅のホームに降り立つ。全蓋式の橋上駅で、多くの路線の起点・終点となるターミナル駅の一つでもあるため、ホームの数は多かった。そして――やはり、ここまで来ると記憶が蘇ってくる。なんとなくではあるが、駅の構造は覚えていた。私はクロウタドリを先導する形で前を歩き、ホームから下の階へと降りて行った。

 例の如く通用口から改札を抜けた私たち。改札は駅ビルへと直結していて、明かりを落とした商業テナントがずらりと並んでいた。記憶に従って、私は通路をずっと進んでいく。パークのお土産が陳列されたまま放棄された土産店。本土からやってきてかつてはヒトとアニマルガールで賑わっていたチェーンファストフード店。いつも常に何らかの催事が行われていた中央コンコース。そして、往時は往来が絶えなかった、地上と駅とを結ぶ幅広の大階段。全部、憶えていた。その記憶の中に居ないのは、あの子だけ。

 やがて私たちは日の差す駅前広場へと辿り着いた。ここは所謂ペデストリアンデッキというものになっていて、その名の通り歩行者向けの巨大な歩道橋が駅前の各ビルへその枝葉を伸ばしていた。二階レベルでの歩行者の動線が生まれるため地上の交通と交わらず大変便利な代物であったが、車どころか歩行者が絶えた今は無用の長物に過ぎない。

《さて、何処に行きたいのかな?》

「うわっ、まだ居たの?!」

 突然背後の足元から聞こえた声に私は驚きで素っ頓狂な声を上げてしまう。振り返った先には制帽を被った彼――ラッキービーストが居た。

《要救助者の保護が最優先だからね。それまでは同伴させてもらうよ》

 そういえば彼が付いてきてくれた理由の一つがそれだったか。まあ、土地勘があるとは言え駅からまでの道のりはあやふやなところも多い。彼には引き続きナビゲート役を務めてもらうとしよう。

「じゃあ早速だけど、案内して欲しい場所があって――」


「あおちゃん」

 不意に横から掛かるクロウタドリの声。それが帯びるただならぬ雰囲気に、私ははっと顔を彼女の方へと向ける。彼女は身体を駅ビルの方へと向けており、その眼は鋭く、口は固く引き結ばれていた。

「悪いけどそれ、一旦後回しに出来るかな」険とした彼女の声。「厄介なことになった」

「厄介なこと?」

 私の鸚鵡返しの問い掛けには答えず、彼女は踵を返して市街地の方へと歩き出した。私は慌ててその後に付いていき、ラッキービーストもホップを繰り返しつつ私たちに続く。

「出来るだけ周囲を見回さないように――普通に雑談しながら歩いている感じで」

 デッキの上を進んでいく彼女が言う。

「どういうこと? 説明して」

「端的に言えば、追われている」

「え、それって――」

「いや、件のセルリアンじゃないな」

 クロウタドリは口元に手を当てて続ける。

「……思えばこの旅を始めたときからそこはかとなく違和感はあったんだ。けれども僕たちを追跡している別の存在、則ちセルリアンに気を取られて自分の中でそれを過小評価してしまっていた」

 を覚えているかい、と彼女は私に問う。

「覚えているけど……」

「それに加えて、つい昨日の夜、オデッセイ中央駅のホームで君が目撃したという存在。あの時はぽっぽちゃんか、そうでなければ見間違いだと結論付けたけれど、他の違和感も含めて深慮すべきだった。例えば、どうしてデザート・フーディーズの三人が、とか」

 彼女の言葉に首を傾げる私。

「それの何が違和感なの? 『いつもは中にセルリアンがいる』って分かっていたってことは、普段から開いている別の入口があったってことなんじゃ」

「いや、そんな訳はないんだよ。オデッセイはラッキービースト達が重点的に管理している優先度の高い施設だからね、施錠ミスなんてことはなかなか起こらない。中がアニマルガールらに危害を加えかねないセルリアンに満たされているとするなら、尚のこと全出入口を閉鎖するのが普通だろう」

 そうだろ、と横にいた彼に訊ねるクロウタドリ。少しの間を置いて、腹部のディスプレイを明滅させて応じる彼。

《確かにオデッセイの全ゲートは常に閉鎖されています。君たちが入る時に開けたのもあの入口だけだったよ》

「オデッセイにある各吹き抜けの最上部には、君も見た通り地上のオアシスに突出した明かり窓がある。中に入らなくともその様子は伺えるだろう。そうなると、あの三人の発言と全出入口が閉鎖されているという事実との間に矛盾は生じなくなる」

 じゃあ、それって、と私は辿り着いた一つの推論を口にする。

「何者かが、オデッセイの出入口を勝手に開けたってこと?」

 彼女は頷いた。

「そして、仲間が出払っているのに出入口を開放するメリットはセルリアンらに無い。僕らを追っている件の奴も同様にだ。ならば、こんな芸当が出来るのは、その他の知的生命体――ヒトか、アニマルガールか」

 その二択のうち、前者はもうこの島々には居ない。そうなると――。


「……私、恨まれるような覚えは無いわよ」

「残念ながら僕は大いにあるよ。けれど、忍び寄って不意打ちバックスタブするにせよここまで回りくどいことはしなくたっていいだろう。……だからさ、狙いがよく分からないんだ」

 彼女は眉根を寄せた。かと思うと不意に目を軽く見開いて、こちらを見遣る。……何か嫌な予感がする。

「いいこと思い付いたんだけど」

「あなたの言う”いいこと”ってのは大体最悪なのよね」

「まぁそう言わず」

 彼女は目を後ろに流して背後の状況を確認した後、こちらに”作戦”と称するものを告げてきた。

「……は?」

 それを聞いた私は文字通り目が点になった。

「という訳で、よろしく頼むぜ」

「ちょっ、いやいやいや」

 私は彼女の腕をがしりと掴んで抗議する。

「完全に私の身の安全度外視の作戦じゃない!」

「そんなことはないよ。多分、恐らく、きっと、追跡者は君に危害を加えないだろう」

「身の保証がある蓋然性が低すぎる気がするんだけど」

 私の突っ込みを受けた彼女は、しかし、いつものように持ち前の軽薄さで誤魔化そうとはしなかった。大丈夫、とその両の瞳でこちらを見据えて言う。


「親友の君に怪我をさせるようなやつは、誰であれ僕が許さないよ」


 というわけでよろしくね、と直ぐにいつもの調子に戻った彼女は、手をひらひらと振りながらそう言った。私は溜息を吐いて不承不承ながら頷くと、彼女の提唱した、追跡者の目的を炙り出すための作戦へと移る。



***



 なるほど、そう来たか。


 街路に立ち並ぶ中層商業ビル、その一つの屋上に設えられた業務用室外機の裏に身を潜めていた俺は心の中でそう呟く。

 この一週間と少し、奴らの動静に振り回されながらも上手く隠密行動を続けてこられた訳だが、流石に感付かれたか。特にあのクロウタドリとか言うアニマルガール――やたらと奔放な振る舞いを見せているようだが、反面、状況に応じて怜悧さと冷酷さを隠さない一面もある。得体が知れない分なかなか近づけなかったが……これはまたとない好機チャンスではないか。

 俺は目深に被っていたフードを少し上げ、街路をとぼとぼと孤独に歩く一人の長身のアニマルガールを見下げた。あの黒い鳥など如何でもいい――奴こそが目的だった。翼も無ければ尾羽も見当たらない。本来素体となった動物の体色が現れる頭髪や衣服も、やたらと薄く簡素で、堪らなく見窄らしい。おまけにそんな風体に加えて、正面に引っ提げた面も時化シケたもんと来ている。糞、どうしてお前は、――。

 嫌悪すべき学生時代を思い出しかけて頭を振った。今は考えるな。

 どちらにせよここらで仕掛けるつもりであった。市街地は遮蔽物も多く、加えて邪魔になる他のアニマルガールも居ない。あとは地下に連れ込めば、こちらのものと言ってもいい。俺は手持ちの装置ギズモを検める。LBシステムとの接続は良好。その他パーク内イントラネットへの接続も異状なし。腰に取り付けたウエストポーチからタブレットを取り出してスリープを解除すると、予め表示させておいた試験解放区内のある図様スケマティクスが現れた。話を聞くところによると奴らもパーク・セントラルへと向かっているらしいが、あそこは未だにセキュリティが堅固であり、地上から目的地へと向かうのは困難を極める。こちらからアクセスするのが最善に違いなかった。

 俺は頭を回し、市街地の先に開けた内海、その先に霞んで見えるキョウシュウ地方の中央峰を睨みつけた。


 ――。もう少しでお前の夢が叶うぞ。


 再びフードを被り、パークのふざけたシンボルが胸に載ったモスグリーンのウィンドブレーカーのジッパーを引き上げると、ビルの縁から飛び降りる。

 素早く両翼を展開し張り出した袖看板を躱すと、宛らジョナサン・リヴィングストンが如く翼を折り畳んで急降下したのちにアスファルト擦れ擦れで身を持ち上げて低空飛行へと移る。対象が目前に迫った時、翼を傾けて軽く減速し、その背後を抱くように捉えた。



***



 意識が戻った時、私の眼前には投げ出された自分の両脚と、打ちっ放しのコンクリ壁、そして張り巡らされた太い配管類が映っていた。どうやら壁に背を凭せ掛ける形で気絶していたらしい。そうして察したのは、クロウタドリの目論見が見事に当たったということであった。

「悪いな、あんたをひっ捕まえた時に軽く脳震盪を起こしちまったらしい」

 私は声のした方を振り向く。地面のすぐ上に通っていた一等太い配管の上に腰掛けていたらしいその人物は、腰を上げて光源であるランタンを手に提げつつこちらへと向かってくる。パークの従業員が着用する支給品のウィンドブレーカーを纏っていて、顔を隠すためかフードを目深に被っていた。

「あなたは……?」

 聞き覚えのある声ではあったが、覚醒直後ということもあって頭が回らず、声と記憶が上手く結びつかない。私の問い掛けに対し、自嘲気味に、はっ、と笑い声を上げた彼女は、直ぐ目の前で立ち止まり、首元のフード紐を解いてみせた。

「一週間前に会ったばかりってのに哀しいね。まあ小一時間しか話さなかったわけだし無理もないか。――それに、学校でも俺ぁ一番の味噌っ滓だったからな」

 ――学校? 私がその言葉を解する前に、顔を覆っていたフードが荒々しく搔き上げられる。顕わになったその顔に、私は息を呑んだ。


「よう、久しぶりだな――


 焦茶色の両翼を両頭側部に備えた小柄な少女――ミソサザイは、私を軽蔑的に睨め付けてそう言った。

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