As I trace the shines, So shall you ③
ゴコク地方とサンカイ地方とを結ぶ連絡橋に差し掛かり、橋梁に反響することで列車の走行音がより大きく、深みを帯びたものになった。今渡っているのはナリモン海峡と呼称される海峡で、実際の日本列島で言う四国と本州の間に横たわる鳴門海峡にあたる。ここを渡ればジャパリパークを構成する島嶼の7割超を占める本島へと辿り着く。まだパーク・セントラルや試験解放区が位置する中央のアント地方までは数十キロあるが、ようやく目的地が目前へと迫ってきた感覚があった。
「おなかすいた。ボス、ジャパリまんちょうだい」
《残念ながらボクはジャパリまんを提供できる個体じゃないんだ》
「ならジャパリまんじゃなくてもいい、なんか食べたい。ビロウでもいいよ」
ぽっぽの言葉を受けて彼は少しの間俯いて思考したのち、顔を上げてディスプレイを軽く光らせた。間を置かずに車両の先頭のほうから、がちゃり、という物音が聞こえた。目を向けてみると、先頭ドアの脇、運転席手前の壁に備え付けられたハッチが開いているのが見えた。
《特別に非常用食料を提供します。ハッチの中にある袋を取ってね》
彼女はハッチのもとへ歩いていき、その中に収納されていたクリーム色のナイロン袋を取り出して引き返してくる。袋の上にはでかでかと『非常食』と記載されていた。
「なんかいっぱい入ってる」
彼女は袋の中の食料を次々とシートの上へと並べていく。非常食の定番とも言える乾パンを始めとして、ショートブレッド様の栄養補助食品、長期保存向けのチョコレートバー、そして水のボトル数本などがあった。私はその内の一つを取り上げて裏の表示を確認する。多くは10年以上前に賞味期限が切れており、とてもじゃないが食べられそうになかった。水に関しては最早黒ずんでいる。
「これ、全部駄目ね」
「えー、なんで。美味しそうだよ」
「食べたらお腹下すわよ」
私は袋を取り上げ、彼女が食べてしまわないように片っ端から仕舞い込んでいく。期限切れのものを提供するな、と思って平然とした顔で突っ立っているラッキービーストを睨め付けたが、よく考えれば今の今まで休眠状態にあった彼にそれを言うのは酷というものか。
「あ、ちょっと待って」
そこで矢庭に伸びてきたぽっぽの手に私が握っていた乾パンの缶を奪われた。彼女はそれを矯めつ眇めつしてから、小首を傾げてこちらを見た。
「これ、どうやって開けるの」
「え、分からないの? 生き残りなんでしょ」
「だから何それ」
彼女は顔をより大きく傾けてみせた。……やはり、新世代のアニマルガールなのか? しかし、彼女はヒトの存在を知っていたが――。
「というか、食べちゃ駄目って言ったでしょ」
私はそう言って缶を袋に仕舞おうとする。
「でも、それだけ中からきらきらを感じるの」
「そのきらきらってやつこそ何なのよ……」
私は困惑して眉根を寄せるが、彼女から向けられる純朴な眼差しに耐えられなくなり、終ぞプルタブを引いて開缶してしまった。
「いい、見るだけよ。食べちゃ駄目だから」
私から缶を受け取ったぽっぽは、その華奢な手を突っ込んで中を漁る。それから間もなく、彼女は一つの半透明の欠片を摘まんで取り出した。
「これ! まだきらきらしてる」
彼女が取り出して見せてきたのは、乾パンの中に混じっていた氷砂糖だった。そう言えばこれが混ざっている製品もあったか。
「それ、氷砂糖だよね」横のクロウタドリが口を挟む。「砂糖って期限無いんじゃない? 多分食べられるよ」
確かに砂糖は問題なさそうだが、でも周りの悪くなった乾パンたちにくっついていたわけで……などと私があれこれ考えているうちに、彼女はそれを口の中に放り込んでしまった。
「ちょっと!」
「大丈夫だってあおちゃん。アニマルガールだし」
「いい加減あなたもその謎理論かますのやめなさいよ」
「あま~い!」
諍いが始まりかける横で頬を抱え恍惚とした表情を浮かべるぽっぽに、私は溜息を吐く。ああ、なんか、もういいか……。
いつの間にか列車は海峡を渡り終え、灌木が優勢となるサバンナエリアの中を走っていた。氷砂糖を摘まんでは口に放り込んでいるぽっぽとクロウタドリを尻目に、前面展望の方へと歩いていく私。荒涼とした乾季のサバンナ平野の中を二本の軌条が貫いている。軌条の先を地平線の方へと辿っていくと、遥か遠くの空が薄黄色く霞んでいるのが見えた。――恐らく、あの辺りがサンカイ地方の砂漠エリアになるのだろう。車掌の話によれば終着駅は『オデッセイ中央駅』とのことだった。『オデッセイ』とは、サンカイ地方の地下を通るバイパス沿いに建設された巨大な地下商業施設。恐らくどこかのタイミングで、軌条ごと地下に潜行することとなるのだろうな。砂塵嵐の中を歩きたくはないので、その方がこちらとしても好都合だ。
太陽は既に西へと傾きつつあった。私は足元にいたラッキービーストに訊く。
「終点まであとどれくらいかかるの」
《およそ58分ほどだね。気象状況やセルリアンの接近で到着時間が変わることもあるよ》
時計が無いので正確な時間は分からないが、恐らくオデッセイに到着するのは14時から15時ごろ。そこから乗り換えるにしても、この季節であればパーク・セントラルに到着するころには真っ暗になっていることだろう。そこから今日の宿を探すというのは、あまり好ましいことではない。ならば、一度オデッセイの中で一夜を明かした方が良さそうに思えた。廃墟とは言え腐っても商業施設だ、身体を安全に横たえる場所も数多くあることだろう。
そして、ラッキービーストの言葉を受けて、私はもう一つのことを考えた。それは、目下のところ最大の懸念事項である、我々を追跡するセルリアンのことである。未だに何の攻撃もけしかけてこないどころか、その姿さえ捉えられていない。まあ、あのクロウタドリでさえもまともにその居場所が分かっていないのだから、私が捕捉できるわけはないのだが。
「クロウタドリ」
私はシートに座り直すと、ぽっぽと並んで口をもぐもぐとさせている彼女に小声で呼び掛けた。首だけをこちらに回し、なに、と応じる彼女。
「例のセルリアンはどうなっているの」
彼女は口をもぐつかせたまま軽く肩を竦めた。
「さあ?」
「さあって……」
「だって全然姿を見せてくれないんだもん、今どうしているのかなんて分からないよ」
口の中にあった氷砂糖を嚥下した彼女は、背後を振り返ってぽっぽが握っている缶詰からそれをもう一粒摘まみ取ると、再びこちらに向き直る。
「とはいえ」クロウタドリは手にした半透明の塊を口に放り込んで続けた。「依然僕たちを追ってきているのは間違いないだろうね」
「どうしてそう言い切れるの」
「そりゃ簡単なことだよ」
彼女は不意に車窓の外を指差した。私は釣られてそちらを見遣るが、外では変わらずサバンナの景色が流れていくだけで、特に変わったものは見受けられない。
「いないだろ、セルリアン」
言葉の意図が汲み取れず私は顔を顰める。いないが、それが何だというのか。
「あおちゃん、君は異変を境にセルリアンを目撃してないと言ったよね」
「言ったけど」
一応この旅の道中で既に二回ほど襲われているが、とは言えクロウタドリと出会うまで遭遇したことが無かったのは事実だ。
「前も言った通り、それはおかしいんだよ」
窓へと向けていた指をこちらに差し向ける彼女。
「ただでさえ年々セルリアンの数が増加していく中で、二十余年もそれを目にしたことが無いなんてほぼあり得ない話だ。初めは嘘か冗談で言っているのかと思ったけど、知る限り君はそういう性格じゃない。そうなると、残る可能性は二つ。君が余程の幸運の持ち主であるか、或いは、人払いならぬセルリアン払いをする何らかの要因が君の周囲にあったか、だ」
私はキョウシュウ地方において、ジャコウジカと出会う直前に彼女が言った言葉を思い出した。私が長年の間セルリアンに遭わなかったことは、ただの偶然や幸運では片付けられないと彼女が考えている、ということを。そして、後者である場合、話の流れから考えて、そのセルリアン払いの要因となっているのは――。
「つまり」私は一層声を潜めて言う。「私たちを追跡しているセルリアンが、敢えて私たちの周りにいるセルリアンを払っているってこと?」
「目下のところ、それが僕の推測」
クロウタドリは続けざまに二本の指を立てる。
「そして、その場合さらに二つの可能性が生じる。セルリアンが意図的に君の周りから他のセルリアンを払っているのか、それとも意図せず自らの周囲から連中を除けているのか」
ただこれは、これまでの状況を鑑みるに一つに絞られた、と彼女は言う。
「ついこの間、立て続けにセルリアンに襲われたろう。一回目がキョウシュウとゴコクを結ぶ連絡橋の上。二回目が、アンインで映画の撮影が終わった直後。そして何より、キョウシュウ地方では君と出会ってから一切セルリアンを目撃しなかった。つまり、キョウシュウ地方を離れてからセルリアン払いの効果が暫く減衰していたわけだ」
彼女の言葉を受けて、私も推論を述べる。
「そして、今になって再び周囲からセルリアンがいなくなった……これが件のセルリアンの影響だとしたら、キョウシュウ地方を発ってから私たちに追いつくまで、一定程度のラグがある。何が何でも私からセルリアンを遠ざけたいのなら、こんな緩慢で悠長な追跡はしないはず……。だから、セルリアン払い自体は副次的なものであって、主目的は私たちの追跡そのものにある――そういうこと?」
「うん、そういうこと」
そう言えば、キョウシュウを離れてから一度も――先日の不気味な霊夢のようなものを除けば――悪夢を見ていなかった。仮に一連の悪夢がセルリアン払いと同じく副次的な効果であるとするならば、今の推論と符合する。
そして、間も無く私はあることに思い至り、背筋に冷たいものが走った。異変以来セルリアンを目撃しなかったということは即ち、異変以来そのセルリアンが常に私の傍にいたということなのではあるまいか? そしてそれが私の中に、連絡橋の上でクロウタドリにぶつけた疑問を再起させた。
――何故、私のことを敢えて襲わないでいるのか。
「でもさ、寧ろこの状況は好都合とも言えるんじゃない」
横の彼女は打って変わって明るい口調で言った。
「追われているとは言え、一定の距離を保って危害は加えてこないし、おまけに他のセルリアンさえ退けてくれる。上手く利用すれば、比較的安全にパーク・セントラルまで辿り着けるってわけだ」
「いや、安全ではあるかもしれないけど、近くにいる限りまた悪夢を見ることになるのよ」
「まあそこは……もうちょっとの辛抱、ということで」
この鳥、他人事だと思って……。
「……というか、この先攻撃してこないっていう保証も無いんでしょ。もしものことがあった時、戦って勝てるの?」
彼女の強さは先のセルリアンとの交戦を見て十分に理解していた。ただ、私たちを追ってきている個体は知性を有し、かつ他の個体を退けられるほどの例外的なものだ。通常のセルリアンを相手にするのとは訳が違うということは、この私でも容易に分かった。
私の疑問に、彼女は虚を突かれたように少し目を見開いて、刹那硬直した。直ぐに口許を軽く綻ばせたが、両の目は鋭いものに変わっていた。
「大丈夫、やれるさ」
間を置かずに、ぱきり、という短く鋭い音が響く。見ると、彼女の片手の指先に摘ままれていた何個目かの氷砂糖が押し潰され、その白い破片が床に落ちていた。
《――お客様にお知らせいたします。この先において砂塵嵐の発生が確認されました。安全のため、これより減速しての運行となります。揺れが予想されますので、お立ちのお客様は手すりや吊り革にお掴まりください。また、減速運転のために列車の遅延が予想されます。お急ぎのお客様にはご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします》
列車はサバンナエリアを抜け、サンカイ地方の中心、広大な砂砂漠へと進んでいく。私たちの前途には、まるで巨大な荒々しい一枚岩の如く横たっている大規模な砂塵嵐が迫りつつあった。外を舞い始める砂塵により車内が暗くなっていくなか、それ以来口を閉ざしてしまったクロウタドリのことを横目で見つめていた。
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