As I trace the shines, So shall you ④
砂塵嵐の中に進入した列車の車窓には絶え間なく黄土色の砂が打ち付けられていた。それに加えて、暴風に煽られて定期的に車体が激しく軋んだ。
「これ、大丈夫なの? 一度止まった方が……」
《当モノレールは跨座式と言って、レールを三方から押さえ込んでいるから強風による脱線の可能性はほぼ無いよ。また、レール上に堆積した砂も前方の除砂装置で押し除けることが出来るので、立ち往生してしまう心配もありません。むしろ立ち止まった方が、車両に砂が堆積して危険なんだ》
そういうことなら、と思った私だが、その時強風でがなり立てた音で途端に体をびくつかせてしまう。こういう時の不安感は大丈夫と分かっていても駆り立てられるものだ。
「うわっ、すごい砂! 面白〜い」
隣でシート上に膝立ちになっていたぽっぽは車窓を覗きながら感嘆の声を上げる。これくらい呑気に行きたいものだが、なまじっか知識がある分なかなかそうはいかない。
「ラッキービースト。この砂嵐はあとどれくらいで抜けられるの?」
《あと25分ほどで地下区間に入ります。そうすれば砂嵐の影響は受けなくなるよ》
25分。短いようで長い時間だ。私はロングシートに深く座り直し、膝上で手を組んで目を瞑った。女学園への通学時間中は最寄駅に着くまでこうやっていたのをふと思い出す。正面を見ていると目の前の乗客と目が合いそうで気まずい。と言っても周りを見回しているのも違うし、読書は喧騒で集中できない上に、携帯で眺め回すものもなかった。そんなわけで、この姿勢が車内で時間を過ごす時の基本となっていたのだ。
暫くの間会話が止んだ。相変わらず風と砂は吹き付けていたがそれにも段々慣れてきて、加えて一定のリズムで繰り返される列車の走行音も相俟って私は眠気に襲われる。薄目を開けて横を見ると、クロウタドリも目を瞑って軽く船を漕いでいた。──私も眠ってしまっていいだろうか。そう思って本格的に入眠への準備を整えようとしたところで、いつの間にかすぐ横に来ていたらしいぽっぽに声を掛けられた。
「ねねね」
私は目を開けて彼女の方を見遣る。
「なに?」
「きらきらが見えてきたよ」
ぽっぽは言いつつ車窓の前方を指差した。相変わらず視界は黄土色に染め上げられていて、全く何も見えなかった。
「……何も見えないけど」
「まだ遠いけど、砂の向こうにあるよ。段々近付いてきてる」
もう一度進行方向の方を見る。やはり見えるのは窓に打ち付けてくる砂だけで、それ以外には何も視界に映らなかった。私は軽く溜息を吐いて彼女に訊く。
「……はぁ、ずっと気になっていたんだけど、あなたの言う”きらきら”って何なの? そろそろ教えてくれないかしら」
「きらきらはきらきらだよ」彼女は首を傾げて不思議そうに聞き返した。「見えないの?」
「見えないわよ。多分、あなた以外には誰も」
「そうなんだ、変なの」
会話はそこで止んだ。彼女は再び身を乗り出しつつ、車窓を覗き込む。私はその様子を暫く怪訝そうに見つめていたが、やがて元の姿勢に戻ると、再び目を閉じる。
だが、なかなか寝付けない。前にも言った通り、自分は一度気になったことを放置できない性分なのだ。彼女の口から発される謎の語彙について考えを巡らせるせいで、眠気は何処かに行ってしまったらしかった。
きらきら。普通は何か――星だったりイルミネーションだったり――が光り輝く時に使われる擬態語だ。そういったものは通常物理的に視認できるものだが、彼女が言うきらきらは目に見えない。目に見えないけれど、光り輝くもの。輝くもの、輝き――。
「――もしかして、”輝き”のこと?」
クロウタドリがしばしば口にする言葉。セルリアンらをおびき寄せる因子として語られていたが、それも実際には目に見えない、極めて抽象的な概念だった。
「カガヤキ? 何それ」
「ええと……ヒトやアニマルガールが生み出すポジティブ――前向きなものをまとめてそう呼んでいるらしいわ。それがセルリアンを寄せ付けるとかなんとか」
私もよく分かっていないので曖昧な伝聞口調になってしまう。彼女は少しの間腕組みをして沈思したのち、軽く頷いてみせた。
「うん、わたしが見てるきらきらもそういうやつだと思う」
なるほど、やっぱりか。その正体が分かってほっとした私だったが、それも束の間、新たな疑問が湧いてきた。
「それで、あなたはどうしてそれが見えるの?」
“輝き”についてはパーク内で一定程度人口に膾炙した概念のようだが、それが見えるというアニマルガールはこれまで見たことが無かった。そもそも、物理現象でないのだからそれを捉えることは土台無理な話である。彼女が言っていることが嘘やはったりで無いとするならば、彼女は生き物や物体に宿る思念や特性といったものを見通せる能力を持っているということになるが……。
「知らない。この身体になった時からそうだったから」
「あなたがアニマルガールになったのはどれくらい前なの」
「ずっと前だよ。ジャパリパークが出来るよりもずっと前からここにいた」
パークが出来る前から? 私は思わず目を見開いてしまう。それが本当ならば、彼女は私たちアニマルガールの始祖に等しい存在になる。けれど、これまでの仕草や言葉遣い、そしてその知識から言って、彼女が異変前から生き続ける生き残りであるとは到底信じられなかった。
「……ごめんなさい、やっぱり俄かには信じがたいわ。あなたがそんなに前からアニマルガールだったなんて……」
「大丈夫。いっつもみんな信じてくれないから、ぽっぽはもう慣れっこ」
彼女は表情を少しも変えぬまま、何でも無いことのようにそう言った。
そのまま暫く沈黙が続く。気まずい時間だった。もしかして、さっきの言葉で彼女の気分を損ねてしまっただろうか? ただ、依然として無表情のままなのでそれすら伺えない。次に何を切り出そうか私がもじもじとしていると、再び彼女から言葉が飛んできた。
「そういえば、のっぽちゃんたちはなんであっちに向かってるの?」
ぽっぽは列車の進行方向を指差しつつ訊いてくる。
「……のっぽちゃん?」
「うん。キミのこと。背が高いからのっぽちゃん」
……そう言えば、こちらの自己紹介を忘れていたのだったか。
「私はのっぽちゃんじゃなくて、アオサギよ」
「ふうん、そうだったんだ。だからあおちゃんって呼ばれてたんだね」
「まあ、そうね」
正直まだ慣れないのだが……ただ、何処かの黒い鳥がそう呼び始めて早一週間、最早拒絶する意思は失われていた。
「わたしの友達とおんなじあだ名だね」
「友達?」
「うん。ずっと前からの友達。その子もあおちゃんって呼んでた」
再び列車の前方を指差す。
「確かあっちに住んでたはず。もし会った時はよろしくって言っててね」
私は苦笑いしつつ頷いて応じる。”アオ”が付く生き物など山程いるので、正直そのあだ名だけで彼女の友達を特定できる気はしないのだが。
「そっちの子は?」
彼女は完全に寝落ちしたクロウタドリの方を指差す。
「彼女はクロウタドリ」
「ほえ~。まっくろくろすけちゃんだと思ってた」
私は頭を抱える。彼女のネーミングセンスはどうなっているんだ?
「それで、あおちゃんとクロウタちゃんはなんであっちに向かってるの?」
改めて彼女が訊いてくる。
「私たち、この先にあるパーク・セントラルって場所に向かっているの。昔からの友人に会う予定があって」
「へぇ。なんて子なの?」
「クロツグミよ」
私はジャコウジカに話した時と同じ様に旅の目的を繕った。嘘も方便である。
しかし、私が答えてから暫く、彼女は再び腕組みをして黙ってしまった。今の会話に何か引っかかる部分でもあっただろうか?
それから程無くして、ぽっぽは徐にこちらを見据えると、穏やかに、それでも何か有無を言わさぬような語調で、私にこう問い掛けた。
「あおちゃん、もしかして今、嘘ついた?」
「え……」
私は驚愕と動揺で言葉を失ってしまう。何故、それを?
「やっぱり。さっきあおちゃんのきらきらがちょっと弱くなった。嘘ついた証拠」
それから間もなく、彼女は初めて無表情から僅かに口角を上げて、こちらに語り掛けてきた。
「変な嘘つかなくていいよ。本当は何しに行くのか、隠さずにわたしに教えて?」
彼女が見せた柔らかな微笑に、どういうわけか肩の荷が少しだけ下りた感覚がした。何故かは分からない。けれど、彼女になら、本当のことを打ち明けても問題無いだろうと、直感でそう感じたのであった。
***
「そっか、その子はもういないんだね」
本当の旅の目的を打ち明けた私に対して、彼女はそう呟いた。そのまま目線を眠っているクロウタドリが提げているバッグへと移した。
「もしかして、その中にいるのって、その子?」
彼女の言葉に再び驚く私。そんなことまで分かるのか。
「分かるの?」
「うん、不思議なきらきらがずっと見えてたから」彼女はバッグへと顔を近付けて続ける。「きらきらは残ってるけど、何だか空っぽな感じ」
きらきらが残っている――彼女が見えているそれは、恐らくクロツグミの遺骸に残った残滓のようなものなのだろう。或いは、単にクロウタドリが定期的に分け与えているサンドスターによるものなのか。
「でもね、もっと不思議なことがあるの」
「なに?」
「似てるきらきらが、あっちに見える気がする」
ぽっぽは列車の後部、貫通扉手前の床の辺りに指を向ける。
「似てるきらきら? この列車の中にあるってこと?」
「ううん。もっと向こう。地面がある方かな。そう言えば、あおちゃんのやつに似たきらきらも同じ場所に見えるよ」
砂塵嵐で視界が利かないためよく分からないが、恐らくこれまで列車が通ってきた場所の何処かにあるということなのだろうか。もし遺骸に宿る輝きがクロウタドリに由来するものだとしたら、これまでの道中に私たちの跡のようなものが残ってもおかしくないのかもしれない。――しかし、そんな微かな跡が、こんな遠くから視認できるものなのだろうか?
「あおちゃんは、やっぱりツグミちゃんがいなくなってかなしい?」
「え?」
彼女の言葉について考えを巡らせていた私は、彼女にそう訊かれて顔を上げた。
「……よく、分からない。クロツグミのことは、ちゃんと覚えていないから」
「ずっと友達だったんじゃないの?」
「そうらしいけど……思い出せないの。彼女についての記憶が頭からすっぱり抜けているというか……」
私は片手で頭を押さえた。厳密には彼女だけでなく、異変前の記憶が酷く朧気であった。クロウタドリと一緒にキョウシュウ地方のアーケードを離れて旅をしていく中で、定期的に見る悪夢も含め記憶が断片的に蘇ってくることはあるのだが、あくまで走馬灯のようなものなので過去の一連の出来事を時系列順に思い出すことは出来なかった。
「ツグミちゃんのこと、思い出したい?」
「それは勿論……」
「そっか」
彼女はそう言うと、矢庭にこちらへと片手を差し出してくる。その手は私の前髪を掻き上げたかと思うと、額を覆うように当てられた。
「えっ、ちょっ、ちょっと」
「動かないで」
「いや、でも」
「今からあおちゃんが思い出すの、手伝ってあげる」
突然のボディタッチにどぎまぎしていた私とは対照的に、ぽっぽの表情は真剣そのものだった。これやるとちょっぴり眠くなっちゃうけど許してね、と言ってから、彼女は目を瞑り、眉間に軽く皺を寄せた。
私は上目で自分の額から伸びる彼女の腕とその顔を交互に見遣る。一体何を……? 思い出すのを手伝う、と彼女は言っていたが、こんなことで何が出来るというのか。なんだか、怪しい霊感商法の勧誘を受けている気分になってきた。
数分経って何も起こらなかったので、彼女に声を掛けようとしたところ、真上に見える細く白い腕が淡く発光する様子が見えた。クロウタドリが戦闘時に見せたものとよく似ていたが、その発光の程度はそれよりも大分弱いものだった。
そして刹那、私の頭の中に閃光めいたものが迸る。
体育館の様な広い場所。沢山のアニマルガール達が賑々しくしていて、皆が中央に置かれたクリスマスツリーの周りに集っている。
場面は変わる。門扉に掲げられた入学式の看板。私は誰かと歩いている。これは、女学園の正門か?
次は、何らかの学校行事。各教室や廊下は華々しく飾り付けられ、校内は大勢のヒトやアニマルガール達で賑わっていた。――これは文化祭か。
矢継ぎ早にフラッシュバックする光景に私はめくるめく心地がする。
合唱コンクールのステージの上。
定期テスト。
憂鬱だった体育の時間。
中休みに拡げる弁当。
修学旅行。
冬休み、夏休み、巡り廻ってまた冬休み。
下校途中に見た朱い夕焼け、橙の金木犀――。
――ふと気付くと、私はアスファルトの上に立っていた。
右にはあの金木犀の家。左にはフェンス越しに見えるモノレールの軌条。
そしてすぐ目の前に伸びる坂の上には、逆光の中に佇む彼女。
夢の中で見たことがある光景だった。しかし、明らかに夢とは違うと分かる。ずっとシルエットでしかその姿を捉えることが出来なかった彼女から、そのベールが剝がされていた。
クロウタドリとよく似た姿。けれど、身に纏う服の前面の、白地に黒の斑点が、クロウタドリとの大きな違いだった。
こちらに大きく手を振る彼女は、わたしの名を大きな声で呼ぶ。満面の笑みで、快活な声で、いつものようにこう言った。
「また明日ね~っ!」
***
気付くと、私は列車の座席に座っていて、目の前にはこちらを心配そうに見つめるぽっぽの姿があった。彼女は再び手をこちらに伸ばし、その指先で私の目元を拭った。それで初めて、自分が涙を流していることに気付く。
「――あっ、えっ、これは、違くて」
「大丈夫だよ」
動揺を見せる私を、彼女は優しく抱擁した。真横に迫った彼女のふんわりとした頭髪が微かに甘く薫る。
「大丈夫。ずっと辛かったね」
ぽっぽの掛ける言葉が、私の背を優しく撫ぜた。だからそれ以上は何も言えなくて、彼女の背に手を回し、その肩で静かに泣くことしか出来なかった。
「……ごめんなさい、取り乱したわ」
「気にしなくていいよ」
抱擁を解いた私は、自らの両頬に伝った涙を拭う。背後を軽く振り返って、クロウタドリが依然眠り続けていたことに安堵する。
「ごめんね」
「え?」
「これくらいしか出来なかった」
彼女が謝った訳が分からず、首を傾げる私。
「さっきのやつ。ちょっとしか思い出せなかったでしょ」
私は大きくかぶりを振った。
「そんなこと無いわ。これまでずっと忘れてたことを、沢山思い出せた気がする」
長い間靄に包まれていて判然としなかった女学園時代の記憶。確かにこれまでと同じく断片的なものではあったが、その範囲は極めて広かった。そして、坂の上にいた彼女。きっと彼女が、彼女こそが――。
「……多分、クロツグミの姿も思い出すことが出来たと思う」
「そっか」
そう言って微笑むぽっぽに、私は目を向ける。気持ちが落ち着いてきて、改めて彼女に対して大きな疑問が湧いてきたのだった。
「ぽっぽ。本当に、あなたは何者なの」
そう訊く私に、彼女はきょとんとした表情で応じた。
「わたしは、みんなと同じただのフレンズ。さっきも何も特別なことはしてない。散らばってたあおちゃんのきらきらを読み取って、ぎゅってして、またあおちゃんに返してあげただけ」
彼女は、少し表情を曇らせて続ける。
「……でも、上手くいかなかった。いつもはもっと沢山のことを思い出させてあげられるのに、今は全然ダメ。あおちゃんのきらきらは、まるで半分どこかにいっちゃったみたいだった」
私の輝きが、半分? 彼女の言葉の意味を汲み取ろうとするが、その時、不意に睡魔が私の頭を襲った。上手く頭が回らず、瞼が重くなってくる。
「あおちゃん、もうおねむみたいだね」
「……いや、大丈夫。続けてちょうだい」
そう言ってなんとか目を見開き、顔を上げる。しかし、焦点が上手く定まらない。
「無理しなくていい。きらきらをぎゅって押し込むと、慣れないからみんな疲れちゃうみたいだし」
微睡みの中に、彼女の声が響く。半分夢遊病者のようになった私は、彼女に促されるまま、気付くとその膝の上に頭を預ける形で横になってしまった。
「キミはいつかきっと、全部思い出せるよ。きらきらは絶対に消えないから。終わりが終わらないこの世界の中でも、きらきらはずっと残り続けるから」
視界が闇に閉ざされる。彼女の声が、まるで子守歌のように私を更なる眠りの底へと誘っていく。
「――だから、今はおやすみ」
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