Another show girl off the stage ⑥

 翌日。

 再びグリーンバックの前で、私たちは撮影に取り掛かる。


「それじゃ、シーン8、カット2、テイク9から再開するわよ。昨日はなかなか上手くいかなかったシーンだから、今回はちょっと画角を変えて撮ってみるわ。あなたたちも何か修正点に気付いたら遠慮なく言ってね」

 そう言って三脚ごとカメラを移動させるマーゲイ。撮影位置に迷う彼女から目を離し、私は目の前に座るクロウタドリの膝元辺りを見遣った。

 私たちは椅子に座って互いに向かい合っていた。主人公たちが本シーンで乗るゴンドラを表現するものはこれらの椅子くらいなもので、それ以外は緑一面に覆われている。グリーンバックでの撮影は昨日も行ったが、園内をそぞろ歩き、アトラクションに乗るという細切れのシーンばかりで、今回のような長回しの撮影は初めてであった。

「緊張してる?」

 前から掛けられた声に、私は視線を上げる。クロウタドリが微笑を湛えつつこちらを見ていた。

「まあ、それなりには」私はおずおずと言う。「あなたは相変わらず余裕そうだけど」

「そんなことないよ。僕だってそれなりには緊張してる」

 そして、悪戯っぽく笑って続けた。

「確かめてみるかい?」

「……何言って――」

 その時、突然膝に載せていた右手を引かれる。前のめりになる身体。目の前に伸びる自分の腕は、彼女の胸の上に置かれていた。掌に感じる肌触りの良い生地越しに、じんわりと彼女の体温が兆す。

「ちょっ――」

 私は動揺して勢いよく手を引き抜く。刹那、クロウタドリは口元に指を立てた。間を置かずして、背後から聞こえるマーゲイの声。

「準備できたわ。行くわよ――シーン9、カット2,テイク9。よーい……」

 こちらの様子を伺いつつ、少し溜めてから、彼女は徐に合図を出した。

「スタート」


 強い拍動が耳を捉えていた。言うまでもなく、先のクロウタドリの行為によるものだった。

 一体何のつもりで……。顔が熱くなって、思考が纏まらない。えっと、ここではどういう心積もりで演技を――。

「大分日が暮れてきたね」

 はっとして私は前を向く。彼女は肩肘を宙に浮かせ、軽く頬杖をついていた。声色が違う――いつもよりもトーンが低く、まるで少年のような声。グリーンバックが張られた側に向けられた目は憂いを帯びていて、どこか耽美ささえ感じさせるものだった。セットなんて今お互いが座っている椅子しかないのに、私たちを乗せる狭いゴンドラと、その外に広がるパーク・セントラルの夕景が浮かんでくるかのようだった。

 彼女の演技に、私の心臓の鼓動は更に早鐘を打ち始める。再び俯き、頭の中で次の台詞を探した。妙な間が空き、焦る。ええと、次の台詞は確か……確か――。


「たッ、隊長さん……」


 不味った――焦って台詞の出だしで躓いてしまった。私はきつく目を瞑って、背後からマーゲイの声が聞こえてくるのを待つ。しかし、カットはかからなかった。代わりに、前にいるクロウタドリ、いや、隊長から返答があった。

「なに?」

 見ると、こちらを真っすぐ見据えている彼女。カメラが回り続けていることに動揺を覚えつつ、私はおずおずと次の台詞を放つ。

「えっと……あの、伝えたいことがあって」

 隊長は首を傾げる。私は軽く言い淀んだ。ここからの台詞は、いくら演技と分かっていても恥ずかしいものがある。だが、背後にあるのは回り続けるカメラ。ここで役割を放棄するわけにはいかない。

 私は昨日の夜にクロウタドリから貰ったアドバイスを思い返した。自分が過去に覚えた好意をベースにして、主人公の感情を載せ、恋慕を再現する。頭の中には不意に昨日見た幻覚が浮かんできた。逆光の中からこちらへ向かってくる彼女。高鳴った胸と、その背後にあった不安感。それを増幅させてやればいい。心の準備が出来た私は、緊張で乾いた口腔を少し湿らせてから、口を開く。


「わたし、ずっと前から隊長さんのことが――」


 しかし、その先の言葉は矢庭に鳴り響いた大音量のサイレンで搔き消された。身体をびくつかせる両者。そうだ、プロットにはここで会話が遮られると書かれていたか。緊張ですっかり頭から飛んでいた。サイレンはマーゲイが事前に用意したスピーカーから流れているらしく、続けて女性のアナウンスが流れ始める。


〈こちらはジャパリパーク防災センターです。先程、気象庁により新西之島地域の噴火警戒レベルが4に引き上げられました。新西之島に位置するキョウシュウエリアだけでなく、当園全体における火山災害の危険性が高まっております。ゲストの皆様は、スタッフの指示に従い、当園中央にありますセントラル・プラザおよびエントランスゲート前広場へ避難してください。また、噴火に伴い津波が発生するおそれがあります。安全が確認されるまで、海岸や河口付近には絶対に近づかないでください。繰り返します――〉


 観覧車を降りた二人は駆け出す。停止したアトラクションから下りてくるゲストやアニマルガールたちを、他の職員と一緒に指定された避難所まで誘導する。事の重大さを理解できずに避難せず談笑している者や、予定が狂ったと言って職員に詰め寄ってくる者もいた。そういった者たちを何とか宥め、上手く説得していく隊長を私は横目で見ていた。

 別にエキストラがいるわけじゃない。また、さっきも言ったようにセットは椅子だけで、他にパーク・セントラルを想起させるものは何も無いのだが、クロウタドリの演技によって、そのような光景がありありと目の前に浮かんできていた。


「はい、カット。なかなかいいわね」

 シーン全体を撮り通してからマーゲイが言う。

「ただ、幾つか気になるところがあったからそこを詰めていくわ。まず観覧車から下りた直後のカットだけど――」

 彼女がこちらに近づいてきて、拡げた台本を指差しながら改善点や追加すべき点を挙げていく。ひとくさり聞いた後で、私は彼女に訊ねた。

「あの――観覧車の中のシーンはあれで大丈夫だったの?」

 恐る恐るといった感じで訊く私と対照的に、彼女はこちらに親指を立てて見せると、あっさりと言ってのけた。

「全く問題なかったわよ、というか素晴らしかったわ。アングルを変えたのも良かったけど、何より二人の演技が最高だったわね。特にアオサギ――あなたのりかたには痺れるものがあったわ」

「私?」

「そう。もしかしてあんまり手応え無かった?」

「いや、だって……台詞がつかえた所とか、妙な間が空いてしまったところとか、ミスが多かった気がして」

「いやいや、あれが寧ろ良かったのよ。あなたなら解ってると思うけれど、あのシーンは主人公の緊張が最高潮に達するシーンだから言葉に詰まったりするのは当然。それに頬の紅潮とか膝の上で握りしめる手とか、細部への拘りもグッドだったわ。やっぱり私が見込んだだけあるわよ」

 目の前で胸を張ってみせる彼女の前に立つ私は、軽く呆けていた。演じるのが一番難しそうだと思っていたシーンなのに、こんなにあっさりとOKが出てしまうものなのか。それに彼女が褒めてくれた点だって、実際には私が隅々まで意識していた訳じゃ――。

 いや、そうか。意識し過ぎていなかったから良かったのだ。

 心構えはあれで良かったのだと思う。しかし、演技の素人である私ならば、上手く演じようと意識し過ぎて、過剰なほどに、わざとらしく身振りをしたり、言葉を発したりしていたかもしれなかった。それに上限キャップを掛けてくれたのが、恐らくあのクロウタドリの行為だろう。突然の慣れないボディタッチ、それも胸――同じアニマルガールとは言え、私を動揺させるのには十分だった。ただ、それが演技の端緒となり、かつ抑制剤ともなったのだ。

 私は横で熱心に台本やプロットを確認しているクロウタドリを見遣った。どうして、そこまでして私のことを。考えが纏まらないまま、私はマーゲイに指示されて再びグリーンバックの前へと歩いていった。



***



 スタッフカーに乗るシーンの直前で、一度撮影は中断された。彼女によると、この場面はどうしても雰囲気醸成のために日が沈んだ後に撮りたいとのこと。今夜中にちゃんと撮り終わるから、マジでお願いします、と土下座せんばかりの勢いで協力を切望されたので、二泊目を許してもらうことを条件に、私たちは日が暮れるのを待っていた。

「言うまでもなくここが佳境だからね。時間になるまで、二人ともよく読み込んで準備しておいてちょうだい」

 マーゲイは再びラップトップとにらめっこしながらそう言った。私は彼女のもとに歩み寄り、プロットを貰った時から抱いていた疑問点をぶつける。

「あの、ちょっと聞いてもいい?」

「なに」

「この、台本とプロットの最後の方なんだけど」

 私は両方を拡げて、指で該当の箇所を示す。それは、作品のラストシーンにあたるところだった。覚悟を決めた隊長に、主人公がシェルターへ逃げろと言われるシーン。続く主人公の台詞の直前まではちゃんとト書きがあるのだが、しかし、肝心の台詞そのものは空白であった。

「ああ、これね」

 彼女は合点して頷くと、にやりと口角を上げてみせた。

「ここはアドリブ」

「アドリブ?」私は眉根を寄せて言下に聞き返した。「え、まさか、その場で考えて言えっていうの?」

「そこまで鬼畜じゃないわよ」

 彼女は口を尖らせてそう返した。

「そのためのこの時間よ。勿論夜を待つためでもあるけど、あなたにはここの主人公の台詞を考えて欲しかったの」

「いや、いくら何でもそれは……」

 ちょっと無責任が過ぎるだろう、と思ってしまう。

「……まあ、脚本家として見れば勝手で無責任な押し付けよね。それに、もっと早く言っておけばよかったのもそう」

 マーゲイは私の心を読んだかのように、言う。ラップトップから目を離し、こちらを見た彼女は、自嘲気味に笑ってみせた。

「でも、監督としての自分の欲望に従ってみたかったの。なんと言うか、このシナリオを思いついた時から、こうすることは決まっていて。役を演じたあなたじゃなければ、見出せないものがあると思ったから」


 拠点の中に戻った私は、台本を握りしめたまま廊下を歩いていた。

 監督である彼女の気持ちというか、演出意図は尊重したいところだが、私だって昨日演技を始めたばかりの素人だ。そんな簡単にアドリブの台詞を思いつけるわけがなかった。改めて私は、今回の作品作りへの参加を安請け合いしてしまったことを後悔していた。

 気付くと、エントランスホールの中にいた。入り口の真上にある明かり窓からは傾いた日の光が差し込んでいる。私は階段を上って二階へと上がる。上がった先で、隊長の居室があるのとは逆の方向へと折れた。そう言えばこちらはまだ散策していなかったな。もしかしたら、何かひらめきを与えてくれるものがあるかもしれない。そんな藁にも縋る思いで、私は拠点の中をうろついていた。

 間も無くして、私はある一室の前に行きつく。戸を押して中へと入ってみると、そこには隊長の居室と同じかそれ以上に広い空間が広がっていた。調度品の並びを見るに、どうやらリビングルームらしい。ここはあまり手を加えていないのか、一階の部屋と比べて当時の生活感が残っているように思えた。私は部屋の中央に置かれていた大きなテーブルの一席を引き、そこに腰掛ける。

 台本を拡げた。目を滑らせて、最後のシーンへ。隊長の言葉を受けて逡巡した彼女が、最後に放つ一言。そして、その後のシーンは綴られていない。ここで終わりなのか、それとも私の台詞に合わせてマーゲイが新たにシナリオを作り出すのか。いや、それを考えるよりも先に、自分の台詞を決めなければ。

 ――そもそも、この物語の主人公はどんなアニマルガールなのだろう。ふと、そう思った。作中では一貫して「わたし」か「彼女」あるいは「主人公」、そして隊長からは「君」としか呼ばれていない。恐らく主人公を誰か一人に特定しないためにこうしてあるのだろうが、演者からすれば少なくとも人物像は一つに定めておいた方が良いように思えた。そして、私が考えるに、マーゲイがプロットや台本を書く上で、モデルにしたアニマルガールがいるはずだ。


 私は卓上に目を向ける。クロスが引かれた上には、かつての隊員たちが遺していったであろうポーチやアクセサリー類、栞が挟まれたままの本、ペンスタンド、メモ帳、書類や郵送物の山などが雑然と置かれていた。どれも埃被っていて、長い年月の経過を感じさせる。その中で目を引かれたのが、書類の山の横に置かれたA4サイズのファイルである。私は被っていた埃を手で軽く払い除けると、それを開いてみた。一枚目のタイトルシートには、丸文字で「勉強記録 ⑲」と題されていた。そして、その下の罫線には、「みーあ組:ドール、マイルカ」の文字。

 中身を見る限り、どうやらタイトル通り隊員の勉強内容を纏めたファイルらしい。挟まれたプリントは5教科のドリルのようなもので、大体高校レベルの問題が載っているように思われた。アニマルガールの教育機関としては私が在籍していた女学園があるが、保安調査隊の仕事で通学できない者たちの教育も行っていたのだろうか。プリントを添削しているのはミーア――恐らくミーアキャットだろうか――というアニマルガールであり、彼女は赤いペンを使って生徒たちの回答に丸を付け、間違ったところには達筆な文字で懇切丁寧な添削を行っていた。中には授業中に目を盗んで描かれたらしい落書きを折檻するようなものもあって、くすりとしてしまう。

 しかしそのプリント達も、異変から数日前の日付が記されたものを最後に終わっていた。最後のプリントの裏には緑の学習帳が挟まれており、こちらは「探検隊日誌 ⑫」と題されている。名前の欄には、ファイルの最初にもあったドールの文字。どうやら彼女がこの日誌を書いていたらしい。


 それに手を伸ばしかけて、私は止めた。

 ――流石にプライバシーの侵害だろうか。でも、気になる。

 私は立ち上がると、一度卓上にファイルを置いて、部屋中を見渡した。そして奥の壁沿いに書棚があるのを見つけて、そちらへと歩いていく。書棚に並んでいたのは殆どが隊員たちが暇潰しに読んでいたであろう漫画・小説・雑誌類だったが、最下段に予想した通り、卓上に置かれていたものと同じファイルがずらりと並んでいた。背文字には「勉強記録」。過去のアーカイブだ。

 私は一番左のものを引き抜いた。①のナンバーが振られているこのファイルのタイトルはまだ拙い文字で綴られており、また漢字ではなくひらがなであった。そして最後に挟まれているのは同じく拙いひらがなで書かれた学習帳。読ませてもらうにせよ、初めから、これを書いている彼女、そして彼女に関わった数々のアニマルガールたちのことを知りたかったのだ。私はそれを手に取り、しゃがんだまま開く。


――――――――――――――――─────

 〈5がつ4にち はじめまして〉

 はじめまして、どーるです。きょうから、かがやきをうばわれてしまったさーばるさんにかわって、たんけんたいのふくたいちょうになりました! わたしなんかがこんなだいじなやくめをはたせるのか、すっごくふあんですけど……でも、あたらしくきてくれたたのもしいたいちょうさんもいますし、みーあせんせいもいっしょについてきてくれるらしいですし……それに、きょだいせるりあんをはやくたおして、さーばるさんにかがやきをもどしてあげないといけません。なので、しっかりきあいをいれて、いっぱいがんばっていきたいとおもいます!

 しんせいじゃぱりぱーくたんけんたい、しゅっぱつしんこう!

――――――――――――――――─────


 彼女――ドールは、副隊長だったのか。

 私は窓の外をちらりと見る。まだ空は明るかった。これなら、全て読んでも問題なさそうだ。再び視線を学習帳に戻し、読み進める。


――――――――――――――――─────

 〈6がつ2にち アイドルってたいへん〉

 私たちのパフォーマンス、そしてジャパリ団のみなさんのかつやくもあって、なんとかPIPのみなさんのかがやきが戻ってきました! さらにさらに、ロイヤルペンギンさんがくわわって、PIPはあらたなアイドルグループ、PPPとしてさいしどうするみたいです! それにしても、アイドルかつどうって、すっごくたいへんですね……――


 〈6がつ25にち 新たなきょうい〉

 巨大セルリアンに加えて、ホッカイ地方に現れた白いセルリアン……博士たちによると、巨大セルリアン以上のきょういになるかもしれないらしいです。とにかく――


 〈7がつ6にち みんななら〉

 夜、テントの中で隊長さんとお話ししました。沢山の困難を乗り越えてきたけど、それは皆のおかげで、私ひとりでなにかをやりとげたことって何もないって。いつか、私ひとりでなにかをやらなくちゃいけないときがきたら、本当にやれるんでしょうか……。……いえ、やるんです。隊長さんもできるって言ってくださいましたし。隊長さんやみんなのためなら、きっとどんなに辛いことだって――


 〈7がつ10にち ただいま〉

 私は、信じてました。たとえ私が何もかも忘れてしまっても、きっとみんななら覚えてくれるって。私の夢も、思い出も、何もかも全部。

 隊長さん、みんな……ただいま――

――――――――――――――――─────

 

 本人の筆跡で書かれた、彼女のありのままの言葉。快活で、前向きで、誰よりも優しく、そして不屈の心を持っている。そんな彼女の人となりが、並べられた文字から、言葉から、伝わってくる。

 

 〈わたし、憧れてるフレンズがいてね――〉


 その時、突如として頭の中に兆す言葉。眩暈の様な感覚を覚える。


 〈ドールちゃんって言って、探検隊の副隊長なんだけど。すっごくかっこいいんだ~〉


 ――そうだ、私は。


 〈わたし、将来はあの子みたいな、素敵な探検隊の隊員になりたいな――〉


 私は、ドールを、彼女を、知っていた。そして、保安調査隊のことも。

 誰かが教えてくれたのだ、私に。でも、いつものように思い出せない。その「彼女」の存在は、やはり変わらず、深い靄の中に包まれていた。


 私は頭を振る。

 いや、とにかく今は考えるのを止めよう。私は読み終わった一冊目の学習帳をファイルに仕舞い込むと、二冊目に手を出した。とにかく今は、彼女のことを知りたい。分かってみたい――隊長に想いを寄せていた、隊員の思いを。

 二冊目以降には、その後にパークを襲った数々の危機と、それを解決した保安調査隊の活躍が克明に記されていた。巨大セルリアンよりも更に巨大なダイオウセルリアンの存在や、「女王」の再出現。正式開園に漕ぎ着けるまでの長きに亘るセルリアン討伐の様子。そして、その八面六臂の活躍が広まった結果、隊に多くのメンバーが増えたこと。私は書棚にあった日誌を全て読み終え、立ち上がった。背後を振り向き、最初に手に取った日誌のもとへと、歩いていく。



***



「アオサギ、いる~?」


 ドア越しに掛けられたマーゲイの声に、私は我に返った。

 最後の日誌を読み終えてから、暫く考え込んでいて、撮影場所へ戻ることをすっかり忘れていた。私は返事をすると、日誌をファイルに戻し、元あった場所へ置きなおした。


「あんなところで、何してたの?」

 エントランスホールを出口に向かって歩きつつ、マーゲイが訊いた。私は少し言い淀んだが、よく考えれば別に後ろ暗いことではないと思い、正直に打ち明ける。

「保安調査隊の日誌を読んでいたわ。役作りの参考になるかもしれないと思って」

 私の言葉を聞いて、マーゲイは一瞬目を見開いた。彼女はドアに手を掛けつつ、そう、とだけ返した。

 日が落ちてすっかり暗くなった外では、自立式の照明が焚かれていた。シートの上に置かれた撮影機器の傍に、キャンプで使われるようなスツールが三脚置かれている。うち一脚に座るクロウタドリが、隊長の服に身を包み、こちらに手を振っていた。

「準備は出来たかい?」

 横に腰掛けた私に、彼女が訊く。すこし間を置いてから、私は徐に頷いてみせた。


「それじゃあ、撮影を再開するわよ。まずは拠点を出発するカットから撮るから、二人ともスタッフカーに乗って」

 監督の指示を受けて、私たち演者は車の方へと歩いていく。

 その最中、私は軽く目を閉じた。そして想像する――あの日、ここで起こったことを。鳴り響くサイレン、群衆が起こす騒擾。アニマルガールの殆どは恐怖し、逃げ惑い、あるいは身を寄せ合って最期の時を過ごした。けれども、抗った者たちもいた。それが保安調査隊――ジャパリパークの探検隊だ。

 るべきこと、るべき役はもう分かっていた。あとは、それを実現できるかどうか。

 助手席に乗りこみ、シートベルトをかけて横を見る。クロウタドリは既に役に入り込んでいるのか、険しい表情を浮かべていた。私は少し俯いてから、前を見る。

 成ってみせるんだ、探検隊の、に。

 

 刹那の静寂。

 それから間を置かずして、ボールドの音が鳴り響いた。

 

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