Another show girl off the stage ⑦
前照灯が点き、車が動き出す。緩いカーブを描きつつ、拠点前から湖の脇を通って森の中へと向かっていく。肝心の運転自体は運転席に座っているクロウタドリではなく、カメラの横にいるマーゲイが遠隔で行っていた。元はラッキービーストを通してしか遠隔運転は出来なかったが、彼らを統括するLBシステムそのものが大規模停電により使用できなくなった事態をきっかけに、同システムを介さずともスタッフカーを稼働させる独立したシステムが構築されたとのことだった。
森に入る手前で車は停車する。間も無くしてマーゲイが、撮影が上手くいったから一度車を戻すわ、と背後から拡声器で呼びかけた。少ししてから、電気駆動特有のモーター音を上げながら、車はゆっくりと転回を始める。
「森で撮るんじゃないの?」
拠点前に引き返してから一度下車した私は、彼女に訊ねる。撮影した映像を確認していた彼女は、画面から目を離さずに返答した。
「実際の森の中はセルリアンが出ないとも限らないでしょ。ここからは背後にグリーンバックを張っての撮影よ」
「ちょっと待って」
間を置かずにクロウタドリが手を挙げて言う。こちらを見る彼女。
「撮影は森の中でやろう。その方が臨場感が出るだろうし、演技もやりやすい」
彼女の提案に、マーゲイは眉を顰めた。
「いやだから、セルリアンが……」
「出たら僕が対処するよ。な、あおちゃん」
こちらを見遣るクロウタドリ。確かにグリーンバックの前で演技するよりそちらの方が没入出来てありがたいが……
「折角の機会だからね」彼女は続ける。「僕も君も、最善の環境で全力を出せたほうが後腐れがない。そうだろ?」
その言葉を聞いて、私は少し考える。――確かに、ここまでやってきて、中途半端で終わってしまうのは納得がいかないという気持ちもある。それに、彼女の力が、数百匹に及ぶセルリアンの大群を一掃するに足りることは事実であった。
私は顔を上げて、マーゲイの方を見る。その視線を受けて彼女は暫しの間渋っていたが、やがて諦めたように溜息を吐くと、分かったわ、と返した。
「但し、前にも話したように演者第一よ。危険を感じたら直ぐに逃げること――お互いにね」
後部座席に乗車した彼女の遠隔運転により再び転回した車は、森の方へと引き返していく。拠点が位置する広場から少し奥に入った所でそれは停車した。
「ここから撮影を始めていくわ。別の車は無いし、流石にジンバルを使って付いていくのにも無理があるから私はここから撮るわね。一先ず隊長が車を停めるところまで1カットでやるわよ」
私たちが頷いたのを見て、彼女は後ろからカメラを構える。私は姿勢を整え、演技へと備える。間も無くして、背後から合図がかかった。
無言の車内。
二人は車に揺られ、災禍の最前線へと向かってゆく。
私は想像する――異変当時の二人の様子を。これはドキュメンタリーではないから、マーゲイによる脚色が多分に含まれている。ここにいる二人は、実際にいた隊長でも隊員でもない、架空の存在だ。それでも、副隊長であった彼女が克明に記したあの日誌を読んでしまった今は、どうしても実在した隊長と、彼女――ドールを投影せずにはいられなかった。
しばらくしてカットがかかる。映像を確認した彼女によると、今のテイクで問題無かったとのこと。私は安心して息をつく。
「それじゃ、次のカットから最後のシーンに移るわよ」
そう言ってマーゲイは一度降車すると、車載していた照明器具を設置し、撮影の準備を整える。そこで、彼女の背後からクロウタドリが質問を差し挟んだ。
「それなんだけどさ」彼女はサファリハットを片手で軽く上げてマーゲイの方を見遣りながら訊く。「あおちゃんのアドリブが入ったあとって別なシーンが続くの? それともそこで終わり?」
それは私も気になっていたところだった。
「それはまだ未定」
ようやく撮影地点を定めたらしい彼女は、画面上でカメラの設定を弄ったりズームリングで望遠の調整をやったりしつつ返答した。
「アオサギの台詞次第ね。一応展開の候補は考えてあるけど、アドリブによってはそこで終わるかもしれないし」
だからね、と彼女は前置いて、言葉を継ぐ。顔はカメラから離れ、こちら――私の方を見つめていた。
「期待してるわよ」
ボールドが鳴り響き、最後のシーンの撮影が始まった。
マーゲイの握るカメラは、車外に広がる暗闇の中から私たちへと向けられている。停車したスタッフカーの中は沈黙で満たされていた。時折吹く冬場の冷たい風が周囲の森林を揺らす。
私は顔を上げて、横に座る隊長を見た。彼女――いや彼は、ハンドルを握ったままただ前方へと目を向けていた。私は不思議に思う。脚本通りにいけばここで彼が台詞を発するのだが、撮影が始まってから随分と間が空いていた。マーゲイがカットをかける気配も無い。まさか台詞を忘れてしまったのか? 彼女がそのような失態を犯すとは考えづらいが……。しかしこのある種の気まずさに耐えかねて、取り敢えず間を繋ごうと、私は口を開きかける。
「君はさ」
その時唐突に彼女が声を発したので、私は驚きで少し屹ってしまう。構わず彼女は続けた。
「どうして今日僕を誘ってくれたの?」
「……えっ」
動揺した。その台詞は、脚本には書かれていない、完全なアドリブだったからだ。私は返答に窮したが、なんとか言葉を探して返答する。
「それは……私がただ、久しぶりに隊長さんとお出掛けしたかったからで……」
私の言葉を受けて、暫く黙り込む隊長。それから、軽くこちらに微笑みかけて、そっか、と返した。
「それが聞けてよかった」そう言った彼は、目を横に流し、森の方を指差した。「ここから少し歩いたところに、シェルターがある。セルリアンが来る前にそこに避難するんだ」
そして彼は、私へと目を遣る。
「君まで犠牲になることはない」
私は俯いた。
ここからは脚本通り、私がアドリブの台詞を言うだけ。けれどもその前に、隊長を演じるクロウタドリが、何故唐突に要求されていなかったアドリブを挟んだのか、その理由を考えておく必要があった。
頭に蘇る、先程読んだ探検隊の日誌。そこには彼女たちの日常と共に、副隊長の彼女、ドールの個人的な感情――仄めかされた隊長への恋慕も含めて――が書かれていた。そこから推測して、あの日、あの時、そして最期の瞬間に、彼女が何を考え、何を話したのか。
そこで、ある言葉が頭に浮かんできた。
――そうか。だから彼女は私にそう聞いたのか。
探検隊の副隊長は、私とは何もかも違う。快活明朗で、喜怒哀楽がはっきりしていて、そして何よりも実直。だから、きっと婉曲的に表した言葉で全てを終わらせてしまうのは、的外れにも程があったんだ。
「……ごめんなさい、嘘つきました」
再び彼の顔を見据えて、私ははっきりと言う。
「私、隊長さんのことが好きです。大好きなんです――初めて出会った、あの時から。それを伝えたくて、今日、パーク・セントラルに誘ったんです」
目の前にいる隊長は、目を見開いた。
「私だけ生き残ったとしても、隊長さんや皆がいないパークなんて、耐えられません。それに、例えここで全て終わってしまうとしても、その後には必ず輝きが残ると思うから」
タブレットの中に映っていた探検隊の面々。その先頭で笑顔で仲間たちに囲まれている彼女。きっと誰だって、どんな絶望の中でも最後まで抗うことを諦めなかった。
「だから、皆のところに行かなきゃならないんです。皆と一緒に戦って、未来のパークに、フレンズ達に、輝きを繋がなきゃ。だって私は――」
だって彼女は。
「――探検隊の、副隊長ですから」
***
響き渡るマーゲイの声。途端に、まるで憑き物が落ちたかのようにふっと力が抜け、私はシートにぐったりと倒れ掛かった。
「あおちゃん大丈夫?」
「あ、いや……ごめんなさい」
クロウタドリの助けを借りて、私は身を起こす。車外に目を向けると、丁度マーゲイがこちらに向かって歩いてくるところだった。その表情はほくほくとしており、また興奮が抑えきれないといった風だった。
「あの、どうだったかしら」
私は恐る恐る彼女に訊ねた。
「どうだったかって? そんなの、私の顔を見りゃ分かんでしょ」彼女は立てた親指をこちらに向ける。「文句なしよ」
それを聞いて、私は文字通り胸を撫で下ろした。それと同時に、少しの笑みも零れてしまう。
「本当なら一緒に映像を見返しながら、ゆっくり講評だとかここすきポイントだとかを語り合いたいんだけど――」
彼女はいかにも残念そうに肩を落としてみせると、一転表情を険しくし、ぐるりを見渡した。同時に、片手に把持していた照明を落とす。
「……案の定ね」
「え?」
私は釣られて周囲に目を向ける。暫くして目が慣れてくると、沿道に立ち並ぶ木立の間に蠢く、極彩色の物体があった。……なるほど、先程までは演技に集中していて全く気付かなかったが――私たちはすっかりセルリアンたちに取り囲まれていた。
「残った機材類は後回しっ! クロウタドリ、ちょっと運転席代わって!」
彼女の指示に従う形で一旦降車した彼女だったが、その動きはひどく緩慢だった。
「ちょっ、なにチンタラしてんのよ!」
「まあ落ち着きなよ。折角ならここも撮っておかない? CG無しで臨場感溢れる戦闘シーンが撮れるかも」
「は? マジで何言って――」
刹那一陣の突風が周囲を揺らした。間を置かずに鳴る生々しい破裂音。マーゲイが咄嗟に点けた照明を音の出所に差し向けると、太い針葉樹の幹にべったりと張り付いた基質の痕と、そちらに腕を差し出したクロウタドリの姿があった。彼女は徐にこちらを振り返ると、爛々と眼を悍ましく光らせる。
「軽く捻るか」
***
「……で、さっき撮った僕のかっちょいいカット、映画に使えそう?」
マーゲイの自室でぐったりとしている私やマーゲイと対照的にジャパまんを口に詰め込んでいたクロウタドリが、あっけらかんと訊いた。
「そうね、VFXでも再現出来なさそうなアクションが撮れたし、良いアクセントとして使える……」
そこまで言って、マーゲイは臥していたソファからがばりと跳ね起きる。頭に載せていた氷嚢が音を立てて落ちた。
「……っわけないでしょッ?! 何でフレンズじゃなくて隊長がバカクソ多いセルリアンを鎧袖一触してんのよッ! 設定崩壊にも程があるわ!」
「えー、いいじゃん」
「良いわけないでしょ……あーくそ、また気持ち悪くなってきた……車で逃げながらぐるんぐるんカメラ動かしてたからヤバい車酔いしちゃったじゃないの……」
マーゲイはまたソファに臥す。私は別に酔ってはいなかったが、単純に演技による肉体・精神両方の疲労でぐったりとしていた。
「てか、50匹以上いたのに3分未満で蹴散らすとか意味分からんし……アオサギ、あの子マジで何なの」
「えっと、私もよく分かってなくて……」
「はぁ? 昔からの知り合いなんじゃなかったの?」
「まあそれは……かくかくしかじかで」
「いや事情を漫画みたいな略し方するんじゃないわよ……やば、ゲロ吐きそう」
暫くしてようやく疲れが取れてきた私は、拠点の浴場へと向かった。洗体所で汗を流したのち、湯船に浸かろうと思って振り向くと、奥に屋外へと繋がる引き戸があるのが見えた。昨日は気が付かなかったが、どうやら露天があるらしい。せっかくだからと、私はバスタオルを身体に巻き付けて戸を引き開けた。
露天は、中々に開放的かつ情緒的なものだった。湖畔に位置する拠点から湖側に張り出すようにして設置されたデッキ上に檜で拵えた湯船が設えられており、湯船へと飛び石様の装飾タイルが続いていた。上からは暖色の明かりが照らされている。湯船から頻りに立ち上がる湯気は、冬の澄んで張り詰めた大気の中へと消えていた。
私はタオルを湯出口に畳んで置くと、ゆっくりと浴槽の中へ脚を入れた。そのまま身を屈め、全身を湯に潜らせる。先日キョウシュウを発つ前に泊まった銭湯とは異なり当然源泉掛け流しではないが、それでも一日の疲れを溶かすには十分なものであった。思わず溜息を零した私は、暫しの間目を閉じて湯に浸かったのち、一度身体を上げて縁に腰掛けた。デッキの外に目を遣ると、吹く風で揺らめく水面が遠い湖岸まで広がっていて、空に浮かぶ下弦の月もそこに映って共に波打っていた。
「ここ、いいでしょ」
不意に背後から聞こえた声に振り向くと、バスタオルに身を包んだマーゲイが引き戸を開けて入ってくるところだった。
「私も一緒に入ってもいいかしら?」
私は頷く。同時に身体が冷えてきたので、彼女と一緒に再び浴槽の中に身体を沈めた。
「体調は大丈夫なの?」
「大分良くなったわ」彼女は大きく伸びをしつつ返答する。「慣れないことなんてするもんじゃないわね」
そう言って彼女は朗らかに笑った。
それから暫く、沈黙が続く。私は少し気まずさを覚えて、時間を埋めるように周囲を見回した。そしてそれでも尚持て余したため、のぼせたということにして屋内へと引き返してゆこうとすると、矢庭に彼女に呼び止められる。
「待って」
「え」
湯船の縁を跨ごうとして動きを止める。
「ちょっと話をしない? 湯に浸からなくてもいいから」
私は少し逡巡したが、ここで断るのも気が引けて、もう一度湯の中へと引き返した。
「まず最初に、ちゃんとお礼を言いたい」
横に座る彼女は、こちらを振り向いてそう言った。
「ありがとう。私の個人的な享楽に付き合ってくれたのもそうだけど、何より、あなたがきっかけをくれなければ、私はきっといつまでも自分に欠けているものに気付けなかった」
彼女は身体を翻して湖側の浴槽の縁に両腕を載せると、外の景色を眺めつつ話を続けた。
「…あなたには既に見抜かれていたけど、異変があってからの私の創作の原動力は罪の意識でしかなかった。自分が作りたいものよりも、行ってしまった皆に恥じないような作品作りばかり気にして。何か違うのは分かっていたけど、それでも生き残ってしまった責任感というか、罪の意識というか、そういうのが頭から離れなくて」
でも、と彼女は言ってこちらに顔を向けた。その表情は晴れ晴れとしている。
「ようやく吹っ切れたわ。久々に本当に撮りたいものを撮れた気がする。罪悪感や強迫観念に囚われない、本当に自分の性癖だけに従った純粋な創作が出来たような気がする」
彼女の言葉から少し間を置いて、私はおずおずと訊ねた。
「じゃあ、今回あんな終わり方にしたのも……」
「そう、私の性癖」
マーゲイは悪戯っぽく笑って見せた。
クロウタドリが周囲を取り囲んだセルリアンらを数分で一掃したのち拠点に引き返した私たちだったが、落ち着いてからマーゲイに撮影の進捗を訊ねたところ、これで“クランクアップ”との返答を受けたのだった。つまり、私が演じたあのアドリブを以って、作品は完結していた。
「……探検隊がどんな最終的にどうなったのか、言わずとも推し量れるでしょ。それをわざわざ描写するのは野暮だと思ったのよ。それに加えて、あなたの最後の台詞。これ以上は無いものだったわ」
「別にそんなこと……」
「あるのよ。少なくとも、私にとっては」私の謙遜を遮って彼女は言う。どこか遠い目をしていた。「あなたがモデルにしたであろうあの子だったら──きっとそう言っただろうから」
あの子。頭の中に集合写真の中で溌剌と敬礼をする彼女の姿が浮かんだ。
「探検隊の最期を見届けたのは、異変時に最前線で戦っていたパークのスタッフか四神を含めた守護けものだけ。ヒトのスタッフの多くは命を散らしたし、そうでなくても本土へ引き返した。守護けもの達は異変以来姿を現さない。だから、推測で描くしかなかった」
聞き慣れない言葉に首を傾げる私には気付かず、彼女は続けた。
「言ってしまえば、最後の台詞はね、書かなかったんじゃなくて、書けなかったの。勢いとインスピレーションで殆どを書き上げてしまう私だけれど、それでも最後だけ浮かばなかった。だから、あなたの力を借りたの」
マーゲイは私に訊く。
「あの子たちの最後の日誌──読んだんでしょ。……何が、書いてあったの」
「え……」
差し向けられる苦々しげな彼女の顔。私はたじろいでしまう。
「ごめんなさい、卑怯よね。でも、どうしてもあれだけは読めなかった。興味本位で覗いてしまうのはどうしても憚られて。わざわざ最後の台詞をアドリブにしたのも、もしかしたらあなたが、役作りのためにあれを見てくれるかもしれない、それを基に演技に昇華してくれるかもしれないっていう自分勝手な期待があったから」
日誌を読んだと打ち明けた時のマーゲイの表情を思い返した。なるほど、あれはそういうわけで──。
私は先刻読み込んだ最後の日誌の、最後のページの内容を思い出す。そして、少し悩んだのちに、彼女に言葉を返した。
「──これは、あくまで私の考えだけれど」彼女の目を見据えつつ、私は続ける。「あれは、ちゃんとあなた自身が直接読むべきだと思うわ」
彼女は私の返答を、静かに受け止めた。沈黙して、少し俯いた後、再び顔を湖の方に落としつつ、呟く。
「そうね──そうしようと、思う」
不意に一陣の寒風が吹き過ぎる。それは周囲を覆っていた立ち上る湯気を一瞬にして吹き流したが、間を置かずに再びそれは眼前に立ち込める。
その時薫った木立と張り詰めた大気の香りに、切ないようで、それでいて何か胸がすくような思いを感じた。秋は間も無く過ぎ去り、私たちの目前には全てが失われたかに見えたあの日から二十回目の冬が迫りつつあった。
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