Another show girl off the stage ③

 車を降りた私たちは、整備された庭園路に沿って建物の方へと歩いていく。建物の手前には掲示板が立っていたが、当然ながら掲示物は何も無かった。ラッピングがされた自動販売機なども設置されているが、側面には蔦が這い、ディスプレイのボードは劣化して失透していた。

 ガラス戸を開けて、私たちは建物の中へと入る。直ぐに私たちを出迎えてくれたのは、広々としたエントランスホールだった。突き当りには2階へと通じる階段があり、彼女に案内されてそこを上っていく。上った先にある日の差し込む通路を通り抜け、やがて辿り着いたのは、入口のホールよりもさらに開放的な一室だった。

 暖色の木材で統一された室内には、ベッドやデスクといった什器類が配置されており、左手にはフロア・トゥ・シーリングの大窓がある。窓の外にあるバルコニーの奥には、先程見た湖が。その脇から伸びる緩やかにカーブした木製の階段はロフトへと続いており、その上部にある円い明かり窓からは日光が差し込んでいた。天井は高く、三階までの吹き抜けとなっており、その外観はカテドラルなどでよく見られる穹窿ヴォールト構造を彷彿とさせる。豪著とも言えるその内装を見渡していた私たちに、マーゲイが話しかけてきた。

「ここは、以前隊長の居室として用いられていた場所」

「探検隊?」

「保安調査隊のことよ。あちこち探検して、パークの問題を解決するような組織だったから、みんなからは親しみを込めて探検隊と呼ばれていた」

 彼女は憂いを帯びた視線を部屋の方へ差し向けた。

「隊長の居室とは名ばかりで、フレンズ達はみんなこの部屋をリビングルーム代わりに使っていたわね。私も何度か招かれたけれど、とても居心地が良かった。なんというか、もともとの住処とは違う、第二の居場所、というか」

 彼女は遠い目で室内を見つめる。かつての光景を回顧しているのか、彼女の目はまるでその先にいる誰かへと向けられているかのようだった。

「マーゲイちゃんはここで暮らしてるの?」

 クロウタドリの声で現実に引き戻された彼女は、その顔をこちらへと向けた。

「いいえ、私が住んでるのはこの下――以前応接室として用いられていた部屋よ」マーゲイはさっと踵を返すと、廊下の方へと引き返していく。「……ここは、私なんかが住んでいい場所じゃないから」

 下を案内するわ、と言い残して彼女は部屋を出ていく。私たちは彼女の言葉に少しの間顔を見合わせたが、間も無くして彼女に続いて同室を後にした。



***



 マーゲイの私室に通された私たちは、彼女に勧められて立派な応接ソファに腰を下ろした。かつては応接室として用いられていたとのことだが、その面影を感じる物と言えば中央に置かれたこの椅子と木製の大きな卓くらいなもので、室内の大半は書物がぎっしりと詰まった大型の書架と各種の撮影機器が埋め尽くしていた。ジャイアントの部屋もインパクトがあったが、こちらもなかなか負けていない。

「出せるものなんてこれくらいしかないけど」

 彼女はボウルに載せたジャパまんを卓上に置く。外皮は見たことのない色をしていて、そのバリエーションの豊富さを感じる。朝食はまだ摂っていなかったため、厚意に甘えて私とクロウタドリはボウルに手を伸ばした。

「しかし、こっちから誘っておきながらなんだけど、あなたたちアンインまで来て良かったの? パーク・セントラルとはほぼ真逆の方角だけど」

 残ったジャパまんを手に取りつつマーゲイはそう訊ねた。

「いいって、別に旅路を急いでいるわけでもないし。一応帰りは送ってくれるんでしょ?」

「まあそのつもりではあったけど、送れるのは精々ゴコク地方内までよ。サンカイまで行くとなるとあれの充電が持つか分からないし」

 彼女は窓外に見える車を指差して言う。

「それでも十分ありがたいよ。それにさ、あおちゃんには旅の途中で出来るだけ多くのフレンズ達とお話しして欲しかったんだ。君の提案は僕らにとっても重畳だったというわけ」

「フレンズと? そりゃまたどうして」

「自分探しのためだよ。ね、あおちゃん?」

 クロウタドリがこちらを肘でつついてくる。へぇ、そういうタイプなのね、と驚いたようにこちらに目を向けるマーゲイ。

「……誤謬があるわ、そんな大層なことをしようとしてるわけじゃない」

 私は溜息を吐きつつ訂正を入れる。

「私はただ、異変前の記憶を取り戻して、せめて、異変前のもとの自分に戻りたいだけ」

 異変前の、ちゃんと翼があった頃の自分へ。新たな自分を見出すよりも先に、まずはそこから始めなくてはならない。

「なるほどね。でも、私は多分何の助けにもならないと思うわよ? 異変前の知り合いだったわけでもないし」

「それでも構わないわ。何か……そうね、異変の時の――」

 言おうとして、私は口を噤む。

「異変の時の?」

「……いや」なんでもない、と私は言って、改めて切り出す。「保安調査隊――探検隊がどんな存在だったのか、私に教えてくれないかしら」

 私の問いに、いいわよ、と言ってマーゲイは応じると、少しの間を置いてから、少し伏し目がちになって語り始めた。


「ジャパリパーク保安調査隊は、異変が起こるよりもずっと前、所謂『女王事件』以降に活動が活発化したセルリアンへの対処を主目的として設立された組織だった」

「女王事件って、動物研究所の副所長がセルリアンに襲われたやつだっけ」

 クロウタドリが横から質問する。

「そうよ。あの時は私も、急に湧いてきたセルリアンに当時作っていた映画の脚本を奪われて大変だったわね……。事件はサーバルたちのお陰で何とか終息したものの、その余波は看過できないものだった」

 彼女は矢庭に立ち上がると、部屋の奥にあるデスクのもとへと歩いてゆき、その卓上に載っていたタブレット端末を手にこちらへと引き返してきた。

「初めは、職務の都合上何かとフィールドワークを行うことが多いパークガイドのミライと、事件解決に寄与したサーバルら三人のフレンズで構成された小さな組織だったのよ。ただその後、副隊長のサーバルが輝きを奪われて倒れちゃって、加えてフレンズ三人じゃもともとキャパオーバーだったってこともあって、外部から招聘した新しい隊長を中心に隊は改組されたの」

 タブレットを操作し、彼女はその画面をこちらに向ける。その画面一杯には、一枚の集合写真が表示されていた。写真の中央には眩しい笑みを浮かべつつこちらに向かって敬礼する一人のアニマルガール──外見から察するに恐らく犬科だろうか──が立っており、その周囲を取り囲むようにして、他の隊員と思しき面々がカメラに向けてポーズをとっていた。

「……あの子たちの活躍は目覚ましかったわね。結成して間もない頃から、パーク中を騒がせていた巨大セルリアンを倒しちゃったりして。その後も、再出現した女王セルリアンを始めとした数々の脅威に恐れず立ち向かって、パークを危難から救っていった。その八面六臂の活躍ぶりに魅せられて、探検隊を志すフレンズが相次いだらしいわ。記憶が正しければ、異変直前までの探検隊の構成人数は、最初期の数倍に膨れ上がっていたはず」

 目を細めつつそう語っていた彼女だったが、そこで一旦言葉を切ると、一転表情を暗くして、少し躊躇いつつも言葉を継いだ。

「でも、それだけ勇敢で強大な探検隊でさえ、20年前のあの時……『異変』の前では歯が立たなかった。あれは、これまでパークを襲ってきた数多くの危機とは訳が違ったのよ。抗うことすら許されない勢いで──フレンズやヒトを消し去っていった」

 私たちの前に置かれていたタブレット端末がスリープ状態に入る。これまで眩しい笑顔を浮かべていた面々が、闇の中に消えた。

 暫しの沈黙が場を支配する。応接室に掛けられていた時計が時間を刻む音だけが私たちの上にのしかかっていた。かつてここに絶えず響いていたはずのアニマルガールらの歓声、足音、歌声。そういったものを想像してみて、そして、ひどく胸が締め付けられる。マーゲイは不意に軽く宙を仰ぐと、徐に話を続けた。

「……不思議なもんよね。パークの要だった探検隊や警備隊、そして守護けもの達。みんな消えてしまったのに、どういう訳か私たちだけ生き残った」

 そう言って、部屋の中を見渡す彼女。

「だからこそ、異変後のこのパークで、何もせず惰性のまま生きていくわけにはいかないのよ。それで、私は取り敢えず創作活動を続けてる。……別に探検隊の活動みたいに立派なことじゃないけど、何もやらないよりはマシだと思ってね」

 彼女は徐に立ち上がると、私たちを見下ろし、努めて明るい声で提案した。

「折角だから何か観ていかない? 今からプロジェクターを準備するから」



***



 部屋の片隅に張られた中規模のスクリーンを用いて、30分前後の短編映画が二作上映された。一作目はロマンスで、二作目はミステリー。どちらも異変後に撮影された作品で、出演しているアニマルガールたちもその殆どが恐らく新世代、かつどちらかというと彼女たちに向けた比較的平易なシナリオとなっていたが、彼女の手腕のおかげか新世代・生き残り問わず楽しめる均整の上手くとれたものとなっていた。

 私たちの前では二作目のエンドロールが流れている。下から上へと流れていくキャストや制作関係者の名前。当然のことながら、後者に関してはその大半がマーゲイの名前が埋め尽くしていた。極めつけには、画面中央で動きを止める監督としての彼女の名前。勿論配給会社や映倫のロゴが表示されることは無く、そのまま画面は暗転した。

「お疲れ様」

 彼女はリモコンでプロジェクターの電源を消し、スクリーンを引き下げた。クロウタドリが軽い拍手を送ったので、私もそれに倣う。そんなのいいわよ、と彼女は照れ笑いを浮かべながらそれを制した。そして先程のように対面のソファに座ると、一転神妙な顔つきになって訊ねてくる。

「拍手よりも欲しいものがあるのよ」彼女は私たちの顔を交互に見つめてから続ける。「今観た二つの作品の、率直な感想……出来れば、批評が聞きたいの」

 マーゲイの両の眼は真剣そのものだった。いつの間にか、卓上にはメモパッドとペンさえ置かれている。

「僕らは批評家でもなんでもないから月並みな感想しか言えないけど、それでもいいの?」

「全然構わないわ。聞けるだけでありがたいもの。新世代の子たちからも感想は貰っているけど、生き残りのフレンズたちとは違って作劇的な観点からの評価はどうしてもしても貰えないの。彼女たちを責めるつもりは一切ないけれどね」

 だから、このチャンスは逃せないのよ、と熱っぽく主張する彼女。それを聞いてクロウタドリがこちらに一瞥をよこしたので、私は目線だけで先を譲る。

「……それじゃ、僕から遠慮なく」

 彼女はそう言って、軽く居住まいを正した。


「まず一作目からだけど、ロマンスとしては申し分ない出来だったんじゃないかな。主演も助演も最低限の演技は出来ていたし、二人の関係性が進展していく様子も説得力があるものだった。佳境の、群衆の中から想い人を見つけるあのシーン、あれは現実的に考えたら若干無理はありそうだけど、まあフィクションは外連味が効いてこそだし僕は演出の一部として受け容れられたな」

 クロウタドリは滔々と語っていく。マーゲイはふんふんと頷きつつメモの上にペンを走らせていた。

「二作目はミステリーものだったね。こっちも全体的に良い出来だったし、結末のカタルシスは相当なものだった。でも、一点だけちょっと気になるところがあってさ」

「なに?」ペンを止めてマーゲイは大きなヘーゼルの瞳を彼女に向ける。

「推理方法の一部に、プラズムの共鳴効果を用いて犯人の心理や行動をトレースするというものがあったろう。あれ、興味深かったけど手法としてはアリなのかい」

「ああ、あれね」

 彼女は合点して頷いたのち、ううん、と顎に手を当てて唸った。

「まあ確かに、かの『ノックスの十戒』に抵触しそうな展開なのよね。第二条だったかしら、推理に超自然的な方法を用いちゃいけないってやつ」

「いや、『十戒』や『二十則』は時代遅れな項目も多いし力量が高ければ従う必要は無いからそこは気にしてない、というかサンドスターだって完全に解明されていないだけで科学的なものだし。僕が言っているのは物語の流れ的な話だよ。単体の設定としては興味深いけれど、いかんせん30分の短編映画に詰め込むには突飛過ぎたように思えてね」

 その指摘に、なるほど、と言いつつも眉を顰めるマーゲイ。

「でも何か、観衆を惹きつけるような設定を入れたかったのよね。こういう場合どうすればいいのかしら」

 だったら、と言ってクロウタドリが応える。

「メインの推理手法として用いるんじゃなく、推論を組み立てる上での一要素にすればいい――探偵本人じゃなく、現場にいた誰かがプラズムの共鳴によって夢や錯覚という形で感じ取った、とかね。あとは相棒役が持つ不完全な能力として採用して、それを探偵が補完して推理する、とか。こうすれば過度に探偵が万能になりすぎて興が殺がれることもなくなるだろう」

 彼女は人差し指をピンと立てて続けた。

「面白いトリックやギミックでも、物語の尺の長さやジャンルによって活きるか死ぬかが大きく変わってくると思うんだ。そういった違和感っていうのは作り手一人じゃなかなか気付けなかったりするから、たまに誰かに脚本を俯瞰してもらうことも必要なんじゃないかな」


 相変わらず、彼女の観察力や知識の幅には驚かされる。異変以来本しか読んでこなかった私だが、あくまであれは惰性で続けていたルーティーンにすぎなかったから、得た知識の多くは飛んでいて、彼女のように博識というわけではない。私がそんな若干の劣等感に苛まれていると、メモをとっていたマーゲイから話し掛けられた。

「あなたはどうだった、アオサギ」

 ちゃんと準備をしていなかった私は、どぎまぎしてしまう。どうしよう、何を言おうか。クロウタドリ以上に批評することは出来ないだろうし、私は簡単な感想で済ませてしまうのが吉か。でも、彼女の批評でハードルが上がってしまった以上、それはそれで凄く恥ずかしいような……。

 そんなことを数秒の間頭の中でぐるぐると回したのち、ようやくのことで、硬直する私に小首を傾げているマーゲイに対して言葉を返したのだった。

「……ごめんなさい、考えがちゃんと纏まらないから、後で改めて言ってもいいかしら」

 正直に白状した。変に取り繕うよりはよっぽどマシだと結論付けてのことだった。

「大丈夫よ、なんかわざわざ申し訳ないわね」

 マーゲイは私が思っているよりもあっさりと受け入れてくれた。それに心の中で胸を撫で下ろしつつ、流れで映画や小説に関する談義を始める二人を横目に、早速先の作品たちを私は振り返る。


 クロウタドリの言う通り、確かに二作とも面白かった。

 面白かったのだが──何か、足りない気がしたのだ。クロウタドリが挙げた幾つかの問題点は納得のいくものであったが、どれも自分が感じた違和感や不足感に符合するものではなかった。

 私は改めて室内を見渡す。壁際だけで無く、生活スペースにまで溢れた専門機器。書棚に並んだ、作劇や撮影の教則本。どれもが、今の彼女が有する技能の下支えになっているものだ。異変前、そして異変後の約20年。彼女は様々な研鑽を積んで、作品をより精巧に──。


 そこで、私は不意にあるものを思い出す。

 カメラだ。彼女が最初に構えていた、あのビデオカメラ。


「マーゲイ」

 私の呼び掛けに、彼女はクロウタドリとの話を中断してこちらを振り向いた。

「どうしたの?」

「最初に持ってたビデオカメラ、ここにある?」

「あるけど」

「もし良ければ、また見せて欲しいの」

 彼女は首を傾げつつも、タブレットが置いてあったのと同じデスクへと歩いていき、ビデオカメラを手に引き返してきた。私は彼女からそれを受け取り、ギャラリーの中にある数々の映像を見返していく。

 ──そうか、何となく分かった気がする。

 私はカメラを卓上に置くと、もしあなたが良ければでいいのだけど、と前置いた上で、彼女にもう一つ頼み事をした。


「あなたの、も見せてくれないかしら」

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