Once the girls were here ⑧

《もうちょっとだけ、諦めないで》


 ――そう言えばそんなこと、わたしも言ったことあったっけか。

 目の前で静かに涙を流すハネジロちゃんの姿が、あの日の光景と、重なる。わたしがずっと心の奥底に隠してきた記憶が、蘇ってきた。


 パークがグランドオープンするずっと前に、突如として現れた巨大セルリアンにメンバー全員が襲われて、記憶を失ってしまったあの時。

 探検隊やその他のみんなの助けを借りて、イワビー、ジェーン、フルルの記憶は取り戻せたけど、コウテイだけ巨大セルリアンを長く追い続けたせいでファンとの記憶を取り戻せなくなってしまっていたんだっけ。


《私は、もう舞台には立てない。私はもう…アイドルじゃありません》


 すっかり自信を失くして、ステージに立つことを怖がっていたあの子を、わたしは励ました。何と言って? 確か――


《コウテイはなくしてなんかいない》


 そしてわたしはこう続けたはずだ。

《コウテイがファンに貰ったものは、コウテイがファンにあげたものでもあるんだ。コウテイの中に見つからなくてもちゃんと残ってるよ。舞台の上あの場所とファンのみんなの中に》


 ――そっか、あの時のわたしは、分かっていたんだ。

 輝きや記憶は、誰か一人の中にだけ残るものじゃない。誰かと分かち合えば、分かち合った者の中にも残り、紡がれ、連綿と受け継がれてゆく。分かっていた筈なのに、ずっと気付かないふりをしてきた。

 過去の想い出に縋るのが、苦しいけれど、心地良かったから。CDを聞けば、DVDを見れば、あの子達がそこに居て、それで安心できたから。でもそれは、多分束の間の、刹那的なものでしかないんだ。単なる過去の保存からは輝きは生まれない。そうしているうちに以前の輝きも薄れてきて、やがては潰えてしまう。心の何処かでは分かっていたことだけれど、直視できなかった。理屈では分かっていても、心が拒否をしていたから。

 でも――でも、今、コガタちゃんというかつてのファンに受け継がれた輝きを更に引き継いだ新世代のハネジロちゃんが、こうしてわたしの所へ来て、手を握ってくれている。わたしの為に、美しい涙を流してくれている。そうか、わたしもファンの皆に何かを与えていたんだ。そして、それが今返ってきている。眩しい――眩しすぎるけれど、直視せずにはいられない。


「君が犯した過ちや、後悔するべきことがあるとするなら、それはPPPの皆を異変から救えなかったことじゃない」

 クロウタドリちゃんはそう言って、振り向いたわたしの方に先程の写真を突き付けた。

「僕は別に、君を傷つけようと思ってこの写真を持ってきたわけじゃない。君なら、分かるだろう――この写真の中に宿るが」

 写真の中に映るあの頃のPPPの皆と、そしてわたし。眩し過ぎて、苦し過ぎて、あの日からずっと目を背けていた思い出。

「君はこの輝きに気付いていながら、それを自分の中だけに留め、更に暗澹とした過去の中に置こうとした。それが他でもない、過ちだ。どれだけ辛くとも、残された僕たちは、遺された輝きを前へと繋げなければならない。そうしなければ、この惑星ほしはそれを憶えてはくれない」

 彼女はわたしを見据えて、決然とした口調でそう言った。


 ――分かっていた、気付いていた。でも、恐いんだ。あの子達と別れてしまうのが、あの子達から遠ざかってしまうことが。


「……ジャイアントさん。わたしを、アイドルにしてください」

 ハネジロちゃんはわたしをじっと見据えてそう言った。彼女の顔の半分は、朝日を受けて橙色に染まっていた。

「わたしが、コガタちゃんの、PPPの皆さんの、輝きを未来に渡します。わたしだけじゃありません。ライブを開いて、歌と踊りを見てもらって――そうして、新しく生まれた新世代わたしたち皆で未来に繋げるんです。そうすれば、いつかわたし達が居なくなってしまったとしても、パークにはそれが残り続けると思うから」

 彼女はもう一度、わたしの両手を強く握って、そうして言葉を継いだ。

「……でも、きっかけが無いと、前へと進むのは恐いと思います。だから私が――そのきっかけになってみせる」


 彼女はわたしの手を離すと、ステージの中央へと駆けていく。そうして、両手を後ろに回し、腰のあたりで組んでみせた。そのまま顔を伏せて、眼を閉じる。

 わたしは、直ぐに気付く。あれは――PPP名義で最初に出した曲の最初の振付けだ。でも、どうしてこの曲を――。そこで、わたしは反射的にクロウタドリちゃんの方を見た。それに気付いた彼女は、こちらに顔を向ける。

「ああ、僕がやった二つ目のことをまだ言っていなかったね。昨日ハネジロちゃんに伝えたんだ、PPP結成時のライブ映像を見るといいって。そうすれば、コガタちゃんが持っていた願いや輝きがよく理解できるだろうと思ってさ」

 彼女はわたしの目を見据えたまま続ける。

「僕たちがDVDを再生するときに君は部屋の外に出ていった。僕たちの盛り上がりに水を差さないためだと君は言っていたけれど、きっとそれは建前だろう。僕の予想が正しければ、多分その映像の中には、君がどうしても目に入れたくない特大の地雷があったからだ」

 わたしは俯くことしか出来ない。その通りだった。

「そうして見つけた、コンテナの中に詰め込まれていたDVDを。君が昨日取り出したやつは、自分の観賞用として編集を加えたものだったんだろ? 道理でやけに無機質なクリアケースに入れられていたわけだ。そして、それを隠すためにあおちゃんにはあのコンテナには触れさせなかった。君がそこまでして避けようとしたものは何だったのか」

 わたしがずっと目を背けていたもの。古傷を抉ってでもあの子達のことを忘れないように思い出に浸かっていたわたしが、それでも直視できなかったもの。それは――。

「それは、、だったんですよね」

 顔を伏せったままのハネジロちゃんが不意に口を開いた。

「DVDのケースの裏に、書いてありました。セットリストの最後の曲目として、振付師として載っていた、あなたの名前が。その曲は、ジャイアントさんがPPPの皆さんと深く関わり合って生み出されたものだから。ジャイアントさんが、PPPの一部だったことを示すものだから――だからこそ、見るのが辛かったんですよね」

 あの写真やそれらをまとめたフォトアルバムと同じで、異変前からわたしが見れなかったもの。あの子達を守れなかったくせに、あの子達と一緒に過ごした時間を懐かしむ――そんなことは、到底許せなかった。わたしが繰り返し触れてきたものはあくまで”客観的なPPPのみんな”であって、そこに自分の影を見出したくなかったんだ。

「でも」

 不意に挟まれたハネジロちゃんの声で、わたしは顔を上げた。彼女はこちらに顔を向けていた。

「その思い出だって、大事な輝きなんです。だからわたしは、それも未来に繋げていきたい」

 彼女は再び振り付けの、最初の姿勢をとる。そうして、叫んだ。

「昨日の夜中、ずっと練習してたんです。だから、聞いてください、わたしの歌と踊りをっ!」


 溌溂とした声で一番の冒頭の歌詞を歌い始める彼女。そうだ、この曲はアウフタクトから入るんだ。

 彼女は後ろで組んでいた両手を解くと、目を開き天井を仰ぐ。同時に両腕を天へと伸ばし、直ぐに颯爽としたターンをきめると、ベースの入りと同時に人差し指を立てた右腕を下から上へとスウィング。

 伴奏は鳴ってはいないが、頭の中で彼女の振付けとシンクロして再生される。そして、ここに立っていた他のメンバーたちも、視界にオーバーラップする。

 そう、ここでセンターのソロが入って――あの時は、折角だからプリンセスをセンターにしてみようっていう話になったんだっけ。一番のサビは、全員が横並びになって、ユニゾン。そう言えばあのステージでは、輝きに釣られてやってきたセルリアンの駆除も、後ろで一緒にしなくちゃならなかったんだっけ。バックダンサーってことにして誤魔化してさ――色々わちゃわちゃしてたなぁ。


 そこで、わたしははっと気付く。


 あの子達の思い出をこうやって楽しく思い出すなんて、何時ぶりだろう。ハネジロちゃんがさっき言っていた、PPPを明るい記憶の中に置くというのは、こういうことなのかもしれないな。


 彼女は、躍る、陽射しのスポットライトの中で。それを眺めるわたしの心境は、あの時の自分──PPPとしての自分に、近付いていくような気がした。



***



「はっ、はあっ、わ、わたしの演技、どうだったっ、でしょうかっ?!」

 曲をフルで踊り通したハネジロが、息を切らしつつジャイアントに問う。ジャイアントはステージの下手側の端で、腕組みをして押し黙っていた。その顔に、先程のような陰りはもう無かった。

「……25点、かな」

「ええっ?!」

 ハネジロは疲れとショックでその場にへたり込んだ。随分と辛辣な評価だな、と私は思う。個人的にはかなり完成度が高いと思ったのだが。

「振付けは完璧だった。でも、動きが駄目だね。全然キレがない。あと何より、この曲は長めだから基礎体力が足りないと話にならないよ。加えて、ファンサや笑顔も足りてないね。それと、体幹の話になるけど――」

 ジャイアントは流暢に講評を述べ始める。ハネジロはステージ上にへたり込んだままそんな彼女の言葉をぽかんとした表情で聞いていた。


「と、まあこんな感じかな」

 ジャイアントは講評を終えると、一息吐いてそう言った。

「ご、ご指導ありがとうございました……?」ハネジロは少し当惑した様子でそう呟く。彼女は立ち上がると、ジャイアントの顔をじっと見つめた。

「あ、あの……」

「何だい?」

「そんなに沢山のアドバイスをしてくれるということは……また、マネージャーになって頂けるということ、でしょうか?」

 ジャイアントは彼女からそう訊ねられて、少し目を伏せた。そして観客席の方へと目を転じると、ゆっくりと喋り始める。

「……確かな返事は出来ない。まだ、恐いんだ。前へと進むのが。もしかしたら、アイドルになった君を、また失ってしまうんじゃないかって、怯える気持ちがあってさ」

 彼女はそこで言葉を切る。その先に続く言葉を継ぐのを暫しの間躊躇っている様子だったが、やがて決心したような面持ちになり、口をゆっくりと開いた。

「でも……取り敢えずはそれに近い役目を果たしてみようかなって思ってる」

「近い、役目?」

「うん。ま、体力作り・演技指導、くらいの役目をね。マネージャーはまだちょっと今の自分には重くてさ。それでリハビリのようなことをしてみたいんだけど……いい、かな」

「も、もちろんですっ!」

 ハネジロは即座に返事する。それを聞いた彼女は、少し表情を綻ばせた。

「よし、じゃ、早速今日からトレーニングを開始しようか。ジャイアント式トレーニングはキツいから今の内から覚悟しておくんだよ~?」

「えっ、あっ、はいっ。……ちなみに、どんな内容なんでしょうか」

「そうだね、まずスクワット1セット150回だろ、軽めのウェイトリフティングに、あ、声を安定させるためにドロー・インも加えた方がいいな。他には……」

 過酷なトレーニング内容を聞かされて悲鳴のような声を洩らしているハネジロを横目に、いつの間にかすぐ隣に来ていたクロウタドリが声を掛けてくる。

「僕たちはそろそろお暇しようか」

「……ええ、そうね」

 そこでステージ上にやってきた本来の目的を思い出した私は、ジャイアントの自室のドアを開けてもらうべく、滔々とトレーニング内容を語る彼女に呼びかけた。



***



 カウチの上で安らかな寝息を立てるハネジロに、ジャイアントは優しくブランケットを掛けた。コガタが亡くなってから寝る間も惜しんでPPP探しを続けていた彼女は、その疲労と、自らの新たな居場所を見つけられたことによる安堵からか、部屋に戻るや否や直ぐに倒れ込むように眠ってしまったのだった。

「今日はゆっくり寝させてあげよう」

 ジャイアントは彼女の頭を軽く撫でてから、そう囁くように呟いた。それから合図するかのようにこちらに向けられた彼女の目を受けて私たちは軽く頷くと、荷物を纏め、音を立てぬように静かに、思い出で満たされたその部屋を後にした。


 階下へと降りた私たちは、再びパイプ椅子の山を乗り越えてミキサー室へと踏み込む。ここもちゃんと掃除しないとな、とジャイアントが自嘲気味にぼそりと呟く。

「ここからしか外に出れないの?」

 私は素朴な疑問を口にする。毎度ここを行き来するのは流石に面倒なのではないか。

「まあ一応、裏手に別の出口はあるけど、積み重なった機械とか大道具とかで塞がれてるからね、今使えるのはここだけ」

 ジャイアントはそう言うと、少し間を置いて、言葉を継ぐ。

「……ここも、楽屋も、そしてステージの上も、全部異変の時のまんまなんだ。自分でも馬鹿げているとは思うんだけれど――あの時のままにしておけば、いつか、もしかしたら、あの子達が帰ってきてくれるんじゃないかと思って」彼女は頭を掻く。顔には哀し気な苦笑が浮かんでいた。「そんな訳ないのにね」

 

 ステージ上に出てみると、先程よりも高い位置で日がこちらを照らし出していた。脇の階段から下へと降り、すり鉢状になった観客席の階段を上り始める。

「そう言えば君たち、もともと何のためにこの水辺エリアに来たの? ハネジロちゃんとは偶然会っただけなんでしょ」

 階段を半分ほど上ったあたりで、ジャイアントが私たちにそう訊ねた。前を歩いていたクロウタドリがこちらを振り向き、にこやかに応えた。

「死に場所探しのためだよ」

「えっ」

 横に居たジャイアントが顔を引き攣らせるのが分かる。全く、この鳥は。フォローを入れる私の気持ちも考えて欲しいものだ。

「……なるほどね、亡くなってしまった友人の供養地探し、って訳か。それは、足止めしてしまって申し訳ないね」

「いいんだよ。他でも無いこの旅を持ちかけた僕が了承したことなんだからね」

 ね、あおちゃん、とクロウタドリは私に同意を求める。私は不承不承ながらも頷く。もともと自分は乗り気ではなかったのだが。

「それにしても、女学園かぁ、懐かしいね。アオサギちゃんも、クロツグミちゃんの旧友ってわけ?」

「そう、らしいわ」私は塗装の禿げた客席の階段が後ろに流れていく様子を見下ろしながらそう答えた。

「”らしい”?」

「……よく覚えていないの。彼女が言うには、親友同士だったらしいのだけど」

「……うーん」彼女はそう唸って、何か考える素振りを見せた。少し間を置いて、彼女は口を開く。「学生時代の親友を綺麗さっぱり忘れてしまうって、そんなことあり得るものなのかな」

 それに関しては私も疑問に思っていた。自分が記憶喪失になっているのか、それともクロウタドリが嘘を吐いているのか。私は前にいるクロウタドリをちらりと見た。彼女は振り向くことなくただ前へと進んでいる。横にいるジャイアントが話を続けた。

「これはあくまで、もしかしたら、の話なんだけど」彼女は口元に手を当てつつ話す。「異変前に巨大セルリアン騒動ってのがあったんだ。PPP──というか当時はPIPだったけど──そのメンバーに関わらず、沢山のフレンズの記憶がそいつに奪われた。最後は探検隊や警備隊を含めたフレンズ達の活躍で打ち倒されて、奪われていた輝きもみんな元に戻ったんだけど……もしかしたら、同じような記憶を奪う性質を持ったセルリアンが君のことを襲ったのかもしれない」

「セルリアンが、私を?」

「可能性だけどね。一度生まれたセルリアンは、暫くの間を置いて、再出現することがあるらしいし」

 私は彼女の言葉を聞いて、眉を顰める。確かに、巨大なセルリアンなら異変時に実際に目撃した。もしあの時にクロツグミとの記憶を奪われたのなら――今私が記憶喪失状態になっていることにも説明が付く。

「ねぇ、クロウタドリ――」

 私がそう呼び掛けた時、彼女はぴたりと足を止め、こちらに手の平を向けて立ち止るように合図した。

 その刹那、足許に微かな揺れが兆す。間も無く揺れは増幅していき、それに合わせて背後のステージを囲うトラスや、手摺、観客席が軋んだ。短周期の縦揺れ――この間と同じ感じだ。揺れは1分もせずに収まり、辺りは再び平穏を取り戻した。

「地震、多いわね。つい一昨日も大きく揺れたばかりなのに」

「え、そうだったっけ?」ジャイアントは首を傾げてそう言う。「気付かなかったなぁ、寝てたのかな」

 寝ていても跳ね起きるほどの揺れだったはずなのだが、気付かないということがあるのだろうか。まあ、あれが局所的な地震だったならば、もしかしたらここはあまり揺れなかったのかもしれない。


 そう考えているうちに、私たちは観客席の外へと出た。最初にここへ来た時は日が落ちていたために周りの環境がよく分からなかったが、よく見てみるとステージの周囲にも異変前の遺構らしきものが散在していた。隙間から草本が無秩序に生えているタイル敷きの舗装路を歩いて、ステージの裏手側へと回る。ジャイアントはそこで立ち止まると、遠方に薄っすらと見える山岳地帯を指差した。

「あの山の向こう側に、ゴコク地方へと繋がる連絡橋があるはずだよ。少し南に行った所には港もあるんだけど、今は生憎停泊中の船は一隻として無いから、ゴコクからサンカイとナカベを通ってパーク・セントラルに向かうしか無いだろうね」

 山岳の麓を見てみると、高密度の森林が横たわっているのが見てとれた。橋までは中々の距離がありそうだ。今日中に山越えを果たせるだろうか。


「ジャイアントちゃん」

 そこで、不意に私の隣にいたクロウタドリが前にいた彼女の名を呼んだ。見ると、彼女はどういう訳か深々と頭を下げている。

「えっ、ちょっ、どうしたの?」

 突然のことにジャイアントが驚きの声を洩らす。

「ごめん」彼女は頭を下げたままそう呟いた。

「え?」

「今朝のことについてだよ。説得するためとは言え、君を深く傷付ける方法をとってしまった」

 顔を上げた彼女は、ジャイアントをじっと見据えてそう言う。その顔には、普段浮かべているような微笑は無かった。

「別に気にしなくていいよ。あれくらい言われなきゃ、こうやって一歩踏み出すことだってできなかっただろうし」

 まあ、ハネジロちゃんを連れてきたのはズルいなって思っちゃったけどね、と彼女は含み笑いでそう言いつつ首許を掻く。私は再び横のクロウタドリの方を伺ったが、その口元は引き結ばれたままだった。

「そう言えば」僅かな沈黙を破ってジャイアントが口を開く。「コガタちゃんがわたしのもとを訪れたことがあったという話、ハネジロちゃんはクロウタドリちゃんからそう教えられたって言っていたようだけど」ジャイアントは探るように彼女の目を覗きつつ訊ねる。「もしかして、コガタちゃんと知り合いだったとか?」

 クロウタドリは静かにかぶりを振った。

「いいや。直接会ったことは無いよ――言うなれば、友達の友達かな。ツグミちゃんが知り合いで、彼女を通して異変後のコガタちゃんのことも聞き及んでいた」

 彼女は少し伏し目がちになって語り始める。その目は何処か遠い所を見ているようだった。

「コガタちゃんと同じで、ツグミちゃんも歌うことが大好きでさ。女学園時代から交流があったらしい。彼女もPPPのフリッパー――ファンの一人で、異変で5人が命を落としたことを酷く悔やんでいた」

 その時、不意に上げられた彼女の瞳がジャイアントを捉えた。ジャイアントも今度は逸らすことなくそれを見つめ返す。

「そして、もう一人、PPPに憧れ、アイドルを目指して毎日欠かすことなく歌や踊りに励んでいた子と異変後に知り合った。その子はハネジロちゃんと同じで、新世代のペンギンのフレンズだった」

 ジャイアントの目が大きく見開かれる。彼女は暫しの間、目を僅かに泳がせつつ逡巡していたが、間も無くしてクロウタドリを見据えると、はっきりと訊ねた。

「今、その子は」

「亡くなったよ。

「……そう」

 ジャイアントは眉根に深い皺を刻み込んだまま、その目を伏せった。

「今言った3人だけじゃない。異変前も異変後も、PPPの歌や踊りは、様々なアニマルガールに数多の輝きを遺していた。亡くなったコガタちゃんやツグミちゃん、そしてその子のためにも、僕はどうしても、その輝きを潰えさせたくなかったんだ。パーク・セントラルに向かう前にここに立ち寄ったのも、もともと、かつてのPPPのマネージャーで、最も多くのPPPの思い出を抱え込んでいる君がここにいると踏んでのことだった」

 ハネジロちゃんと出会ったのは想定外だったけどね、と彼女は言う。

「多少強引ではあったけど、ハネジロちゃんにも協力してもらって、君を立ち直らせるという手段を取った。……だけど、そういった背景があるからといって、僕が君に対してしたことが正当化されるとは思っていないよ。だから、改めて君に謝罪したかった」

 クロウタドリは再び深々と頭を垂れて、目の前の彼女に言う。


「ごめんなさい」


 少しの間頭を下げたクロウタドリのことを静かに見つめていたジャイアントだったが、やがて徐に彼女の方へと歩み寄ると、肩を起こす形で優しく彼女の頭を上げさせ、そのままその身体を抱き締めた。流石のクロウタドリも驚いたのか、抱かれるままに目を丸くしている。

 暫くして抱擁を解いた彼女は、呆けているクロウタドリに細めた眼差しを向けつつ、その手を握る。

「ありがとう、わたしが知らなかった思い出ときっかけを渡してくれて。君のおかげで、多分わたしは、これからも生きていける。君とハネジロちゃんが言ったように、あの子達が遺してくれた輝きを、きっと自分にとって明るい場所に置いてあげられるように頑張るよ。『かつてここにあの子たちが居て、こんな素晴らしいことをやってたんだよ』って、新世代の皆に前向きに伝えられるようになってみせる」

 握られた手を見つめつつ立ち尽くしているクロウタドリからこちらに目を遣った彼女は、今度は私に対して両腕を拡げて見せた。

「え?」

「アオサギちゃんもギュッてしようよ」

「いや、別に私は」

「いいからいいから、次いつ会えるか分からないんだし。ありがとうとまたねのハグだよ」

 躊躇っている私に痺れを切らしたのか、彼女はこちらに向かってくると、自らその腕を私の身体に回した。……こうなってはどうしようもない。私は仕方なく、彼女の華奢で小さな体に抱擁を返した。

「……アオサギちゃん」私の胸元に顔を埋めた彼女が、ぼそりと私の名を呼ぶ。

「なに」

 身長差を埋めるべく、私は少し頭を傾げ、彼女に片耳を寄せた。

「クロウタドリちゃんのこと、よろしく頼むね」

「え?」

 私はその意味が分からず眉を顰める。

「言ったでしょ、わたし、誰かの心を読み取るのが得意だって」彼女は先程よりも小声で私に話し掛ける。

「言っていたけど」

「でも、分からなかった」

「なにが」

「あの子の心の内が。多分――直感に近いんだけどね――クロウタドリちゃんは、なんか、心の上に何十にも見えない層が積み重なっているみたいで、その内側が全然見通せないんだ」

 私は目だけをクロウタドリの方へと向ける。彼女は未だに、ジャイアントに握られた手を見つめたままそこに立っていた。

「……でも多分、その内側は、すっごく不安定な気がしてならなくてさ。だから――もしもの時があったら、アオサギちゃんがちゃんと支えてあげて」

 そう告げた彼女は、私から抱擁を解く。

「支えてあげてって、なんで私が――」

 離れていく彼女に、慌てて私は問い掛ける。それを聞いた彼女は、出会った時と同じような剽軽な仕草をしつつ、とぼけたように言ってのける。

「だって、旅のバディなんでしょ? だったら、当然じゃない」


 それじゃ、また何処かでね。

 そう言って軽やかに私たちに両手を振った彼女は身を翻すと、朝日が照らすステージの方へと駆け出して行った。

 ――何だったんだ、今のは。身体に残る抱擁の余韻を未だに感じつつ、私は遠ざかっていくジャイアントの背を呆然と見つめていた。クロウタドリの心の内が不安定だって? 私には到底そういったふうには感じられない。勿論、彼女と違って他者を慮る感覚が鈍いということはあるだろうが、それでも、あの地下室で出会った時から抱く彼女の印象は、ジャイアントが評したものとは大きく乖離していた。


「それじゃ、そろそろ行こうか」

 不意に背後から掛けられた声に、私は振り向く。そこにあるのは、さっきまでの想いの吐露が嘘であったかのように、平然とした表情を浮かべつつこちらを見据えるクロウタドリの姿。

 そう、私が知っているのは、こんな風に飄々として常に抜け目のないアニマルガールとしての彼女で――。


 そこで、私は不意に、彼女の言葉を思い出す。

 彼女は、クロツグミの最期をその目で見届けたと言っていた。そして、さっきは異変後に知り合ったアニマルガールが、目の前で亡くなったとも。


 どうしてそれを、


「……ーい、あおちゃん? 聞こえてる?」

 前から掛けられたクロウタドリの声で、私の思考は遮られた。

「この先の森に広めの散策路があるから、そこを通って連絡橋に向かおうと思うんだけど、いいよね?」

 私が頷いたのを見て、彼女は意気揚々と、よし、出発進行、と調子よく言ってみせる。私は前をずいずいと進んでいく旧友である筈の彼女に目を向けつつ、改めて心の中で呟いた。


 クロウタドリ――あなたは一体、何者なの。

 


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