The ember of the life ③
「お前、そこで何をしているのですか」
振り向いた先にいたのは、一人の小柄なアニマルガールだった。私よりも相当背が低く、灰白色の服に身を包んでいる。頭に一対の翼があるところを見れば、恐らく鳥類のアニマルガールだろう。特徴的な羽角の下にある橙と金が混ざり合ったような色をした虹彩を持つ双眸が、怪訝そうに私を睨んでいた。
「えっ、と」
図書館に入ろうとしていただけよ──そう言おうと考えたが、上手く言葉が出てこない。思えば、他者と最後に話したのは何年も前のことであった。長い間話していないと喋り方も忘れてしまうものなのだな、と妙な感心を抱く。
語を継げず口をただぱくぱくさせていた私を見てそのアニマルガールは一つ溜息をつくと、私を迂回してドアの前に立ち、開きかけていたドアを全開にした。
「ほら」
「え」
「図書館を使いに来たのでしょう」
そう言って彼女は私が握りしめていたパンフレットを指差す。驚きと緊張で力を込めたせいか、パンフレットには大きく皺が寄っていた。そして私の返答を待たぬまま彼女は中へと入っていってしまう。支えを失って閉まっていくドアを慌てて押さえた私は、彼女に続いて図書館の中へと足を踏み入れた。
***
中は、存外に広かった。
木目を基調とした統一感のある館内。最上階に至るまで完全な吹き抜けとなっており、その広大な空間を貫くように館の中央には大きな常緑広葉樹が鎮座している。天井には幹が通るだけのサイズの穴が開けられており、目を下に転じると、大樹の麓には他の草本も生育できるような花壇が整備されていた。なるほど、雨天時の排水対策も十分という訳か。壁面には崩落した場所を除いてびっしりと書棚が並んでおり、各書棚を繋ぐように螺旋階段が張り巡らされていた。所々に踊り場もあり、館内の景観を楽しみながら読書も出来そうだ。概して他では目にしたことの無いような極めて前衛的な構造をしているが、機能性はしっかり考慮されているということに私は感心した。
先程私に声を掛けてきたアニマルガールは中央の花壇を囲むレファレンス・カウンターの内側へと入り、大儀そうに複数ある椅子の一つに腰掛けた。初めは同じ利用者かと思ったが、躊躇いなくカウンターの中に入ったところを見ると、どうやら彼女がこの図書館の司書らしい。
私は、舌打ちしそうになる。誰とも会いたくなかったのに。それに、どうせ彼女も新世代だろう。出来ればあまり会話をせずにここを乗り切りたい。
しかしながら、ここは今まで私が利用していた図書館とは異なり、曲がりなりにも管理された施設となる。司書の存在を無視して本を借りていくわけにもいかないだろう。私は入り口のすぐ近くにあった書棚の右下から適当に3冊ほど引き抜くと、意を決して彼女のもとへ近づいて行った。彼女は図鑑のような本に熱心に目を通していた。字が読めるのか、と意外に思ったが、良く見ると基本的には図柄が載った場所にしか目を動かしていない。私は若干の失望を感じながらも、持ってきた3冊の本を彼女の前のカウンターに置いて声を掛ける。
「あの」
「何ですか」
「本を借りたいのだけど」
「……はあ」
彼女は困惑したような顔を浮かべる。何かまずいことを言っただろうか。
「別に自由に持っていってよいですよ」彼女は再び本に目を落としつつそう言う。
「えっと……あなたはこの図書館の司書なんでしょう」
「ええ、司書兼、島の長です」
思わぬ返答に私は眉根を寄せる。島の長? そんなものがここにあったのか。困惑しつつも、私は質問を続けた。
「いやほら、貸出手続とか、やるべきことが色々と」
「無いのです」
「……返却期限は?」
「それも無いのです。そんなものがあると、遠い地方から来た子が大変ですから」
あ、でも、と彼女はそこで思い出したように右手の人差し指を立てると、こう付け加えた。
「但し、貸し出した本を我々が読みたいと思った時は、すぐに返却するのですよ」
「……はあ」
今度は私が気の抜けた相槌を打ってしまう。司書の私情に利用者のサービスが左右される図書館。そんなのアリなのか?
取り敢えず、手続も貸出期間も無いとのことなので、結局のところ利用の仕方は以前の図書館と変わらないということになる。誰にも許可を取らずに借りてきて、好きな時に返しに行く。些か拍子抜けだが、まあ誰にも関わらないに越したことはないし、好都合だ。次はこの司書がいないところを見計らって来よう。
私は一度カウンターに置いた本を手に取ると、それらを胸に抱え、踵を返す。そのまま出口へと歩きかけたところで、そのアニマルガールは出し抜けに私を呼び止めた。
「ちょっと待つのです」
私が振り向くと、彼女は僅かに狼狽した様子でこちらを見つめていた。彼女の大きな瞳が私の足先から頭までをなぞるように動く。不思議に思って自分の体を検めている時に、彼女は再び口を開いた。
「お前、尾や耳はどうしたのですか」
初めは何を言われているのか分からなかったが、司書に頭と腰を指差されたのちに合点がいった私は、またか、と溜息をついた。恐らく最初に対面した時には、私の方が背が高いために頭頂部にまで彼女の目が行かなかったのだろう。そして今後ろを向いた時に私の臀部を見て初めて気が付いた、というわけだ。
「気にしないで。無いのは生まれつきだから」
私は事もなげにそう言うと、再び踵を返した。この自分の身体的特徴に関しては話すと長くなる。往路で既に疲労が溜まっていた私は、彼女に説明する気力がなかった。
「いや、気にしますよ」
背後で彼女の声が聞こえたかと思うと、突如左腕を引かれて体が翻った。彼女はいつの間にカウンターを出てきたのか、私の直ぐ背後で腕を掴んでいた。そのままカウンターの方へと私を引き戻していく。
「ちょ、ちょっと」
「気が変わりました」
「はあ?」
「やっぱりお前には貸出手続が必要なのです」
彼女は私が抱えていた本をひったくると、カウンターの中へと戻っていく。突然のことに私が呆けていると、今度は背後から別な声が聞こえた。
「ただいま戻りました、博士」
振り返ると、淡い
「助手。あの子が奥の部屋にいるので──宜しく頼むのです」
助手と呼ばれたそのアニマルガールは、はっと何かに気付いたような表情を浮かべると、彼女に目礼をし、大樹を挟んで入り口の反対側に位置する別の扉の中へと急いで姿を消した。
「ほら、終わったので持っていくとよいのです」
声を聞いて彼女の方に目を転じると、カウンターの上には自分が持ってきた本が積み上げられていた。手に取って見てみるが、貸出票も何も挟まっていない。
「……特に何も変わってないように見えるんだけど」
「ちゃんと手続は済ませたのですよ」
「そう……まあ、何でもいいわ」
面倒臭くなって投げ遣りな返事をする。このよく分からないやり取りを毎回するのだと思うと、私はげんなりした。
***
今度こそ図書館を出た私は、強い西日に照らされ目を細める。もう夕方らしい。歩き出そうとして、図書館の外まで殊勝にも見送りに出て来てくれた例の司書に声を掛けられる。
「そういえばお前、名前は何というのですか」
私はここにやって来た時と同じように、背の低い彼女を見下ろす。西日を受けて、彼女は図書館の壁面や周囲の草本と同じように橙色に染まっていた。
「私は、アオサギ」
「そうですか、アオサギ──最近はエリアや地方を問わずセルリアンが頻繁に出没しているという話を聞きます。お前も帰路には気を付けるのですよ」
ええ、分かったわ、と返事をした私は、冬枯れの丘を
丘を降り切り、改めて丘上を振り返る。秋晴れの空は碧から橙への美々しいグラデーションを描き、東の淵にはこの
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