第4話 少女


朧気な月の光と、冷たい夜風に晒された暗闇を、懸命に駆ける小さな影がひとつ。

その瞳には、祭りの燈光とうこうだけを映して。

やがて月光も風も、提灯の灯りと人の熱気にかき消され、少女の前には、当たり前の風景が姿を現す。

まだ、祭りは始まったばかり。

大通りの群衆は、それぞれに団欒の夜を謳歌する。

焼き蕎麦の香ばしい香り、綿飴をせがむ子ども。笑い会う男女。広場からは、盆踊りの音楽が聞こえてくる。

後ろを見ても、吸い込まれそうな暗闇はもうどこにもない。ただ、平凡な町並だけ。

どこを見ても人、人、人。

懐かしい喧騒。月に届きそうな程眩しく輝く、人間たちの歓びの合唱。

その中に、少女はやっと見つけた。

「――お兄ちゃんっ!」

人の波に逆らい、辺りを見回していた挙動不審な青年、彼こそが、

少女の兄、小笹こざさ さかずき

しずく!お前どこ行ってたんだよっ」

青年は滴に駆け寄ると、小さな妹を抱き上げた。

「いなくなったの、お兄ちゃんのほう」

腕の中で、滴は静かに言う。…元来、感情表現の少ない少女なのだ。でも、決して嬉しくないわけではなく。

「目を離した俺も悪かったけどさ…。もう手ぇ離すなよ」

「うんっ」

滴は地面に下ろされると、しっかりと兄の手を握って人混みの中を進み始めた。

「あー、杯!妹ちゃん見つかったー?」

向こうから、女の声が聞こえた。

「ああ、今見つけた。ありがと絢菜あやな

「…あやな?」

「えーと、さっき偶然会ってな。俺の…、と、友達だよ、滴」

杯は歯切れ悪く説明する。妹から目を離してしまったのは、彼女を発見したのが原因なのだ。

人の群れの中から現れたのは、杯と同じ歳ほどの女の子。

……どこかで、見たような顔の。

「あやなお姉さん?」

滴は、不思議そうに彼女の顔を見上げた。

絢菜は、人懐こい笑顔で滴に答える。

「そだよー。あたし、宮野みやの 絢菜あやな。お兄ちゃんの友達なんだ。よろしくね、えーと…滴ちゃんだったよね?」

滴はうん、と頷いて、

「…角、ないの。違うひと…?」

と、怪訝に言った。

けれどその小さな呟きは喧騒に消え、三人はそれから、祭りの中に消えていった。

このひととき、楽しい時間を過ごすために。




少女の名は小笹こざさしずく

杯に満ちた水から零れ落ち、

宿った命も、いずれは水に還るべく、

―――やがてイケニエとなる、哀れな存在。


鬼の目覚めは、まだ少し先。

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イケニエ @kira-ma9

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